体育祭の開始を宣言しろ!

『これより体育祭の開始を宣言します。来場のお客様は――』


 夏休み明けの一大イベントである体育祭がついに幕を開けた。

 グラウンドを囲むように多くのテントが張られており、生徒たちの保護者が埋め尽くすくらいの規模だった。

 全校生徒の数はそれなりに多いので、その分保護者の数も多い。

 それに保護者だけでなく他所の学校の人であったり近所の人であったり、見学のように訪れることもあって大変賑やかだ。


「……あっちぃ」

「暑いな……」

「地獄だぜ」


 そんな風に騒がしくも楽し気な雰囲気を漂わせる中、龍一たちいつもの面子はこの暑さに早くも敗北しそうになっていた。

 まだ競技は何も始まっておらず、全く体を動かしていないのにこれなので後先が思いやられる彼らの姿だ。


「はいスポーツドリンク」

「サンキュー静奈」


 傍に居た静奈からジュースを受け取り、ゴクゴクと喉を鳴らして飲んでいく。

 そのあまりの勢いに静奈は困ったように笑ったが、そんな龍一の姿を見るのも好きなのかジッと見つめていた。


「にしても……本当に来たんだな」

「そうねぇ」


 ペットボトルの先端を口から外し、龍一はある方向に目を向けた。

 そこには静奈の母である咲枝はもちろん、千沙と沙月まで来ているではないか。


「あいつらまで来るのは知らなかったぞ……」

「千沙さんと沙月さんに関しては私も同じよ。なんか凄く目立ってる?」

「そりゃそうだろ」


 千沙と沙月は当然だが、咲枝に関しても子供が居るとは思わせないほどに若々しい見た目をしているので、この場に来ている生徒たちの父親からすればあまりにも美しすぎる存在だろう。

 咲枝と沙月はそうでもないが、千沙に至ってはかなり見せる服装をしているので多くの視線を独占している。


「……あ」

「あら」


 三人が龍一と静奈に気付き手を振ってきた。

 真や要やニヤニヤとしているが、それ以外の生徒はどういう関係か気になるのかチラッと目を向けてくるので龍一としてはたまったものではない。


「まあギャラリーと思うしかないわねこればかりは」

「だな」


 彼女たちも騒ごうと思っているわけではなく、純粋にこうして龍一や静奈を見ようとして来てくれたのだから無碍にも出来ない。


「沙月さんがこうして来てくれたのは良いけれど、龍一君のことしか目に入ってないみたい」


 静奈がそう言って苦笑した。

 おそらくだがこの場には彼の……昭の両親も来ているはずなので、もしかしたら既に話をしているかもしれない。

 本来こういう場なら弟である昭の為に来るというのが普通だろうが、確かに静奈の言うように沙月は龍一のことしか見ていなかった。


「でもあいつももうあまり気にしてなさそうだからな」

「……そうね。本当に心配はなさそうだわ」


 宗平の傍に昭は居るのだが、姉のことは気にしていないのか友人との会話を楽しんでいる様子だった。


『一つ目のプログラム、借り物競争を始めますので参加する生徒の皆さんは入場門にお集まりください』


 どうやらそろそろ本格的に競技が始まるようだ。

 借り物競争に関しては龍一と静奈は二人とも参加するため、仲良く二人並んで入場門に向かう。

 そこから係員に連れられる形でグラウンドに姿を見せた。


「……ふふっ」

「なんだよ……」


 順番が来るまで座って待つ間、静奈は突然噴き出すように笑った。

 龍一がどうしたのかと聞くと彼女はこう口にした。


「私も去年のことは憶えてるの。龍一君、競技には一切参加しなかったし……というか居たかってレベルよね」

「……………」

「そんな誰もが認める不良だった龍一君がこうして参加しているのもそうだし、体操服姿で居るのも可愛くて」

「……どういうことなんだ」


 体操服姿が可愛いとは珍しいことを口にした静奈。

 おそらく龍一には理解できず、静奈だけがその言葉の意味を分かっているだろう。


「やっぱりこうして二人共参加できることに意味がある……楽しみましょ」

「あぁ」


 この日の為に色々と協力してきたようなものなので楽しまなければ損だ。

 そんな風に静奈と二人きりの世界を展開しながら、先にやってきたのは龍一の番だった。

 静奈に見送られ、龍一はスタート地点に立った。

 両隣に位置する男子は両方とも先輩になるのだが、彼らと比べても龍一の体格は圧倒的なまでに大きかった。


「……でけえ」

「負けねえぞ……」


 妙な対抗心を抱かれたみたいだ。

 パンとピストルの音が鳴り、龍一たちはお題ボックスまで駆け抜けた。


(……本当にこの体はスペックがたけえ)


 何度実感したか分からないが、龍一は改めて自分の体の強さを知る。

 普通に走るだけでもそれなりに速く、そこまで大した距離ではないが一緒に走る二人より遥かに速かった。


「何々……は?」


 ちなみになのだが、毎年恒例のように行われるこの借り物競争にはいくつかふざけたお題が入れられている。

 どうやら今回はその一つを龍一は引いたようだ。


“心の支えになってくれた人”


「……………」


 一瞬とはいえ固まったが、すぐに龍一は駆け出した。

 実を言うと彼はこのお題を見た時、身体は静奈の方を向いたが脳裏に過ったのは千沙の姿だった。

 今龍一が親しくしている誰よりも早く出会い、ある意味で龍一の心を支えてくれた存在でもあるからだ。


「あら、どうしたの?」


 千沙たちが陣取っている場所に赴き、龍一は来いと短く言って千沙の手を取った。

 今の有無を言わせない龍一の来いという言葉に傍で見ていた保護者の女性があらまあと顔を赤くし、隣に居た旦那と思われる男性がギョッとしていたが龍一は特に気にしていない。


「ひ、久しぶりに走るんだけど!」

「もう少しだから頑張れ」


 確かにこんな風に千沙は運動をするタイプではないが、にも拘らず世の女性が羨む絶妙なスタイルを持っているので大したものだった。

 走ることで千沙の谷間を晒す大きな胸が揺れているのだが、こればかりは少し男子高校生には目の毒かもしれない。


『ゴール! 二年生の獅子堂君、美女を連れての見事なゴールイン!』


 解説兼実況役の生徒会長もテンションが高い。

 係員に一応お題の書かれた紙を渡すと、首を傾げられはしたがその辺りのことはある意味プライベートなので聞くようなことはなかった。

 ただ千沙としてはどんなお題か気になったようだ。


「ねえ、ちょっと見せてくれる?」

「あ、はい」


 係員から渡された紙を見た千沙は一瞬固まり、すぐに泣きそうな顔になって飛びついてきた。


「龍一ぃ!! そんな風に思ってくれたの? うわああああああああん!!」

「お、おい……」


 どうやら千沙の心にダイレクトアタックをかましたらしい。

 千沙に抱き着かれたまま、龍一は彼女を運ぶようにして元居た場所に連れて帰り、咲枝と沙月に千沙を預けた。


「お題は何だったの?」

「……心の支えになってくれた人」

「あら、それは確かに千沙さんね。ちょっと悔しくはあるけれど」


 静奈はクスッと笑い、そして彼女の番がやってきた。

 ピストルの音と共に静奈は走り出し、お題の書かれた紙を見て一直線に龍一の元に走ってきた。


「……何となく内容が想像出来るぞ俺は」

「ふふっ、ほら早く!」


 静奈に手を繋ぎ、さっき走った場所を再び走るのだった。

 そして静奈のお題は彼女の要望として読み上げられることとなり、係員の口よりそのお題の内容が露になった。


『お題は“大好きな人”です』


 やっぱりなと、ある意味龍一が想像した通りだった。

 基本的にこのようなお題が出たとしても、恋人が居ればその人に向かうだろうしそうでなければ家族を連れて来る人も居るだろう。

 読み上げられた瞬間、フーっと鬱陶しい真と要の声が響いたが龍一はキッと睨んだだけだ。


「そんな睨まないの♪」


 龍一も決して嫌な気分ではないのは確かだが、静奈はそれ以上に笑顔だった。

 こうして最初から色々と波乱のような気がしないでもない体育祭、龍一が参加したことで更なる混沌も予想されるのだがまあ……一部の人たち以外には好意的に受け止められている龍一なので、きっと楽しい体育祭になるのだろう。

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