術士奇譚-②

 建前としては客人であったが、表面を見れば捕虜の扱いであった。

 連行した側としては、有無を言わさず従わせる必要があった。選び抜かれた精鋭達が、護衛と称して老人を囲み、馬車に押し込んで連れて行った先は、敵国との境界線にある要塞であった。

 そこでは、体躯たいくに恵まれた壮年の将校が、老人を待っていた。彼は、この要塞を預かる司令官の直属の部下で、噂される老人の能力の真贋しんがんを見極め、まことであれば協力を要請(実際には強要してでも)し、にせであれば斬り捨てるという役目を帯びていた。仮にこの将校を、「連絡官」と統一して呼ぶことにする。

 連絡官はまず口述問答から始め、ちまたに流布される驚天動地の奇跡がまことかを尋ねた。

「ホッホッ、真実であるよ」

 何がそれほどに面白みを感じるのか、老人はしきりと笑い声を漏らし、人を食ったような態度である。

 連絡官は少々不快に思ったが、顔色には出さず、風説の一つひとつを挙げ、冷静にそれが事実であるかを確認していった。

 田畑や野原を杖の先で触れると、次の朝には茶や柑橘かんきつが実ったこと。

 家畜を杖で撫でたところ、翌日には丸々と太り、数も増えたこと。

 井戸に杖が触れた次の日は、酒や砂金が湧いたこと。

 あるいは一夜で屋敷を建て、妙齢の女を手懐てなずけ、さらに三日三晩酒を飲み続けて一睡もしなかったこと。

 それら全てが老人の仕業しわざであることを知ったあと、連絡官は本題を切り出した。この男、大柄の髭面で一見して粗野な武骨者といった印象だが、口調に知性と迫力と爽やかな切れ味がある。老人の一挙手一投足を見極め、その出方によっては対等に取引するなり、取り囲んで脅迫するなり、力づくで従わせるなり、瞬時に動こうという意図がにじんでいた。

 要請の内容はこうである。

 現在、彼らは隣国と戦争状態にあり、この要塞を境界として、小競こぜり合いを繰り返している。できることなら敵を押し返したいが、いくつか理由があって、苦戦を強いられていた。

 ひとつ、要塞内で疫病が蔓延まんえんし、兵力と士気に不足があること。

 ひとつ、長引く戦いで武具がいたみ、装備で劣ること。

 ひとつ、物資が欠乏し、新たな作戦を起こせるほどの水や食料に事欠くこと。

 要は、それらの解決を、この老人の妖力に期待しているのである。

 話に聞くところでは、不毛な荒れ地もその杖で触れれば沃野よくやに変わり、頑丈な家も一晩で用意できるという。となれば、水や食い物を増やし、武具の新調などはたやすいであろう。物資に恵まれて自然と士気は上がり、栄養状態がよくなれば疫病も落ち着くかもしれない。

 しかし、老人はかぶりを振った。

「何故か」

いくさの手伝いは愉快ではない。戦は己を傷つけ、隣人を傷つけるものだ、好みはせん」

「老公。志は立派であるが、承服いただけぬと我々も困る」

 そののちも数日にわたり、手を変え品を変え様々に説得を試みたものの、老人は意外に頑固で、要求を断り続けた。恐怖心がないのか、脅迫してもにやにやしながら黙っている。

 連絡官は本意ではなかったが、いることとした。

 まず、睡眠を与えぬようにした。捕虜を拷問するときの経験から、堅固な意志や正常な判断力を奪うには、眠らせないことが第一であると知っていたのだった。

 無論、身体的苦痛も加えた。まず鞭で打ち、次いで爪を剥ぎ、歯を抜き、さらに石抱(いしだき。正座に座らせ後ろ手に縛り、膝に重量のある石を乗せて固定する刑・拷問方法)に処した。

 その間、食事も与えず、水さえ飲ませなかった。

 それら老人への責めようは苛酷を極め、7日目にはついに老人の肉体は骨と皮だけに衰え、正体のないむくろも同然になった。相変わらず表情だけはとびきり幸福そうだが、その首から下は生きているのが不思議なほどの有り様で、さすがに夜が明ければ息絶えているであろうと思われた。

 翌朝、連絡官が部下を連れて湿気の多い地下の監獄へ下りると、老人が固く縛っていたはずの縄をほどき、むしろの上に横たわり肘枕をした姿で、彼らを出迎えた。

 狐狸こりが化けているのか、それとも妖怪の仕業か、あるいは真に大いなる力のなせるわざか。

 にわかに信じがたい光景を前に、一同ぎょっとして呼吸さえも忘れた。

 立て続いた責め苦に傷つきしぼみきった老人の体は以前の姿に戻り、剥いだはずの爪や抜いたはずの歯も揃っている。恐ろしい拷問を絶え間なく受けた後とは思えない、監獄に放り込まれる前の老人にすっかり戻ってしまっている。この数日の彼らの働きは無駄であったのだろうか。あらゆる手段でその偉大な力を引き出そうとした彼らばかりがじたばたとして、当の相手は平然と寝転がっている。

「そろそろそなた達の付き合いにも飽いた。おいとまする」

 剛胆な連絡官も、唖然として見送るほかなかった。今またこの老人を捕えて、拷問の続きをしたところで無意味であることを、理性よりも本能の部分で感じ取ったのであろう。ただ静かに見送って、その恨みを買わぬようにしたかった。

 ちまちまと歩き去る老人が、最後、背中越しに言い残した。

「世話になった。少し退屈ではあったがの。礼をしたいが、やはり戦に手を貸すのは気が進まぬ。だが、孫娘どもならば興味を持つかもしれんな」

 連絡官はしばらく立ち尽くし、老人の小さな後ろ姿が見えなくなってから、ようやく怖気おぞけをふるった。

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