第3章-⑦ 最後の夜

 ロンバルディア教国の東部に位置するカルディナーレ神殿に、プリンセス一行が到着した。

 カルディナーレ神殿は、同国の宗教上の中心とも言える地で、術者の力の根源である七種の気を、七玉に封じて祭祀さいししてある。

 七玉といっても実際はそれほどたいそうなものではなく、それぞれの術式に対応した宝石を集めて、至宝なりと称しているだけである。例えば光玉とされているのは、世界最高の貴石と言われるダイヤモンドという宝石である。

 カルディナーレ神殿は教国各地の神殿の総本山であって、宗教的権威の元締めでもある。

 神殿における最高指導者である神官長は、ロンバルディア教国の重要閣僚に列せられる。事実上の首相である枢密院議長、副首相である枢密院副議長に次ぐ発言力があるのだ。

 また神殿を守護する神殿騎士団も、教国では隠然たる影響力を有していて、教国全土の各神殿に駐留する騎士団の総兵数は、3,000名を超えるとも言われる。

 この両職を兼任していたジルベルタ女史は、プリンセス暗殺未遂事件に神殿騎士団の一部が加担した責任を取るため解任が決定しており、現在ではそれぞれ後任者が職務にあたっている。そのため、正式な役職交代こそプリンセスの女王即位に伴う新体制移行を待ってからとなるが、戴冠たいかん式のため神殿を訪れたプリンセスを出迎えたのは、後任の神官長ロマン女史と、同じく神殿騎士団長のランベール将軍であった。前者は36歳、後者は25歳という若さである。

「プリンセス、お運びをお待ちしておりました。プリンセスの戴冠に立ち会えますこと、望外にして生涯の幸いでございます」

 ロマン女史は神官となる前は従軍看護婦であったという異色の経歴の持ち主で、宗教や儀礼はもとより、理財や天文にも明るい才女で、ジルベルタ女史の補佐役であった頃から、神殿の経営は実質的に彼女が担っていたところであった。控えめで淡白でおよそ人に笑顔を見せることのない性格なので、常に目立たない存在だが、内外からの評価は高い。

「プリンセス、ようこそお越しくださいました。先日の神殿騎士団の不始末、衷心ちゅうしんよりお詫びいたします。私の責任において、騎士団の綱紀粛正を進めることを約束いたします」

 一方のランベール将軍は、プリンセス暗殺未遂事件において叛逆した神殿騎士を動揺することもなく直ちに討ち取り、名を上げることとなった。神殿騎士団は純粋な武力というよりは儀礼遂行のために用いられることが多く、指揮能力を必要とされないので神官長との兼任で団長を務めるのが通例であったが、彼はそのような特異な組織において初めての男性による団長で、武断的な風貌と性格を持っている。

 ちなみにロンバルディア教国で将軍の呼称を得る者は、各師団の副師団長以上の軍人と、新たに創設される旅団長、あとは神殿騎士団の団長に限られている。将軍は、それ自体は役職でも階級でもないが、いわば名誉としてそう呼びならわされている。

「お二方とも、ありがとう。明日の戴冠式、よろしくお願いしますね」

 プリンセスは光沢のあるシャンパンゴールドのドレスをまとい、アンナのエスコートで馬車から降り立って、両名に握手の機会を与えた。その表情は明るく輝きに満ちていて、絶え間ない戦役や政務、移動の疲労などは微塵も見えない。

 戦場では戦闘服にマントを羽織り、雄壮な汗血馬に騎乗した英傑然とした姿であったが、各種国事行為や儀式など、次期女王としての務めを果たす際には、まるで人変わりしたような見事な王女ぶりである。立ち寄る町では常に熱狂的な人気で迎えられ、誰彼となく気さくに話しかけるので、彼女とわずかな時間でも会話できた者は、喜びと感動によって大いに満たされた。

 プリンセスが身に着けたドレスは、たちまち模倣品が店頭に並び、家計に余裕のある婦人らが殺到して、一種の流行を形成した。プリンセスは服飾に造詣ぞうけいがあり、そのドレスも彼女自身が意匠を凝らしたものがほとんどで、そのためプリンセスの即位以前と以後で、ロンバルディア教国の社交界におけるファッションは劇的に転換されたと言われるほどである。

 戴冠式は、諸々の準備や休養などもあるため、この翌日に行われる。

 随行する者は前回より少なく300人ほどである。文官では枢密院副議長のフェレイラ子爵や枢密院財務局長ベルトラン、武官では王立陸軍最高幕僚長ネリ将軍、さらに新設される第四師団の長であるグティエレス将軍、これも新たに創設される突撃旅団の長として内定しているコクトー将軍あたりが主立つ顔ぶれである。

 女王戴冠式はこの国では形式的な性格が強く、カルディナーレ神殿もあまり多くの人数を収容しきれないために、小規模かつ簡素に行われるのが通例である。神官長と上級神官及び神殿騎士団の幹部と文武の代表者が儀式に立ち会い、近衛兵団の護衛班が神殿の内外を巡視する。

 その程度の規模である。

 無論、戴冠式も各地から野次馬が詰めかける。特にプリンセス・エスメラルダは抜群の人気を得ているので、野次馬の数だけでも相当なものである。

 ただ戴冠式のあと、レユニオンパレスに文武の重臣や神官、貴族、各国の使節、さらに有力な商人や富豪を集め開かれる即位セレモニーの方が、イベントとしてははるかに盛大に行われるし、重要な式典として認知されている。セレモニーは、国都アルジャントゥイユの市民に対しても宮殿バルコニーからお披露目が行われ、さらに後半は新女王を取り巻くパレードが国都を巡るので、式典としてはその頃が最高潮を迎えることになるだろう。

 夜は神殿内の食堂で会食となるが、宗教上の戒律により禁酒となっているので、料理を平らげて早々に自由解散となった。

 その後はプリンセスの要望で、グティエレス将軍による陣法の講義が食堂の机上で2時間にわたって繰り広げられた。

 プリンセスの抜擢人事によって引き上げられた文官武将には、変わり者が多いと評判で、なかには数段昇格した者もいる。

 とりわけこのラモン・グティエレス将軍は、奇士のなかの奇士と言えるだろう。

 年齢は45歳。長身細身で、肌は日焼けした小麦色、唇の上に細い髭を生やしている。長く伸ばした黒髪を後ろで束ね、たたずまい、所作は静かで緩やか、どことなく老仙人を思わせる神韻縹渺しんいんひょうびょうたる雰囲気をまとっている。

 もとは南方の都市エクランの大学の書生、いわば研究員だったが、のち引き上げられて近衛兵団士官候補生の戦術教官を務めた。今、近衛兵団の幹部となっている者のほとんどが、グティエレス教官の指導を仰いだ世代である。エミリア、アンナ、ジュリエットらがそうである。見聞を広めるため教官を辞し、大陸の中央に位置するブリストル公国で名将カニンガム将軍の知己を得てその用兵思想を学び、大規模な会戦にも幾度か立ち会って貴重な経験を積んだ。

 が、一兵を指揮したこともない。

 カニンガム将軍の病死後、帰国して待命していたところに内戦が勃発し、いち早く従軍を願い出たものの折悪しく流行の肺炎をわずらい、国都で療養している間に戦乱は終結した。

 プリンセスが新体制における軍の人事、特に実戦部隊の指揮官を思案しているなか、エミリアが候補者の一人として彼を推薦し、面談したプリンセスも彼の用兵家としての実力に驚嘆し、即座に師団長への就任を決定した。

 戦場での指揮経験がない者を、いきなり師団長に抜擢するというので、文武百官は面食らったものである。

 古代の重装歩兵による斜線陣や大陸の東方地域で発展した八陣などについて詳しく講義を受け、知識欲を存分に満たしてから、プリンセスはようやく神殿内の貴賓きひん室へと引き取っていった。

 最後に、エミリアとグティエレス将軍だけが残った。かつての近衛兵見習いと戦術教官として、このふたりはいわば師弟の間柄である。

 まだ少女と呼ばれる年齢であった往時の癖が抜けず、エミリアは師をこのように呼ぶ。

「教官」

「私はもう教官ではないよ」

「では将軍」

「それも慣れんのでむずがゆいな」

 なにかね、とグティエレス将軍は促した。静かで、落ち着きのある、どこか格調の高さを感じさせる声である。のち「老仙グティエレス」と称される所以ゆえんである。

「世界を知るあなたに伺いたいのです。今、世界はどのように動いているのでしょうか」

「ほう、さすがだな。君も世界に目を向けているとは。プリンセスからも、先日の初対面で同じことを聞かれたよ」

「左様でしたか」

「今は大陸中に動乱の気配が漂っている。バブルイスク連邦のマルコフ議長、オクシアナ合衆国のブラッドリー大統領、レガリア帝国のヘルムス総統ら、各国の指導者に英雄が続々と輩出している。ことに隣国レガリア帝国のヘルムス総統は野心満々、先年も内紛に乗じてコーンウォリス公国を併合して領土拡張に動いている。早晩、戦乱の中心となるだろう」

「我が国はどう動くべきと?」

「それはプリンセス次第である」

 ただプリンセスのご意向はどうあれ否応なく争乱に巻き込まれることにはなるだろう、とかつての教官は自信ありげに断言した。

 実際、将軍の述べる通りに情勢は動いている。

 ここ数年、四海は沸き立って、各地に英雄が興り、戦雲がたなびき始めている。特にグティエレス将軍が挙げた各国指導者たちはまさに雄材大略の持ち主と言うべきで、バブルイスク連邦の血の十七日間と呼ばれるクーデターでユーリ・マルコフがったのを皮切りに、近年ではレガリア帝国が領土意欲を燃やしていて、さかんに攻撃的外交を繰り広げている。

 レガリア帝国の最高指導者はベルンハルト・ヘルムス総統で、強力な指導力と大衆の絶大な人気を背景に、ロンバルディア教国に対してもその野心的なダークブラウンの瞳を向けている。

 今回の内戦においても、叛乱陣営を裏で支援し、教国の内部分裂を促進しようとした油断ならぬ梟雄きょうゆうである。新様ロンバルディア教国にとって、彼と彼の勢力は仮想敵であると言っても差し支えない。

「やはり、我々にとってかの国は敵なのでしょうか」

「それは少し違う。かの国にとっての敵が、我々なのだ」

 聡明なエミリアには、グティエレス将軍の言葉の意味が充分以上の確信をもって察せられる。つまりは我々が彼らを敵視しなくとも、彼らが我々を敵としている以上、遅かれ早かれ戦いは避けられないということであろう。

 レガリア帝国は強国である。紛争が起きたとして、勝てるであろうか。

「不安かね、エミリア」

「いえ、我が軍には天嶮のヴァーレヘム山脈があり、難攻不落のカスティーリャ要塞には知勇兼備のデュラン将軍が第一師団長として赴任されることが決定しております。国境線は万全の守りで、恐れることはありません」

「それが甘い。過信と侮りが判断の甘さを招く。君とあろう者が危ういことだ」

「確かに、おっしゃる通りでした。迂闊うかつを反省します。しかし教官、いえ将軍」

「何かね」

「私はもともと将軍を、参謀としてお迎えになるよう、プリンセスに助言いたしました。プリンセスも当初はそのように考えておられましたが、何故、前線指揮官としての地位を受けられたのですか」

 常は沈毅なグティエレス将軍の表情が、わずかに柔和に変化した。

「プリンセスに拝謁して感じたのだ。あの方に参謀は必要ない。必要なのは手足となって動く将軍たちだ。あの方の戦略眼は私や君を超えている。それに身辺の補佐役には、君がいるではないか」

 エミリアも、目元と口の端に淡い笑みを浮かべた。プリンセス以外に、彼女がこのような表情を見せるのは珍しい。

「ところで」

 と、グティエレス将軍が話題を変えた。彼は、かつての教え子で、士官候補生として卓抜した才能の持ち主であったこの教え子との対話を楽しんでいるようでもある。

 近衛兵団はエリート制度で、士官候補生として選ばれ特別な訓練を受けた者だけが百人長以上の幹部に進むことができる。この士官候補生になれるのは女性だけで、ゆくゆくは王族の身辺警護や宮殿の警備責任者といった役割を果たすこととなる。

 近衛兵団にいわゆるたたき上げの将校が存在しないのは、この徹底した女性エリート主義による。

 エミリアはそのなかでも十年に一度の逸材と言われ、幼い頃から才気煥発の誉れ高く、グティエレスにとっても印象に残る教え子であったに違いない。

「君はプリンセスの即位後は宮廷顧問官になるそうだな」

「はい。私が常に傍らにいられるように、プリンセスがご配慮くださったのです」

「それは国のため重畳ちょうじょうなことと思う」

 近衛兵団長を辞し、宮廷に出入りする正当な地位を失ったエミリアのために用意された新たな地位である。

 宮廷顧問官は女王に対し情報提供や助言、指導を行う顧問団で、芸術家や料理人から、科学者、技術者、占い師、大富豪や資本家など雑多に構成されていて、総勢は80名ほどである。これらは王族の居住エリアを除き、王宮を自由に歩くことが許され、女王に対して直接、陳情や提案などができる立場である。

 プリンセスはエミリアにこの地位を与え、さらに護衛役も兼ねることとして、特例で帯剣も許可する方針でいた。つまり近衛兵団からは引退したが、事実上、これまで通りにプリンセスの補佐にあたることができるというわけである。

「エミリアは、自らの人事について、プリンセスの意中をどのように考えているのか」

「確信はありません」

「言ってみたまえ」

「私はこれまで、プリンセスの護衛と身辺のお世話が主な役目でした。しかし、今後は国家の枢要にあって、自らの意思決定に役立てるようにお望みかと」

「けだし君の考える通りであろう」

「そのためにも、将軍はじめ、賢者からぜひご指導を頂戴できれば幸いです」

「私ごときでよければいつでも道を示そう」

 神殿の周囲は、戴冠式の日程を聞きつけわずかでもその恩徳と余光を拝もうと、数千人からの見物人が集まって野宿をしている。

 そのためあちこちで酒宴が開かれたり喧嘩が起こったりと少々騒がしく、近衛兵団と神殿騎士団も歩哨を多数配置して夜通し警戒態勢を敷いた。

 エミリアは割り当てられた自室に戻る途中、プリンセスの部屋の前を通りかかった。

 三名の近衛兵が宿直として警備にあたっている。

 そのうちの一人は、エミリアが負傷療養した際、つきっきりで看護と介助を行ってくれたルースという15歳の女性近衛兵である。

「今日は、ルースが当直か」

「は、はい!」

 ルースはエミリアに憧れ、尊敬もしているというので、加療期間を片時も離れず過ごしたわりに、未だに彼女に声をかけられると緊張するらしい。

 外が騒々しく落ち着かない一方で、神殿内は嘘のような静けさである。明日の戴冠式に備えて、どの高官らも早めに寝静まっているのであろう。

 (プリンセスがプリンセスであられる、最後の夜か)

 明日にはこの国の女王になられる、と思うと、エミリアは心地よい疲れとともに、興奮や喜び、寂しさ、緊張といった別種の感情がい交ぜになった複雑な気分を催して、いくらか持て余した。

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