奇跡の町アンタカラ

つかだあや

第1話 アンタカラへの誘い

雪まじりの突風が、新太(あらた)の雨がっぱのフードをはねのけようとする。

「うわっ!」

 強い風にあおられて、新太はおもわず歯をくいしばる。頭からずりおちそうになるフードをかぶりなおした。

「……風、つえー」

 まっくらな闇のなか、白い雪だけが縦横無尽にまいみだれる。風に吹かれて新太はおもわず呼吸をとめた。鼻のあなのなかにも、雪がしのびこんでくるからだ。

「くそっ、親父どこいったんだよ……」

 夜の住宅街は窓からもれる明かりだけが、ひっそりと輝やいている。小学5年生の新太をみとがめるものは誰もいない。新太は右うでで顔をかくしながら、前にすすんだ。紺色の手袋をしているが、指先がかじかんでチリチリと痛い。

新太は左うでにはめたうで時計を見た。バックライトに照らされて、うかびあがる時刻は、21時43分。自分はもう、この吹雪のなか、一時間半も外でさがしまわっていたのだ。そう思うと、新太はうんざりとしてくる。

新太の父親、和志(かずし)が近くのコンビニに夕飯を買いに行くといって、でかけたのが、17時。もうすぐ5時間がたつ。その間、いくら待っても、父親はいっこうに帰ってこなかった。スマートフォンに電話をかけるも、でる気配はない。

20時をまわり、さすがに新太は父親をさがすことにした。腹がへっているのもある。が、それ以上に、新太には心配なことがあった。

念のため父親を見つけたらさすようにと、大人用のビニール傘を手に持つ。それから父親の行きそうな店や居酒屋、公園などをたずね歩いた。ちょくちょくスマフォをかけてはいるが、いまだ音信不通だ。

「くそっ、バカ親父め」

 新太は小さく毒づいた。そして内心、後悔していた。やっぱり、自分が夕食を買いにいくべきだったのだ。父親の様子がここ最近、落ちついていたため、油断したのだ。

住宅街からやや外れた、パチンコ店の駐車場を通りすぎる。信号をわたり、コンビニの前を通ると、再び、住宅街にでた。新太は、歩きながらも、どこかの家の軒下に父親がたおれていないかと目をこらした。

いったん、家にもどろうと横道にそれた、そのとき、

住宅にはさまれた空き地が目に入った。ひざくらいの高さのフェンスで囲まれている。一か所だけ街灯に照らしだされ、フェンスのうえからにゅっと飛びだす太い大きな足が見えた。ボロボロの青いジーンズに、うすよごれた白いスニーカーをはいている。見覚えがあった。父親の足だ。

 新太は手に持っていた傘をその場に落とすと、われを忘れてかけよった。父親の足元に立ち、フェンスの中をのぞきこむ。

 そこには、フェンスに両足をかけ、いびきをたてながら、真っ赤な顔で寝ている父親の姿があった。帰ってこなくなった原因である空のワンカップが大量に入ったコンビニ袋を左手に持っている。右手には、着信履歴の画面が表示されたスマフォがあった。おそらく電話にでようとしたのだろう。

 新太は大きくため息をついた。苦い顔で前髪をくしゃっとにぎりつぶす。

「くそっ、アル中め」

 新太はきっと前を向き、フェンスをまたいで、父親の肩側に立った。片足で父親の肩をふみ、ゆらす。

「おい。起きろ。親父、起きろ」

「……」

 父親はごろりと横にねがえりをうつ。だが、目覚める気配はない。

「っ、起きろ、親父!起きろよ!」

「ん……むぅ……」

 今度は逆向きに寝がえりをうつ父親に、業をにやして、新太は腰を落とした。父親の耳たぶをつかみ、そのまま強くひっぱった。耳元で、大声をだし、

「起きろ、親父!冷凍保存にされてえのか!」

 父親は一瞬、びくっとふるえ、うっすらとうす目をあけた。

「ん……むむ……みき、ちゃん……?」

うるんだようなにごったような目で新太を見て、

「みきちゃん……帰ってきてくれたんだ。みきちゃんっ」

スパンっといい音をさせて、父親の頭を新太はたたいた。

「男つくってでてったババアが帰ってくるわけないだろ! くそ親父、しっかりしろ!」

「うう……んっ、あらた、か……」

「くそっ」

 起きあがろうとするも、腕に力がはいらないのか、倒れてしまう父親の肩を新太は支えた。腰を支え、なんとか起きあがらせ、立ちあがらせる。

「ほら、帰るぞ。親父」

肩をかし、新太は父親のこしにうでをまわした。ふと、父親のズボンの内側がぬれていることに気づく。またかと思い、新太は、うんざりするとともに、家に帰って洗濯機をまわさなければと強く思った。


 翌日、学校が終わり、放課後の時間となった。授業の集中から解き放たれたかのように、にぎわうクラスの中で、黒板から一番前、扉近くの席で、新太はひとりそそくさとランドセルに教科書をつめこんでいた。本当は、今日は新太の父親が夕飯を作る番だが、昨日のことがあったため、今日は新太が夕飯を作ることとなった。早く帰って夕飯の買い出しに行くのだ。

 荷物をつめ終わると、新太は席を立ち、ランドセルを背負った。すると、目の前を隣のクラスの男の子が数人通り過ぎる。窓際の席にいるスラリとした背丈の短髪の少年の元へ集まった。

 クラスの人気者、笠原仁(かさはらじん)だ。男の子たちは仁を囲んで、

「仁、またサッカーやろうぜ。ハットトリック見せてくれよ」

「本当、すごかったよな。教えろよ」

 楽しそうにわいのわいのと騒ぎ立てる。仁は顔立ちも整っており、頭もよく、スポーツも万能。おまけに父親は医者で金持ちだ。

 天は二物も三物も与える。こんな奴もいるのだと新太は無感動に眺めて、教室をでる。

 友達と追いかけっこをしてはしゃぐ子、児童館に行こうと手を繋いで帰る子たちを素通りして、新太は黙々と玄関へと足を進める。

 途中、職員室の前で、ひょろりと背の高いぼうず頭で、同じクラスの安浦喜一(やすうらきいち)と出会った。担任の若い女の先生と何かを話している。

 先生は申し訳なさそうに、

「ごめんね。先生、図書館で探したんだけど、いい本がなくて」

 そう言って、先生は喜一に本を数冊渡した。喜一は、それを抱きしめて、

「ううん。大丈夫! ぼく、なんとかするから! 先生、ありがとう!」

「素敵なツリーが作れるといいね」

「うん! ありがと、先生!」

 そう言って、喜一は先生にぺこりと頭を下げると、手を振って離れた。玄関に向かうのか、ちょうど新太と同じ方向だ。新太は内心、げっと思いながら、歩を進めた。すると、喜一が新太に気づき振り返る。喜一は、新太に向かって、にっこりとほほ笑み、

「アラタ! 今帰り?」

「あ、ああ」

「ぼくもこれから帰るんだ! 一緒に帰ろう!」

 そう言って、新太の隣をぴったりと並んで歩く。いや、お前と俺は別に友達でもなんでもない、ただのクラスメイトだろうと内心毒づく。新太はこの、人に対する距離感がない喜一が苦手だった。

 ジロジロと警戒するように見る新太の視線を興味と受けとったのか、喜一が本をかかげて、

「これ? この本、クリスマスの飾りの本なの。ぼく、クリスマスツリーを作るんだ! 百々花へのクリスマスプレゼント! あ、百々花ってぼくの妹なの」

「へー……」

「ぼくね、うーんとおっきな、空まで届くクリスマスツリーを作るんだ! そうしたら、百々花もびっくりして、うれしくてニコニコするでしょ」

 そう言うと、喜一は体全体を大きく伸ばして、クリスマスツリーを表した。

 いや、空まで届くは無理だろと新太は内心つっこみながら、うなずいた。

「そうだな。頑張れよ」

「うん!」

 玄関で靴をはき替えると、通学路に出た。ふたりでとりとめのない話をして、途中の十字路まで進む。すると、喜一が、

「じゃあ、ぼく、こっちだから!」

 と言って、新太とは反対方向に歩いて行った。喜一が進む先はビル街だ。そのビルの合間から、大きな茶色い建物が見える。この町に唯一ある総合病院だ。

 新太は風の噂で聞いたことがある。喜一の幼い妹は病気でずっと入院中なのだと。

「……」

 新太はしばらく喜一の消えた方向を見つめていたが、やがて何かを振り切るように、反対の方向へ歩きだした。

 コンビニのある道を少し進むと、商店街へたどり着く。赤い屋根のあるアーケード通りだ。道の両側には、八百屋や本屋、カフェにクリーニング屋などさまざまな店が、すきまなく立ち並ぶ。時期柄なのだろう、商店街は赤や緑のモールや、サンタクロースやトナカイなどのモチーフがところかしこに飾られている。クリスマス一色だ。

 有線放送からは、にぎやかなクリスマスソングが流れている。新太はそんなクリスマスソングを聞きながしながら、うつむきがちに足早に通り過ぎる。

顔をあげると、どことなく浮かれたような、クリスマスを心待ちにしているような、楽し気な人々が目に入った。

「くそっ」

 新太の気持ちは、なんだか落ち着かない。先ほど喜一と出会ったせいだ。新太にもあんな顔で、願いを叶えることにわくわくしていたような、願いが叶うのを心待ちにしていたような、そんな時期があったのだ。そして、同時に、どうにもならない現実に、ちょっとずつ希望を手放していった時期が……そんな時期が新太にはあった。

「喜一、あいつ……っ」

 新太は気持ちを切り替えるように、ジャンバーのポケットに手を入れた。そのまま足早に通りを進む。

 商店街の中ほどまで来ると、左側から声をかけられた。

「よっ、新太くん、今帰りかい?」

 新太が左側を見ると、肉屋の店主がショーケースから上半身を乗りだして、手をふっている。

ここの肉屋は精肉以外にもあげものもとりあつかっていて、新太はよくコロッケを買いにきているのだ。父親のこともよく知っているので、なにかと新太に声をかけてくれる。

新太は店に近づき、

「おじさん、こんにちは」

 店主は店の前に立つ新太を気の毒そうに見ると、

「新太くん、昨日はたいへんだったみてぇだな。夜中、親父さん、探しまわったんだって。スナックのママにきいたよ」

「はあ……」

「俺に連絡くれればよ、いっしょにさがしてやったのに……で、どうよ。親父さんの調子は?断酒会、最近いってんのかい?」

「……そうですね。たまにいっています」

 断酒会とはアルコール依存症の患者が集まる会のことだ。数人で集まって、日々のくらしや、アルコール依存症の経験談を話しあう。話すことによって、断酒のはげみにするのだ。

 断酒会は週に2,3回、ちかくの公民館でひらかれていたが、新太の父親は調子がいいからといって、ここ数日、休んでいた。

 新太は心が痛んだ。自分がしっかりいかせておけばと強く思った。

 表情がさえない新太に、なにかをさっしたのか、店主は、

「そっか。まぁ、気長にな。なに、だいじょうぶだ。俺たち野球ファンはいつだって、お前の親父さんのかえりをまっているからさ」

「……」

 店主はうしろをふりかえった。店のなか、かべには新太の父親の選手時代のポスターがかざられている。青いユニフォームを着て、バットをかまえた勇ましい姿だ。となりには、サインが書かれた色紙がかざられている。青いユニフォームは横浜ベアーズのユニフォームで、店主は横浜ベアーズファンなのだ。

 店主はなつかしむように、

「加納和志って、プレイヤーはよう、新太くんはおぼえていないかもしれないが、そりゃすごい野球選手だったんだぞ。打てばヒット。肩も強くてよ、レフトからホームへのレーザービームを投げる姿、忘れらんねぇ……あ、新太くんは野球しないのかい?」

「はは……おれ、野球はちょっと……」

「そうかい。まぁ、むりはしないほうがいいもんな。親父さんもなぁ、試合中、ひざのケガさえしなければなぁ……」

「はは……あの、おれ、用事があるんで。それじゃあ!」

「あ、新太くん!メンチカツ、もってってよ!」

 新太は一度、行こうとした足をとめて、店主からメンチカツのはいった袋をうけとると、その場をはなれた。

 最初、ゆっくりと歩いていたが、肉屋が見えなくなると、急に走りだした。

 新太は走る。今までのことすべて、おきざりにするようにと。

 父親は、3番バッターとしてかつやくした選手だった。3番バッターは攻撃の要だ。1番、2番で塁にでた選手をホームベースに帰す。または、塁にでられなかった場合、3番が塁にでて、チャンスをつくる。

 勝負かんとまけんきがつよかった新太の父はまさに、うってつけの3番バッターだった。冷静さと最後まであきらめない勝負にかける情熱があった。

「ボールが飛びたがっているのを僕は助けているだけです」というのが口ぐせで、ファンの人気も高く、よくヒットを打った。ただ、ヒットを打つだけじゃない。冷静に試合をみて、ヒットを打つシーンは、ヒットを、バンドをしたほうがいいシーンはバンドをと、チームの状況にあわせて打てる選手だった。

だが、5年前のシーズン、父親は試合中、左ひざの靭帯を断裂した。懸命なリハビリの結果、復帰できたが、それまでに二年かかった。そして、その二年間の間に、チームは大きく変わった。選手層が変わり、若手中心となったのだ。

復帰できたといっても、本来の調子は戻らず、若手中心のチームになったこともあり、一軍に父親の居場所はなかった。それでも試合に出られる日を夢みて二軍で練習をがんばっていたが、ある日、球団から退団通告がくだされた。コーチやスカウトの話もきたが、父親はあくまで選手でいたいとそれを断った。

さまざまな球団の入団試験を受けたが、どこも採用にはいたらず、父親は酒の量が増えた。眠れない時には、睡眠薬をのんでいたのだろう、薬の作用とあいまって、急速にアルコール依存症は進んだ。母親と新太が気がついたときには、手遅れだった。

 色あざやかなクリスマスツリーが目のはしから、流れていく。きらびやかなイルミネーションもクリスマス仕様にかざりつけられたショーウィンドウも、今の新太には関係ない。ただ、色とりどりの線となって流れていくばかりだ。

 アーケードをぬけ、新太は雑居ビルがたちならぶ通りにでた。気がつけば、にぎやかなクリスマスソングも聞こえなくなっている。

 新太は立ちどまり、ビルの大理石でできたかべにさわった。ひんやりとした感触が手に伝わってくる。息をととのえると、冬の冷たい空気が肺をさました。

 新太は目元をうででぬぐいながら、

「ちくしょう、夢なんて……くそっ、ないほうがましだ!」

「どうしましたか?」

 新太は驚き、まっすぐ前を見た。誰かに声をかけられるなんて思ってもみなかった。

 まず、目にとびこんできたのは、真っ白な仮面だ。三日月のような目と口元が微笑みを形作っている。白銀の短髪に、黒のシルクハットをかぶり、仕立てのいい黒のスーツの中には同じく黒のベストを着ている。黒色のロングのマントを羽織り、銀細工でできたステッキを持っていた。両手には白い手袋をはめ、上品そうにステッキのうえに交差させている。

 新太は警戒して一歩さがる。胸をおさえて、

「……あんただれだよ?」

 男は、シルクハットを取ると、胸に片手をあてた。

「これは失礼を。私はアヴィンサ。アヴィンサ・ユ・カナ・テラ・ヴィーノ・ボードと申します」

「は、はあ……」

「以後、お見知りおきを」

 深々とおじぎをして、アヴィンサと名乗った男は、スーツのむねのポケットから一枚の名刺をとりだした。それを新太にさしだす。

「私の名刺でございます。どうぞ」

「はあ……」

 新太はこわごわと受けとると、名刺をみた。そこには、上質な白い紙に、銀の箔押しで、

『奇跡の町アンタカラ支配人 アヴィンサ・ユ・カナ・テラ・ヴィーノ・ボード』と印刷されている。

 新太はアヴィンサと名刺を交互にみて、

「奇跡の町、アンタカラ支配人?」

 アヴィンサは、ずいっと顔を新太にちかづけた。

目の前に迫った仮面に、新太は思わず背中をそらせる。

「新太君、奇跡の町アンタカラに興味はおありで?」

「は? というか、なんでおれの名前しって……」

 アヴィンサは、アンタカラに思いをはせるように、うっとりとしながら、

「奇跡の町アンタカラ、それは花咲きみだれ、ひとびとが笑い、美酒あふれる喜びの町。不可能が可能に、なげきがほほえみに、絶望が希望にかわる幸福の町」

「おいっ、なんで知って……って、人の話聞けよ!」

 新太は思った。これはきっと、かかわらないほうがいいたぐいの人だ。そうでなければ、お店の呼びこみかなにかの人だと。

 どっちにしろ、新太にとって有利な情報をもたらす人ではなさそうだ。夕飯の準備もある。新太は逃げようと、そっとあとずさりした。だが、すぐにアヴィンサがふりかえる。

「新太君、これもなにかの縁。奇跡の町アンタカラに行きませんか? 今なら、この町の中心部から半径二キロ圏内の子ども、全てにご招待のお誘いをしております」

「……いや、いいです」

「なぜです?」

「いや、行きたくないから」

 といいつつ、新太の足はじょじょにうしろにさがっている。アヴィンサはそんな新太に気づかずに、

「おお! なんとなげかわしい! あなたは奇跡の町アンタカラに行けることがどんなに稀有か、わかっていないのですね!」

 突然、おおげさに空をふりあおいだ。その動きに、新太はびっくりする。

 アヴィンサは新太につめより、

「アンタカラに行けば、なんでも願いが叶いますよ。最新のゲームや、好きなお菓子、ありもしない空想の動物と遊ぶことも可能です。なんだって、叶うんですよ」

「……いや、別に、興味ないので」

「おお! なんと、なんとなげかわしい!この国の子どもたちは絶望に侵されている。夢を叶える楽しさがわからないとは!」

 新太は内心、ムッとした。新太も夢を叶える楽しさをしらないわけではない。ただ、夢を叶えてもムダだとしっているのだ。

「夢が叶うことの心地よさを、楽しさを、興奮を、はしゃぐ気持ちを、あなたはしらないとでもいうのですか! ああ、なんとみじめな」

「あのさぁ、おっさん……そりゃ、楽しいさ。夢が叶うならな。ただ、夢が叶っても意味なんてないだろ」

夢が叶うように努力しているうちはいい。夢が着実に近づいてくるような気がする。

 夢が叶うのもいい。きっとそれは興奮するような充実した毎日だろう。でも――

 その先は? 夢が叶ったあと、うまくいくとはかぎらない。ましてや努力が実らないこともある。夢にとらわれて、安定した人生を捨ててしまうことだってあるだろう。そう、父親のように――。

 新太は絶望する。夢を叶えたその先に、破滅がまっているのなら、自分は、夢なんて見ないほうがましだ。ましてや夢を叶えるなんて、まっぴらだ。普通に生きて、安心安全、安定した人生を送るほうがよっぽどいい。

 アヴィンサは不思議そうに首をかしげ、

「夢を叶えることに意味はないとは? あなたはアンタカラを知らずに今までの11年を生きてきた。それはいわば、人生において3年しか生きていないようなものです。そのあさはかな経験でいうのですか?」

「……るせえな」

「いまなんと?」

 新太はアヴィンサをきっとにらんだ。

「うるせえっていったんだよ! 夢を叶えたからなんだっていうんだ!」

「ほう?」

「おれの親父はさ、プロ野球選手だったんだよ。でも、ケガして退団してから、人生ズタボロ。アル中になるは、好きな女には逃げられるはで、いいことなし! 夢叶えて人生これなら、夢ってなんだよ! 叶える意味がないってもんだろ!」

 新太は父親を思いだす。ホームランを打って、ガッツポーズをとりながら、ホームを回っていた姿を。ひざの痛みに耐えながら、病院でリハビリをしていた姿を――新太の姿に気づくと、歯をみせて笑っていた。

 そして、さらに思いだす。母親の出て行った日のことを。その日もだらしなくビール缶にうもれて眠っていた。

「……あんたがさ、夢をみることはすばらしい、叶えることがすばらしいっていうんならさ、証明してみせろよ! おれをアンタカラに連れて行け! 夢を叶えるすばらしさを教えてみせろ!」

「……いいでしょう」

 アヴィンサはうっとりしながら、

「すばらしい。新太君、あなたは心の底から怒り、絶望している。実にすばらしい……それはとてつもないエネルギーとパワーだ。別の方向に変換できたらどんなにいいか。いいでしょう!あなたのおおせのままに、あなたが望むなら、アンタカラへご招待いたしましょう!」

 突然、アヴィンサは空を仰ぐように、両手をあげた。新太もつられて空を見上げる。

「! な、なんだ?」

 空にぽっかりと穴が空いている。いや、穴というよりも扉の形に空の一部が切り取られている。切り取られた空間の中には、新太が見たこともないような島が海にぽっかりと浮かんでいた。

アヴィンサは新太のうでを強くつかんだ。新太を見つめ、

「では、新太君。奇跡の町アンタカラへ。Fais bon voyage」

 そのまま、空間がせまりくる。新太は驚き、逃げようとするが、アヴィンサが腕をしっかりとつかんで離さない。

「や、やめろ! ばか!」

 空間が目前に迫り、新太は思わず目を閉じた。そして、次に目を開けた時、それは、新太が見たこともない世界だった。

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