幸福の七色オムレツ

しらは。

第1話

「俺の人生で、あのオムレツほどうまかった料理はない」


 それが父の口癖だった。

 父はそれを『幸福の七色オムレツ』と呼んでいた。

 そのオムレツは七色に輝き、一口食べればそれだけで幸福になれるという。


「いいか、リック。俺はいい父親じゃなかったが、教えられることは教えたし、残せるものは残したつもりだ。あとお前に必要なのは幸福のオムレツだ。忘れるなよ」


 父は死んだがその言葉は忘れられず、僕は長い旅の末そのオムレツが食べられるという宿、ヒバリ亭へたどり着いた。


 そこはいわゆる冒険者の宿というやつで、気風の良い女将さんが一人で切り盛りしているという。


 宿の扉を開けると、「いらっしゃい!」と威勢の良い声で噂の女将さんが出迎えてくれる。


「この店にある『幸福の七色オムレツ』をいただきたいのですが」


 しかし、女将さんは僕の言葉に苦笑いを浮かべる。


「わるいねぇ、ウチにはそんなメニューはないよ。普通のオムレツでよければ出せるんだけれど」


 僕は狼狽えた。店の名前を間違えたのだろうか。自問するが、そんなはずはない。


「もしかして裏メニューだったりするんでしょうか。お金の問題であれば、多少持ち合わせはあるのですが。いや、そうか、先代の店主が作っていらしたんでしょう。そうに違いない」


「残念だけどお客さん、ぜんぶ外れだよ。ウチには本当にそんな名前のメニューは無いんだ。お金の問題でもないし、父の代だっておんなじさ」


 僕は困り果て、正直に事情を話すことにした。


「そうかい、お客さんの父親がねぇ」


「はい。父は意味の無い嘘をつくような人ではありません。『幸福の七色オムレツ』は必ずあるはずなんです」


「こまったねぇ。そんなこと言われてもメニューに無いものは出せないし、とりあえず今日は普通のオムレツで手を打たないかい」


 これ以上女将を問い詰めても埒が明かないと悟った僕は、仕方なく普通のオムレツを注文した。

 それはたしかに美味しかったが、七色でもないし、完食したが特に幸福になるわけでもなかった。


 僕は、藁にもすがる思いで隣の冒険者に声をかけることにした。


「すみません、この宿に『幸福の七色オムレツ』という料理があると聞いてきたのですが、何か知りませんか?」


 立派な赤髭をたくわえた偉丈夫であるその冒険者は、ちらりと横目にこちらを見ると、低い声で答えた。


「知ってるよ」


「えっ、ほんとに?」


 思わず声が出て、赤髭の冒険者を観察してしまう。

 年齢は40がらみ、顔には古い傷跡が残り、黙って杯を傾けるその様はまさに歴戦の冒険者のものだった。


 この男なら信用できそうだ。

 僕は思わぬ幸運に感謝し、男に近寄る。


「いや、あなたのことを疑っているわけではないんです。失礼しました。それで、教えてほしいんですが、どうすればそのオムレツは食べられるのでしょう」


「教えてもいいが、条件がある」


「お金ですか、多少用意はありますが、おいくらでしょう」


「そんなもんはいらん。俺たちの冒険についてくること。それが条件だ」


 一瞬、男が何を言っているのか分からず、黙ってしまう。

 たしかに父から譲り受けた剣を腰に下げてはいるが、自分は冒険者の仕事などやったこともないし、なろうと思ったこともないのだ。


「その条件が飲めないなら、話は終わりだよ、坊主」


 男は憮然とした態度でそう言い、僕から視線を逸らす。

 もしかしたら他の人に聞けば、お金で教えてくれるかもしれない。

 そんな可能性も頭をよぎったが、逆にここで断ったらもう食べられる機会は永遠に来ないかもしれない。


 よく言うではないか。チャンスの女神には前髪しかない、と。

 僕は覚悟を決めて男に頭を下げた。


「冒険者としては新人ですが、それでもよければ、よろしくお願いします」



 ********



 カサンジという名前のその男に連れていかれた冒険の旅は、そりゃあひどいものだった。

 何度も死にかけたし、せっかく手に入れたお宝をふいにしたことも一度や二度じゃない。

 魔導士の呪いにかかったし、エルフの毒矢に襲われたこともあった。


 そんな長い冒険の旅を終え、ヒバリ亭に帰ってきたときには、季節は一巡し春になっていた。

 土や風の匂い、少し傾いた風見鶏と、遠くからでも聞こえる同業者たちの喧騒に、涙が出そうなほどの郷愁を感じた。


「なんだよ、ヒバリ亭を見てウルっときちまったのかい、リック」

「……リックは泣き虫だから」


 お調子者のフーシェが茶化すように言うと、クロエがいつもの毒舌で応え、みんなが笑う。

 この一年の間にすっかり慣れてしまった、このパーティのいつものパターンだった。


「でも、リックの気持ちも分かるな。私も、冒険が終わってヒバリ亭が見えるとなんだかほっとするから」


 パーティの頭脳であるレイラが少し恥ずかしそうに言うと、マーカスとファニの兄妹も同意するように頷く。

 カサンジは僕の背中をバシバシ叩くと、豪快に笑った。


「たしかにな。でもまだ感動すんのは早ぇぞリック、帰って祝杯を挙げるまでが冒険なんだからな!」


「それはあんたが飲みたいだけだろ」


 僕はせめてもの抵抗にカサンジを肘で小突くが、たしかに今すぐあそこに帰って一杯やりたい気分だった。



 ********



「それで、初めての冒険はどうだった?」


 みんなで乾杯し、ほどよく酔いがまわってきたころ、カサンジが僕に問いかける。

 僕は少し考えてから、結局正直に答えることにした。


「最悪だった」


 気付けばパーティのみんなも静かに僕の言葉を聞いていた。


「最初の魔物退治ではゾンビどもに殺されかけるし、そのゾンビが発生した原因だっていう魔術師に会いに行けば呪いをかけられるし、呪いを解くための材料を集めようとすればエルフに攻撃されるし、色々あったわりに実入りは少ないし、ホントやってられるかって感じだよ」


 僕はそこで一度言葉を切り、ぐいっとエールを飲み干すと、テーブルに叩きつける。


「次は絶対に、もっとうまくやってみせる」


 待っていたのは仲間の爆笑だった。

 僕も多分、笑顔になっていたと思う。


「笑いごとじゃないぜ、僕が何回死にかけたと思ってるんだ」

「おうおう、罠の見つけ方も知らないド素人がなんか言ってるぜ」

「そうそう、私たちがどれだけ苦労したと思ってるの」


「……でも今回は、フーシェもひどかった」

「ああ、あの不用意に宝箱持ち上げたら矢が飛んできたやつ」

「バカヤロウ、あそこで鍵開けるより安全な場所まで持って行った方がいいと思ったんだよ」


「レイラも一人だけ毒飲んじゃったときあったよねぇ、リックでさえ怪しいと勘づいてたのに」

「あ、あれはしょうがないでしょ! 出されたお茶に誰も手をつけないとか失礼じゃない!」

「っていうかおい、リックでさえってどういう意味だこら」


 次から次へと、冒険の思い出が飛び出しては、そのたびにみんなで腹を抱えて笑う。

 そんな時間がいつまでも続き、このまま朝まで終わらないんじゃないかと思ったそのとき、女将さんが大きな皿を持ってやって来た。


「ほら、ご注文のオムレツだよ。食べとくれ」


 それは、たしかに七色のオムレツだった。

 皿一杯に広がった卵に、色とりどりの様々な具材が散りばめられ、それぞれが宝石のように輝いていた。


 そうだ、僕はたしかにこのオムレツを求めてヒバリ亭にやって来たんだった。


「すごいな。これが『幸福の七色オムレツ』か。でもなんで急に作ってくれる気になったんだ?」


「何言ってるんだい、これはただのオムレツだよ」


「ただのオムレツって、そんなバカな。僕が最初の日に食べたのは卵だけのシンプルなやつだったじゃないか」


「うちは具材の持ち込みは自由だからね」


 女将さんはそう言って、お茶目にウインクして去っていく。

 僕は言葉の意味が分からず、混乱していた。


 僕はそこでようやく、仲間たちが笑いをこらえながら僕を見ていることに気付いた。

 カサンジが大きく頷く。


「ここの決まりなのさ。初めての冒険を終えた新人にはオムレツを食わせてやる。その具材は、新人を歓迎する人間が一人一品ずつ持ち寄るっていう、な」


 僕はあらためて七色オムレツを見つめる。

 肉や野菜、果物にチーズなど様々な具材が6種類。

 そして仲間の数は……こちらは数えるまでもない、本気で命を預けてもいいと思える、そんな大事な仲間が6人。


 僕はおもわず口を開く。


「やめろよな、こういうの」


「……リック、恥ずかしがってる」


 クロエの的確なコメントが入り、テーブルは再び爆笑に包まれる。

 そりゃ、こんなサプライズを受けて嬉しくないはずがない。


 僕が何も言い返せずにいると、カサンジと目が合う。

 彼は、今まで見せたことのない真剣な目で僕を見ていた。


「リック、ようこそヒバリ亭へ。俺たちはお前を歓迎する」


 そのあと、みんなで『幸福の七色オムレツ』を食べた。


 親父の言っていた通り、こんなにうまいオムレツを食べたのは初めてだった。

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幸福の七色オムレツ しらは。 @badehori

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