二章

また新しく

「千沙、俺はお前に言いたいことがある」

「あはは、何かな?」


 目の前でニコニコする千沙に龍一は頭を抱えた。

 五月に入り大型連休も既に最終日、明日からは今まで通りまた学校が始まる。最後の休みは一人でのんびり過ごそうと思っていたのだが、最後の最後にまさかの来客が現れた。それが千沙と、そしてもう一人居た。


「迷惑だったでしょうか、龍一君……」


 しょんぼりとした様子で龍一を見上げる沙月も居るのである。千沙がここに来ることは特に珍しいことではないのだが、まさか沙月を連れてくるとは思わなかった。確かにクラブに行けばまた会えるかと彼女に聞かれたが、こうして自分の家で知り合ったばかりの彼女と会うことになるとは微塵も思わなかった。


「まあまあ良いじゃないの龍一。こうして三人の方が賑やかで良いじゃない」

「ここは俺の家なんだがな?」


 決して千沙の家ではないのに、彼女は既にビールの缶を一本開けて少し酔っ払った状態だ。沙月もちびちびとビールを飲んでいるが、千沙のように酔っ払ってはいなかった。千沙に連れられる形でここに来たとはいえ、少し申し訳なさがあるのか遠慮するように縮こまっている。


「……はぁ。今日だけだぞ?」

「分かったわ。また来るわね?」

「……………」


 千沙にはもう何を言っても無駄なようだ。

 まあしかし、今更部屋を占領されて酒を飲まれたところで龍一は特に文句を言うつもりはなかった。その分、代わりのもので返してもらうだけだ。


「なら後で体で返せな」

「分かってるわ。私もあなたに抱かれたいもの」

「ぶっ!?」


 龍一と千沙のやり取りに沙月が口に含んだビールを噴いた。

 直前で手を口元に当てることで思いっきり吐き出すことはなかったが、鼻からちょろっと水滴が出ている何とも言えない状態だった。龍一は特に何も言わずにティッシュを手渡す。淑女にとってこのような姿は誰にも見られたくはないだろう、龍一もそれくらいの気遣いは出来るのだ。


「あ、ありがとうございまひゅ」

「別に良いさ」


 ティッシュで鼻を噛む沙月はやはり小動物のような愛らしさがあった。髪の毛で目元が隠れているので暗い印象を与えるのは相変わらずだが、それを補って有り余るほどの美貌とスタイルが彼女には備わっている。


「沙月もやっぱり美人だよな」

「ひょえ!?」


 驚いた時の声も間抜けだが純粋に可愛かった。

 前までの龍一ならばこうして彼女が家に来た時点で襲い掛かっているだろうし、培ってきたテクニックで彼女を身も心も堕としていることだろう。だが今の彼には相手にその気がない以上関係を持つ気は一切なかった。まあこれが普通なのだが、過去の龍一は普通ではなかったということである。


「そうよね。沙月って凄く綺麗な顔立ちしてるのに、それを隠してるんだもん勿体ないわよ凄く」

「それは……その……恥ずかしいですから」


 ビールの缶と両手で持ちながら彼女は更に身を縮こまらせた。

 沙月は背が低いのもあって小柄な体系、その小さい体に不釣り合いなほど大きな胸はさぞ色んな男の欲望を集めてきたはずだ。現に千沙が龍一に話したのだが、どうも沙月は男に対して若干の苦手意識を持っているとのことだ。


(男が苦手なのにあんな場所に無理やり連れて行かれればトラウマもんだろ)


 あれから勇気を出してその友達とは縁を切る……までは行ってないが、少なくとも嫌な誘いは断るようにしたらしい。そのことを沙月はこう言っていた。


『あの時、龍一君に嫌なことは嫌だと言えって言われましたから。えへへ、龍一君の言葉を思い浮かべると勇気が出るんです♪』


 別に彼女を勇気付けるために口にした言葉ではないが、どうも沙月は龍一の言葉に支えられているらしい。そのつもりはなくとも誰かの支えになっている、それは龍一としても悪いことではない。


『龍一君は優しい人よ。私はずっとそう思っているわ』


 静奈だって龍一のことをこう言っていた。

 今日は彼女と会っていないが、連休中はほぼ静奈と一緒に居たようなものだ。明日が待ち遠しい、早く龍一に会いたいと、彼女は通話でずっと言っていたほどだ。


「あ、そうだわ沙月。アンタ言ってたでしょ? あれ、お願いしてみなさいよ」

「え!? い、いやぁでもそんな……あの……その」

「あん?」


 千沙の言葉に沙月が狼狽えだした。

 チラチラと龍一に目を向け目が合っては逸らしている。顔を真っ赤なのはアルコールのせいだけではないだろう。首を傾げる龍一に向かって、沙月は決心をしたのかこんな提案をするのだった。


「その……私を後ろから抱きしめてほしいです。千沙さんから聞いたんですけど、龍一君の腕に抱かれると凄く安心するって言ってたので」


 龍一が千沙を見ると、彼女はうんうんと頷いていた。


「こいつって凄いのよ。年下なのに包容力って言うのかしら。こう、頼りになる男ってこんななのねって本能に刻まれるような感覚なのよねぇ」

「そう言われるのは嬉しいがな……沙月、お前酔ってるだろ」

「酔ってます。でも……してほしいです」


 懇願するような視線に龍一は再度ため息を吐いた。酔っ払った人間の戯言だと思いながらも、龍一は沙月を手招きした。すると彼女はすぐに嬉しそうに笑みを浮かべて龍一の元に歩いてきた。


「ここに座れ」

「は、はい!」


 胡坐をかく龍一の股の間に座るように沙月は腰を下ろした。龍一の胸元に背中を預ける形で座った沙月を抱きしめた。


「ふわぁ……凄いですぅ♪」

「でしょう? こいつは魔性の男よマジで。ほんと罪な男だわ」

「知らねえよ……」


 まあ、女性に気に入られやすい質なのは龍一も分かっている。静奈を除いて同年代や年下には一切ウケないが、千沙や咲枝のような年上の女性には良く好かれる。強面な印象を与える顔立ちだが、やはりどこか年下としての可愛さを感じさせるのかもしれない。


「こんなのは俺の柄じゃねえなぁ。なあ沙月、お前無防備にこんなことをしてるが何かされる覚悟はあるのか?」

「っ……♪」


 耳元で囁くと沙月はブルっと体を震わせた。

 龍一は遠慮なしに彼女の大きな胸に手を添えた。これで離れてくれるならそれで済ませるつもりだったが、沙月は全く離れようとしない。それどころか体の力を抜くように龍一に身を預けたのだ。


「あのね龍一、ここに来た時点でそういうつもりなのよその子も。ま、あたしも沙月と同じ立場ならあんな風に助けてくれた相手に好意を持つでしょ普通」


 千沙にそう言われたが、流石になら抱くかとはならなかった。


「なあ沙月、お前分かってるのか? 俺は千沙以外にも関係を持っている女は居るんだぞ? 前に比べればそうでもないが、そんな屑野郎だぞ俺は」


 龍一の言葉を聞いた沙月は、しばらく時間を置いた後……肯定の意を示した。


「……はぁ。なんで俺の元に集まる女はこうなんだ?」

「あはは、静奈ちゃんにも色々聞いたけどあの子とも結構特殊な感じよね」

「まあな」

「……あの!」


 そこで沙月はひと際大きな声を上げた。

 龍一と千沙は揃って驚いた顔をして沙月を見た。彼女はさっきよりも遥かに顔を真っ赤にしてこう口にするのだった。


「たくさん相手をする女の子が居るのでしたら私が増えても問題ないですよね?」

「……わお」


 ハッキリとした意思を乗せた言葉、どうしてそこだけハキハキ喋るんだと龍一は笑った。


「……本当に不思議な女が集まるもんだな」


 そう言って龍一は沙月の唇を奪った。

 その後、布団の上には裸の三人が居た。龍一はその筋肉質な体を、女性陣は魅惑的な肢体を一切隠していない。正に男が望む楽園のような光景が広がっており、その中心に居るのが龍一だ。


「どうだった沙月?」

「……凄かったです。私、凄く声出てませんでした?」


 不安そうに口にした沙月に龍一と千沙は頷いた。

 沙月は一瞬で泣きそうな顔になり、布団で顔を隠す……ことはせず、龍一の胸元に抱き着くことで顔を隠した。


「ふふ、これで沙月も龍一にメロメロかぁ」

「……はい。メロメロになりましたぁ」


 目をトロンとさせながら沙月は龍一を見上げた。ヘアピンで前髪を上げているのでその美貌が惜しげもなく晒されており、こんな顔を大学の男に見せたら間違いなく勘違いさせてしまうだろう。


「その顔、他所に見せんじゃねえぜ」

「はい♪」


 正直なことを言えばこんなにも短期間に体の関係を持つのは異常だが、やっぱり龍一はどこまで行っても龍一だ。特に何も思わないし、これが普通だと当人たちが納得しているのだから何も気にすることはない。


「あたしシャワー行ってくるわ」


 着替えだけ持って千沙はお風呂に向かった。


「……龍一君♪」

「やれやれ、こうしてると年下みたいだぞお前」


 龍一の胸元にスリスリと頬を擦り付ける沙月を見ていると本当に小動物にしか見えなくなってくる。さて、そんなピロートークの最中だったが龍一にはずっと聞きたいことがあった。それは以前感じた違和感であり、まさかとずっと思っていた疑問だ。


「なあ沙月、もしかして弟とか居るか?」

「居ますよ? 龍一君と同い年の弟が居ますが……どうしましたか?」

「……………」


 やっぱりかと、龍一はため息を吐いた。

 龍一のクラスに白鷺という名字の男子が居るのだが、宗平と良く一緒に居る男子だ。以前に街中で変装した静奈と一緒に出会った中にも彼は居た。


「ちなみに名前はあきらですね。……あ、そう言えば龍一君と同じ高校じゃないですか?」

「……そう繋がんのか」


 どうやら龍一の思った通りだったみたいだ。

 そしてもう一つ、どこか引っ掛かる記憶があるのだが……それはまだハッキリと龍一には分からなかった。

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