華胥

海猫ほたる

華胥

 僕の父は大学生の時に映画『戦争と人間』の第一部を観に行って、そこで母と知り合ったそうだ。

 

 『戦争と人間』は、上映時間が三時間もあるような長編映画だそうだ。

 母も一人でこの映画を観に来ていたらしい。


 その時、母の隣の席に座った男が母に痴漢をした。

 でも、その事に気付いた父によって、痴漢は撃退された。

 

 それ以降、父と母は連れ立って映画を観るようになった。

 父と母は、一緒に『戦争と人間』の、第二部と第三部の上映も観に行った。


 『戦争と人間』は、第一部だけでなく、第二部・第三部もそれぞれ三時間の上映時間がある長編映画だった。

 けれど、父と母は、終わった後も感想を言い合ったりして、映画をきっかけにすっかり仲良くなっていたそうだ。



 その後、父と母は、『人間の條件じょうけん』と言う映画のリバイバル上映を二人で観に行った。



 『人間の條件じょうけん』もまた、一本あたりの上映時間が三時間もあり、そして三部作だった。

 その映画の三部作を、二人は一緒に観た。

 そして、三部作目を観終わったその日に、父は母にプロポーズして、結婚した。



 僕が産まれたのは、それからしばらく後の事だった。



 1989年の4月15日。

 天安門事件があった日に、僕はこの世界に生まれた。



 あれは、僕が小学校六年生の時の事だった。



 その日は日曜で、子供だった僕は、両親と一緒に、車で遊園地に出掛けた。


 遊園地で一日中遊んだせいで、僕は帰ってきたら、クタクタになってすぐ眠ってしまった。

 

 いつもだったらそのまま朝まで起きないのだけれど、その日はなぜか、夜にふと目が覚めてしまった。

 そして、目を擦りながら居間に行くと、両親は何も言わずにテレビを見ていた。


 テレビの画面には、ビルから煙が上がっている映像が映っていた。

 けれど、僕その時の僕は、それが何を意味しているのかよく分からなかった。

 両親に聞いても何も返事がなくて、結局また布団に戻ったらすぐ眠ってしまった。



 それから月日が流れ、僕は大人になった。



 僕と彼女が出会ったきっかけは、SNSだった。


 僕達は、Y大学卒の劇作家・神田川修司が座付き作家を勤める『劇団キャメルステーキ』のファンコミュニティで知り合った。


 そして、Y大学の近くにあるT駅で待ち合わせをして、二人でキャメルステーキの新作演劇を観に行った。

 彼女は、長く伸ばした黒髪に、チェック柄のシャツを着た、眼鏡が良く似合うY大学の学生だった。

 


 彼女が産まれたのは、1990年8月2日。

 湾岸戦争の始まった年だ。



 僕達は、生まれた時から、何かの運命に縛られていたのかもしれない。



 僕達はI駅まで電車に乗って、六十階建てのビルの中にある劇場で、劇団キャメルステーキの演劇を観た。

 演劇のタイトルは『鯖男さばおとこ』と言った。

 

 世界中の人が次々に鯖缶さばかんに変わってしまうと言う内容の、シュールなSFだった。


 僕は、内容が難しくてあまりよく分からなかったけれど、鯖缶さばかんに変わってしまったヒロインを、主人公が泣きながら食べるシーンは何だか胸にジーンと来た。



 僕と彼女はその後、ビルの中にある店で餃子を食べて、I駅の近くのホテルにチェックインした。

 部屋の中にハイビスカスの絵柄が描かれたパチスロ機が置いてあるようなホテルだった。

 

 彼女はホテルに着いても、ベッドに座ってから一時間余りは鯖男についてあれこれと自分の考えを語り続けていた。

 僕は彼女が話し終わって一息ついた所で彼女の唇を奪って、そのまま服を脱がせた。

 そうして僕たちは、それから付き合い始める事になった。

 

 

「ねえ、あなたは何をしている人なの?」

 彼女は僕にそう聞いた。

 僕たちはSNSで知り合って、お互いの趣味の事はよく話したけれど、僕は、仕事の事はSNSではあまり話さなかった。

 


「二次創作ゴロって知っているかい」

 僕は彼女にそう言った。

 

「二次創作ゴロ?知らないわ。そんな仕事、本当にあるの?」

 

「ああ、あるとも僕の仕事は……」



 僕の仕事は、二次創作ゴロと呼ばれている。

 作家……と呼ぶには烏滸おこがましい仕事さ。

 僕は、パトロンの為に二次創作の小説を書くのが仕事だ。

 パトロンは、高尾山や軽井沢など、いろんな所に別荘を持っているんだ。

 パトロンは一人じゃない。

 毎回、一つの別荘に何人かのパトロンが集まるんだ。

 別荘の駐車場に、高級車がずらっと並んでいる様はなかなか壮観だよ。


 そして、その別荘にパトロンは女性を連れて行くんだ。

 そこでいやらしい事をするのかって?

 そうだね。半分合っているけど、半分は違う。

 女性は、僕の書いた二次創作を音読するんだ。

 

 いやらしい内容の時もあるけど、大抵はいやらしくない。

 いや、そもそも書いた自分でも内容はよくわかっていない。

 なんだか簡単な事を、最もらしく、難しく言い回すんだ。

 内容は難しければ難しい程良いとされるんだ。


 その、僕が書いた自分でも何だかよく分からない、難しい内容を女性が音読したのを聞いて、パトロンは興奮する。

 そして僕に報酬が支払われる、そういう仕組みなのさ……

 

 

 僕の話を聞いて、彼女はちょっと、いや、かなり引いたみたいだった。

 僕は慌てて、付け加えた。

 

「二次創作ゴロはあくまで生活の為に仕方なくやっているだけさ。本当は作家になりたいんだ」

「作家?」


 嘘だった。その時の僕は、本当は二次創作ゴロで満足していたんだ。

 

「ああ。コンテストにも何度か応募しているんだ。今書いているのは、ちょとした新人賞さ」


「それに受かったら、なにか貰えるの?」


「ああ。大賞に選ばれれば十万円。佳作でもカードが貰えるんだ」


「カード?」


「うん。カード。アメージングショッピングのギフトカード」


「アメージングショッピング……貰えると良いね」

 彼女はそう言って笑った。

 

 僕も、つられて笑った。 

 

 

 彼女はY大学を卒業して、T駅の近くにあるゲーム開発会社に就職した。

 彼女はゲーム開発会社で、シナリオライターになった。

 

 僕はといえば、相変わらず、二次創作ゴロを続けていた。

 

 僕らは、I駅の近くのホテルに何度か通う、ホテルの常連になった。

 

「ねえ、コンテストにはまだ受からないの?」

 彼女はホテルで僕に聞いた。

 

「ああ。コンテストってさ、なかなか受からないんだよ。狭き門、てやつさ」


「狭き門、か」

 彼女は僕の言葉を反芻するのがくせだ。

 

「そう、狭き門。世間はなかなか僕を見つけてくれない」


「二次創作ゴロはまだ続けているの?」


「ああ、続けてる。二次創作ゴロといえど、続けるのは結構難しいんだ。パトロンからは毎年、審査があるんだ。審査にちゃんと通るような作品を仕上げていかないと、次の仕事が貰えないんだ」


「そうなんだ」


「うん。審査に通らない二次創作ゴロはどうなるか知っているかい。パトロン達は瀬戸内海の島をいくつも買っていて、審査に通らない二次創作ゴロは島に連れていかれる。そして島にある工場で、延々と単純作業をさせられるんだ。たとえばボールペンを延々と箱につめていくような、ね」


「なんでそんな事をするの?」


「単純作業をしている間に、新しい二次創作を考えるんだ。そして、再び審査の日がやって来る。そこで落ちたら、また単純作業に逆戻り。審査に通るまで、それが続くんだ」


 僕の話を、彼女は以前ほどは楽しそうに聞いてくれなくなっていた。

 彼女は仕事が忙しいらしく、時々疲れたような顔をした。

 

 

 ある時、僕らはいつものようにホテルに泊まった。

 その夜の営みが終わった後、二人でホテルのテレビを見ていた。

 

 そこで番組は、朝まで王テレビに切り替わった。

 

「あ、この番組知っているよ」

 僕は彼女にそう言った。

 

「私も、この番組は好き」


「誰だっけ、この司会の人。たしか、とりご……」


「違う」

 彼女は僕の言葉に被せるように言い放った。


「違う?」


「違う。田原さんよ。田原総一郎さん」


「そうだっけ」


その時の彼女はとても不機嫌そうだった。

仕事が立て込んでて、ストレスが溜まっているらしい。



 僕たちは、それから会う頻度がだんだん下がって行った。

 久しぶりに会ったのは、2020年の2月だったと思う。



 僕は三十一歳になっていた。

 

 

 僕達は久しぶりに会って、いつものように、あのホテルに二人でチェックインした。



「ねえ、あなたはまだ二次創作ゴロをやっているの?」

 彼女は僕にそう言った。

 

「ああ。やっているよ」

 それが、彼女と僕との、いつもの挨拶になっていた。

 

「あなたは、二次創作ゴロをやる前は何をしていたの?」

 彼女は煙草に火を付けながら聞いた。


 煙草を吸うようになったのか。僕はその時、初めて気がついた。

 

「昔は、半島にいたよ」


「房総半島?」


「いや、韓国」


「韓国?」


「ああ。液晶を作る大きな工場があるんだ。そこで働いていた。実は、今のパトロンを紹介されたのもそこなんだ」


「へえ、韓国語できるんだ」


「いや、全然」


「全然?それなのに韓国で働いていたの?」


「ああ。仕事は日本人が教えてくれるし、住み込みで寮に入っているから、外にはあまり出ないし、その他の事は、その時その時でなんとかなるものさ」


「それって、大丈夫なの?」


「何が?」


「ビザとか」


「ビザ?」


「あ、待って。テレビ」

 そう言って彼女はリモコンを取り出して、ホテルのテレビを付けた。

 

「私、ニュースがずっと気になってて、昨日もずっと見ていたの」

 彼女はテレビのチャンネルを夜のニュース番組に変えた。

 

 テレビには、大型のフェリーが映し出されていた。

 その日、会話はそれっきりで、彼女がフェリーのニュースを食い入るように見つめているのを、傍目で見ていたら夜が老けていった。



 次に彼女に会ったのは、翌年の二月だった。

 僕達はお互いにマスクをして会った。

 

「何だか、変な世の中になっちゃったね」

 僕がそう言うと。


「うん」

 彼女は頷いた。

 久しぶりに会った彼女とは、殆ど会話をしなかった。


 僕が話しかけても、あまり返事を返してはくれないし、返しても一言二言だけだった。

 僕たちはいつものようにホテルに泊まり、無言で体を重ねた。

 

 終わった後も会話がないのが何だかやりきれなくて、僕はテレビのスイッチを付けた。

 テレビには、ミャンマーの町が映し出されていた。


「ミャンマーって、昔はビルマっていったよね」

「うん」


そう言いながら彼女はテレビをずっと見続けていた。

ミャンマーの街中を、戦車が通り過ぎていた。



それから一年ほど経った。

2022年2月25日。


今日、久しぶりに彼女に会った。


「ねえ、あなたはまだ二次創作ゴロをやっているの?」

 彼女は僕にそう言った。

 

「ああ。やっているよ」

 僕達はいつもの挨拶を交わしてホテルに入った。


 指定された部屋に入ると、部屋の中にはハイビスカスの絵柄のパチスロ台が置かれていた。



「別れましょ」

 彼女は僕にそう言った。


「どうしてだい」

 僕は聞いた。

 

「あなたの話、どこからどこまでが本当か、もう私には分からない。分からないの」

 彼女は僕に、そう言って鞄から一つの封筒を取り出した。

 

「はい。私からの最後のプレゼント」

 そう言って彼女は、顔はテレビを向いたままで、僕の膝の上に封筒を載せた。


 封筒には、アメージングギフトカードが入っていた。

「佳作、か。手厳しいね」


「そ、佳作」

 彼女はそう言って笑った。

 久しぶりにみる彼女の笑顔だった。

 

 僕はギフトカードを封筒に仕舞しまってから、テレビの方を見た。

 テレビでは深夜のニュースをやっていた。

 

 画面には、ロシア、ウクライナに軍事侵攻、という文字が書かれていた。

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