第15章-② 狼の空想

 マルセル・ユンカースとレオンハルト・ローゼンハイムの両大尉が帝国脱出に払った犠牲は、小さくなかった。

 帝都の叛乱勢力を一掃した国防軍、帝都防衛隊、憲兵隊はそれぞれ追跡部隊を組織し、かつ帝国全土に指名手配を発して、クーデター事件の首謀者を追った。両名には11名の兵が随行し、馬を駆って一目散に逃走したが、馬を乗りつぶしてからは、やむなく徒歩で山林を移動したり、隊商から馬を奪って走ったり、そしてその過程で兵を失ったりなどして、辛酸をめた。

 帝国軍の監視を避け、ようやくカスティーリャ要塞にたどり着いたときには、彼らに従う者はわずかに2名、髭は伸び、衣服もぼろぼろ、幽鬼かと思われるほどの壮絶さであった。

 しかし、帝国軍の軍服を着ている。袖の徽章きしょうは帝国の象徴である鉄十字、胸には階級章がある。

「私は帝国軍の第二十二騎兵中隊長ユンカース大尉だ。教国への亡命を求める。指揮官に取次ぎを願いたい」

 ユンカースの文句や声は堂々としたものであったが、その風体は言葉ほど颯爽とはしていない。全身泥にまみれ、白いぼろ切れを掲げている。敵意がないことの証明であるが、それもこの際は滑稽でみじめにも映った。

 大尉となると、亡命者としてはなかなか大物である。彼らは要塞に収容されるとともに厳重な監視をつけられ、情報は直ちに要塞指揮官のラマルク将軍まで上げられた。

 ラマルク将軍は直々、両名との面会に赴いた。

「まずは飯を食わせてやれ」

 姿を見るなり、ラマルクは少々呆れたように命じた。案の定、逃げ込んできた者たちは飢えた獣のような必死さで、提供された食事にむしゃぶりついた。逃亡者というものは常に腹をかせているものである。

 腹を満たしたあとで、ユンカースは、

「我々は同志とともにヘルムス総統の暗殺と政権の転覆を画策し、実行した。しかし無念にも失敗し、今は亡命の身だ。貴国に保護を求めたい。私は先日、近衛兵団長のヴァネッサ・オルランディなる者の逃亡に協力した。彼女とエスメラルダ女王に会いたい」

 と、それだけ言うと、気を失うようにして眠ってしまい、あとはどう話しかけ、あるいはこづいても、高いびきをかいたまま起きようとはしなかった。

「不敵で不遜な奴だ」

 ラマルク将軍は苦笑いし、亡命者一同を厳しい監視下に置きながらも一応は客人としてもてなした。

「明日の夕刻にはクイーンが要塞に入られる。それまではワインでも飲ませて、くつろがせておけ」

 要塞に到着したクイーンは、早々にこののっぴきならない亡命者の訪問を聞いた。

「ヴァネッサ、確かあなたを逃がしてくれたのはユンカース大尉なる者であると聞いた覚えがありますが」

「その通りです」

「では、念のため本人かどうかを確かめてください。間諜かんちょうの疑いもありますので。そして彼が本物なら、すぐに連れてきてください。詳しくお話を聞く必要があります」

「承知しました、直ちに」

 ヴァネッサは、ユンカースにあてがわれているという、士官用の個室へと向かった。歩きながら、彼女はユンカースの人相を思い起こしていた。

 細面ほそおもてで肌が女性のように美しく、背の高い肉体はどちらかというとやせ型だが抜かりなく鍛練が施されている。そして琥珀色に輝く瞳は、黄褐色のヴァネッサの瞳に似て、だがそれよりもさらに明るく野心的な光を放っていた。彼が狼を意味する「ヴォルフ」とあだ名されていることをヴァネッサは知らなかったが、まさにその通りの印象を持っていた。精悍せいかんで誇り高く、孤高を保つ狼である。

 しかし、部屋に入った彼女が見たのは、かつて酷寒の野営地で彼女の命を助けた美しい狼とはまるで毛色が違っていた。

 薄茶色の髪はやや伸びてぼさぼさになり、髭が顔を覆っている。垢や汗のにおいがひどく、軍服も傷だらけである。袖に鉄十字の紋章がなければ、浮浪者にしか見えない。

 いまひとつ、彼が彼であることを証明するものがある。

 その、アンバーの瞳である。

「やっと来てくれたか」

 瞳の持ち主は、ゆったりと簡易ベッドから上体を起こして、彼が助命した敵将を迎えた。もっとも、今は敵将ではない。同じ陣営にいる仲間である。

 ただ、ヴァネッサはそれほど甘い歓迎で再会を喜び肩を叩く気にはなれなかった。

「本人のようだな」

「ずいぶんな挨拶あいさつだな、命の恩人に対して」

「礼を言ってほしかったか」

「いや、君らしくて安心した」

 (私らしい……)

 私らしいとはどういうことか、とヴァネッサは気にかかった。ほうほうのていで助けを求めてきた命の恩人に、冷淡に接するのが自分らしいということなのか。

「君がいるということは、君の主君もいるだろう。早速会わせてくれ」

「まずは私に話せ」

「賢明な君なら分かるだろう。帝国を内と外から崩し、再構築するという計画は私の不才と不徳のために破綻はたんした。だが希望がすべてついえたわけではない。例えば君の主君だ。教国女王の才は古今に冠絶している。彼女に協力し、帝国をくつがえす。たとえ我が故国が一度は焦土と化そうとも、人々は不死鳥のように立ち上がり、新たな国を築くだろう。その先駆けを、私が務めるのだ」

「またそのような空想に溺れているのか。子どもみたいに」

「子どもみたい、か。そうかもしれない。だがな、国を叩き壊し、また新しい国を建てる。そんなことができるのは、子どもっぽい空想家以外にはいない。だから、私には帝国を生まれ変わらせる資格がある。あとは能力と、運だ。能力に不足はない。そしてもうひとつの運をもたらすのは、君の主君以外にはいないだろう」

 見てくれは落ちぶれたが、瞳の輝きと言葉の明晰めいせきさはいささかも損なわれてはいない。それに心の奥底には確かな志があることも改めて感じられたので、ヴァネッサはこの男をクイーンに会わせてみようという気を起こした。

 しかし彼女には、近衛兵団長としての責務と、その責務に対する忠誠心もある。いや、むしろそちらの方が、目の前のこの男に対する信頼などよりもはるかに重くかけがえのないものである。彼女の幼馴染にして彼女の絶対の主君でもあるクイーンを守るという責務に代えうるものなど。

「分かった、クイーンのもとへお連れする。だが一言だけ告げておく。クイーンは、少なくとも私にとっては神より尊いお方だ。もし貴様が、わずかでもクイーンの不為ふためになるようなら、近衛兵団長たる私が即座に斬り捨てる」

「いいだろう。君の気高き魂に誓おう」

「その言葉、覚えたぞ」

 ユンカースは、別室にて彼と同様、半ば客人としてもてなされ、半ば軟禁状態にあった同志のローゼンハイムとともに、クイーンと対面することになった。

「ユンカースさん、ローゼンハイムさん、あらましはラマルク将軍から聞きました。私はお二方を客人としてお迎えします」

 (クイーンには、客人が絶えないな)

 内心でひとりごちたのは、エミリアである。珍しいものは珍重する。役立つ使い道を見出す。そのために、クイーンのもとには多くの人材が集まるのであろう。

 彼女の横で、クイーンはにこにこと微笑みながら、放浪者のようなひどい外見の両名をもてなしている。

「ユンカースさんは、ヴァネッサを窮地から救い出してくださり、我が軍と連携して、帝国の現政権打倒を目指しているとお聞きしました。ローゼンハイムさんも、ユンカースさんの志に共鳴し、ともに戦われたとか。諸般の事情をかんがみれば、お二方は我が国にとって味方です。ぜひ、ともに手を携え、目下の難局に対応できればと」

「陛下、もったいないお言葉です。陛下のご威光と仁義に、感涙かんるいにむせぶ思いです」

 やや大仰なほどの世辞を用いて頭を下げたのは、ローゼンハイムだけである。その隣に座する彼の親友は、不自然なほどにふてぶてしく肩肘を張っている。ローゼンハイムは小声でささやいて、

「おい、貴様からも礼を言え。我々を庇護してくださる相手だ」

「帝国全軍から追われる身となっても、私はあくまで帝国軍人だ。教国女王の臣下になるわけではない。女王と私は対等で、卑屈な態度をとる必要は一切ない」

「屁理屈をこねるな」

「いや、貴様こそ目先のことしか考えていない。私は遠くを見ている。我々が女王に膝を屈し、その手先として帝国の体制転換に成功したとして、そのような誇りをなくした帝国の、戦後の再建がどうしてできようか」

 クイーンの御前で論戦を繰り広げる両名に対し、同席するエミリアやヴァネッサはやや渋い顔をしたが、クイーン自身はユンカースの言をいたく気に入ったらしかった。

「素晴らしいお志です。私にも、帝国に逆侵攻して、その領土をかすめ取ろうなどという気持ちはありません。私の最終的な望みは、大陸の平和と安定です。帝国は、帝国の人々の手で、正しい方向へと修正されるべきでしょう」

「評判通りの方で安心した。帝国軍との戦闘及び帝国領への進軍に際しては、我々の協力をあてにしていただいて結構です」

「ありがとうございます。それでは慌ただしいことですが、明日の朝にはこの要塞を北に進発し、帝国軍を野外にて捕捉しこれを駆逐するつもりですので、お二方も同行をお願いいたします」

 彼らは、正式に客人として遇されることとなった。

 ユンカースの発言は一歩間違えばクイーンを激怒させてもおかしくない際どいものであったが、彼なりの賭けでもあったのであろう。帝国の政権崩壊及び新政権の樹立と安定まで、教国の力は借りるが、その属国に成り下がることは認めない、と口だけでも虚勢を張って、それに同意するクイーンの言質げんちを得ておきたかったのではないか。そしてクイーンも、ユンカースのその魂胆こんたんなどやすやすと読み取った上で、あっさりと応えたのではなかったか。さらにユンカースとしては、クイーンが自らの意図を見抜き、それに乗ったことに気づいていたかもしれない。

 もっとも、このあたりの機微は、身も蓋もない表現をすれば、当人同士にしか分からぬところではある。しかし、ユンカースもユンカース、クイーンもクイーン、それぞれにその程度のやりとりはやってのけそうなほどの知恵者であるということは確かである。

 教国軍は要塞の北東40kmから50km付近に分散して布陣する帝国軍に野戦を挑むべく、5月17日、夜明けとともに大兵力を進発させた。

 その中軍には無論、クイーンの姿がある。

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