千沙にとって龍一とは
「おっと、こんばんは千沙さん」
「あら、真君どうも」
龍一が昭と話をした夜のことだ。
彼が沙月と出会うきっかけになったクラブに千沙と真の姿はあった。二人は示し合わせてここに来たわけではなく、お互いに偶然ここに来て出会ったのだ。
「隣良いっすか?」
「どうぞ?」
酒を飲んでいた千沙の隣に真は座った。
お互いにこの場に合った派手な見た目だが、やはり美女とイケメンということでかなり絵になっている。基本的にこのクラブは常連客で溢れているため、千沙と真の知り合いは多い。千沙を狙う者、真を狙う者も同様にかなり多かった。
「千沙さん、あれからも良くここに来るっすよね」
「まあね。騒がしいのが好きなのもあるし」
空になったコップにビールを注ぎながら千沙は言葉を続けた。
「私も龍一に会うまでは色んな男と遊んでたけど、彼を知ってしまったらもうどんな男でも満足できない。ほんと、魔性の男よあいつは」
「あはは、俺でも無理っすかね?」
「なによ、私に興味があるの?」
真は首を振った。
今のは単なる冗談であり、千沙が龍一以外の男を求めていないことも知っている。だからこれで仮にもし頷かれたらそれはそれで驚くのだが、その瞬間に真が抱く千沙のイメージは粉々になるだろう。
「ま、あいつは罪な男っすよ。女を道具みたいに扱うのはどうかなって思ってましたけど、最近のあいつは千沙さんを始め竜胆を大切にしてる。中身がごっそり変わったんじゃないかってくらいに」
「やっぱり真君もそう思ってるのね」
二人の考えは完全に的中しているのだが、流石に龍一の中身が変化……というよりも前世の記憶を思い出したなんて発想には至れなかった。彼らはあくまでこの世界にのみ生きる住人であり、龍一のように別の世界を知らないのだから。
「マスター、ジュースをちょうだい」
「あ、良いんすか?」
「良いのよ」
「ごちになりやす!」
まあ彼は未成年でありながら酒を飲むこともあるが、千沙から勧めるのは当然ジュースである。運ばれたジュースを美味しそうに飲む真の姿は年相応に可愛らしく、大人ばかり集まるここでは彼のような存在は龍一同様に年上の女性に良く好かれる。千沙としては何も思わないが、彼がモテる要素は確かに詰まっていた。
「ふぅ、美味いっすねこのジュース」
「どうも」
「何か口に合う菓子なんか……いや、流石に料理しかないんだっけ」
「あるよ」
「あるの!?」
準備の良いマスターだった。
さて、そんな風に真は千沙と喋りながら腹を満たしていく。ある程度飯を食ったところで彼は千沙にこんな質問をした。
「そう言えば今まで聞いたことなかったんすけど」
「なに?」
「以前の龍一はさっきも言ったように今みたいじゃなかった。女を誑かすのと悦ばせるのは得意っすけど……酷い部分もあったじゃないっすか」
「そうね」
「なんで千沙さんはずっとあいつと関係を続けてるんすか? まあ、龍一の持つ魅力っていうか漢の前には抗えないのかもしれないすけど」
真の言葉に千沙はクスッと笑った。
もう一度空になったコップにビールを注ぎ、グッと飲み干して真の問いに答えるのだった。
「私が初めて龍一と関係を持った時、色々と規格外だと思ったわ。女の扱いも上手だし、癪だけど言葉選びも計算半分本心半分で不快に思わせない。とにかくあの子は女を悦ばせることが上手だわ」
「そうっすね。俺も何度かあいつに口説き方を教わった気がしますよ」
「あら、そうだったの……まあそれは後で聞くとして、あの子と体を重ねる中でどこか……なんていうのかしらね。女性に対して憎しみっていうか、正確には相手している女を通して誰かを見てるような気がしたのよ」
「へぇ」
それは真にも初耳だった。
確かに龍一が酷い部分はあったが、どちらかといえば女好きの究極的な形と思っていたからだ。
後はまあ、龍一が家族のことを心底嫌いだというくらいは真も知っていた。
『両親なぁ……ゴミみたいな存在だろ。居る価値もねえ』
『そこまで言うかよ』
『ま、そう言うのはうちのクソ両親だけだ。真の母ちゃんと父ちゃんはめっちゃ良い人だぜ? 俺なんかにも普通に接してくれるしな』
どうやら真が以前に話したこの内容は大きな意味を持っていたようだと理解した。
「龍一は出会った時点で道を外れてるし私もその点は同じだわ。だから私はまあ、あの子と体を重ねるのは気持ち良いし傍に居てもいいかなって思ったの。あの子がもしも特定の相手を作らなければ恋人に立候補するのも良いと思ったしね」
千沙にも千沙になりに考えていたのだずっと。
龍一との出会いは唐突だったが、彼の抱える闇に気付くことが出来たのも本当に偶然の産物だった。基本的に自由に生きている千沙が初めて触れた複雑な過去と暗闇を持つ年下の少年に、彼女は色んな意味で魅了され見守りたいと思ったわけだ。
「今は静奈ちゃんが居るでしょ? あの子凄いわね。私よりも断然早く龍一の内側に踏み込めてるんだもの。ある意味男の扱いが上手なのかしら?」
「違うでしょ、あれは純粋に龍一のことが好きなんですよ。つうかそんな言い方しましたけど千沙さんも気付いてますよね?」
「まあね。まるで物語に登場するヒロインみたいだわ」
「ヒロインかぁ……確かにありそうだ」
いや、彼女は正真正銘ヒロインなんですわとどこからか聞こえてきそうだ。
「今日も龍一は女の子のために頑張ってるみたいだし」
「あ、なんか白鷺の家に行くみたいなこと言ってましたけど……あの時の女性っすかね」
「そうそう。弟が居るって言ってたわね」
「はは~ん、そう繋がるわけか。ま、龍一なら大丈夫っしょ」
「でしょうね。まあ龍一が出しゃばらなくても沙月ちゃんは大丈夫そうだけど」
それからも二人は楽しく話をして過ごした。
話題は当然主に龍一に関係することで、彼が傍に居たら間違いなく話をやめろと怒鳴るような内容である。
沙月にとって昭はどこまで行っても弟でしかない。
それは今、彼にこうして押し倒されている時にも感じていた。
「昭、離れなさい」
「姉ちゃん……俺は!」
「離れなさい」
龍一から連絡をもらい、一応待機していると言った彼に安心して沙月は家に帰り部屋でその時を待っていた。まあ昭が何か行動を起こすかどうかは分からなかったが、ノックもせず無言で部屋に入って来た彼は沙月を押し倒したのだ。
正直なことを言えば、実の弟に性的な目で見られるのは不快だった。今まで弟だった彼を大好きだった気持ちが一瞬で失われるくらいには。
「俺、姉ちゃんが好きなんだよ……なあ獅子堂と何をしたんだ……何をしたんだよ姉ちゃん! 俺が居るだろ!? 俺がずっと傍に居たじゃないか!!」
「そうね。でもそれは弟として、でしょう?」
何度も言うが、彼は沙月にとって弟でしかない。
どんなことをされても異性には見えず、ましてや彼を男だと思うことも未来永劫無いだろうことは容易に想像できる。血の繋がった弟に恋をする姉は……まあ世界を探せば居るかもしれないが、沙月は絶対にそんなことは考えられない。
(でも前までの私なら黙っていた気がする。この子に何をされても、この子の心を守るために敢えて受け入れていたかもしれない)
それはゾッとする考えだった。
いくら弟のことを考えるとはいえ、それで取り返しの付かないことを良しとしたであろう過去の自分が恐ろしかったのだ。
「……俺は……俺は!」
「離れて昭。やめて」
昭は体から力を抜いたように離れた。
そのままその場に座り込んで動かなくなったが、沙月にはもう彼に伝える言葉は残っていなかった。乱れた洋服を元に戻し、少し外に出てくると両親に伝えて沙月は外に出た。
「……あ」
すると家のすぐ近く、電柱に背を預けるようにして龍一が佇んでいた。
ジッとその場に居るのは見る人が見れば通報しそうなものだが、それでも彼はずっと沙月に何かあった時の為に傍に居たのだ。
「その様子だと何もなかった……わけじゃなさそうだな?」
「はい。好きと言われましたけど……やめてって言いました。昭は私にとって大切な弟なのに……どうしてこうなったんでしょうかね」
人の感情は制御できない、誰かが誰かを好きになるのを他人がどうこう出来る話ではないのだ。たとえ血が繋がった相手に恋をしたとしても、その気持ちを抱くなと指摘することは簡単だが失わせることは出来ないのだから。
「……原因の一つは俺みたいな部分はあるがな」
「そんなことないですよ。その心配は無用のものですから気にしないでください。いいえそうじゃないですね」
「どういうことだ?」
首を傾げた龍一に沙月はこう言葉を続けた。
「私は龍一君に出会い惹かれたんです。その純粋な気持ちを原因だなんて言わないでください」
「……そう……だな」
「はい♪」
街灯に照らされた沙月の微笑みは綺麗だった。
今までの記憶と今の自分、それを比べてみると龍一にとって本当に大きな変化を齎している。たった一つのボタンの掛け違いによって、龍一は多くの人を惹きつけているのだ。それは龍一自身が導いた縁であることを、彼は後少しで知ることになるだろう。
『姉ちゃん! 姉ちゃん!』
『……………』
(どうして弟にこんな……あぁ、もうどうでもいい。あの日、無理やり体を好きにされた瞬間にどこかおかしくなったんだ私は。薄汚れてるもの……今更何をされたってどうでもいい)
そう、本当にボタンの掛け違え一つで世界は変わった。
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