第9章-① 独裁者の肖像

 レガリア帝国総統ベルンハルト・ヘルムス。

 後世、この男を語らずして、ミネルヴァ大陸の14世紀末史は語れずとされているほどの巨星である。大統領と首相を兼任し、レガリア帝国政治史における史上最大の権力を手にした独裁者であり、民衆からの絶大な支持と崇拝を集め、その熱狂度は隣国のクイーン・エスメラルダに対するロンバルディア教国民からのそれに匹敵し、あるいは凌駕するかもしれない。

 しかし一方、他国からは野心的で目的達成のためには手段をいとわぬ恐るべき梟雄きょうゆうとみなされている。

 彼はミネルヴァ暦1344年に第二帝政下のレガリア帝国に生まれ、兵士として二度の大きな戦争に参加した。一度目はコーンウォリス公国と、二度目はロンバルディア教国との戦いである。いずれも負けた。

 敗戦の苦い経験から、彼は敗因が敵の強さではなく味方の弱さにあると考えた。その味方とは、戦場で槍をとって戦う兵士ではなく、軍上層部と政治指導者のことである。要は兵士の質に問題があるのではなく、それを率いる者たちが、味方同士で足を引っ張り合い、主導権争いに狂奔して、団結して敵に対峙することができなかった。そのような有り様で勝てるはずもない。

 彼は30歳にして軍を抜け、政治の道を志すようになった。腐敗した政治家や軍高官を一掃し、「強い帝国」に生まれ変わるためには、民衆にひとつの方向を示し、挙国一致体制を敷いて、一方で反対者を排除し、国を一枚岩としなければならない。そのための活動を、彼は開始した。

 折しも、当時はバブルイスク連邦から社会主義思想という新思想が流れてきており、彼はこの新しい発想に大いに影響を受け、さらに幾人かの政治思想家に学び、本格的に政治家の道を歩み始めることとなる。

 政治指導者としての彼の最大の武器はその演説であった。彼は行く先々で民衆を集めては演説し、国を強くすることを訴えた。レガリア帝国は小国で、常に大国の気息をうかがい、その動向に翻弄される。真に独立しているとは言えない。国をひとつにし、強化して、外国と対等に交渉し、真の独立を勝ち取るべきだ。それを可能にするのは我々の意志の力であり、特に闘争の意志だ。目的のため戦うという意志の団結こそが、国を強くする。同胞よ、ともに戦うのだ。

 彼の言葉は魔法のように人々を動かした。誰もが彼の演説に陶酔し、強い帝国を夢に見て、その夢を彼の天賦てんぷの指導力に託そうと考えた。

 ヘルムスがそうした期待を背景に首相の座を手に入れ、国家の枢要で一定の権力を占めるようになってまず進めた政策が、隣国のコーンウォリス公国の併合であった。

 コーンウォリス公国はかつてローレンシア帝国という大国の一部でしかなかったが、オクシアナ合衆国の独立を契機として激しい権力闘争と内部分裂に見舞われ、版図の西の端をコーンウォリス公が掌握して独立国化した。その後、コーンウォリス公の一族に不幸が相次ぎ、ついに直系の血脈が途絶えて、この国の領土は一種の空白地帯となった。国家の主権を握る者が定まらない状態が続き、領内は治安が乱れ賊がはびこり大いに混乱した。

 ヘルムス首相は隣国の不幸は自国の幸いとばかり、大統領の承認のもと軍とともに自ら乗り込み、この空白地帯を実力で奪った。コーンウォリス公国の民衆は当初、レガリア帝国による併合を歓迎しなかったが、ヘルムス首相は得意の演説とプロパガンダを通じて旧公国領の民心を掌握し、彼らに強い指導者の誕生を期待させ、一方で軍や憲兵を動かし徹底した管理行政を敷くことで反対者をあぶり出し、粛清リストに名を連ねた者は数珠つなぎに逮捕され、政治犯収容所や処刑台へと送られた。旧コーンウォリス公国の民衆は二等国民としてレガリア帝国に加わることを余儀なくされたのである。

 レガリア帝国がほとんど無血開城に近い容易さでコーンウォリス公国を併合した一連の政策に対して、各国の反応は様々だったが、正面から非難声明を浴びせたのはスンダルバンス同盟くらいのものであった。特にコーンウォリス公国の消滅によって直接、レガリア帝国と国境で接することになるナジュラーン地方を領するラドワーン王は激烈なる義憤に駆られ、一時は国境を挟んで双方の大部隊が睨み合う危機的な事態となった。

 全面開戦にいたらなかったのは、ラドワーン王以外の王がいずれも戦争に及び腰で、同盟内の統一が保たれなかったため、やむなくラドワーン王側が手を引いたためである。

 同盟以外の他国でも、紆余曲折うよきょくせつはありつつ結局、併合自体は追認された。各国のレガリア帝国の勢力伸長に対する消極外交は、のちに「宥和ゆうわ政策」と呼ばれ、野心的な国家に対する妥協的姿勢を批判する代名詞として使われることとなる。

 このコーンウォリス併合の成功をもって、ヘルムス首相の名声は弥増いやまし、その発言力たるや並ぶ者とてなく、独裁的な権力を手中とするにいたった。

 そしてミネルヴァ暦1389年には、ついに大統領職を手に入れ、首相と兼任することで名実ともに帝国における唯一絶対の指導者となった。同時にレガリア帝国は政治的に新局面に移ったとして、第二帝政から第三帝政への移行を発表した。

 だが、彼は帝国最大の権力を手に入れても、拡大の手を緩めるどころかむしろ加速させていった。

 その動きを年表にすると、


 1390年5月 全権委任法を制定し、自身に超法規的権力を付与

 1390年10月 陸軍倍増計画である通称「T計画」を始動

 1390年11月 「次なる革命」作戦で政府内に残っていた民主派や中道派を国家反逆罪に該当するとして粛清、反対派を一掃

 1392年4月 スンダルバンス同盟にエムデン地方の返還を要求

 1392年8月 インゴルシュタット条約で非武装地帯と定められたオクシアナ合衆国国境のミュンスター地方への進駐と同地域での再武装宣言

 1393年9月 スンダルバンス同盟にエムデン地方の返還を再要求

 1393年10月 ヘルムス総統暗殺未遂事件発生

 1394年1月 エムデン地方を回復

 1394年2月 スンダルバンス同盟にキレナイカ海峡の通行税免除を要求

 1394年4月 ロンバルディア教国叛乱勢力に支援を約束

 1396年1月 海軍倍増計画である通称「U計画」を始動


 ヘルムスは帝国の勢力拡大に尽くし、あらゆる政策に対し極めて意欲的かつ精力的に取り組んだため、一部の知識人からの批判や懸念はあったものの、民衆からの支持は絶対であった。

 他国からすれば危険な野心家には違いないが、まず、英雄と見てよい。

 風貌はというと、鉢の大きく開いた頭に毛髪は一本もなく、太く凛々しい眉に拳も入りそうな大きな口、背丈は並だが肩幅や胸の厚みは常人を二回りほどしのぐ。壮年期までは常に背筋が伸び、その一瞬の怠惰や無気力さえも許さぬような緊張感が、彼を実際の容貌以上に偉大に見せていた。だが彼の最大の特徴は今にも怒涛となりあるいは爆発の予兆を感じさせるようなエネルギーに満ちあふれたダークブラウンの眼光で、彼の目を見た者は、その異様なまでの執念をたたえた光にときに震え上がり、ときに魅せられて、喝采を叫んだ。

 ただし、近年では神経病をわずらって、左腕に震えがあり、背中もわずかに丸くなってきている。

 私生活では公人としての苛烈な独裁者という印象から一転、存外にも地味で質素な男で、結婚もせず、恋人のマルガレーテと慎ましく生活した。犬を飼い、趣味で絵を描くほかはさしたる趣味もなく、禁欲的な菜食主義者で、酒も得意ではなかった。

 彼が勤務する帝国総統府は、首都ヴェルダンディのほぼ中央にある。ここが帝国のいわば策源地で、国家の最高意思はすべてこの総統府の執務室で決裁される。無論、ロンバルディア教国への宣戦も、である。

 宣戦といっても、宣戦事由などはない。ロンバルディア教国とは特にU計画への投資を受けて以来、良好な関係を継続してきた。理由は、ただ単に自国の利益のためである。しかもその意思表示は、文書や使者による通知ではなく、奇襲作戦による攻撃という形式でもってした。

 いくら国際法などない時代とはいえ、領土通行権を与えた相手を自国内に引き入れ、騙し討ちにするというのは、類のない卑劣な行いである。まして遠征軍には教国の最高指導者であるエスメラルダ女王もいる。奇襲に乗じて女王の命を奪えば、本国は混乱し、帝国軍は天嶮と言われるヴァーレヘム山脈を越え、教国全土をやすやすと攻略できるであろう。

 ヘルムスはこの作戦を、2年前の1395年初頭からあたためていた。きっかけは、オユトルゴイ王国のトゴン老人である。スミン皇妃の独裁権掌握と、王国の勢力拡大の立役者であるこの老人は、ブリストル公国への侵攻前から、大陸の西南に位置するロンバルディア教国とレガリア帝国の両国について評価を行っていた。道理で動くのはどちらか、利害で転ぶのはどちらか、敵となるのはどちらか、味方にできるのはどちらか。

 分析と思案の結果、ロンバルディア教国は十中八九、侵略戦争に批判的な立場をとるに違いないと見た。この国は由来、大陸の平和と均衡を重んずる保守主義国で、即座に敵対はせぬであろうがまず味方にはならない。

 一方、レガリア帝国は大義より利害を重視する。大義を掲げるなら、政治的空白地帯となった隣国を自国に吸収するような真似はしないであろう。

 レガリア帝国の協力は、条件次第で買える。

 大陸全土を俯瞰し、それぞれの国や指導者の性質を見抜いて、敵と味方を正確に色分けしたトゴン老人の奸謀の才は、やはり非凡であったと言えるだろう。

 トゴン老人は1395年の初春、ヨーク川迂回作戦の協力をイシャーン王に取り付けたその足でレガリア帝国に赴き、ヘルムス総統に非公式の面会を求め、密談の場を持った。

 ヘルムスは、猫背で背が低く、頭に毛の一本もなく、異様な形の頭蓋骨を持ったこの老人に、多大な違和感を抱いた。これほど猿に酷似した人間がいるのか、と思ったのである。

 彼は強硬な人種差別主義者であり、白色人種でしかも民族的に近しい旧コーンウォリス公国やブリストル公国の人間に好意を持っていたが、有色人種国家であるオユトルゴイ王国やスンダルバンス同盟は下等な民族による下等な文明とみなしていた。

 密使として訪れたトゴン老人の姿に、彼は自らのその認識が正しいことを再度、確信した。このような風貌を持った者が優れた人種とは到底思えない。

 しかし老人の提案を聞いて、彼は即座に考えの一部を改めざるをえなかった。老人は彼の近くにいるどの側近よりも知的で、遠大な権謀を秘めていた。

 その提案とは、すなわちレガリア帝国にロンバルディア教国の封じ込めを依頼し、かつ余力があれば西方からスンダルバンス同盟を襲い、東西から同盟を挟撃してその領土を分割しようという構想であった。ブリストル公国への侵攻前に、次の敵はスンダルバンス同盟とロンバルディア教国であることを見抜いていたという点で、この老人の予知力は神業としか思えない。

 ヘルムス自身が、そう思った。

 見返りは同盟領の西半分と、ロンバルディア教国全域である。その奪取には、いずれ王国軍が支援する。約束に信頼が置けぬなら、帝国の都合のよい時機で参戦してくれれば、その時点をもって約定を発効するものとする。例えば、王国軍が同盟領を9割方占領していたとしても、その時点で参戦すれば同盟領の半ばを譲り渡す。

 利にさといヘルムスが、興味をそそられないはずもなかった。王国側にとってはずいぶんと思い切った条件だが、それほど、ロンバルディア教国の参戦は危険材料であるというのもあるし、帝国は同盟とも、あるいはオクシアナ合衆国とも接しているため、王国にとっては敵の戦力を分散させる意味でも、帝国を味方につけておく意義は極めて大きい。

 ヘルムスは読みの鋭い男であるだけに、老人の知恵に舌を巻きつつも、期限を明言せずに承諾の意だけを伝えた。同意しても、その時点ではいかなる公的な盟約も王国とのあいだには結ばれない。いわば時限付きの密約である。条件が揃い、時が来れば帝国側の判断で密約を発効させることができる。

 そして、状況はトゴン老人の見立て通りに運んだ。王国軍は同盟のイシャーン王の領土からヨーク川を迂回し、ブリストル公国を象が蟻を踏み潰すような容易さで併呑し、さらに同盟内部で深刻な武力抗争が勃発した。ランバレネ高原の会戦では、イシャーン王に王国軍が、ラドワーン王に合衆国軍がそれぞれ協力して、後者の戦略的勝利に終わった。

 その後、くだんのトゴン老人は病に倒れ没したが、状況はなおも彼の予測通りに推移した。ロンバルディア教国が同盟のラドワーン王及びオクシアナ合衆国軍に賛同し、一連の紛争に軍事介入すべく、帝国領内の通行権を求めてきたのである。

 これには、ヘルムスも戦慄せんりつした。まるで地下深いひつぎの中から、あの醜い猿のような顔をした老人が、その書き起こした筋書きの通りに現世の人々を操っているかのような、不気味で不快な想像を呼び起こしたからである。

 ヘルムスは教国の使者を相手にそれらしく要求を申し渡し、通行を認めるとした一方、内心で帝国の方針を中立から参戦へと切り替えた。断固たる決断力という点で、彼は同時代のどの指導者にも引けはとらなかった。

 ロンバルディア教国軍を領内に引き込み、奇襲を仕掛けるとともに、教国領及び同盟領へと侵攻する。

 彼は軍の幹部と作戦準備を進めるとともに、数日、大陸全土が描かれた地図を見つつ過ごした。

 彼の目には、精強なる帝国軍によって征服されるべき地が、地図上にくっきりと塗りつぶされているようにも見えた。

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