即興短編集

野々村鴉蚣

絶対に負けない人

お題:打算的な敗北

制限時間:15分


☆★☆★☆★☆★☆★


 黒き石が私の表情を魚眼レンズのように歪んだ形で反射している。私は、右手に握られた小さな石に映る自らの頼りない瞳に思わず頬が緩むのを感じた。高校生囲碁全国大会に進むための貴重な試合。地区予選大会にて、私は次の一手を出せずにいた。それゆえに、どうやら表情までもが歪になってしまったらしい。


「40秒」


 隣から声が聞こえてくる。いつもなら気にも止めないその言葉が、嫌に私の精神を逆なでし焦りを掻き立てる。

 私は大して強い騎士ではない。囲碁を始めたのは今年の春からだ。そしてたったの3か月でみるみる上達し、気が付けば学校代表にまで選ばれる程の実力を得ていた。その理由は恐らく、私の対戦相手にあるだろう。


 彼は私が幼稚園に入学した時から中学卒業までの苦楽を共に過ごしてきた、所謂幼馴染というやつだ。彼は小さなころから元気な少年で、サッカー選手になるんだと息巻いていた。実際、彼には努力という才能が眠っており、小学校の低学年を終える頃になれば、地域でかなり有名な天才児としてうたわれるほどに成長していた。私はそんな彼の友人としていつもとなりを歩けることが何よりも幸せだったし、彼も日々「お前くらいだよ、俺を特別扱いしないのはさ」などと微笑んでくれていた。

 中学校に進学するころになれば、彼の下へ東京からスカウトマンまで押し寄せてくるほどの人気ぶりだった。彼は天才と称され、地元紙の一面を飾ったことだってある。

 しかし、ある時私と彼との間に大きな亀裂が走る事件が訪れた。

 それは、恋愛沙汰である。彼が中学入学時に一目惚れしたという女性に、運悪く私も惚れてしまったのだ。

 私はいつも、彼の一歩後ろを歩く金魚の糞みたいな存在だった。しかし、色恋沙汰が関わった途端二人の関係は一変した。いつまでも一緒で仲のいい幼馴染という関係から、女を奪い合うライバルにまで急変したのだ。

 そして、私と彼はその子への告白を賭けたゲームを行うことになった。じゃんけん、あっち向いてホイ、そしてテストの点数。そのすべてが、努力家の彼と私とで互角だった。

 そんなある日、彼は言い出した。


「PKしようぜ」


 彼も必死だったのだろう。ついに自分の得意分野で勝負を挑んできたのだから。しかし、私はというとその頃になって、もう恋愛というものが面倒に感じ始めていた。だから、二つ返事でOKを出してしまったのだ。よせばいいのに。


 結果として、私は彼に圧勝してしまった。

 どういうわけか、幼稚園時代のライバルがPK戦をするというニュースは瞬く間に広がり、彼は大衆の面前で私に敗北するという屈辱を味わうこととなってしまったのだ。

 それから私は、逃げるように遠くの高校へ進学し、彼が絶対にやらないであろう囲碁クラブに入った。


 しかし、そこに彼は現れたのだ。

 そして今、私がこの一手を打てば勝ててしまう状況にある。


 どうやら、彼は秀才で、天才とは私のことだったらしい。

 私は彼のために、打算的な敗北という道を選ぶことにした。

 もうこれ以上、彼の人生において足枷になりたくはない。彼にとって私は邪魔者かもしれないが、私からすれば彼は、私に付きまとう不運の塊にしか見えないのだ。


 私は負けた。

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