第15章-① 玉座は再び馬上へ

 国都に帰還してからのクイーンは、文字通り忙殺されかねないほどの繁忙を味わう毎日であった。

 まず遠征によって大きな損害を被った部隊の戦力補充である。教国軍は遠征において4,000名から7,000名もの戦死者を出したと推計しており、軍全体の規模からすればこれは大打撃と言っていい。無論、軍の組織力を維持した状態で帝国領から帰還できたこと自体が奇跡のような話ではあるが、実際に算出された数字は、クイーン含め文武高官の心胆を寒からしめるに充分であった。ちなみに戦死者の推計に誤差があるのは、帝国軍の捕虜となった兵の数が測定困難なためである。

 兵士の補充自体には、特段の問題はない。国内では卑劣な帝国への復讐を望む者や、クイーンの指揮のもとで戦いたいと希望する者が、徴募事務所に詰めかけており、これらを受け入れるだけで、充分に戦力の回復と強化が可能である。

 またそうした軍政を支える財政面も、先年の内戦で敗北し没落した貴族家から没収した私有財産がまだ潤沢に残っているために、軍の整備と再度の出兵に耐えられる程度には余裕がある。

 懸念があるとすれば、軍は兵の数が揃っていればそれでよいというわけではなく、一人前の兵卒として動けるようになるための訓練が必要であるということだった。この訓練には、それなりの時間がかかる。

 遠征に参加していた第二師団、第三師団、遊撃旅団、近衛兵団の主力には全員1ヶ月の休暇が与えられている。休暇が明け、新兵を補充し、約3ヶ月の訓練期間を経て、改めて遠征軍を組織し、同盟軍、合衆国軍と呼応して帝国領へ侵攻する。

 現在、教国政府と軍は、その想定のもとに動いている。

 政務と軍務に多忙を極めるなか、クイーンは並行していくつかの懸案に対処した。

 まず帝都ヴェルダンディより、シュリアが帰還した。この者は特務機関でずいぶんと手ひどい尋問を受け、並の人間なら精神が崩壊していたであろうが、ついに無事に国都にまでたどり着いた。

 クイーンはこの男の処遇に迷った。できれば諜報局なり近衛兵団に所属せしめて、キティホークの会戦における裏の殊勲者として表し、名誉と仕事を与えたいところではあったが、シュリア自身が謝絶し、エミリアも反対した。今後の彼に期待する役割を考えると、その存在を表に出さない方がよい。コウモリは闇のなかでこそ、自在に働けるものなのである。

 そして彼には新しい任務を与えることとした。

「傷を癒して、しばらく王宮でゆっくりされてから」

 とのクイーンの気遣いも丁重に断って、シュリアはすぐに旅支度をした。

「傷は移動の最中も癒えます」

 と話す彼の顔は、拷問のために歯をすべて失い、間が抜けて、悲惨にも剽軽ひょうきんにも見えた。まだ若いくせに、この面相のために異様に老けて見える。

 クイーンとしても、彼の力を必要としている。オユトルゴイ王国へ向かったというサミュエルの消息がつかめない。王都トゥムルを目指したとはいうが、何しろ遠いし、王都も広い。いくら盲人で目立つとはいえ、そうすぐに正確な情報が素早く手に入るわけもない。

 サミュエルの情報を得るため、また王国の内情を探るのに、シュリアの才能が役に立つ。並の諜者よりも、帝国特務機関に捕まって酷烈な拷問を耐え、不死鳥のように舞い戻ったこの男の方が情報収集に関しても期待が持てる。

 シュリアは、貿易船に潜り込んで王都トゥムルを目指していった。

 術者といえば、王宮には術者レティがいる。この老婆は王国からの亡命者ミコトを宮殿に連れ込み、従者のように連れ回している。このあたりの事情は、まずヴァネッサが詳細に聞いて、クイーンに伝えた。

 クイーンは多忙な時間の合間を縫って、30分ほどの時間をこの異国からの亡命者のために割いた。

「ヴァネッサから伝え聞きました。レティさんによれば、ミコトさんは術者の末裔とか」

「はい」

 ミコトは躊躇なく認めた。やむなく、というわけではない。初対面で声をかけてもらったときから、彼女はクイーンに対して信頼と安心の気持ちを抱いていた。評判だけなら、表面は名君あるいは英雄然として振舞いつつも、一皮剥けば奸悪の徒であるかもしれない。だがクイーンの人柄に直接に接したことで、ミコトのその疑いは氷解した。人間としても王としても、信ずるに値すると思い始めている。

「私は術士奇譚で語られるところの風の術者アルトゥの血を汲んでおります。私とともに亡命し今はボレロ邸にてお世話になっております同腹の妹ミスズも、同様です」

「そのことを知っているのは?」

「レティさんと接触するまでは、私だけが。ほかに知る者はみな王国の政変に巻き込まれ亡くなりました。ミスズも何も知りません」

「ミコトさんはあくまで血筋を継承しているのみで、導きを受けていない、つまりミコトさん自身は術者ではないと聞いています」

「その通りです。父母は私に術を授けてはくれませんでした」

 二人は、エミリア、ヴァネッサ、フェレイラ議長、ロマン神官長ら、術者についての事情をよく知る高官らの同席のもと、互いに術者について知る情報のすべてを交換した。が、どちらかといえばクイーンからの情報提供の方が多い。何より、今はこの場にいない術者サミュエルが、クイーンの危機を幾度も救ったということについては、ミコトも目をみはる思いだった。

 それだけに、彼の安否が気遣われてならない。レティはサミュエルの身に危険が及んでいると警告し、以来、精神が弱って、肉体も徐々に衰弱している。一日のほとんどを、王宮の一室にこもって過ごし、中からは悲鳴ともうめき声ともつかぬ声が漏れてくるという。世界に危機が迫っている、氷晶ひょうしょうのその警告に恐れおののいているのであった。

 最後に、クイーンはミコトがいつまでも王宮に留まってよいことを明言し、現状の生活に困り事がないかを尋ねた。感激したミコトは、特に不都合がない代わり、厚かましいことを承知でひとつの願いを口にした。

「では、お言葉に甘えまして。私は服の仕立てをしております。陛下にぜひドレスをお贈りしたいので、恐れ入りますが採寸をさせていただきたいのですが」

 すると、クイーンは目を丸くし、やがてぱっと花の咲き誇るような笑みを見せた。

「ごめんなさい、少し驚いてしまって。私も幼い頃に、亡き先代女王に同じことを申し上げたのです。それを思い出してしまって。ぜひ、お願いいたします」

「感無量でございます」

 こうしてミコトは、正式に王宮の客人となった。

「クイーンは珍しい拾い物をされるお方だ」

 近侍するエミリアは、うれしいような、困ったような、やや複雑な思いを抱きながら、その事実を面白がっている。

 珍しい拾い物といえば確かにそうであろう。術者サミュエル、術者レティ、術者の家系ミコト、元暗殺者シュリア、ほかにも将軍ドン・ジョヴァンニはじめ草莽そうもうから引き上げた文武の重臣が数多くいる。

 これらはいずれも奇石と言っていいが、そうした異種の人材を組織に組み込んで活用できているのは、クイーン自身の器量が卓抜していることも当然であるし、組織全体に柔軟性や多様性が浸透しているからでもあろう。無論、そうした組織づくりをクイーン自身が丹念に進めていった結果でもあろうが。

 さて、クイーンが艱難辛苦かんなんしんくを経てようやく遠征から戻りながらも、再び前線に舞い戻らねばならない状況が出来しゅったいしたことは先述した通りである。

 ディーキルヒ地方を奪回し、教国と同盟の支配領域を分断した帝国軍が、軍を再編成して一軍をカスティーリャ要塞へと向けたため、要塞防御に任じているラマルク将軍から出馬要請があったのである。

 クイーンはこの要請を即座に了とした。群臣のなかで、フェレイラ議長だけが反対の意を表明した。

「常に前線にありたいとのクイーンのお志は、文武一同、みなが理解しているところでございます。ですがあえて、私は反対を申し上げます。国情も、クイーンが戻られてひとまずは落ち着きましたが、国の主が外征で長期不在になることは、民衆に大きな不安を与えます。国政の指導も軍備の増強も、クイーンが陣頭指揮をされてこそ効率的に進むもの。要塞の防衛はラマルク将軍に引続きお任せあって、国都からは増援として第四師団をお遣わしになれば充分に軍事上の目的を達しえましょう。どうか、玉座をこのレユニオンパレスにお据えになって、今は動かれませぬよう」

「子爵殿。諌言かんげんは痛み入るばかりです。しかし私は、先の遠征前に方針として示した通り、戦いにおいては必ず戦線に立つことを決めています。それは私が王であることの誇りであり覚悟であるつもりです。またラマルク将軍の書簡にも、敵軍は我が軍や同盟軍の捕虜を天然痘患者に仕立てて、陣営に疫病を広めるという新戦法を用いており、これを撃破するには野外決戦で一気に決着をつける必要があると書いてきていますし、私も同意します。つまり大規模な会戦が勃発するということです。王として、将兵とともに陣頭に立つのは必然であると、私は考えています」

 クイーンの言葉は諸大臣諸将らにとって特に真新しい言ではなかった。フェレイラ議長も、クイーンが前線に赴くことについては既定事実であると知りつつ、ある種の儀式、あるいは建前として進言している。

 クイーンの誇りや覚悟については、少なくともこの場の全員が、もとより重々承知していることなのである。ただこの儀式と建前なくして、全員の心理を戦いに向けることはできないであろう。いわばフェレイラ議長は、クイーン自らの出兵を止めるという儀式の代表執行者というわけである。

 会議の席上、クイーンは国都にて待機状態にあった第四師団を率い、翌々日早朝には国都をって、カスティーリャ要塞への救援に向かうことが決せられた。

 (相変わらず、決断も行動もなんと素早いお方か)

 誰もが、そのような感想を抱いた。

 その根底にあるのは、情報の扱いに対する一貫した姿勢であったと言ってもよい。必要な情報を可能な限り早く、可能な限り多く集め、もたらされた情報の真偽を見極め、取捨選択し、その評価を的確に行えば、正確な判断を下せる可能性は非常に高くなる。クイーンの場合、その一連のプロセスが極めて素早いサイクルで行われているために、人々にとってはまるで魔術的な動きの早さに見えるのである。それに、躊躇がなかった。

 この躊躇のなさについては、幼少の頃からクイーンを知るエミリアが詳しい。クイーンがプリンセスと呼ばれていた時期から、判断を下すときに躊躇をしない、という訓練を意図的に自らに課していたことにエミリアは気づいていた。

 例えばドレスを選ぶとき、例えば料理を選ぶとき、例えば香水を選ぶとき。そうした日常の選択から、政治的あるいは軍事的決定にいたるまで、いかに迅速に決断を下せるか、クイーンはあらゆる選択と決定の機会を、その訓練に供してきたようにも思える。

 その徹底した決断力の鍛練は、「迷いこそ最大の敵である」と言っているようでもある。

 話が、やや脱線した。

 クイーンが第四師団とともに国都アルジャントゥイユを進発したのは、5月5日朝。

 5月16日にはカスティーリャ要塞に到着し、翌日には帝国領へと踏み込んで、この方面に展開する帝国軍を急襲する予定である。

 だが、要塞でクイーンを待っていたのは、教国軍の将兵だけではなかった。

 帝国にて発生したクーデター計画「ヒンデンブルク作戦」の首謀者が、教国への亡命を求めてカスティーリャ要塞に収容されていたのである。

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