第26話  ヒントはあった

 

 ――シュッ、シュッ、シュッ


 墨を磨る音が周囲に響く。


「……何やってるんでしょうかわたし達」


 乃亜のつぶやきに全員が頷きながら墨を磨り続けていた。


「ねえ、これ無理じゃない? 人の身長ほどもある容器をいっぱいにするなんて、どれだけの墨を磨らないといけないのよ」


 冬乃がウンザリとした表情で巨大な容器を見つめながらも墨を磨る手は止めていなかった。

 まあちょっと磨った程度では全然足りないので、手を動かしていても休んでいても大して変わらない気もするけど、それを口にしてやる気を削ぐような事はしないよ。


「2メートルくらいある特大の墨を用意してもらえれば、咲夜が頑張って磨る」

「力技での解決か。うむ、私もその意見には賛成だな」


 咲夜とオリヴィアさんは脳筋思考だなぁ。

 でもそのぐらい大きいのでやらないと効率が悪そうなのも確かだ。


「こんなにも地道に墨を磨らないといけないなんて、どれだけ時間がかかることになるだろうね?」

『時間をかけたくないソフィアさんの気持ちは分からなくもないけど、固形墨から墨汁を作らないといけないから仕方ないよ』

『でもご主人さま。こういうゲームのミッションってどこかで墨汁が大量に手に入る場所とかないものなのです?』


 アヤメがそう言うと、全員が一斉に硯に向けていた顔を上げてハッとした表情に変わる。


「確かにアヤメちゃんの言う通りです。馬鹿正直に墨を磨っていましたが、【泉の女神】と違ってわたし達は別に呪いもなにも受けていないのですから、墨汁さえどこかで手に入れられればいいはずです」

『でもどこで手に入れるつもりなの? これまでの道中でも墨汁を落とすような敵なんかいなかったよね』


 アヤメの発言に希望の満ちた目となった乃亜だけど、ここに来るまで倒した敵は〔成長の種〕といった強化アイテムを落とすだけで、墨汁なんかはドロップしなかったからそう簡単には手に入らない。下手すれば墨を地道に磨ることだけが近道なんじゃないかとすら思うよ。


「……ねえ。あれ」

『どうしたのオルガ?』


 僕らがどうすれば墨汁が手に入るか頭を悩ましていた時、オルガが何かに人差し指で指し示しながら僕らに声をかけてきた。

 オルガがそっと指をさして示しているもの。それは――


『スミ~?』


 何故自分が指をさされたのか分からないといった様子の巨大なデフォルメのスミと鳴く僕――スミ僕だった。


「……泣かせれば、黒い液体が流れるって話」

「「「「「『『あっ!』』」」」」」


 オルガに言われてようやくその考えに至った。

 【泉の女神】は『空になった容器を墨汁でいっぱいにしろ』と『涙が水を黒く汚染してしまう』と言っていた。

 つまりその2つのセリフは、墨を磨る必要はなく、涙を集めて容器をいっぱいにすれば達成できると暗に示していたということだったのか。


「つまりあれを泣かせればいいと。簡単な事だね」

「そうね。墨を磨り続けるよりよっぽどいいわ」

『スミッ!?』


 ソフィアさんと冬乃が獰猛な笑みを浮かべながらスミ僕に近づくと、泉に浸かっているそれは若干後方に下がって怯えた様子を見せていた。


『ス、スミ~~!』


 不穏な空気を察したスミ僕が慌てて泉の中に戻ろうと、僕らの方を向いていた体を180度回転させようとする。

 だけどその巨大な体では水の抵抗が大きいのかかなりゆっくりとしか動けていなかった。


『ふふっ、逃がしませんよ……』


 違った。

 水の抵抗だけじゃなくて【泉の女神】が私怨、ではなく支援してくれているお陰か、水を操って動き辛くしてくれているみたいだ。


「逃がさないよ。[エクスターナルデバイス]展開」


 ソフィアさんは逃げようとするスミ僕を捕まえるためか、機械の鎧と6本の翼を身に纏い、空を飛んで近づいていった。


『スミー! スミ―!』

『止めてー助けて―、なんてどの口が言うのですか。せいぜいたっぷり泣かされればいいんです』


 そう言いながら僕を見るの止めません?

 あっちの僕なら好きにしていいんで、その怨念を僕に向けないでくださいね。

 

 それにしても敵相手に直接害する事が出来ないはずだけど、泣かせるのが目的だからグレーゾーンギリギリセーフなのかな?

 アウトだったら出来ないから問題ないんだろうけど。


「よし、捕まえた」


 空を飛んでいったソフィアさんはスミ僕の髪を掴んで引っ張るけれど、残念ながらその体格差からスミ僕を泉に戻らせないようにするのが精一杯で、ピクリともそこから動かせていなかった。


「咲夜も手伝う」


 そう言って咲夜が取り出したのは〔傷跡のない恍惚なるアンフォゲッタブル痛みペイン〕。

 あの鞭は攻撃した相手に対して必ずノックバックが発生する効果だけど、泉のほとりで使っても泉の中心に押しやってしまうだけなのでは?


 そんな僕の心配は杞憂だった。


「えい」


 どこか気の抜ける声で放たれた鞭はスミ僕の腕にクルクルと巻き付き、ノックバックが発生してもそのまま引き寄せることで泉の中心に追いやる事なく捕まえてしまった。


「ナイスだよ! そのまま息を合わせて引っ張るよ」

「分かった」


 ソフィアさんに髪を引っ張られ、咲夜に腕を引っ張られるスミ僕は抵抗虚しく泉の外に連れ出されてしまった。


『ス、スミ~』


 ガタガタと震えているスミ僕はまるで酷い事しないでと言っているかのようで心が痛い。

 自分自身と言っても過言ではないのでこの気持ちは仕方がないことなのかもしれない。


「では覚悟してくださいね、先輩♪」

『スミーーーーー!!!』


 怯えて尻もちをつきながら後ずさりするスミ僕がポロポロと流す涙は確かに黒かった。

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