【コミカライズ開始】漫画に登場する最悪の男に生まれ変わったはずがヒロインが寄ってくる件
みょん
一章
蘇った記憶
「……あん?」
その日、彼は思い出した。
唐突な頭痛がしたと思ったら、まるで脳の奥に秘められた記憶が抉じ開けられるかのように彼は思い出したのだ。
「……俺ってクソ野郎やんけ」
ボソッとそんな呟き、周りに人が居れば何だこいつって感じだ。
幸いにもここは彼が住んでいるアパートの部屋で一人しかいない。周りに散乱したゴミ袋のせいでかなり部屋が汚いことが窺える。
「……むぅ」
そんな部屋の中央でポツンと座り込み、腕を組んで彼は考えていた――どうしてこうなったのかと。
「不思議とタイトルは思い出せねえけど……主人公から幼馴染を奪う男だよなぁ?」
本当に何を言っているのだこの男は……っと誰しもが思うだろう、しかし、彼の身に起きた出来事は決して冗談で流すことは出来ない。
何故なら彼は今、思い出したのだ。
かつての記憶を、この世界に生きる以前の記憶を。
「……獅子堂龍一か」
「……ま、思い出したからと言って何も変わらねえか」
彼が思い出した記憶、それは今の自分がとある漫画に出てくるキャラだということだ。成人向けの漫画でありジャンルは寝取られ……率直に言うと、彼は主人公が恋する女の子を奪う男だということだ。
「……あ~くそ、めんどくせえ」
口癖は体に引っ張られており粗暴なものだ。
彼は立ち上がり、鏡に映る自分を見た。高い身長と金髪、耳にはピアスをしており体は筋肉質だ。ついでに男の象徴もデカく、これでもかと竿役たらしめる要素が形成されていた。
「でも普通にイケメンなんだよなぁ」
鏡に映る彼は確かにイケメンだった。
完全に見た目はチャラく不良な見た目だが、顔立ちは整っており二度目になるが体は鍛えられている。ガッシリとした肉体は力強さを感じさせ、普通の女ならば簡単に組み伏せてしまえる大きさだ。
不良っぽい見た目に関して目を瞑るならば彼は本当にイケメンである。まあだからこそ女性との浮名を流す設定なのだろうが……普通にしてればモテるだろうし、口で誑し込みそうな軽薄な見た目と言われればそれはそれで納得できる。
「……はぁ」
大きなため息が零れた。
今彼を悩ませているのは思い出した事実だけではなく、思い出す前の行動を振り返ってのことだ。彼という存在をこれでもかと示す悪行ではないが……それなりに女性との関係は持っていた。
幸いに記憶の中に相手に男が居る女との関係はないみたいだが……一体何をやってんだと彼は頭を抱えるのだった。
「今は良いけど……ヒロインに心底惚れて奪い取るんだよな。ヒロインもヒロインで軽薄な龍一に対して嫌悪感は抱いてるけど、エロ漫画特有のご都合展開で体の関係を持ってズルズルだったか」
体は変わらず過去も変わらない、しかし考え方が変わるだけで彼は龍一であり龍一ではない存在と言っても良い。つまり、普通の思考回路が目覚めた彼は誰かの女を寝取る趣味は一切ないということだ。
「……つうか龍一って家族関係めちゃくちゃだな」
記憶の中にある家族との冷え込んだ関係、漫画では描かれなかった裏事情に少し同情はするがその後の悪行を正当化出来るものではない。あまり考えすぎると気分が落ち込んでくると思い、彼は一旦家族のことに関する考えを止めた。
「獅子堂龍一……名前からしてヤッてそうな名前だぜ」
完全にモブではない名前だ。
苗字も名前も立派なものであり、途轍もなく印象に残る名前だ。まあテストがあればその度に名前を書くのが大変そうではあるが。
「さてと、思い出したからって変わんねえしな。外にでも行くか」
立ち上がった龍一はそのまま玄関に向かうのだが、その途中で一本の缶を踏んでしまい盛大に転んだ。ガタイの良い男が間抜けにも転がる姿はダサかった。帰ってきたら少し掃除しよう、そう心に決めた龍一だった。
外に出ると涼しい風が龍一を出迎えた。
時期は四月、今通っている高校の二年生に進級したばかりだ。今年になってクラスが変わり、漫画の主人公とヒロインも同じクラスである。一年の頃にそれなりにわちゃわちゃやっていたこともあって、クラスの真面目な連中からは遠巻きに見られるような日々だ。
「……ふわぁ」
大きな欠伸が出た。
龍一は手で口元を隠すこともしなかった。それだけ気が抜けている証であり、若干現状を受け入れて切れていない困惑があったせいだ。
「……ま、気持ちが分かるけどよ」
自分でも感じた通り、龍一の見た目は完全に不良である。だからこそ、街ですれ違う多くの人たちが龍一に目を向けて距離を取るように離れていく。そのことに少しショックを受けるものの、今までがそうだったので気にしても仕方ない。
そんな風に龍一が当てもなく街中を歩いていた時だった。
「は、離しなさいよ!」
「いいじゃんかよぉ。な? 嫌な思いはさせねえからさ」
「やめて!!」
「あまり暴れると黙らせることになるんだが……なあ嬢ちゃん?」
「ひっ!?」
目の前で堂々と女の子を連れて行こうとする男が居た。
龍一のような軽薄そうな見た目だが龍一よりも年上なのは分かった。通行人は見て見ぬフリをして彼女を助けることはしない。
女を誑し込むのは上等、一夜限りの関係もバッチコイ、そんな生き方をしていた龍一だが今の彼は今までと違うのである。つまり、彼は彼女を助けることにした。
「……誰かっ!」
「くく、ほら諦め……?」
近づいた龍一に男が目を向けた。
釣られて女も龍一に目を向け……そこで大きく目を見開いた。その顔を見て驚いたのは龍一もだった――何故なら彼女は龍一にとって知らない相手ではなかったから。
背中まである長くサラサラとした黒髪、目は切れ長で美しい顔立ち、そして男の情欲を誘う服を盛り上げる大きな胸、スカートから覗く眩しい足も彼女の魅力をこれでもかと演出していた。
そう、彼女の名前は
「……獅子堂君」
「……何だよお前」
抱いた希望を打ち砕かれたような目をする静奈、龍一の見た目にビビり散らす男の二人に龍一は苦笑した。まさかのどちらにもこんな風に見られるとは思わず……いや少しは分かっていたことだ。
一歩踏み込むと、男は一歩退いた。
ゆっくりと近づき、高い身長から男を見下ろすように龍一は言葉を発した。
「失せろや」
「は、はいぃいぃぃぃぃぃいいいい!!」
ビュンと男は凄い勢いで走り去っていった。
何とも度胸のない奴だなと呆れている龍一だったが、次に絡まれていた静奈に目を向けた。彼女はビクッとしたように目を逸らしたが、まあそれも当然かと龍一は頷いた。
「怖がらせて悪いな。一応あの野郎は戻ってこないだろうが、まあ気を付けて帰れ」
「……あ」
それだけ言って龍一は静奈の横を通り過ぎた。
結局通り過ぎるまで、彼女は礼の一つも言わなかったが龍一は気にしない。しかしある程度離れたところで背後から声が聞こえたのだった。
「あ、ありがとう獅子堂君!」
「……っ」
ありがとう、思えばそう言われることはそこまでなかった。
自分の所業もあって礼をされるようなことはなかったからだ。精々あっち方面で知り合った女が媚びるようくらいで……純粋な静奈の言葉に、龍一は忘れていた感謝されると嬉しいという気持ちが胸に降ってわいた。
「……おう!」
だからこそ、龍一は顔だけ向けて静奈にそれだけ答えた。
その時の彼の表情は幼い子供のような笑顔で、誰が見ても綺麗な微笑みだったのは間違いなかった。
「……っ!?」
サッと顔を逸らした静奈に、龍一がそんなにキモイ笑顔だったかと落ち込んだ。
突如として自分が知る漫画の世界に放り込まれた彼の物語は始まる。
元々決められていたルートから逸れた彼がどんな日々を送るのか、そしてどんな縁を手繰り寄せるのかそれを見守ることにしよう。
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