第2話 餡子は手で持つ時代

「え、それってどういうことですか?」


「いやこの店ね、デカ盛りで有名なんですよ。可愛らしい女の子二人で食べられるのかなと思ってね」


 男性と同じテーブルを囲んでいた女性が身を乗りだした。真っ赤な口紅を塗った唇が、せわしなく閉じたり開いたりしている。


「ここがですか?」


 「可愛らしい女の子」と呼ばれたことなんか忘れる程の衝撃だった。まさか適当に入ったお店が大盛の店だったとは。


「いやでもあれね。今どきの若い子はこれぐらい食べられちゃうのかもね」


「あっはっは。それもそうだな。お嬢ちゃん達、頑張ってね」


 そう言うと夫婦は二人に軽く手を振り、そのまま会話を初めてしまった。


「ねぇ、デカ盛りってほんとかな?」


 モモエが心配そうに聞く。彼女が気にしているのは「食べられるかどうか」というよりは「新幹線に間に合うかどうか」だった。残りは後五十分程。新幹線のチケットはもう購入済みである。


「まぁ大丈夫でしょ。私お腹空いてるし」


 サエはそこまで心配していないようだった。むしろ人生初の「デカ盛り」を少し見てみたい気さえしていた。彼女にとっては突発的なイベントのように感じられたのだ。一方でデカ盛りを甘くみている節もあって、本当に食べられそうな気がしていたし、新幹線だって駅まで走れば間に合うと思っている。


「ちょっとサチ、これ見て」


 モモエは、そんな楽観的なサチにスマホの画面をみせた。彼女が見せたのはとあるSNSアプリで、写真がいくつも並んでいる。


「うわ、これもしかして……」


 思わず口をふさいだサチが見ていたのは、想像をはるかに超えるデカ盛りの写真だった。平べったいお皿に溢れんばかり乗った五目面や、通常の八倍はあるであろう餃子が並んだ定食。お米も全て、桃太郎に食べさすように山盛りだった。


「『タヌキ食堂』って検索したら出てきたの。本当にデカ盛りの店っぽいよ。ほら、これも見て」


 モモエは写真に写っていた茶色っぽいものを指差す。それは山盛りのキャベツに、寄りかかる大量の唐揚げだった。それはまるで、野原に転がる巨大な岩だった。


「私が頼んだ唐揚げ定食ってまさかこれかな?」


 モモエの表情が歪んでいく。


「じゃあ私が頼んだチャーシュー麺って……」


 サチも見つけてしまったのである。巨木のようなチャーシューが横たわるラーメンを。


「よく考えて。これ値段千円もしなかったよね。流石にこれは別物なんじゃない?」 


「でももしこれが本当に来ちゃったら、サチ食べられる?」


 サチは氷のように固まった表情で首をゆっくり横に振った。二人はそれから無言で周囲の会話や食器がぶつかる音を聞いてみた。デカ盛りらしきものを食べている人はいないが、皆のお皿は通常よりは大きいサイズのような気がする。


「すいませーん。タッパください」


 遠くから声が聞こえた。今の二人にとてそれは、恐怖の言葉に違いなかった。


「タッパってもしかして、多すぎるご飯を持ち帰るための?」


「モモエびびりすぎだって。多分元々小食な人なんだよ」


 そう言いつつも、サチはタッパーを頼んだ小太りの中年が小食だとは思えなかった。


「そ、そうだよね。それにもしデカ盛りだったとしても、タッパーがあるなら持ち帰れるしね」


「ここから家まで、ぱんぱんのリュックの中に詰め込むの? 匂いの強そうな唐揚げと、液体のラーメンを?」


 そう言われて、モモエは黙り込んでしまった。確かに、唐揚げはともかくラーメンをタッパーにいれるなんて現実的ではない。


「あーあ。こんなことならリュックにあんなに詰め込むんじゃなかったね」


 サチは足元の膨らんだナップザックを見つめる。旅行初日と比べて、三倍ほどは大きくなっている気がする。


「私もだよ。でもやっぱりお土産は欠かせないと思って……」


「まぁ、絶対自分で食べちゃうんですけどね」


 そう言いながらサチはナップザックを少し開けて中を見た。中には同じ箱が三箱も並んでいる。そしてモモエのナップザックにも、同じ箱が三箱並んでいる。


「私達『持ちやすくした餡子』買いすぎたよね」


「え? 私はもうちょっと買えばよかったなと思ってるけど」


 サチは茶色とクリーム色の箱を少し撫でながら言った。


・・・・・・


 旅行二日目、つまり昨日のこと。二人は温泉街を散策していた。名物を無理やり混ぜ込んだソフトクリームやジュースを珍しそうに見ながら、美味しそうな物はないかと探していた。


「あ、あれ絶対温泉まんじゅうだよ」


 サチが指差す方向には、湯気が上がっている店があった。頭に三角巾を付けたおばさんがトングで木箱の中にあるものを随時動かしている。


「食べ歩きに丁度いいね」


 そう言って、二人はお店に近付いた。黒糖と餡子の甘い匂いがどんどん強くなっていく。店に着き、木箱の中を覗くとやはりそこにはイメージ通りの温泉まんじゅうがあった。カラメル色で中央には解読不可能な漢字が四つ並んでいる。しかしその隣には想像していないものもあった。温泉まんじゅうと形は似ているのだが、色は白と黒だった。


「お姉ちゃんたち、ぜひ食べ比べしてみて」


 おばさんはそう言うと、二人の返事も聞かずに温泉まんじゅうと白黒のまんじゅうを二つに切って二人に渡した。


 モモエは試食にしてはあまりにも大きいサイズに戸惑いつつも、お礼を言ってまずは温泉まんじゅうから食べてみた。味はいつか食べたような想定通りの味だったが、旅行先で食べる出来立てのものは、やはり美味しかった。それからすぐに、例の白黒まんじゅうに手を伸ばす。断面を見て初めて気が付いたが、黒色の正体は餡子だったようだ。周りの白い皮があまりに薄く、所々粒あんの粒がはみ出しているらしかった。


「これ、ほとんど餡子だね」


そう言うと、サチも大きく頷いた。


「ね。もはや餡子を持ちやすくするために薄い皮で包んでるって言った方が正しいよ」


 モモエは確かに、と笑いながら手に持っている餡子を食べてみた。やはり餡子で口がいっぱいになり、もはや白い皮の部分の味などしなかった。想像以上に小豆の粒が入っていて、それを上顎と舌で潰して食べるのがなんとも癖になる。


「ちょっとこれ本当に餡子じゃん」


「そうよ、これはほとんど主人が作った自家製の餡子なの。小豆が柔らかくて美味しいでしょう」


 おばさんは、サチの大きめなリアクションに喜んでその後も説明を続けた。商品名やこの形になった理由など教えてくれたが、口に残る甘い小豆の風味に夢中で覚えていない二人であった。


「この『持ちやすくした餡子』、なんか癖になるね」


 サチは勝手にこのまんじゅうに変な名前をつけていた。おばさんが横から「薄皮まんじゅうね」とツッコんでも訂正する気配はなかった。


 それから二人は、大盛り上がりで「持ちやすくした餡子」の箱を何箱か抱えた。


「ちょっとこれ買いすぎかな? 餡子の致死量超えてない?」


「死因餡子だったら、悔いはないかもしれない」


 心配そうなモモエをよそに、サチはまた一箱追加した。


「あら、気に入ってくれたのね。ありがとう」


 おばさんは二人が購入する数に少々驚きながらも、テキパキと会計処理をした。



 その日の晩、二人は苦い地酒を飲みながら今日の思い出について語っていた。


「あしたでもう最後か」


 モモエが寂しそうに言う。そして机の下では、大学からのメールを確認していた。この旅行中はあまり見ないようにしていたのだが、セミナーやインターンのお知らせが何件か届いていた。この旅行が夢のように楽しかったせいで、普段の生活がとても苦痛に感じられる。特にこの旅行が終わってから就活を始めようと決めていたモモエにとって、この時間は何とも愛おしいものだった。


「やっぱり温泉旅行良いね。また来よう」


 赤い顔のサチは、ちびちびとおちょこに日本酒を注ぎながら言った。


「東京に帰ったら、色々やんなきゃなぁ」


「もう、現実的なこと言わないでよ。ただでさえ苦いお酒飲むの頑張ってるのに」


「サチはさ、就活とかするの?」


「うーん。私はもうちょい絵描いてたいかな。お金が尽きたらバイト増やすし。モモエは理系だから将来安泰でいいよね」


 サチのその発言を聞いて、モモエの頭の中には様々な反論が浮かんだ。「本当は私もやりたいこと続けたいのに」「お金よりも、自由に使える時間が欲しい」「理系の女子を求めている会社なんて見つかるか分かんない」。しかしどれを言っても、どこかで彼女を傷つけてしまう気がして言えなかった。


「確かに。私は普通に就職するから、もうこんな風に旅行行くのは難しくなるかもね」


「うん。そうだね」


 サチはそのとき初めて、二人のレールが少しずつ離れていくのを感じた。平行ではないレールは時間に比例して離れていく。そのどうしようもない寂しさから、ただでさえ苦いお酒が更に苦く感じるようになった。


「もうこれ苦すぎて飲めないかも」


「でも明日帰るから今日飲んじゃわないとね」


 モモエはあと半分は残っている日本酒を見つめた。彼女はお酒自体そこまで得意ではないので、「私が飲むから大丈夫」とは言えないのである。


「まぁでも、無理しないで。ちょっと苦いの休憩したら」


 そう言って彼女は、自分のナップザックの中から「持ちやすくした餡子」の箱を取り出して、丁寧に包み紙を破いた。


 サチはそれを一つ食べると、たちまち笑顔になった。主張の強い小豆の甘さが、苦い日本酒と調和して何とも美味しいのである。


「これ、日本酒にびっくりする位合うよ。モモエもやってみて」


 モモエは言われるがままにお酒を注ぎ、それを口に含んでから「持ちやすくした餡子」を食べた。苦味を甘さが抑えて、甘さを苦味が抑えてくれる。彼女は自分の日本酒を飲み干すスピードに目を丸くして驚いた。


「サチ、これは私達『発見』しちゃったね」


 二人はそれから、飲んでは食べを繰り返し、お酒がなくなる頃には十二個入りの箱が空になっていた。


・・・・・・


 「昨日のは素晴らしい発見だったよね」


 モモエは机上の水を見つめながら満足そうに言った。あの餡子の味は、一日経った今でも余裕で想起できるほど強烈だった。


「家に帰ったらまた食べれるなんて幸せだよね」


「うん。ついでに日本酒も買っていこうかな」


「モモエは弱いんだから、飲みすぎ注意ね」


 そんな会話をしていると、横から


「はいお待ちどう~」


 と、ハスキーな声がした。

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