相手が誰でも龍一は変わらない

 それは放課後のことだった。

 終礼が終わり龍一は静奈と共に教室を出ようとしたその時、今日になって以前の宗平のようにしつこく視線を向けてきた昭が接触してきた。何となく絡んでくるような気がしていた龍一だったので特に驚きはない。


「獅子堂、ちょっとお前と話がしたい」

「……ま、別に構わんが」


 そう言って静奈に目を向けた。

 早く話が終わるならそれでもいいが、時間が掛かるかもしれないから先に帰ってもいいという意味を含んでいた。たとえ言葉を交わさなくても静奈はそれを理解したのか首を振った。


「帰らないわよ? もちろん待たせてもらうわ」


 絶対に帰らない、何があっても龍一と一緒に帰るのだと静奈は言う。参ったなと苦笑する龍一とそんな静奈に対して信じられないと言わんばかりの目を昭は向けた。


「……なあ竜胆、どうしちまったんだよマジで。この際だから言わせてもらうけど宗平を見て何とも思わないのか?」

「思うか思わないか、その二択なら思うこともあるわ。でもだからといって今の私には彼に何もしてあげられることはないのよ。白鷺君、あなたは私と宗平君の間に何があったのか聞いたの?」

「……いや、聞いちゃいないけど予想は出来る。幼馴染だろ? なんで宗平よりそんな奴の傍に居るんだよ」


 その言葉に静奈の目が吊り上がった。

 静奈の目力に恐れたのか昭は一歩退いたが、怒る静奈を見て龍一もまたこのパターンかとため息を吐く。静奈のようにキレることはないものの、何度も何度も同じことを言われれば鬱陶しいと思ってしまう。


「静奈」


 学校の廊下、今にも大きな声で昭に怒鳴りそうだった静奈の肩に手を置いた。静奈が怒ったり、或いは浮かない表情を浮かべた時はこうやって彼女の体に触れるのが何よりの落ち着ける方法だ。


「……龍一君」

「ほら、こんなこと……とは言えねえが、いちいちキレる必要はねえよ。俺とお前の関係は他人にどうこう言えるもんじゃない。お前は俺の隣で笑ってりゃいい」


 それだけ伝えて龍一は静奈の肩に手を置いたまま歩き出した。


「とっとと話を済ますぞ白鷺」


 もうこの際、静奈も同席しても文句は言わないだろうと思い連れて行くことに。龍一がそう思ったように昭は静奈が傍に居ても特に文句は言わなかった。向かった先は人気のない屋上だった。


「それで? 何の用だ」


 龍一と静奈の視線を受けながらも昭は口を開いた。


「単刀直入に聞かせてもらうけど……獅子堂は俺の姉を知ってるのか?」


 あっても低い確率と思っていたが、どうやら昭が聞きたいのは姉の沙月についてのことらしい。流石に龍一と沙月が体の関係を持ったことまでは知らないだろう。しかしカマを掛ける意味でも彼女の名前を龍一は口にした。


「沙月のことか? お前の姉ってのは知らなかったが知り合いだぜ?」

「っ……どこで出会った?」


 昭の語気が強くなったのを見て龍一は目を細めた。

 少し話は昭のことから離れるが、龍一は多くの人間を見てきた。静奈や千沙、咲枝や沙月といった好意を寄せてくれる人間、父や母のような人間……そして内に秘める欲望をバレないと思いながらも滲ませている人間を。


(こいつもしかして沙月を? 血の繋がった家族らしいが……はっ、なんとも業が深い世界だなここは)


 特に軽蔑するでもなく龍一は変に納得した。

 龍一のように数多くの女性と関係を持つ者も居れば、反対にそんな龍一に惹かれる女性たちも居る。そして昭のような考えを持つ人間も居るただそれだけのことだ。


「どこで出会った、別にお前には関係ないだろう」

「関係あるに決まってんだろ!?」


 ひと際大きな声を昭は上げた。

 睨みつけてくる昭の様子からどれだけ強い想いを抱いているのかが分かる。チラッと隣を見ると静奈も興味深そうに昭を見つめていた。一応ないとは思っているが昭が逆上した時のために静奈を守れるよう彼女の肩に手を置いた。


「お前、もしかして――」


 核心を突く言葉を龍一が口にしようとしたその時だった。

 彼の脳内を埋め尽くす白黒の絵が浮かび上がった。それはまるで漫画を見ているような感覚に龍一を陥らせる。


『なあ姉ちゃん、なんで宗平に構うんだよ俺が居るだろ!?』

『やめて昭……お願い、今ならまだ戻れるから』

『戻れるわけないだろ……姉ちゃんは俺のモノだ……誰にも渡さない!!』


 ようやく喉元に出かかっていた記憶が蘇った。

 昭が実の姉である沙月に恋をしていること、宗平に構う沙月を見て燻らせていた欲望を爆発させて彼女を襲うのだ。ただあくまで沙月は宗平に恋をしているわけではなく、昭の友人だからという理由で良くしていたのに昭が勝手に暴走してしまうのだ。


「……ほんと、業の深い世界だぜ全く」


 漫画を描いた原作者の趣味なのか性癖なのか元々そういう流れにしようとしたのかは分からないものの、寝取られた静奈を見て絶望した宗平を元気づけるシーンも沙月には用意されていた。それでも実は……みたいな感じなので、こういった題材の世界では主人公ってのは悉く救われないらしい。


「龍一君大丈夫?」

「あぁ大丈夫だ」


 とはいえ、流れとその在り方に大きな変化を齎したとしても宗平から静奈を奪ったことに変わりはない。それがたとえ偶然と偶然が繋がり、龍一も静奈も考え方が漫画と違ったとしても何も変わらない。


「……………」


 そして今、間接的にはいえ昭は暴走しかけている。本来なら宗平に対して感じるはずだった嫉妬を龍一に感じている。漫画で描かれたよりも遥かに強い嫉妬なのは相手が龍一だからだろう。


「良いからどこで姉ちゃんと……俺の大事なモノと出会ったんだよ!?」


 痺れを切らして昭は詰め寄って来た。

 どうやらかなり頭に血が上っているらしく、心の奥底に隠していたであろう沙月に対する認識が表に出てきた。好意だと思い込んでいるそれは実はただ、血の繋がった姉を自分だけのモノにしたいだけなのだ。


「……モノか。少なくとも昔の俺も同じように思ってたのか」


 自分ではなく他人の姿でソレを見るといかにおぞましいかが理解できる。龍一もかつてはきっとこうだったはずだ。そして記憶が戻らなければ、この肩を抱いている静奈のことも欲望のままに手元に収めたのかもしれない。

 多くの女性と関係を持っている時点で似た部分はあるかもしれないが、少なくとも今の龍一は彼女たちのことをモノだとは思っていない。それがたとえ理解されないとしても、龍一は対等に接する相手として彼女たちを見ている。


「ふふ、確かに龍一君にモノとして扱われるのもそれはそれで興奮するわね」

「おい」


 どうやら龍一の呟きが聞こえていたらしく静奈がそんなことを口にした。張り詰めた空気を真っ向から切り裂く静奈の言葉に、龍一は呆れながらもやっぱりお前はマゾだと心の中で苦笑した。


「でも私はやっぱり、正面から愛し合う方が好きだわ。だから私は今の龍一君を好きになったのよ? ぶっきらぼうな部分は変わらないけど、優しいところはこれでもかって理解できる。だから私はあなたを愛しているの」


 微笑んだ静奈に龍一もそうかと笑った。

 完全に昭が蚊帳の外になってしまったが龍一は改めて彼に目を向けた。


「なあ白鷺、沙月はモノじゃねえよ」

「なんだと!?」


 そもそも否定するところが違うのだ。

 彼は今、沙月はモノじゃないという問いかけに対して頷くべきだった。昭の反応は沙月がモノであるということの肯定だった。その歪んだ感情を持つきっかけはあったはずだが、沙月と関係を持ったのもあるし何より、彼がこうして感情を露にしている原因が巡り巡って龍一になった以上知らんぷりをするつもりはない。


「お前がなんで沙月に対してそんな歪んだ感情を持っているのか、まあ恋愛なんてものは色々な形があるから否定はしない。けどな、あいつをモノだと認識している時点で良いことにはならねえよ」


 まあそれでも快楽を与えて歪んだ幸せを植え付けられるのだから漫画の世界は便利なものだ。龍一の言葉に昭は目を吊り上げて睨みつける。そのまま殴りかかってきてもおかしくない様子だが相手が龍一ということもあってそこはビビったらしい。


「……まあ、俺が言ったところでって話だがな。沙月を助け、沙月と……いやそれはいいか」

「そうだよ俺はお前とは違うんだよ! 俺は……俺は……くそっ!!」


 昭は走って屋上から出て行った。

 龍一も静奈も彼を止めなかったが、龍一はスマホを取り出して沙月に電話を掛けた。実は彼女が泊まりに来た時に連絡先は交換していたのである。


「……出るか――」

『もしもし龍一君ですか♪』

「……………」


 一瞬で彼女は電話に出た。

 弾んだ綺麗な声が電話越しに伝わってつい頬が緩む。とはいえ、こうして彼女に電話をしたのは意味がある。


「なあ沙月、ちょい謝らねえといけないことがある」


 ある意味、今のやり取りが昭を焚き付けたようなものだ。その気はなく彼とこうして話をしなくても絶対に遅かれ早かれ行動に出ると思ったのは間違ってないだろう。

 昭には悪いが、彼とのやり取りについて全て沙月に話をした。


『……そうだったんですか。昭が私を』

「すまねえな。俺が焚き付けちまった。お前の家は普段両親は居るのか?」

『母か父のどちらかは絶対に居ますね。ふふっ、心配してくれてるんですか?』

「当たり前だろ」


 ちなみに、スマホを通じて微妙に声は漏れているので静奈にも伝わっている。静奈は口元に手を当ててクスッと微笑んだ。


「そうやってすぐに当たり前だって言えるところが素敵なのだけど……これが無自覚なんだから困りものね。まるで友人が好きな漫画の鈍感主人公みたいだわ」


 鈍感は余計だと静奈の額にデコピンをした。


「あんっ♪」


 パチンと小気味の良い音と同時に静奈のちょっとエッチな声が響き、今の声に沙月が羨ましいと呟いたのも当然と言える流れだった。

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