悪魔の子と72の国
小花ソルト(一話四千字内を標準に執筆中)
第1話 奇妙な親子
淡くてふわふわの粉雪が、ほんの少しの風に吹かれて、右へ左へ、飛び回る。
「そんなに寒いか? ネフィー」
優しいテノールが、寒空を見上げる少年の心に、そっと寄り添う。灰色の石畳を眺めていた少年の黒い目がきょろりと動いて、宙に浮かぶ大きな哺乳瓶を捉えた。その小さな顔が、どんどん、ふにゅる。薄桃色の唇から、白く淡い息が絶え間なくこぼれていた。
「さ、さむい、です」
蚊の鳴くような声で、ガタガタ震えながら答えた。
「パパ、どこかあったかい所、探しましょー。このままじゃ、寒くて、歯がガチガチ鳴ってて、しゃべりにくい、から」
「寒さを肌で感じるようになったのだな」
「なに感心してるんですかぁ! 僕ほんとに寒いんだってば!」
「ハハハ、そうごねるもんじゃないさ。仕事の待ち合わせ人に待たされるのも、よくある話さ」
「よくある事……? 寒空の下で、待つことが?」
黒いコートのフードを目深に引っ張って、少年はしゃがみこんだ。
「寒いよ〜」
「早く来すぎたからな」
「パパが、待ち合わせには早めに来なさいって〜」
「ああ、たしかに言ったな。のんびりやのお前のお尻を叩いてやったら、珍しく早起きしてくれたものでな、そのまま出発させた」
「うえ〜」
少年は黒い革のブーツに手をずぼずぼ入れながら、少しでも動いて熱を生みだそうと、地味にあがく。
寒さのせいか、大通りを歩く人々はマフラーに手袋にコートと着込み、足早く過ぎ去ってゆく。まばらな露店に立ち止まる者は、湯気まで美味しそうに立ち上る温かなスープや食べ物を、紙皿や紙コップに注いでもらっていた。
街はすっかり春色の、淡い彩りを取りそろえて客を待っていたというのに。少年も、ちょっとした
花壇に植えられた鮮やかな花たちは、雪をかぶるなり、しなってしまっている。とうに春が訪れている季節を襲う、長引く冬に、少年はどうすることもできず花とともに凍えていた。
「ま、まだ、かな、依頼人さん……」
「後ろの喫茶店で、時間を潰すか?」
「さっき、外にあった看板のメニュー表を見たけど、けっこう高かったから、お金、節約したい、です……」
「おお。金計算もできるようになったか。子の成長は早いものだ」
だってパパどこからか大金を持ってくるんだもん、と不満げにつぶやく少年の声は、パパなる哺乳瓶には聞こえなかった。少年の財布が不自然に膨らんだ日は、たいてい近隣の住人たちが、売り上げが合わないだのお札が減っただの騒いでいるため、まさかと父にお金の出所を尋ねたが「さあな、忘れた」の一点張りで、けっきょく少年がその地を逃げるように去って、その件はうやむやに終わった。
少年は思った。働こうと。
思えば、この国に入るときも、不思議な理由で難儀した。城壁の中へと続く跳ね橋の手前で、
「そこの子供、止まれ!」
城壁を守る
「すごく念入りに調べられた……ああもう、思い出すだけで体がむずむずする。顔が熱くなるです……」
「他人に裸を見られることに強い抵抗を感じるほど、自意識が育ったのだな。以前は人前でも平気でおしめを濡らしていたのに、子の成長とは早いものだ」
「こんなことで我が子の成長を感じないで……。もう、パパなんか知りません、です……」
恥ずかしさのあまり、顔を覆って入国したのが、つい昨日の出来事であった。
「ここ寒くて、もう、むり……」
喫茶店の壁際にしゃがみこんでいたネフィリムは立ち上がり、とことこと靴音を鳴らしながら、どこぞ暖かでお金のかからなそうな場所を求めて、右往左往し始める。
「ネフィー、あまり待ち合わせ場所から離れるもんじゃないさ。そら、依頼人が大慌てで、こちらに向かって来てくれたぞ?」
「え!?」
父である哺乳瓶には、黒い液体が波打つばかりで腕が生えていない。いったいどこを示されているのやら、少年がおろおろと辺りを見回すと、黒い蝙蝠傘を揺らして、ビジネススーツ姿の男性が走ってくるのが見えた。赤いマフラーが肩の上を跳ねている。
相手ばかりを走らせてはいけない気がして、少年も急いで男性に駆け寄った。ほんの少ししか距離がないように感じたけれど、震えるほど寒い中で走ると、わずかな運動量でも、二人してハアハアと息をつきながら向き合うことになってしまった。
宙に浮いている補乳瓶だけは、マイペースな速度でゆっくりと少年のそばへと近づいていった。
先に口火を切ったのは、いち早く呼吸を整えた男性だった。
「あの、いったいいつから、こちらに。ご連絡してくださればよかったのに」
「あの、あの、えっと……」
「気にすることはないさ。この子は遅刻癖があるから、早めに行かせたんだ」
「パパ!」
哺乳瓶の代弁に、少年が赤いほっぺたで慌てる。依頼人の前では、大人っぽく、スマートに対応したかったのに、遅刻癖アリなんて言われてしまっては……商売人としての信用に傷がついたのではと心配する。
(あ、そうだ、依頼内容が書かれたお手紙を見せなくちゃ!)
少年は大小いろいろな大きさのある腰ポシェットの中から、黒い封筒を取り出して、男性に見せた。
「本日はご依頼、ありがとうございます。僕はネフィリム・エルです。えっと、あなたは今回の依頼人の、バエル・ベルゼブ氏ですね」
「はい」
「ああよかった、初めまして! えっと、本日は、よろしくお願いします!」
お辞儀をする際、少年は自分がフードをかぶっていることに気づいて、大慌てで手でバッと払った。フード越しに顔を見せない接客は、失礼だと思ったから。
男性は、そんな少年と目線を合わせるために、しゃがんでくれた。
「こちらこそ、お願いするよ、ネフィリム君。きみのことは、お父様からよく聞いてるよ」
「え?」
「いつでも一生懸命で、ほんのちょっと泣き虫なところがあるんだってね」
「あ、あう……」
少年は否定も肯定もできない声をあげて、恥じらった。いつでも意外性と悲しみに満ちた
依頼人バエル氏は、灰色の上質なスーツに身を包んだ、高身長で身綺麗な男性だった。ブロンドの髪に銀色の太いメッシュが一筋輝き、顔の彫りは深く、頬も唇にも石膏のように色味がない。銀色に輝く虹彩が、少年をじっと眺めていた。
なんだか、観察されているような。
少年は、こういう時どうしていいのかわからず、もじもじと身じろいでしまう。そのうち、ぶるりと体が震えて「ヘックシュッ!!」と鼻水を飛ばしてしまい、ハッと青ざめた。依頼人に、盛大にぶっかけてしまったから。
「ごごごごごめんなさいごめんなさい!!! うわああどうしよう!!
この世の終わりみたいに慌てる少年に、一周回って怒りも湧かないバエル氏。立ち上がりながら胸ポケットにしまっていたハンカチを取り出して、丁寧に顔を拭ってゆく。
「ハハ、寒いよね。そこの喫茶店で何か飲むかい? それとも、ここから少し歩くけど、僕の書斎があるマンションまで行こうか?」
「あの、では、マンションの方で。お邪魔します」
節約したいからコーヒーが飲めないなんて言えなかった。
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