ようやく、こちらも決着

 それはとあるカップルの会話だった。


「なあ知ってるか?」

「何が?」

「最近隣に越してきた女性なんだがよ、すっげえ美人なんだよ」

「……アンタ、彼女の前でよくそんなこと言えるね」


 男性の言葉に女性は呆れたようにそう返した。

 確かに女性が言うように相手が居るのに別の女性を美人だと言うのは……状況によりけりだが如何なものかとは思える。

 男性は悪い悪いと謝り、どうしてこのような話をしたのか理由を話した。


「それがよ、その子ちゃんと相手が居るみたいなんだわ」

「ふ~ん? それで?」

「その相手がまあ……何と言うか、その子とは正反対の不良みたいな見た目なんだ」


 男性が話す内容はこうだ。

 隣に引っ越してきた女性は大学生くらいの女の子で、見た目はとても整っており清楚を思わせる見た目らしい。

 しかしそんな清楚な雰囲気とは裏腹にその体はとてつもなくドスケベだとか。


「それは余計でしょうが」

「いてっ!?」


 まあ女性が叩くのも当然だった。

 さて、そんな風に脱線してしまったが話はここからだ。


「相手の男を見たんだけど……まあ本当に正反対だぜ? 最初は怪しいなって思ったんだけど、その子もメロメロみたいでさぁ」

「良いことじゃないの」

「……最初は脅されたりしてんじゃないかとか思ったけど違うんかな」

「最初は嫌いだったけど落とされてメロメロとか? そんな漫画みたいな話があるわけないでしょ」

「だよなぁ」


 だがまあ、男性がそんな風に思ってしまうくらいには噂の男女は見た目と雰囲気からかなりの違いがあるということだろうか。

 とはいえ男性の話を聞いたせいか女性も少し気になったらしく、いつか見れたらいいなと思っていたのだが……神の悪戯か、その出会いはその日のうちにあった。


「ほら、行くよ」

「分かった」


 夕飯を外で済ませようと考えて外に出た二人だったが、ちょうど隣の部屋から噂の二人が出てくるところだった。


「あ……」

「……なるほどね」


 女性はその二人を見て納得した。

 男の方は見るからに不良なのだが、女の方は本当に大人しそうな見た目をしており相反する二人と言っても過言ではない。


(……おっぱいデカいわね)


 夏ということでゆったりとした涼しい恰好をしているのだが、その上から分かるほどの圧倒的な爆乳を前に女性はチラッと自身の胸元を見た。

 壁のようにストンというわけではないが、あの圧倒的とも言える戦闘力を前にすると比べることすら烏滸がましかった。


「そうなんですか。静奈ちゃんは今日咲枝さんと一緒に」

「あぁ。一体何を二人で話すのか怖い気もするがな」

「ふふっ、きっと龍一君のことですよ♪」

「……そうなのかねぇ」


 男はどこか何かに恋焦がれるような表情にも見えた。

 その憂いを帯びたような表情はどこか心を刺激するもので、女性は彼を見ておそらく年上にモテるのではないかと漠然とした感想を持った。


「今日はサンキューな」

「いえいえ、私も龍一君と一緒に居たかったですから」


 見るからに頼りになりそうな屈強な体に身を寄せながら歩いて行った。

 いくら夜とはいえまだまだ少し暑いというのに、腕に抱き着くあたりどれだけ好きなんだろうかと逆に微笑ましくなる。


「私たちも行こうか」

「あぁ」


 あのカップルにも負けないくらい、私たちも熱々のカップルなんだと女性は男性と手を繋ぎながら思うのだった。






 さて、そんな風に見ず知らずの男女に見られていたとは知らずに龍一は沙月と共に街に繰り出していた。

 さっきも言っていたが静奈は今日傍には居ない。

 龍一としてもそれならば一人で過ごそうかと思っていたのだが、まさかの静奈が沙月に連絡をしていたわけである。

 ちなみに千沙にもしたようだが、彼女は今日実家に帰っているらしい。


「夜なのに暑いですね」

「そうだなぁ。お前が腕を組んでるから更に暑いが」

「嫌じゃないでしょう?」

「……ったく、良くお分かりで」


 更に暑いと言ったのは冗談みたいなものだ。

 涼しい風が時々吹き抜けるので汗を掻くほどではなく、本当にちょうどいい夜の涼しさと言えるだろう。


「お寿司でも食べましょうか」

「そうだな。確かこの辺に美味いって噂の寿司屋が……」


 沙月と歩きながらその寿司屋を探しているとすぐに見つかった。

 店に入って二人でカウンター席に座り、お茶を用意をして流れてくる皿を適当に取っていく。

 そんな風にお寿司を楽しむ中、ふと龍一はこんなことを口にした。


「……そういや何だかんだ、千沙の実家のことって知らないんだよな」

「そうなんですか? まあでも言われてみれば私もそうですね」


 千沙が今住んでいるマンションには龍一も行ったことはあるのだが、彼女の実家についてのことはあまり聞かない……いや、あまりというより全く聞かないと言った方が正しいか。


『仲は普通よ? ただ……ちょっと自由奔放なあたしには困っているみたいだけれどねぇ』


 こんなことを話したことがあるが、どんなに記憶を掘り起こしてもこの程度だ。

 少なくとも龍一のように家庭崩壊を起こしているわけではないので特に心配はしていないが、千沙には幾度となく助けられているのでもしも何かあれば龍一は必ず手を差し伸べるつもりだ。


「……絶対に守る、そんな顔ですね」

「え?」

「かっこいいですよ龍一君」


 どうやら決意の表情を見られていたらしい。

 クスッと笑いながらそう言った沙月は特性卵の寿司を口元に運び、ゆっくりと噛み締めながら美味しいと満面の笑みを浮かべた。


「もちろんお前もだぞ? 関わった以上は守るさ」

「っ……ごほっ!」

「おいおい……」


 不意の一撃に沙月は喉を抑えた。

 龍一は呆れたように苦笑しながらお茶を差し出し、沙月は急いでそれを受け取って喉に通した。

 無事に喉に引っ掛かった物がなくなったのか、沙月は落ち着くように大きく息を吸って吐いた。


「そんなに突然でもねえし言われ慣れてないわけでもないだろ?」

「ち、違います!」

「何が」

「最近の龍一君は凄く優しくて表情も何と言うか……こう凄く優しいんです! だから驚くというよりもドキッとしたんですよ!」

「お、おう……取り合えず落ち着け」


 周りの迷惑になるからとどうにか沙月の肩に手を置いて落ち着かせた。

 しかし、沙月に改めてそんなことを言われるくらいには龍一の表情は優しいモノだったらしい。

 当然自分では分からないので沙月だけでなく、静奈に同じことを言われても何だそれはと返すことしか出来ない。


「いつもと変わんねえと思うんだけどなぁ」

「鏡でジッと見ていたら分かりますよ」

「嫌だよ気持ちわりぃ」


 自分の顔を見つめ続けるなど龍一にはごめんだった。

 それから調子を取り戻した沙月と楽しく話をしながら腹を膨らませ、お互いに満足した様子で店を出た。

 特にもう用はないため沙月をマンションに送っていくだけなのだが、どうやら今日は別の意味でも運命の日だったらしい。


「……あ、姉ちゃん」

「え?」


 それは聞き覚えのある声だった。

 誰かなんて考えるまでもなく、そこに居たのは昭だった。


(……まさか追いかけて……ってわけじゃなさそうだな)


 そこまで考えて龍一は首を横に振った。

 相変わらず沙月に歪んだ感情を持っているとはいえ、沙月も身近なことについては気を付けているらしくマンションのことは当然知られていないはずだ。

 おそらくは夏休みということで友人と夕飯を食べに出掛けた帰りと見るべきだ。


「……お前!」

「……ったく、めんどくせぇ」


 沙月から視線を外し、睨みつけてきた昭に龍一は睨み返した。

 そこまで意識したわけではないのだが、ただでさえ厳つい龍一の睨みはいつも以上に威圧感を放ったらしく、昭は怖気づくように一歩退いた。


「昭……」


 沙月からは完全に弟と想う声音ではなく、どこか呆れ果てたような声音だった。

 美味しいお寿司を食べ楽しい時間を過ごし、今日はもうそんな気持ちの良い夜のまま終わるはずだったのに気分を害されたようなものだが……これはもしかしたらいい機会じゃないかと龍一は頷いた。


「来い沙月」

「龍一君?」


 沙月を背に隠すようにして龍一は昭と真っ直ぐ視線を合わせた。

 いつまでも引き摺らせるわけにはいかない。沙月も安心したいだろうし、何より昭についても義理はないがいい加減現実を見せた方が良い。


「いい加減、姉に女を求めるのは止めとけ」

「……何を!」

「気付かないのか? お前がやったことが原因で沙月はもう、お前を弟とは見ちゃいねえよ」


 龍一の言葉に昭は衝撃を受けたような表情になった。

 信じられない気持ちも分かるしそんなはずはないと幻想に縋りたい気持ちも理解は出来るのだが、実の弟に襲われかけたのだから沙月が何を思うのかそれを察せられない時点でもうダメだ。


「……昭」

「姉ちゃん……」


 あまりにも冷たい声に昭は身を震わせた。

 沙月は真っ直ぐに伝える……ずっと言わなかった言葉を、辛くはあっても決別を促すそんな言葉を。


「あの出来事は私とあなたの間に決定的な溝を作ったの。だからお願い、もう私を困らせないで――

「っ!?」


 沙月は昭に背を向けた。

 そのまま沙月は龍一の手を引いて歩き出したが、昭は決して追ってくるようなことはしなかった。


「あそこまで言えば大丈夫でしょう。感情に身を任せて何かをすることもないと思います。あの子にはそんな度胸はありませんから」

「そうか」

「……ちょっと悲しいことですけど、それくらいは姉として分かるんです」


 目の前で家族がダメになったからこそ、少しでも話が通じるのであれば仲良くすれば良いと龍一は思っている。

 だが、敢えて言葉を交わせるからこそ拗れていく家族関係というものもあるのだ。

 人と人の繋がり、龍一が感じた幸福だけではないのだと改めて勉強になった気分だった。


「そう言えば!」

「どうした?」

「静奈ちゃんに聞いたんだけど、決別を促すのに胸を揉んだりしたそうじゃないですか」

「……あったなぁ」

「あれならもっと効果的だったんじゃないかなと」


 どうやらちょっとだけ期待していたらしい。

 やっぱり沙月も沙月で静奈とはベクトルの違う悪い女みたいだ。

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