第34話京の城




丹後国たんごのくにの進攻は、かなわなかった。


攻め入る前に降伏してきた。


人質を連れて、ことごとくの国人が丹波まではせ参じていた。

何人も居て、てんやわんやだ。


「山田、どうする」


「本人と人質を、京の都まで連れて帰りましょう」


「そうか、それが普通なのか?」


「将軍様に決めてもらうのが一番と存じます」


長い道のりを、京まで帰った。




京では、復興が盛んであった。

御所の改築から始まって、公家の屋敷まで改築が行なわれた。


「殿、職人が頑張っております」


「賃金をふんぱつして、支払ってやれよ」


「勿論です。故郷から離れて働いているので、そこは考えております」


まさに目の前で、今川城が築城中であった。

現代の淀城跡が今川城が建てられている場所だった。

そこに大きな石が運ばれていた。


今、石垣の石を積み上げているのは、本郷家の土木職人の面々だった。

従来は野面積のづらづみが基本だった。


自然の石をそのまま積み上げる。

平らな部分が表になるように意識して積んでゆく。

石の大きさや形はバラバラで職人のセンスで変わってしまう。

スキ間や出っ張りもたくさん見られる形式だった。

スキ間には小石を詰め込んで強度を増すように工夫していた。


それでも、何百年も崩れないものも多い頑丈な石垣だった。




それが本郷家でも使われだした技法が採用されてしまった。

我が領土を見た者が、今川の殿様に言ったのが切っ掛けだった。

切込接きりこみはぎ技法がそれだった。



打込接ぎは、石の角や面をたたき、なるべく平たくし、石と石の接合面の隙間を減らして積み上げる技法。

関ヶ原の戦いの後、西軍大名の領地が召し上げられ、東軍の武将に褒美として配分され、一気に築城ラッシュが起きた。

ちょうどこの頃が打込接ぎのピークだった。

この石の加工・積み上げはそれ程珍しいものと言うわけではなく、飛鳥時代でも、技法は十分に使われていた。


世界の中で最古の木造建築である法隆寺五重塔でも使われていた。

そこの土台も正確に加工された石材がみられる。


関ヶ原の合戦後に広がったのは、効率的な石積みが必要だった。

見栄えよく、豪華絢爛ごうかけんらんに見えるのが打込接ぎ形式だった。

その辺の石を大小組み合わせて積み上げる野面積みは、限られた地域であれば手軽で短期間に完成出来る技法であった。

しかし、大量の石材を必要とする大きな城の場合は、自然石を拾い集めるより、岩山から石材を切り出して使った方が楽だった。

部材ごとに予め決めておいた大きさに加工する方が、現場作業を単純化できて効率アップが図れる。

まさに築城ラッシュが故の大量生産向きという訳です。


そしてなにより見た目が綺麗だった。

今川の殿様は、大きな城を建築して権威の象徴にしたいのだ。

なので7階建ての城になる予定だ。

近くには川が流れていて、材木の運搬も楽だ。


あそこに有る石の山は、俺が亜空間収納で持って来た石で、横32メートル縦6メートルの石もある。




そんな土木関係者に、飯を食わす屋台が出ていて、立ったままうどんやそばを食っている。

あのうどんとそばは、我が領から伝わった食べ物として、流行っていた。


向かいの屋台には、握り寿司が握られていた。

魚の切り身は醤油漬けにして、くさり防止をして食わしていた。


「おやじ、こっちはかっぱとかんぴょうな――、かっぱはわさび多め」


「へーい」


「こっちは稲荷寿司だ」


「このまぐろ漬けは美味いな~」


「おいらはかっぱが好きだな」


壷から具材を取り出して、海苔のりと酢飯の上にのせてクルリと巻いている。


その隣では、にぎり飯専門の屋台が出ていた。

笹に包まれたにぎり飯も、客で賑わっていた。


「おやじ、梅干とおかかとツナマヨを2個ずつなーー」


「へーい」



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