第99話 決戦前、戦支度は賑やかに
生憎の曇り空であっても天は広く、雲の白さは眩しい。草原に吹く風は涼しくて心地良かった。
僕達の街“
その中で少々他と趣が異なるが、一際に元気な声が漏れてくるのは、劇場だ。
「さあさあ、皆気張っていくよぉ! ついてこれない奴は置いてくからね! ほらほら、もっと輝けるでしょお!」
「なにふざけてるのよ」
「いやだってさあ、最終決戦ってテンション上がる響きじゃん?」
「真面目にやる!」
「はいすみませぇん!」
自由なシャロと、厳しく叱るサルビア。
道化めいた言動は、単なる遊び感覚なのか、緊張を和らげようと意図しているのか。
これはこれで彼らしく、妙に納得してしまう。
マラライアとワコは呆れて苦笑するばかり。これから指導が始まるとは思えない。
この二人は、交渉において必要な役割がある為にシャロに任せた。重要な意味を持った時間なのである。
それがようやく始まると、発声練習や台詞の覚え方のコツ等を真面目に教え出す。しかしやはり途中で珍妙な言動を挟んではその度にサルビアから叱られており、しかし軽口を止める気配はない。
おかげで端から見ると謎で、しかし和やかな空気感は指導の上で効果的かもと思わせる。
だからか見物人すら出てきていた。劇場は自由に出入り可能にしているからだ。
少々仕事を放置しても生活が回るのは、豊かさと平和の証拠である。
それは、もう一つの準備も同様。
劇場から離れて街の外れに様子を見に行けば、賑わっているのが遠くからもハッキリ分かった。
「努力が窺えますね。よく己を理解した動きです」
「ありがとう!」
アブレイムとカモミールが棒で打ち合っている。
温和な細めた目と裏腹な苛烈さがアブレイムの体捌きにはあり、それについていくカモミールにも感嘆する他ない。
教団との接触では、あくまで交渉が目的。
だが戦闘も予想される。こちらが交渉をしたくとも、相手が問答無用で捕縛に来る可能性はむしろ高い。
強引に交渉へ持ち込む戦力の確保、確認は前提となる準備だ。
カモミールは素早く空へ。
先の読めない飛行で撹乱し、勢いを乗せて叩きつける。華麗、かつ強烈な打ち込み。
が、あえなく空振り。背後からの鋭い反撃は体を捻ってかわし、再び空へと逃れた。
「その調子です。自由な飛行は妖精の真骨頂。活かしていきましょう。しかし直線的な軌道も織り交ぜた方が効果的です」
「うん、分かった!」
下方に向き合い、素直に頷く。
アブレイムへの態度は固くない。過去に厳し過ぎる指導は受けたが思うところはなく、むしろ尊敬の念があるようだ。
しかし見守る母としては不満があるようだった。
「おいおい、ウチの娘にアレはねえんじゃねえか!?」
「落ち着きなさいローナ。それに余所見は良くない」
「だって暇だろ」
投げやりな返事をしつつ、振り返る。
その先には陸鮫とゴブリンの団体がいたが、誰もが同じように地に伏していた。
こちらの戦闘訓練はひたすらに容赦がなく一方的に打ち倒していたのだ。
ボロボロの男が清々しさすら
「さ、流石は……暴虐妖精……」
「おい、俺達ゃ陸鮫だぜ! 舐められたままでいい訳ねえだろ!」
「だったらお頭が見せてくだせえ!」
「おうよ!」
頭目は気炎をあげ、勢いよく立ち上がった。傷だらけでも気力は十分。
しかしローナが顎で示せば、グタンが前に出て交代。
大柄な彼は頭目を見下ろすが、負けじと睨み返された。
そして真っ向から組み合う。互いに精霊魔法を用い、ぶつかれば風圧が周囲を乱す。
迫力はローナ相手の時より凄まじい。周囲の野次馬も興奮して観戦していた。
とはいえ、最終的には頭目が呆気なく転がされる。
「さて、次は誰だ?」
そこからは陸鮫とゴブリンが続々と挑み、やがて乱闘めいた形に。大いに熱狂し、酒まで振る舞われて盛り上がっていた。
当初の予定とはかなり離れてきたが、まあ、諦めるしかなさそうだ。
作戦の概要を説明、指示、指導。それらの進捗は確認できた。
やや娯楽に傾きつつあるが、不安に思うよりは笑顔を増やせたと肯定しよう。
「大丈夫そうだな」
見回りを終え、僕は自宅兼研究所へ向かう。
その前にはゴーレムが、ファズからソルフィーまで四体並ぶ。農作業や荷運びに貸し出す事もあるが今は待機中。我が子のように愛おしさをもって労る。
中は物が雑多に溢れている。研究対象と結果の山。遠征続きでほとんど滞在時間のないまま、手狭になってしまった。
片付ける時間の余裕がないと言い訳するのは悪徳だと理解し反省。
しかし今は、目の前の課題に集中する。
師匠とクグムスが机に向き合っていた。
視線は魔法陣を描き記した紙に固定。制作中の魔術である為、訂正等の書き込みもビッシリだ。
真剣に語り合い、僕が入ってきたのにも気付いていない様子。
大きめの声で呼びかける。
「師匠、戻りました!」
「ん? ああ。なら早く参加してくれ。とんでもないモンを考えた張本人なんだからね。ワタシも鼻が高いよ」
「光栄です」
手放しの褒め言葉に、胸の内が震える。報われる幸福に笑みが溢れた。
しかし続く厳しい言葉に、気を引き締め直す。
「ただ足りない部分が多いね。ワタシからも提供はするけど、それでもだ。楽しい楽しい試行錯誤をしようじゃないか」
「……助かります」
これまでの南方での冒険の中で、僕は様々な知識を得た。
新しい魔術はそれらを参考にして組み上げようとしている。
だが、参考はあくまで参考。全く新規に組み立てなければならない要素もあり、難航していた。
三人がかりでも遠い。
探究の覚悟は既にある。幸せな過酷さに身を置こう。
クグムスだけやや固さがあるのは経験不足というか、気負い過ぎているのかもしれない。
師匠は楽しそうに図の一部を指差す。
「さて、まずはここだ。神獣の神官が使った魔法の応用なんだろうが、今回の用途とは噛み合いが悪いんじゃないかい?」
「そうですね。しかし神殿と繋がる要素は必要ですし」
「ああ。だからそこだけを抽出すればいい。余計な部分が多過ぎるよ」
「……確かに。彼の魔法への理解が甘かったようです」
「ボクが彼に聞いてきましょうか」
「いいやそれには及ばない。既に聞き出してる」
「流石です」
師匠はやはり的確に助言してくれる。むしろ師匠の専門分野に近いのだから当然ではあろう。過去の研究成果も大いに役立つ。僕の提案だとしても第一の功労者は師匠だ。
とはいえ簡単ではない。
師匠でも何度も詰まる難題。それだけ大掛かりな魔術であり、世界の奥深さと神の偉大さを思い知り、しかし熱い嬉しさが常にある。心折れる暇などない。
僕の信仰と祈りの集大成であるからだ。
熱い議論。厳しい指摘。痛烈な訂正。
僕とクグムスも食らいつき、時には師匠も驚くアイディアを出せた。
少しずつ、少しずつ、足跡は連なる。
魔法陣は完成に近付いていく。
時も忘れて、僕達は知恵を積み重ねた。
「やはり教団の秘蔵する……ん、んんっ!」
「なんだい、もう限界かい?」
「……師匠こそ声がかすれていますよ」
「休憩にしましょう。もう暗くなっています」
クグムスに言われ、窓の外が大きく変化していたと知る。広げた紙も見にくいはずなのに、よく平気で続けていたものだ。
三人で揃って苦笑する。
喉の渇きに、空腹。今更になって急に意識すれば、考えるのも辛くなる。
熱中とは恐ろしい。
飲み物と食べ物を買いに行くのも
とりあえず水を飲み、保存してあった堅いパンと干し肉を噛じる。最近はこの街も人が増えて、店もある。だが今日中には完成させたいので最低限の補給でいい。
しかも頭は魔術理論の構築に動く。休憩になっていないと自嘲する。
と、そんな時。玄関が控え目にノックされた。
声をかければ、訪れたのはワコだった。
「ん。今、いい?」
「ああ、大丈夫だ。休憩中だった」
流石にしばし思考を魔術から切り離す。
姿勢を整え、先を促した。
「なにか問題が起きたのか?」
「他の人じゃ、だめ?」
声はか細く、視線が不安に揺れている。
口数が少ない彼女だ。
人前で交渉するのは苦手だろう。
僕も当然考えた。だからシャロに指導するよう頼んだのだ。
だが、解消されはしなかったか。
竜人であれば役目を果たせる適任者は他にもいるだろう。フダヴァスで何人も出会ってきた。
苦手を直すのを無理強いするのも良くない。
しかし、それでも。
「僕としては、ワコが適任だと考えている」
「なんで?」
「成功するか分からない難題には、やはり背中を預けられる信用が重要でな……」
「なら、信用出来る人を紹介する」
「……それは有り難いが……うむ、論理的な理由ではないな。あくまで個人的な都合で悪いが」
一度言葉を切り、ワコを見つめる。
「僕が、力を発揮できる」
この作戦は南方での冒険の集大成なのだ。
カモミールを始めとしてなるべく多くの仲間が揃う、そこに長らく一緒にいた彼女も同行するべきだと思うのだ。
……いや、これは言い訳じみているか。
言語化が難しいが、単純に大舞台を友人に見て欲しいだけなのかもしれない。幸せを分かち合う相手に親しい人物を望んでいるのかもしれない。
あくまで大切な友人の一人だ。少なくとも今は。
ただ、自分で言っておいてなんだが空気が妙だ。ワコも気まずい沈黙だし、クグムスは目を逸らしている。
だが師匠は大口を開けて笑っていた。
「きひひっ。お邪魔かい?」
「いいえ。むしろ先達の意見はお聞きしたい」
「おや。アンタもそれでいいのかい?」
「ん」
無表情で頷くワコ。
師匠は静かに表情を厳しいものに変え、深みのある声音で問うてくる。
「なら聞くよ。大一番だ。何の為にここまでするのか、動機の根本はハッキリさせた方がいい。体力知力を尽くした最後の最後に役立ってくれるはずだよ」
「はい。よく理解しています」
「だったら考えな。この大仕事が終わったら、アンタは落ち着くのかい?」
師匠の問いは急かすよう、いや、より深みを要求するようだ。
ワコを見れば、表情は変わらない。ただ答えを持っている。
僕は、首を横に振った。
「いえ、やはり落ち着くのは性に合いません。未知がある限り探究を続けるでしょう」
「きひっ。それでこそワタシの弟子だね」
「師匠こそ実地調査は続ける気でしょう」
「当然さ。まだまだ現役だよ」
「それに」
僕は平穏より、冒険。未知を求めずにいられない。
探究こそが神への報恩だと信じるが故に。
そしてそれは、孤独な道ではない。師匠も、それから。
「ワコも同じでしょう」
「ん……知らない場所の絵なら、見たいし、描きたい」
未知を恐れず、求める瞳。
やはり、彼女のそれは見覚えのあり過ぎるもので。
「なんだ似た者同士じゃないか」
「はい、そのようです」
改めて彼女の性格を確信する。
そうだ、この共感があるから、僕は彼女の存在を近くにいて当たり前のように認識しているのだ。
自然と想像が浮かぶ。
研究と芸術、それぞれが自由に楽しむ二人旅。
「悪くないです」
二人、ワコと目を合わせる。同志の共感。この沈黙も悪くない。
悪くない、が、僕には他にも背負うものがある。
カモミールもこの街も、決して放置は出来ない。教え、発展させる。幸せな平穏を作り、維持する。
僕には言い出した者の責任があるのだ。
まだまだ当分は見守り、働かなければならない。
だが、子供は親離れし、親も子離れするもの。
だから、いつかだ。
異なる道に進む未来。
かなり気が早いが、夢や空想が力を生む事もある。
「冒険は帰る故郷あってこそだ。まずは皆の平穏を盤石にしなくてはな」
僕の言葉には頼もしい同意が返る。楽しい楽しい決意の笑顔だ。
責任と夢の重さを再確認した上で、改めて僕達は魔術構築を再開するのだ。
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