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 あれはそう、「大金を稼いだら、札束全部ビルの屋上からばらまいてやる」と豪語していたフォーク系ロックンローラーたちが、夢破れ、毎日のようにビルから飛び降りていた昔、ディスコ系ライブハウス【舞踏会】には今宵もスーパーアイドル白井由紀の熱烈なファンが押しかけ、前座で歌うぼくは秋の夕の野原を無数に飛び交う赤トンボのようなヤジを受けてステージを降りた。

 そして楽屋で帰り支度をしていた時、今夜もまた四角い顔にショートの黒髪の太った女の子に声をかけられたんだよ。

「ねえ、珠吾、昨日は、どうだった?」

 細い目に光る黒い瞳が、今夜も大きな打ち上げ花火のようにドーンとぼくの胸を熱く燃やすんだ。

「どうだったって、何が?」

「警察よ。あんた、警官につかみかかってたでしょう?」

「ああ、おかげで、刑務所に一泊できたよ」

 そうぼくが強がると、玲の目が三日月になって笑ってね、

「あら、いいわねえ。あたしなんか、他の公園のベンチで、捨ててあった新聞にくるまって寝たのに。蚊に刺されて体じゅう痒いわ」

「泊まるとこ、ないのなら、今夜は、おいらのアパート、来る?」

 穢れを知らぬヒヨコのように無邪気に聞いてみたのに、娘の目は強い疑惑の光線でぼくを突き刺すんだ。

「男の人のアパートに泊まれないでしょ? あんた、嫌らしいこと、考えているでしょ?」

「嫌らしいことって?」

「うわあ、この人、サイテー」

 変質者を見る目でぼくを見て、玲は背を向けたんだよ。

 もちろんぼくは追いかけたさ。光から闇へ。絶望から希望へ。

 街の裏通りを抜け、川沿いの狭い道で追いついた。

「何でついて来るの? あんた、あたしの、追っかけね?」

「だって、玲は、おいらと友だちになるって、昨日、言ったよね? おいら、淋しいんだ。玲がいなきゃ、空も川も街も人も鳥も、何もかもが悲しいんだ。玲はどうなんだい? 玲も、ひとりぼっちで淋しいから、おいらを訪ねて来たんじゃないかい?」

 娘は立ち止まって、星々が覗いていそうな闇の中、ぼくを深々見つめたんだ。

「友だちなら、変なこと、せんよね?」

「変なことって?」

「叩くよ」

 昨夜のビンタの後遺症か、ぼくの両手は反射的に頬をガードしていた。

「歌とダンスのレッスンならしてあげれるよ。それって、変なこと?」

 ぼくが恐る恐るそう言うと、玲は森のゴリラのように襲い来て、ぼくの頬に手を伸ばすじゃない。心拍数が二倍になって、思わず目を閉じたんだよ。だけど玲の太い指がぼくの指に絡んでね、ぎゅっと握りしめるじゃないの。心拍数がさらに二倍になって、涙ちびっちゃったよ。

「本当? ほんとにあたしにレッスンしてくれるの?」

 久しぶりに極上の草にたどり着けた牛みたいな声で娘は聞くのさ。

 ぼくは触れ合う指の熱情にうっとりしながらうなずいたよ。

「いちおう、おいら、歌では先輩だからね。じゃあ、試しに、何か歌ってみて」

「何かって?」

「何でもいいよ。玲が、好きな歌」

「じゃあ、昨日、あんたが歌ってくれた歌でもいい?」

 ぼくは首をひねって、昨日のことを思い出したんだ。

「えっ? あの歌、一度聴いただけで歌えるはずないじゃない」

 娘はお天道様まで舞い上がるヒバリのように笑った。

「じゃあ、ギター、弾いてみてよ」

 ぼくらは堤を下り、さらに暗い河原をせせらぎ揺らめく河辺まで歩いた。

 そしてぼくが昨夜公園で歌った曲をギターで鳴らすと、玲は重い体を揺らしながら歌ったんだ。ファンキーロックのリズムのキレはまだまだだったけど、そこ声の美しさといったら、朝陽に美しく輝く七色の湖のよう。聴いたぼくの脳内から数知れぬアルファー波が壮大なオーロラのように奔出して胸いっぱいに広がり、涙が止まらないよ。しかも玲はたった一度聴いた曲を正確な音程で歌うんだよ。

 天才歌姫・・

 その四文字がぼくの足先から脳天までビリビリ突き抜け、髪の毛総立になっちゃった。

 それでも彼女にレッスンすると言った以上、ぼくは強がって言ったんだ。

「だめだめ、ロックはもっとキレッキレに歌わなきゃ」

 ぼくは彼女にその歌の続きの歌詞も教えて、一緒に二番を歌ったのさ。

 

  笑顔を見せてマイ・ラスト・レディー

  ぼくの心もときめくよ

  海をも燃やすサン・セット・シャイン

  深く溺れて戻れない


  きみ追いかけてこの命

  死ぬまで燃やし続けるよ

  それがきみのさだめさ

  ああ もうのがれられない


 打ち震えながらギターをケースに直すぼくに、玲はおずおず聞いたよ。

「ねえ、どうだった? あたし、歌手になれるかな? レッスンしてくれるよね?」

 ぼくは彼女の指をぶるぶる握って聞き返したんだ。

「おいら、玲を、必ず本物の歌姫にするから、おいらを信じて、ついて来てくれる?」

「まあ、あたし、あんたのこと、よく知らないのに、どうやって信じろと言うの?」

「信じなくてもいいよ。おいらのこと、消しゴムのカスほども信じなくていいから、今夜から、レッスン開始だ」

 手を引いて、街中へ戻り、スーパーディスカウントショップに入って、玲のために、特Lサイズの青いティーシャツとウルトラサイズのショートパンツ、そしてランニングシューズを買ったんだ。

 それから僕の住むアパートへ玲を案内した。三階建てのビルの203号室の鍵を開け、ぼくが中へ入るけど、玲は入ってこようとしない。

「あんた、爪の垢ほども自分のこと信じなくていい、って言ったよね。やけん、あたし、あんたの部屋に入れんでしょ?」

 なんて悩める弁慶蟹のように言うじゃない。爪の垢ほどなんて言った覚えないけれど、仕方ないので部屋を出て、買い物袋を渡したよ。

「じゃあ、おいらがここにいるから、玲は中でこれに着替えてきなよ」

「あんた、覗く気でしょ?」

「心配なら、鍵を閉めなよ」

「これに着替えさせて、何をする気?」

「決まってるだろ? スーパースターになるためのレッスンだよ」

「レッスンって、どんな?」

「玲は身長は?」

「百五十二センチ」

「体重は?」

「叩くよ」

 ぼくの両手はやっぱり頬をガードしていたよ。

「八十キロあるでしょ?」

 玲は弁慶蟹が茹でられたように赤くなって怒った。

「失礼にもほどがあるわ。七十九キロしかないわよ」

「だったら四十九キロまで落とすんだ。それがレッスンその一だよ。そしたらまず【舞踏会】のステージで歌って踊れる。マスターも、そう言ってただろ?」

「うわあ、ほんとにあたし、痩せれるの? そんなレッスンあるの?」

 玲の瞳から闇の灯台のような希望の光が溢れるのが見えた。

 それが嬉しくてぼくも笑いながら告げたんだ。

「スーパースターへのレッスンその一、おいらと一緒に、毎夜、四時間走るんだ」

 玲は踏まれた猫のような声を出した。












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