東京百景
祐喜代(スケキヨ)
その一 上京前夜
「ワタシ、変ですか?」
僕が10年近く住んだ古巣の仙台を離れて上京したのは、その言葉が口癖になってしまっている女の子との出会いがきっかけだった。
彼女とはブログを通じて知り合った。
僕が自分のブログに掲載していた連載小説を彼女が読んでくれて、一読者ファンとしていつもコメントをくれた。
彼女も『苺』というハンドルネームでブログをやっていて、自分の精神疾患についての苦悩や、人間関係に対する不安などを毎日綴っていた。
お互いにブログのコメントでやり取りを繰り返すうちに、僕たちはいつしかネット内で疑似兄妹関係を演じるくらいに仲が良くなっていた。
「お兄ちゃん、時間があったら今度東京に遊びに来てよ」
そろそろ仙台も飽きたな。
ちょうどそんな心境だったので、僕はその誘いに乗り、春の連休を使って東京にいる妹に会いに行ってみた。
夜行バスで朝早くに東京の新宿に着き、10時くらいに京王線の新宿駅で待ち合わせをした。
彼女に指定された待ち合わせ場所に行くと、紺色のワンピースを着た清楚な雰囲気の女の子がキョロキョロしながら待ち合わせ場所にいた。
ネットで事前にお互いの顔は知っていた。
僕が「苺ちゃん?」と声をかけると、振り返った苺ちゃんが僕を見て「お兄ちゃんっ!」と、急に抱きついて来た。
「お兄ちゃん」という関係でずっとやり取りしていたから、間違いではないんだけど、本当のお兄ちゃんではないから、初めて会った異性が急に飛びついて来た状況に正直かなり慌てた。
僕が困惑していると、苺ちゃんも我に返り、パッと僕から離れて「ワタシ、変ですか?」と呟いた。
「変じゃないよ」
「でもお兄ちゃん、今そういう顔してたよ」
そんな顔をしたつもりはないはずだけど、変だとは思ったのは確かだった。
本当の妹は抱きついて来ない。
抱きついて来るような妹は少女漫画の世界にしかいないと思っていた。
苺ちゃんも僕も他人の感情に敏感に反応するところがある。
ブログで「人に会うのが怖い」と主張し続けていた苺ちゃんの華奢な体は、ほとんど外出しないからなのか、その言葉を証明するように、肌が抜けるように白かった。
少しクールダウンした後、「どこ行きたいですか?」と苺ちゃんが聞いて来たので「ん~、荻窪かな?」と、咄嗟に出て来た地名を言ってみた。
「あっ、そこなら美味しいケーキ屋さんがありますよ」
「そうなんだ、じゃあそこ行こう!」
二人で中央線に乗り、荻窪へ向かった。
この移動中も、苺ちゃんは会話の途中で何度か僕の顔を見て「ワタシ、変ですか?」と尋ねて来た。
「別に変じゃないよ、どうして?」
精神疾患があるような雰囲気はどことなくあるけど、はっきり「変だ」と言えるようなところは見当たらない。
強いて言うならその質問が変だ。
「そもそもネットで兄妹のふりをしている時点で、僕らは世間的に変だと思うから、別に気にしなくていいんじゃない?」
「じゃあ、やっぱり変だと思っているんですね」
些細な事を気にして落ち込む苺ちゃんを見て、生きづらそうだな、と思った。
苺ちゃんにしろ僕にしろ、「自分は変だ」と思うその自覚はどこから来るのだろう?
お互いに仕事もして、自立もして、裕福ではないけど人並みの生活をしている。
人様に迷惑をかけるような犯罪をして来たわけでもない。
でもなんか人と比べて「自分は変だ」という自覚があって、そこに罪の意識もある
なんでだろう?
「ケーキ屋さんは荻窪じゃなくて、西荻にあるんで、ここで降りましょう」
考えているうちに、西荻窪に着いたので降りた。
その日の東京は気持ちの良い青空で、一日中晴れそうな天気だった。
「ここです。ここのケーキが美味しいんです」
「こけし屋」という、レトロな喫茶店だった。
僕は普段ケーキをあまり食べない。
自分で買う事もほとんどなくて、誰かにもらった時に食べるくらいだった。
でも今日は妹の行きたいところに行って、妹の食べたい物を食べようと思っていた。
だからケーキも食べてみる事にした。
「ワタシ、ケーキ二つ食べてもいいですか?」
「いいよ」
もし僕が「ダメっ!」って言ったら、苺ちゃんはまた「ワタシ、変ですか?」って、言うような気がした。
店員さんに新作のケーキを勧めてもらい、それにプラスしてティラミスとブルーベリージュースを注文した。
ブログを通してお互いの事はわりと知っていたから、いざ会ってみると何話していいかわからなかったりする。
繊細な者同士だから、表情や間に気を付けないとお互いに気まずくなったりするかな?とも思ったけど、苺ちゃんは意外にも僕の沈黙をあまり苦にしていないようだった。
むしろ沈黙している時の方が安心しているように見えた。
変に取り繕ったりしても、この子にはすぐ分かる。
相手に気を遣わせたと思った時に、きっと彼女は「ワタシ、変ですか?」って言う癖があるんだと思う。
ケーキは確かに美味しかった。
「次どこに行きたいですか?」
「天気良いから公園に行きたい」
「じゃあ一駅先の吉祥寺まで行きませんか?あそこに井の頭公園っていう公園があるんですけど、ワタシあそこの公園が好きなんです」
僕の上京は、苺ちゃんと行ったこの井の頭公園で決まった。
初めて吉祥寺駅に降りた時、ジャンクフードの臭いがすごくしたのを覚えている。
南口の丸井デパートから井の頭公園に抜ける小道は、お洒落な雑貨屋さんなどが軒を連ねていて、住みやすそうな町の印象を僕に与えた。
小道を進むと公園の緑が見えて来て、年季の入った老舗の焼き鳥屋がある階段を下ると、駅前の雑踏が嘘みたいなオアシスに入った。
ひょうたん型の大きな池の真ん中に橋が架かり、ベンチがたくさんあった。
休日の公園ではフリーマーケットをやっているらしく、自作の小物やイラストを売っている人がいたり、変わった民族楽器を演奏している人がそれぞれ公園を楽しんでいた。
「ここ超良いね」
「でしょ? ワタシも彼氏とよくここに来るんですよ」
苺ちゃんに彼氏がいるのは知っていたけど、会った時にそんな素振りを全然見せない感じが少し気になっていた。
疑似の兄妹でも、この線引きはちゃんと守らないといけない。
彼氏がいるのであればなおさらだ。
苺ちゃんはたまにさりげなくその線を越えようとする。
電車の中でも「人が多くて怖い」と呟きながら、つり革ではなく僕の腕に捕まったりしていた。
僕が本当の兄だったらそれでもいいのかも知れないけど、距離が近すぎるとやはり異性として意識してしまう。
「これって、デートになるんですかね?」
日当たりの良いベンチに二人で座り、しばらく池をぼんやり眺めていたら苺ちゃんがそう尋ねて来た。
「どうだろうね?一応兄妹だから、デートではないかもね」
「そうですよね」
しばらく黙っていたら、「ワタシ、変ですか?」とまた呟いた。
「別に変じゃないよ」
「変ですよ、絶対」
「そっか、じゃあ変かもね」
そう言うと今度は苺ちゃんが黙って、池を眺めていた。
たまに目が虚ろになり、浅い池の果てしない底を覗き込もうとしているように見えた。
「彼氏とはうまく行ってるの?」
このまま沈黙してはいけないような気がした。
「はい。いつも優しいです。病気の事も理解してくれてます」
「そっか、良かったね」
「でも優しいから、いつも迷惑になってないか不安です。いつか嫌になって見捨てられる気がして」
「優しい方がいいんじゃないの?」
「嫌いなら嫌いと言ってくれた方が楽です」
「そうなんだ」
「ワタシ、変ですか?」
「うん、変だっ」
半ば開き直って笑いながら言ってみた。
「どのへんが変ですか?」
「ん~わかんない。でも嫌いじゃない」
「ホント?」
「うん」
「池の周り歩いてみよう」
苺ちゃんの機嫌が少し上向きになったので、池をゆっくり一周してみた。
「ここの池のボートにカップルで乗ると、池の弁天様に嫉妬されて別れるみたいですよ」
「乗った事あるの?」
「ないです」
二人でボソボソ話しながらジブリ美術館があるエリアにも足を伸ばした。
一通り散策したら、この公園がすっかり気に入って、絶対そのうち吉祥寺に住もうと思った。
この公園のベンチで本を読んで、小説を書くと決めた。
「次、どこ行きます?下北もいいですよ」
苺ちゃんに言われるまま京王井の頭線に乗って、下北に移動した。
古着屋と雑貨屋を回り、二人でお昼ご飯を食べた。
午後も下北のお店をあれこれ回った。
「東京案内してもらったお礼に何か買ってあげるよ」
雑貨を眺めながら、「これ可愛い、欲しい」と呟く苺ちゃんにそう言ってみたら、彼女は首を横に振って、どれも遠慮した。
優しさに甘えて強請ったら、僕に嫌われると思っているのだろうか?
嫌わない自信はあったけど、兄という設定上好きになってもいけない関係だから、だんだんどう振舞っていいかのか分からなくなってきた。
「ちょっと忘れ物取りに行きたいので、一回家に戻ってもいいですか?」
「ん、忘れ物?……別にいいけど」
滅多に外出しない苺ちゃんを連れ回したから、少し疲れたのかもしれないと思った。
「無理しなくていいからね」
「うん、大丈夫。ホントに忘れ物取りに行くだけだから」
苺ちゃんは八王子に住んでいた。
下北から家まで戻って往復したら2時間くらいはかかる。
「じゃあ、夕方くらいにまた新宿駅で待ち合わせしよう」
「わかりました」
下北で一度別れ、それからまた新宿で会って飲み行く事にした。
内心ちょっとホッとしつつ、一人にして良かったのか?と、心配にもなった。
とりあえず新宿に戻り、紀伊國屋書店で本を物色しながら時間を潰した。
その日はネットカフェに泊まる予定だったので、暇を潰せる小説でも買おうと思った。
予定よりも早く苺ちゃんから携帯の着信があり、「今、新宿駅にいるから早く来て!」とひどく慌てた様子で、すぐに電話が切れた。
待ち合わせ場所に着くと、不安げな顔をした苺ちゃんがまた僕に抱きついて来た。
「どうしたの?」
「電車の中で痴漢されて、さっきまでずっと付き纏われてたの」
言葉は慌てていたけど、密着した苺ちゃんの呼吸に乱れはなく、ひどい動悸も感じなかった。
「もういないみたいだから大丈夫だよ」
「……ホントに怖かったです」
「よくあるの?」
「たまにあります」
「気を付けた方がいいよ」
苺ちゃんの精神疾患についてはよく分からないけど、咄嗟に不安になったりするんだろうと解釈した。
痴漢でなくても東京の街を彼女みたいな子が一人で歩くのは不安だらけだろう。
それと僕がもう仙台に帰ってしまって、連絡がつかなくなると思ったのかもしれない。
「送るから今日はもう家に帰った方がいいかもしれないよ」
「え?でも……大丈夫です」
「ホント?」
「うん」
とりあえず苺ちゃんが落ち着くのを待ってから新宿西口の居酒屋に入った。
僕はビールで、苺ちゃんはレモンサワーを注文した。
苺ちゃんはお酒をそんなに飲めないらしく、一杯飲んだだけで気分が悪くなる時もあると言った。
「無理して飲んだらダメだよ」
「はい、でも大丈夫です」
酔うとどうなるんだろう?
一杯目のビールをすぐに飲み干す僕とは対照的に、苺ちゃんの飲み方は恐る恐るアルコールを口にする感じで、ゆっくりだった。
「彼氏と飲み行ったりするの?」
「あまりないですけど、たまに飲みに行く時もあります」
ブログでは何でも話せる子って感じの印象だったけど、実際会って見ると、やっぱり何を話していいのか戸惑う時がある。
ブログと何が違うんだろう?
個室の居酒屋に二人きり。
周囲に誰もいないのだから、気兼ねなく何でも話せる環境ではある。
でも何か違った。
お互いの生身の肉体が邪魔している。
そんな気がした。
僕と苺ちゃんは言葉で綴った精神の交流だけがベストな関係なのかもしれない。
酔っても特に会話が弾む事はなく、僕だけが杯を重ね、無駄に時間が過ぎていった。
「今日はどこに泊まるんですか?」
「ホテルとか予約してないから、ネットカフェにでも泊るよ」
「ワタシはどこに泊まったらいいですかね?」
てっきり家に帰るつもりだと思っていたので、質問の返答に困った。
「変な意味じゃないですけど、二人でラブホに泊まったら変ですか?」
ようやく苺ちゃんのこれまでのおかしな言動や態度の意味が理解出来た気がした。
兄妹という設定の出会いだから否定し続けていたけど、苺ちゃんの方には僕に対する恋愛感情もあるようだった。
でも僕の方には今更男女の一線を越える度胸まではなかった。かと言って「一応兄妹だから」と慰めるのも変だし、嫌いじゃないけど、「好き」という気持ちを受け取る心の準備をまったくしていなかった自分を責めるしかなかった。
今日一日兄として接した自分の気遣いだったり優しさが裏目に出て、苺ちゃんはずっと傷ついていたのかもしれない。
「彼氏いるんだから、何もなくてもラブホに泊まるのはやっぱり変だよ」
「彼氏には友達に家に泊まるって言って、了解もらってます」
僕とどうにかなる了解まではしていないし、してもらえるはずがない。
「悪いけど、今日はネットカフェに泊まるよ」
2時間くらい一緒に飲んでから店を出た。
「駅まで送るよ」と言ってみたけど、「遠いからワタシもネットカフェに泊まります」と言って、結局僕について来た。
こういう時、真面目でも不真面目でもない自分を呪う。
傷つけないように配慮した結果、優柔不断でどうしたらいいのかわからなくなる自分を心底呪う。
同じネットカフェに入って別々の部屋に泊まった。
しばらくすると「変な人に覗かれて怖いから」と理由をつけて、苺ちゃんが僕のところに来た。
「落ち着くまでここにいていいから」
マットレスタイプの狭いスペースに身を縮めて、ただ二人でそこにいた。
いつの間に眠ったのか、起きると側に苺ちゃんの姿はなく、僕の上にブランケットがかかっていた。
苺ちゃんがどうしたのか気になりつつ、酔って疲れていたのでそのまま寝た。
明け方になって再び起きてから、苺ちゃんのブースへ行ってみたけど、苺ちゃんは既に店を出たようだった。
携帯のメールに「また会いましょう」という、苺ちゃんからのメッセージだけが残っていた。
「うん、また会おうね」そう返信してから、僕が東京に上京するまで、僕たちはブログでも交流がないまま過ごした。
東京に引っ越し、都会の生活にも少し慣れた頃合いを見て、なんとなくもう一度苺ちゃんに連絡を取って会ってみた。
池袋のサンシャインで待ち合わせした苺ちゃんは相変わらず華奢で清楚だったけど、前より日に焼けて健康的になっていた。
「そういえば、ワタシ彼氏と同棲する事になりました」
カフェに入ってそんな報告を受けた時、何かすっきりした気持ちになった。
大学を卒業してからブログの更新も止めたらしく、新しいバイトなんかも始めたと、楽しそうに話す。
「吉祥寺住んでみてどうですか?楽しいですか?」
「うん。おかげで楽しい」
ワタシ、変ですか?
一応警戒はしていたけど、その日苺ちゃんは、あの時のような口癖を一度も呟かなかった。
それが上京前夜。
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