今の龍一君が好き、今の静奈が好き
「へぇ、新しい先生がね」
「あぁ」
新條が教育実習生として赴任した日から数日、龍一はクラブに来ていた。
隣には彼を挟むようにして静奈と千沙が座っており、相変わらずの強面マスターもまたそんな三人を見守るようにコップを拭いている。
「教師からすりゃ不良なんざ何をするか分からんし、経歴に傷が付く可能性もないわけじゃない。まあ俺からすれば龍一は可愛いくらいだが、そういう意味では中々見所があるんじゃねえかそいつは」
「だな。俺もまさかあんな風に言われるとは思わなかったし」
絡みが生まれたことで龍一のことを見直した染谷はまだしも、会ったばかりで詳しく知らない新條があんな風に言ってくれるのは意外だった。
本当かどうかは分からないが彼も昔は不良の端くれだったらしく、それもあって龍一のことを受け入れてくれたみたいだ。
「ま、ありがたいとは思うが別にそこまでって感じだ。平和な学校生活を送れるなら俺は何でもいいぜ」
「……ふふ」
「龍一がそんなことを言うなんてねぇ」
「別に変なことは言ってねえだろ……」
平和な学校生活を送るのは全学生が望んでいることのはずだろうと龍一は唇を尖らせた。
静奈と千沙は拗ねた様子の龍一を可愛いとでも思ったのか静奈は機嫌を直してと肩をポンポンと叩き、千沙は揶揄うように頬をツンツンと突いてきた。
「それだけ愛されてるってことだろ。沙月ちゃんと咲枝さんも居たら同じようにお前を揶揄ったんじゃないか?」
「……最近、俺は弱くなっちまった気がする」
そんなことを龍一が呟くとまたみんなが笑った。
弱くなったというのは身体的にという意味ではなく、あまりにも彼女たちから向けられる愛が温かすぎて離れずにいられなくなったことだ。
もちろん離れるつもりは更々ないのだが、この温もりが手の平が零れ落ちてしまった時に龍一は自分を失ってしまいそうな怖さを感じている。
「大丈夫よ龍一君、不安なんていらないわよ」
「そうそう、静奈ちゃんの言う通りだわ」
決して言葉には出していないのに、傍に居る二人は当たり前のように龍一の心の機微に気付くのだ。
千沙は酒を相変わらずの勢いで飲んでいるが、静奈は心なしか肩をくっ付けるようにして傍に居るのだとアピールをしてくる。
(……本当にどれだけ良い女なんだか)
その後、女性陣二人とマスターに揶揄われつつ食事を終えて外に出た。
千沙はもう少し飲んで帰るとのことで、龍一と静奈は一足先にクラブを出た。
「体育祭が終わったら夏の終わり……とはならないのよね」
「んだな。まだまだ暑い日は続きそうだ」
クラブの中も騒がしさの熱はあったが冷房のおかげでそこそこ涼しいのだが、外に出ると生温い風が吹き抜けていく。
まだまだ夜は暑く寝苦しい日々が続いているので、喉が渇けばすぐに水分補給をすることが大切だ。
「龍一君みたいに涼しそうだけど暑い?」
「暑いっつうか温い?」
「そうよね」
今の龍一のファッションは半袖に半パンと大変身軽で涼しそうな装いだが、やはりそれでも生温さは気になるほどだ。
龍一と静奈は多くの視線を集めているが、その中に美少女である静奈に目を向けるだけでなく雄としての強さを思わせる筋肉に目を奪われる女性たちが居ることを静奈は気付いていた。
「ちっとばかし暑いが、腕組むか?」
「もちろん!」
暑いとは言っても夜なのでさっきも言ったが生温い風が吹いているので、喜ぶように腕に静奈が抱き着いたとしてもそこまでの暑苦しさは感じなかった。
「ふんふふ~ん♪」
「ご機嫌だな?」
「それはそうよ。大好きな恋人と一緒ならどこだって楽しいわ」
そう口にした静奈の笑顔に龍一もそうかと言葉を零して笑みを浮かべた。
実を言うと静奈が周りの目線を気にしていたことを龍一は気付いており、静奈の安心させてあげる意味を込めての提案だった。
とはいえ、龍一が目を集めたのと同時に静奈も同様だった。
(こんな夜に街中を一人で歩かせるわけにはいかねえなぁ)
腕を抱いてご機嫌の静奈をチラッと見た。
本日の彼女の装いは肩を出すタイプのワンピースというこれまた涼しそうな姿、普段の大人し目な彼女とは打って変わって肌をかなり見せている格好だが何を着ても静奈には似合うというのが素直な感想だった。
「静奈、一人の時にあまり肌を出すような恰好をするなよ?」
「あら、心配してくれるの?」
「当然だろうが」
「大丈夫よ」
もちろん龍一も静奈のことを良く分かっているので、あまり口酸っぱく言うつもりもない。
そもそも静奈自身も龍一に心配を掛けるつもりはないし、何より一切の誤解を招くような行動すらも気を付けているくらいなので、彼女の警戒心は人一倍強いと言えるだろうか。
「特にどこにも寄らないだろ?」
「えぇ。このまま帰りましょうか」
お互いに他に用はないため真っ直ぐに帰ることにした。
静奈を家に連れて行く途中のこと、やっぱりもう少し居たいと彼女が提案したため街灯に照らされたベンチに腰掛けた。
近くでアイスの移動販売がされていたので、チョコ味とミント味のアイスをそれぞれ龍一は買った。
「ほら」
「ありがとう」
ミントの方を静奈に渡し、チョコの方を龍一は食べ始めた。
少しばかりキーンとする冷たさだが、やはり夏に食べるアイスは美味しく夢中になって龍一は食べ進めて行った。
「美味しいわね」
「だな」
静奈も龍一ほどではないが、しっかりと味を楽しむように完食した。
それからしばらくベンチに座ったまま何気ない話に花を咲かせていたが、そこでふと静奈が言葉を止めた。
「どうした?」
「いえ……ねえ龍一君、ちょっと不思議な話をしても良い?」
「不思議な話?」
静奈は頷いた。
真剣な空気というわけでもなく、ただ世間話をするノリで静奈は話し出した。
「最近、不思議な夢を見るの。こことは違う別の世界のような話……その世界でも私は龍一君と付き合ってるんだけど、その世界の龍一君は今傍に居る龍一君とは姿が似ているだけで……なんというか軽薄な感じがするの」
「……ふ~ん?」
「そして一緒にいる私も……その、ギャルって感じかしら? 以前にギャルに扮したことがあるけれどアレよりも更に強烈で、学校でも胸の谷間を見せびらかすような制服の着方をしていてね。ザ・尻軽って感じだわ」
「……ほ~ん」
それはまた不思議というより、龍一にとってはある意味耳を傾けずにはいられない内容だった。
(静奈が見た夢ってのはもしかしたら……)
軽薄そうな龍一、強烈な姿のギャル化した静奈、この二つのワードから導き出される答えは一つだけ――それは本来辿るはずだった世界のことだ。
もっとも、何度も思うことが既にルートは外れておりこの世界は独自の未来を描いている。
龍一も龍一として生き、静奈も静奈としてしっかりと己を持って生きていることで今のような幸せな世界に繋がっているのだ。
「それで、そんな夢を見て静奈はどう思ったんだ?」
「……う~ん」
静奈は少しばかり考え、そして龍一を見つめてこう口にしたのだ。
「今の私たちとあの夢の私たちは違う。それこそ別人見たいと言っても過言じゃないわね。けれど一つだけ共通していた部分があった」
「共通していた部分?」
静奈は頷き、ゆっくりと龍一の頬に顔を近づけキスをした。
彼女は幸せそうに微笑みながら言葉を続けた。
「どんな形であれ、お互いに愛し合っていたのは本当よ。あの世界の私も龍一君の為に生きてて……龍一君の傍に居れることが凄く幸せだったみたい」
「……………」
静奈の夢が龍一の想像した通りとは限らない。
もしも想像した通りなら紛れもなくバッドエンド、それこそ寝取られというジャンルを嫌う人なら目を覆いたくなるほどの悲劇の後だ。
常識も倫理観も全て破壊された静奈というのは今の龍一でもお断りだし、それは今の静奈があまりにも素敵すぎて目の前の彼女以外考えられないのも大きい。
(……そうか。周りの悲しみの一切を抜きにすれば、あの世界でも龍一と静奈は二人一緒に居て幸せってことか)
とはいえ、やはりそんな世界はごめんだった。
先ほどのキスのお返しと言わんばかりに、龍一は静奈の頭の後ろに手を当て、逃げられないように固定してその唇を奪った。
頬に触れただけの生易しいキスではなく、静奈の全てを奪おうとするような激しすぎるキスだった。
しばらくキスを続け、ようやく顔を離した龍一は口を開く。
「そんな世界もあったのかもしれねえ、けど俺は今の方が断然良い。今のままの静奈が傍に居てくれるこの世界の方がな」
「そうね。それは私も同感よ。今の素敵な龍一君が一番だわ♪」
そう言ってお互いに笑い合った。
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