本質を見ているだけ

「……はぁ」


 その日、朝から静奈は憂鬱だった。

 理由は言うまでもなく昨日の龍一との電話が原因だった。龍一と連絡先を交換して初めての電話、発信を押すまでどれだけビクビクしていたか……そうして電話は繋がり彼の声を聞けたとき、静奈は胸に温かなものが溢れたような気がした。


 しかし、電話を切ることになった女性の声……あの声がまだ静奈の中でモヤモヤした気持ちとなって残り続けていた。


「……はぁ」


 先ほどから何回もため息が出ているように、龍一とあの女性がどんな夜を過ごしたのかがずっと気になっていた。どうしてこんなに気になるのか、そもそも彼は言っていた――色んな女と関係を持っていると。


「……あの時もちょっと胸が痛かったのよね」


 噂を肯定した彼の言葉に何も思わなかったわけではないが、あの時は実際に目の当たりにしていなかったのでやっぱりそうだったんだという感覚だった。だが今回に関しては静奈の反応を見ても分かるようにかなり気にしてしまっている。


「……千沙って言ってたわよね。その人が今もまだ会ってる人なのかしら」


 一人で考えても当然答えは出てこないが、そうやってボーっとしていたのがマズかったのだろう。背後から近づいてくる一人の存在に気付けなかった。


「静奈!」

「きゃっ!?」


 背後から聞き覚えのある声が聞こえたと思ったらそのまま抱きしめられたのだ。抱きしめられたと言っても軽くだったが、静奈が驚くには十分すぎる突然だった。


「宗平君?」

「あぁ。おはよう静奈」

「……おはよう」


 背中に引っ付いたのは宗平だった。

 思えば昔はこんな風にお互いに引っ付いたりしていたかと静奈は思い出す。流石に高校生になってからはされることはそんなになかったが、こんな姿を見ると今も昔も宗平は変わらないのだなと静奈は思った。


「なんか機嫌悪い? もしかして……嫌だった?」

「……嫌ではないわ。ただ、間が悪いとは思ったわね」


 そこで一つ、静奈は嘘を吐いた。

 嫌ではなかった、確かにそう言ったが実際は少し嫌だった。考え事をしている相手に対してというのは置いておくにしても、いきなり女子に抱き着くというのはどうなのかと思ったのだ。


「……ううん、嫌だった。宗平君、私たちはもう高校生よ? お互いに男女の違いはあるのだしこういうことはあまりするものではないわ」

「……分かった」


 いや、ここはハッキリ言おうと考え静奈は口にした。

 強い口調ではなかったが、幼馴染である静奈に嫌と言われたことが宗平にはかなりショックだったらしい。


「静奈は……」

「なに?」

「……いや、何でもない。また学校でな」


 それだけ言って宗平は走って行った。

 少し言い過ぎたかしらと静奈は考えたが、思えば昔は自分からも抱き着いていたなと思い返す。昔からずっと一緒に居た幼馴染で大切なのは変わりないし、それはこれからもずっとそうであってほしいと願っている。


「昔はお互いに結婚するなんて言ってたかしら。懐かしいけれど、所詮は子供の約束事よね。私も宗平君も、自分がこの人だって思える相手を見つけられるかしら」


 自分なら誰だろうか、そう考えた時にふと頭に浮かんだのは彼だった。そう、あの大きな体で静奈を守ってくれた――。


「竜胆か? 何してんだこんなとこで」

「……ふぁっ!?」


 妄想に浸りそうだった静奈を引き留めた声の主、それは静奈にとってある意味聞きたかった声の持ち主であり、今出会ったらそれはそれで色々と困る相手でもあった。


「し、獅子堂君?」

「おう」


 昨夜のことを思い出してしどろもどろになる自分とは違い、いつもと全く変わらない様子の龍一の姿が静奈には面白くない。どうしてこんな気持ちになったのか、とにかく発散したかったのでポカポカと龍一の胸を叩いた。


「……なんだよお前」

「ごめんなさい。何故かこうしたくて……むぅ」


 すぐに叩くことを止めたが、それでも心が納得しない。

 頬を膨らませる静奈の様子にため息を吐いた龍一はそのまま歩いて行く。当然静奈は彼の隣に並ぶように歩調を合わせた。


「おい、一緒に行く気か?」

「えぇ。といっても途中で別れた方が良いでしょう? 獅子堂君的には」

「まあな」


 別に一緒に学校に行くことくらいなんてことないはずだ。ただ高校生という多感な時期になると、男女が二人で歩くだけで色々と邪推する者が居るのも事実だ。


「……ねえ獅子堂君」

「なんだ?」


 隣を歩く龍一に目を向けると、彼は静奈に目を向けることなく前を見据えている。真面目に制服を着ている静奈と違い、ボタンを全部開けているだらしなさはいつも見る姿だ。


(……やっぱり筋肉が凄い♪)


 ついそんなことを考えてしまって頭を振った。

 静奈は昨日のことを思い切って聞いてみた。


「昨日は……途中で電話が切れちゃって」

「あぁ。千沙……大学生の女が家に来たんだ。飲み会の帰りだからって酒の臭いぷんぷんさせやがってよ」

「そう……なのね」


 その人は彼女なのだろうか、純粋にそれが静奈は気になった。


「彼女なの?」

「違う。前に知り合ってから関係が続いているだけだ」

「……そう」


 彼女ではない、それを聞いて静奈は安心した。だが、その安心の正体にはまだ彼女は気づけていない。しかし、そこでただと前置きして龍一は言葉を続けた。


「彼女じゃないが……まあ、そういうことをする仲ではあるな」

「っ……」


 そういうことをする、その言葉の意味が分からないほど子供ではない。静奈はそれを想像して恥ずかしさよりも胸がチクチクと痛んだ。チラッと見上げた龍一はやっぱりいつも通りで、こうして悩んでいるのが馬鹿みたいに思えるほど龍一は何も変わっていない。


「それって……」


 後に続く言葉は静奈が冷静なら決して口にしない言葉だった。だが、その先が言葉となることはなかった。何故なら、龍一の腕が伸びてきたからだ。


「竜胆」

「え――」


 腕を掴まれ、そのまま強い勢いで龍一に抱き留められた。

 胸元に顔が触れ、固い胸筋の感触が直に伝わる。急激に頬が熱を持ち始め、その熱に誤魔化されて気付けなかったのは下腹部の疼きだった。


「し、獅子堂君……?」

「考え事しながら歩くな。もう少しでぶつかってたぞ?」

「え?」


 龍一が目を向けた先には杖を突くお爺さんが歩いていた。確かにあのままだとぶつかっていたかもしれない、そうなってお爺さんを転倒させたりしたら大変だった。龍一が静奈を抱き寄せたのは単純にお爺さんにぶつからないようにするためだ。


「……ありがとう獅子堂君」

「礼なんざいらねえ。何事もなかったからな」


 ポンポンと頭を撫でられた。

 子供扱いされているようだったが、何故か止めてと言えなかった。むしろ、もっとしてほしいとさえ思える。しかもさっき抱き留められた時に静奈は嬉しかったのだ。宗平の時には感じることのなかった温かさとドキドキ、それを確かに静奈は龍一に感じたのである。


「おら、さっさと行くぞ」

「えぇ。分かってるわ」


 再び歩き始めた龍一に静奈は並んだ。

 もう少し進めば龍一とは離れて学校に向かうことになる。出来ることなら、この時間がもっと伸びてしまえばいいのに……そう静奈は願うのだった。






 本来であれば、静奈は宗平と結ばれることになっている。

 それはこの世界の本来の姿なのかもしれないが、たった一つの変化によって道筋はこれほどにまでズレてしまった。


 しかし、それは決して悪意によって変化したものではない。

 記憶を取り戻した龍一が手繰り寄せた未来が静奈を巻き込んだに過ぎない。決して操られているわけでも、ましてや気持ちを操作されたわけでもない。ただ純粋に静奈は龍一のことを見ている。


 記憶を取り戻した彼の本質、それをただ見つめ続けているだけに過ぎないのだ。



【あとがき】


誰も居なかったので驚かす意味合いもあったのかなと。

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