裏事情を知れば高笑いが出る

「……やってしまった」


 静奈の幼馴染である宗平は学校に着いて早々に頭を抱えていた。朝、家を出てすぐに静奈の姿を見つけたのだ。良く話もするし会うこともある……昔と違ってスキンシップは減ったが、宗平にとって気になる異性というのは間違いない。


『静奈!』


 名前を呼びながら背後から抱き着いた……昔は良くやっていたことだ。昔と何も変わらないのであれば拒絶はされないと思っていた。しかし宗平の予想に反して彼女は嫌だと言っていた。それがショックだったのもあるし、突然あんなことをすればいくら親しい幼馴染と言えどああも言われるだろうと納得したのだ。


「……本当にやっちまった」


 思ったよりも静奈は視線を鋭くしていたし、声音もどこか圧を持っていた。今までに向けられたことのない目と言葉に、宗平は逃げるようにその場から去った。


(……獅子堂龍一)


 クラスの腫物、教師でさえも扱いに困る不良生徒の一人だ。宗平とは住む世界が違うかのような噂をいくつも聞いている。宗平だけではない、静奈ともそうだと言える噂が飛び交っているのだ。


 最近になって静奈は龍一と良く話をしている。今までは全くそんな様子は見られなかったのに、いきなり二人は距離を縮めた。龍一は面倒そうにしているが、進んで話しかけているのが静奈というのも宗平には信じられなかった。


「……どうして」


 全く理由が思いつかない。

 龍一のことを宗平は知らないが、進んで話しかけようとは思わない。平和に学校生活を送ろうと考えている奴が進んで不良に関わろうとしないのと一緒だ。


「よっ、どうしたんだ宗平」

「……俊樹か」


 山本やまもと俊樹としき、宗平の親友とも言えるクラスメイトだ。先ほどから頭を抱える宗平をずっと見ていたが、どうやら気になって仕方ないらしい。だが当然、幼馴染に抱き着いて拒絶されましたなんて馬鹿正直に言えるわけもなく宗平は答えを濁した。


「何でもない。いつも通りだよ」


 目線を逸らしながらそう言ったが、俊樹には普通にバレバレらしい。とはいえ誤魔化そうとする宗平の意を汲んだのか俊樹はそうかと言葉を返した。そんな言葉の終わりと共に静奈が教室にやって来た。


 クラスの誰もが目を向けるほどの美人は友人たちの中に入り込む。その間、彼女は一度も宗平に目を向けることはなかった。それが少し寂しくもあったが、昔とは何もかもが違っているんだなと実感できる瞬間でもあった。


「なあなあ、最近竜胆の奴本当にどうしたんだろうな」

「獅子堂のことか?」

「そそ。だって今まで話をしてなかっただろ? 絶対脅されてるって」

「……………」


 脅されている、そう思って宗平は静奈に忠告をした。しかし、静奈はそうではないと言っていたのだ。脅されているからこそ嘘を吐いた可能性も否定できないが、あの時に続いた静奈の言葉が頭の中で反復する。


『脅されたりしてないわ。獅子堂君は良い人よ? とても優しい人だし、この前だって私を――』


 その言葉に対し、間髪を入れずにそんなわけがないと宗平は言葉を返した。

 それからすぐに電話は切れたのだが、よくよく考えればあの時の静奈の声はかなり不機嫌だったようにも思える。


「……………」


 もしも……もしも本当に静奈が龍一を本当に信頼しているとするならば、彼女からすれば宗平が口にした言葉は決して気持ちの良いものではないはずだ。


「……あ」


 そんなことを考えている内に龍一も登校してきた。

 目立つ金髪と小麦色の肌、大きな体に筋肉質な肉体、目付きは鋭いし耳に付けているピアスも一層彼の不良さを表しているようだ。クラス内でも彼に近づく存在はあまり居らず、精々が彼と親しくしているであろう悪い噂のある男子が近づくくらいだ。


「静奈……」


 そして龍一が来たことで静奈も自然と近づいて行った。

 相変わらず龍一は面倒そうにしているが、静奈は笑みを浮かべて彼と話をしていた。その姿に脅された様子は見えず、心から会話を楽しんでいるのが良く分かる。


「……くそっ」


 人知れず小さな呟きが漏れて出た。

 静奈は悪い人間と関わるような子ではない、それは幼馴染の宗平が良く分かっていることだ。だからこそ、噂を鵜呑みにして龍一を悪い人間だと断定することは間違いではないのかと宗平は思った。


「あんな光景今までなかったじゃん。いいのかよ、竜胆の奴あいつに取られるぞ」

「……そんな……ことは」


 ない、とは言い切れなかった。

 昔から淡い想いを抱いている相手だ。心配云々以前に、自分以外にあんな笑顔を向けられているのを見ると心が痛い。


(そう……だな。幼馴染って関係に甘えていたんだ俺は。自分で動かないとどうにもならない……因果なもんだな。そう言う意味で獅子堂に気付かされるなんて)


 少しだけ、勇気を出してみようと思えた。

 どんな形になるにせよ、何もせずに後悔するのは嫌だから。まあそれでもしばらくは様子を見よう、なんてことを考えるのもある意味宗平らしかった。






「……はっくしょい!」


 昼休み、豪快なくしゃみを龍一はした。

 誰かが噂をしているのか、或いはまさかの風邪か、どちらにせよあまりに大きなくしゃみだったので多くの目が向けられた。龍一は特にそれを気にすることなく、懐からティッシュを取り出して鼻を噛んだ。


「……ちょい屋上で時間を潰すか」


 次の授業まで三十分近くあるということで、龍一は席から立ちあがり屋上に向かった。基本的に屋上はいつでも解放されているが、あまり訪れる人が少ないこともあって静かな場所である。


「……今日久しぶりにあそこに顔を出すかね」


 龍一が口にしたあそことは行きつけのバーであり最近は訪れていなかった。特に女との予定があるわけでもないが、それはそれでバーの店長も色んな意味で安心するのかもしれない。


「獅子堂君?」

「……頼む。お前は竜胆じゃないと言ってくれ」

「残念、私が来たわよ」

「……はぁ」


 声だけで誰か分かり龍一はため息を吐いた。

 静奈は龍一の隣に並び、屋上から見える風景を眺め始めた。龍一はチラッと隣に目を向けると、風で揺れる髪の毛を手で押さえる横顔が目に入る。改めて本当に美人だなと内心で呟いた。


「そういや朝、何かあったのか?」

「え?」

「……ま、何となくだけど」


 龍一の問いかけに静奈は目を丸くした。龍一としても何故そんなことを聞いたのか分からないが、何となく話す話題がなかったのでそう聞いただけに過ぎない。静奈はゆっくりと話し出した。


「……特に何もなかったけどそうね……改めて私たちは年を重ねたんだなって思ったのよ」

「ババアかよ」

「失礼ね!」


 少し強く静奈は龍一の肩を小突いた。

 当然その程度では龍一の体はびくともしない。それからしばらく二人で景色を眺めていたが、ふと静奈がこんなことを口にするのだった。


「ねえ獅子堂君、今日は……えっと」

「夜どうするかって?」

「……なんで分かったの?」

「……マジでそう思ってたのか」


 言い淀む静奈の様子からまさかと思って先手を打ったが、どうやら龍一の予想は当たったらしい。龍一自身が驚いていたが、こうなってくるとあの肉じゃがの味が脳裏に過る。昼食を済ませた後なのに腹が鳴りそうなほどだ。


「夜はちょい街に行こうかなと思ってる。行きつけっつうか、世話になってる店長のバーにな」

「お酒を飲むの?」

「流石に飲まねえよ。未成年だぞ俺は」

「その見た目で説得力ないのよ獅子堂君は」

「……お前、随分ズケズケ言うじゃねえか」


 最初の頃に比べて……まあ実際にこうやって知り合ったのは最近だが龍一に遠慮なく静奈は言うようになった。不思議と不快ではなく、容易に人の心に入り込んでくるしなやかさは流石だった。


「決めたわよ獅子堂君」

「何を?」

「獅子堂君がちゃんとお酒を飲まないようにするか、監視の意味も込めて私も付き添うからね」

「本気じゃねえよな?」

「本気よ」

「……………」


 今度こそ龍一は口をあんぐりと開けた。

 以前に静奈は行動力の塊だと意外に思ったものだが、まさかここまでとは誰も思わないだろう。とはいえ、取り合えず断ることは大切だ。


「やめとけ、良い子ちゃんが来るような場所じゃねえ」

「なら、獅子堂君に付いていく時点で私は悪い子よ。だから問題ないわ」

「屁理屈を言うな」


 静奈は本気だ。本気で龍一に付いてこようとしている。


「……はぁ!」

「ふふ♪」


 何がそんなに面白いんだよと、龍一は最後に盛大なため息を吐いた。





『母さん、今日は友人とご飯を食べて帰るわ』

「そう……分かったわ。なら私も外で食べて帰ろうかしら」

『……聞かないのね?』

「えぇ。楽しんでらっしゃい」

『うん♪』


 喜びに満ちた娘の声に咲枝はクスッと微笑んだ。

 娘に夜は外で食べると言った手前特にここにしようと言うのはない。


「……久しぶりにあそこに行こうかしら」


 自分よりも遥かに幼い少年との思い出が宿るバー、そこに行こうかと咲枝は微笑んだ。



 神様は残酷である。

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