小さな悩みよそれは
「ふぅ、唐揚げは終わりっと。沙月の方はどう?」
「ポテトサラダの方は終わりましたよ? 今は――」
体育祭も終わり、とある日の夜のことだ。
龍一の部屋には料理をする千沙と沙月の姿があり、今日は二人とも龍一と一緒に居たくてこのアパートに訪れたのだ。
「……最近あいつ寝過ぎじゃない?」
「まあまだ若いですし」
「あたしたちだって若いでしょうが」
そうですねと沙月は笑った。
料理をする二人が手を止めて目を向けた先、そこでは龍一が大の字の状態で気持ち良さそうに寝ていた。
二人がここに来たのは夕方過ぎで、龍一も学校が終わり静奈と過ごした帰りだったようでウトウトとしていた。
「大きくて逞しくて、凄く強くて男らしくて、でもこういった寝顔は本当に可愛いのもギャップの一つですよね」
「そうねぇ。あたしもこいつの寝顔を初めて見た時は思わず可愛いなってなったのを思い出したわ」
千沙がそう言って思い出したのは初めて彼に抱かれた時の記憶だ。
沙月が言ったように本当に龍一の体は逞しく、以前にも口にしたことがあるが彼に抱かれると本当に安心するしクセになってしまう。
そんな女殺しの才能を持つ龍一ではあるものの、寝顔は本当に年相応で可愛らしくその表情にすら千沙は虜だった。
「こいつ、前世はきっとどっかの国の王様だったんじゃないの?」
「それか有名な英雄とか?」
「英雄色を好むとも言うしねぇ。奥さん百人くらい居たんじゃない?」
「流石にその数は大変じゃないですか? 夜とか色々」
「龍一なら全部捌き切るでしょ」
龍一が寝ているのをいいことに好き勝手言う二人である。
しかし、沙月はふと眠っている龍一を見てあれっと首を傾げた。
「……龍一君?」
「どうしたの?」
よくよく見てみると、先ほどまで気持ち良さそうに眠っていた龍一の表情がどこか苦しそうだった。
沙月は調理の手を止めてすぐに近づき、どうしたのかと様子を窺う。
「……やめろ……もう……出ねえ」
「……?」
もう出ないとはどういうことだろうか。
まるで悪夢を見ているかのような寝言を口にする龍一を見て沙月はたまらず肩を揺らして声を掛けた。
「龍一君、龍一君」
すると龍一はカッと目を見開いた。
そのまま何事かと辺りを見回し、目の前に居る沙月を見てどこかホッとしたようにため息を吐き……そしてこんなことをボソッと呟くのだった。
「……はぁ、そうだよな夢に決まってるよな」
「嫌な夢でも見たんですか?」
「嫌と言えば嫌だし良い夢かと言われたら……悪くはないかもしれねえ」
「??」
どうにも龍一の歯切れが悪かった。
「悪い夢を見ただけ? 苦しそうにしてたからって沙月が心配したのよ?」
「そうだったのか。それは悪かったな」
「いえいえ……」
何事もなかったのなら沙月としても安心だ。
それから再び、千沙と沙月は調理を再開し美味しそうな料理がテーブルの上に並んでいた。
沙月は元々料理が出来るタイプだが、千沙も良い機会だからと咲枝に色々と教わったらしい。
「良い嫁さんになるなぁマジで」
「アンタは美味しいご飯を作ってくれるなら誰にでも言ってるんでしょう」
「まだ静奈にしか言ってねえ」
「言ってるんじゃないの……」
「ふふっ」
どうせなら一番最初が良かったなんて千沙は呟いたが、それでも龍一から良い嫁さんになると言われてとても嬉しそうだった。
もちろん千沙だけでなく沙月にも向けられた言葉であるため、沙月も口元に手を当てて微笑んでいた。
「それにしてもどんな夢を見ていたんですか? もし良かったら聞かせてください」
しかし先ほどの夢のことが沙月には気になっていたので龍一に聞いた。
龍一は少しばかり言葉に詰まったものの、唐揚げを箸で掴みながら口を開いた。
「なんか体が動かせなくてなぁ。お前らを含めて静奈と咲枝も居てずっと為す術なくされるがままだった」
「……あ」
「へぇ」
その話を聞き、もう出ないという寝言の意味がようやく沙月の中で繋がった。
千沙は楽しそうに笑っていたが、沙月としてはちゃんと訂正してないといけないと考え強い口調でこう言った。
「私は龍一君を困らせるほどするつもりはないですからね!?」
「分かってるよ。夢だからこそ、何だかんだいつも見ないお前を楽しませてもらったからな」
「……それはそれでちょっと嫌です」
静奈や千沙、咲枝のことを出されても特に気にはならない。
しかしいくら夢であったとしてもその中でしか存在しない沙月を楽しむくらいなら今ここに居る自分を楽しんでほしいと思う。
「沙月は可愛いわねぇ。それだけ一心に龍一への愛をため込んでいるからそこも大きくなるんでしょうねきっと」
「それは関係ないでしょ!」
咲枝を除けば二番目に大きなバストを持つ沙月、絶賛まだまだその果実は成長中だった。
「下着とか高いんですから……その苦労は千沙さんも分かるでしょ?」
「まあねぇ」
「ま、女性の下着は金が掛かるって言うしなぁ」
それにサイズが大きいとそれだけでも大変なんだと沙月は語った。
その後、夕飯を済ませ千沙がシャワーを浴びに風呂に向かい、龍一と沙月は仲良く食器を洗っていた。
「龍一君がこうしてお皿洗いをしている姿は新鮮です」
「かもな。けど静奈が来た時もこれくらいはしてる」
料理を作ってもらうのだからこれくらいはするのだと龍一は譲らない。
千沙が居なくなると途端に静かになるような気がしてくるが、今部屋の中で聞こえてくる音は二人の息遣いと水が流れる音だけだ。
(……この空間、大好きだな私は)
好きな人と並んで食器を洗うだけの何も変哲の無い時間、けれどもこのような日常の一つに沙月は大きな幸せを感じている。
あの時、友人に強引な誘いを断れなかった日から始まった龍一との時間……それが本当に沙月にとっての幸福だった。
「……………」
チラッと沙月は龍一の顔を覗き見た。
彼は真剣な様子で皿を洗いながら、可愛く鼻歌を口ずさんでおり機嫌が良いことが手に取るように分かった。
そしてそんな横顔を見つめていると思い出すやり取りがある。
『もう俺は突き抜けることにしたさ。この手にある幸せを取りこぼしはしない、だから覚悟しろよ沙月。俺はお前も手放すつもりはねえからな』
『はい♪』
龍一も今の関係性に悩んでいたが、そんな彼の悩みを吹き飛ばしたのもまた沙月たち女性陣だ。
龍一が望むなら彼と静奈の為に会わないようにする選択肢も考えていた。
それでも龍一が今の答えを出したことで、沙月はこれからも龍一の傍に居ることを願い誓ったのだ。
(でも、そんな風に結論を出させたのはある意味私たちなのかも……)
そう考えると少しだけ申し訳なさもあった。
もちろん龍一も静奈も今の関係を受け入れてくれたことは分かっているのだが、それでもふとした拍子にそのことを考えてしまう。
「おい」
「……………」
本当に間違っていないのか、それを一人で考え込んでしまっていたからか龍一の声に気付かなかった。
あっと気付いた時には遅く、グッと顎に手を添えられて持ち上げられた。
強制的に龍一を見上げることになり、その端正な顔つきと共に鋭い視線に沙月は見つめられた。
「沙月がそういう顔をする時は大抵どうでも良いことを気にしてる時だ。違うか?」
「……それは」
どうでも良くはない、しかし既に考える必要がないからこその言葉だろうか。
龍一はそこまで鈍感ではなく、どちらかと言えば女性陣の気分の動きには敏感な方なのはこうして過ごしていて良く分かっている。
「その悩みはこうしていると消えてくれるか?」
「あ……」
グッと抱き寄せられた。
龍一の固い胸元に頬を預けるようにすると本当に心から安心する。
「……あ~あ、本当に龍一君は凄いなぁ」
思いっきり全身で抱き着くように龍一の背中に腕を回した。
どさくさに紛れるというわけではないが、そのまま鼻を鳴らすように匂いを嗅ぐと男らしい香りに包まれていくかのよう。
「キスしてください」
「あぁ」
顔を上げて少しだけ背伸びし、お互いの唇が触れ合った。
触れるだけのキスを繰り返していくと沙月は体が段々と熱を持って行くのを感じ、期待に胸を躍らせながら熱い眼差しで龍一を見つめる。
「あたしが風呂に行っている時にアンタたちは……」
「っ!?」
「お、戻ったのか」
戻ってきた千沙の声に沙月はつい離れようとしたが、それを見越してか龍一がガシッと抱きしめたので離れることは出来なかった。
千沙は体にバスタオルを巻いたままの状態でドライヤー片手に堂々としていた。
「沙月も風呂行ったら?」
「そ、そうですね!」
沙月は千沙に促されるようにして風呂に向かった。
この状況で一時とはいえ龍一の傍から離れるのは寂しかったのだが、彼とキスをしたおかげか心に僅かにあった悩みは消えていた。
「……本当に、私は龍一君のことが好きなんだなぁ」
そう笑顔を浮かべて呟き、シャワーを浴びるためにお風呂に向かうのだった。
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