第34話 力を抜いた
空気にさらされた表面だけが黒く固まり。その下からは茜色の溶岩が不気味な光をたたえ、山を下ってきた。上を見上げると、もう僕らの視界には茜色の輝きに黒く蓋をしたような溶岩の流れと、青い空しかない。
魔法が届く距離に、溶岩が入る。
「エクスプロージョン!」
百人ほどの魔法使いが四列に並んだ隊列。
その最前列で杖を構えていた数十人の魔法使いが、一斉に火魔法を放った。使用されたのはアルバートも使った、火属性上位魔法、エクスプロージョン。
山に洞穴を掘ることが可能な魔法が立て続けに放たれ、迫りくる溶岩の勢いが弱まった。
同時にはじけ飛んだ箇所が空気に触れ、不気味な輝きが色を失う。
だが蒼き山は、遥か王都からも見えるほどに巨大な山。蓄えた溶岩の量も並大抵のものではない。
黒く固まった溶岩の下からは新たな溶岩が次々と噴き出してきた。そのたびに最前列の魔法使いはエクスプロージョンで弾き飛ばす。だが疲労のため一人、また一人と膝をついていく。
「交代!」
アンジェリカの号令と共に最前列の魔法使いがある人はよろめき、ある人は肩を貸してもらいながら後列へと下がる。
二列目が再び魔法を放つ。今度は水属性の魔法の使い手だ。クリスティーナもその列に加わっている。
「アイシクル・ロック」
杖の向けられた先、溶岩の上に白い冷気が集中していく。いや、水蒸気を放つ無数の氷の粒が一点に集まり、やがて石となり、岩となり、一抱え以上の氷の岩となる。
その中でもクリスティーナの生成した氷の岩は周囲の大人より一回り大きい。
やがて溶岩の中に数十の氷の岩が落ちていく。溶岩に溶かされながらも周囲の熱を奪い、全てを焼き尽くす茜色の輝きがくすんだ黒い石へと変わる。
表面だけでなく底の方まで冷えて固まった岩は、溶岩をせき止める。山頂からまっしぐらに駆け下りる茜色の輝きがあちこちで分かれ、そのすぐ下でまた一つに戻る。
その様は、石を避けて流れる小川のせせらぎをふと思い出させた。
やがて上位魔法を連発した二列目も、体力が尽きて三列目と交代する。
僕の許嫁は濃い青空のような髪が肌に張り付き、膝が笑っていた。
「後は任せて」
後ろの列に下がるクリスティーナの肩を軽く叩くと、手の震えがおさまるのを感じた。
三列目は土属性の魔法だ。僕は隣に並ぶ年上の人たちと共にトネリコの杖を構え、振り、詠唱していく。
「アース・ウオール」
ほとんどの人たちが土属性の上位魔法、「アース・キャッスル」で城壁のような壁を作り溶岩を食い止めるのに対し、僕は中位魔法の「アース・ウオール」で家の壁程度を作り出すのが精一杯だった。
でも僕を非難する声も、空気もない。
壁と重なることで、二段構えとなったより強固な城壁が張り巡らされていた。
だが山頂から次々と溢れ出る溶岩は、やがて城壁を乗り越えて滴り落ちる。でもその前にある僕の作った壁で、わずかな間時間を稼いでいた。
「アース・キャッスル」
「アース・ウオール」
城壁を、壁を二層にしたり、更に高くすることで防いでいく。だがやがて、城壁から溶岩が溢れ、巨大な皿に盛られた真っ赤なスープがしたたり落ちるかのように溶岩が垂れ始める。
ぽたり、と小さな家ほどはある溶岩の滴から、すさまじい熱気が溢れ出てくる。
熱気による体力の強奪と魔力の枯渇で、僕たち土属性魔法組も杖を構えることすらできなくなった。
恐怖の声が漏れ、隊列が乱れる。睨みつけるようにしていた視線を溶岩から逸らす人たちが出始めた。
でもその度に隣で闘う戦友と目が合う。
諦観したような、誇り高いような笑顔を浮かべ、隊列を整え直し最後列と交代した。
軍隊にしろ、命を懸けた戦いでは昔から隊列を組んでいたというけれど、その意味を目の当たりにする。逃げ出したくなっても、隣の仲間が励ましてくれるからだろう。
次は、風属性魔法だ。
修道女服に身を包んだカーラも加わり、サルスベリの杖を構えて魔法を繰り出す。
「オーバー・ストーム」
馬車の中でカーラが使った「ライト・ウインド」の上位互換。
地面の石つぶてさえ吹き飛ばすほどの突風が放たれ、あふれ出した溶岩の勢いが弱まる。同時に次々に熱風を吹き飛ばす暴風は溶岩の表面を冷やし、黒く固まらせていった。
戦闘は幾度となく繰り返された。
隊列の最前列が疲労して動けなくなれば、次の列の人が食い止める。幸いさっきまで宴席が設けられていたので、立ちながらでも食べられる軽食や飲み物には事欠かない。
水分補給や栄養補給のため隊列から離れても、「交代」のアンジェリカの号令がかかるとすぐに戻ってくる。
だけど徐々に、徐々に僕たちは押されていった。
悪魔のごとき溶岩は食い止めても食い止めても徐々に下り、僕たちの方へと向かってくる。
それなのに僕たちは体力や魔力を使い果たした人から一人、また一人と倒れていく。
小柄なカーラはすでに立つことすらできず、幾たびか噴火と対峙したという年配の人も倒れた。
アンジェリカもエリートだけど女子という体力のハンデは大きいのか、シスターの一人に肩を貸してもらってやっと立っている有様だった。
残っているのは僕を含めて男性二十名程度。
剣術の修業をしっかりやっていたことが役に立った。立っていることでさえ、杖を構えていることでさえ辛くても。
疲労困憊になるまで体を追い込んでいたためか、ギリギリまで立って、構えているコツが染みついている感じだ。
何十回目になるかわからない「アース・ウオール」を繰り出した時、ふと剣術で自分より強い相手から一本取った時の感じを思い出す。
たしかあの時は…… いや、思い出してる暇なんてないか。
大事なことを放置しているような。小骨が喉に引っかかった感じがするけれど、とりあえず今は、目前に迫った溶岩をどうするか。
「?!」
だけど急に、目前からじゃなくて。左右から溶岩の流れが出現した。
肌を焼き、呼吸すると喉の奥が火傷しそうなほどの熱量が襲ってくる。
「アイス・ミスト」
でも冷たい霧が僕らを包み、熱を防いでくれた。この暑さではわずかな冷たさでも、心が飛び上がるほど嬉しい。
でもクリスティーナが唱えてくれた氷の霧が晴れた後、僕は杖を取り落としそうになる。
土の城壁にせき止められた溶岩はそのままだ。乗り越えてきたわけじゃない。
それなのに、山の陰から別の溶岩が流れ出し、幾重にも分かれて下り始めていた。そのうちの二つが左右から、僕たちを囲むように。
「溶岩の量が多くなりすぎて、我々に見えない後ろからあふれ出した、というところかしら」
そしてもう一つは、蒼き山の急斜面を駆け下りてふもとの町へ迫ろうとしていた。
急斜面を流れるから、かなり流れが速い。名馬ですら飲み込むだろう。
「町が……」
「俺たちの家が、家がぁっ」
膝をつきながら涙を流す、この土地を代々守り、住み続けてきた魔法使いたち。悲痛な叫びが場を満たす。さらには銀笛の残酷な、力ない音色が奏でられた。
「皆様。下を向いている場合では、ございませんのよ」
左右から迫る溶岩が、完全に僕らを取り囲んでいた。
前から迫ってくる溶岩を百人で食い止めるだけでも、精いっぱいだった。それが二十人程度に減った人数で、四方からの溶岩を食い止めればどうなるか。
僕たちは、徐々に追い詰められていった。
慰霊祭を行っていた祭壇も、テーブルもすでに溶岩に飲み込まれてしまった。徐々に後退していくけれど、逃げ場がない。
今僕らがいる場所は溶岩の海に浮かぶ小島のようで。
まるで溶岩は散々彼らの進路を妨害した僕たちを、憎んでいるかのように感じた。
立っている人たちはもう数人。彼らですら杖を構える気力もなく、自分たちを飲み込もうとする災厄を呆然と眺めていた。
なんだ、これは。
こんなのと僕たちは戦おうとしていたのか。まさしく悪魔だ。
カーラは横になり、空を見上げながら古代語で祈りを捧げていた。
アンジェリカは膝をつき、しきりに謝罪の言葉をつぶやいている。公爵家令嬢に肩を貸す体力は、もう誰にも残っていなかった。
クリスティーナは何も言わない。ただ、僕を見る目はとても穏やかだった。
僕は一人、バカみたいに杖を剣みたいに構えて突っ立っていた。
あと一発くらいなら魔法を放てる、みんなと違って中位魔法ばかり放っていたぶん魔力にはまだ余裕がある。
でも死は着実に迫る。足元からせり上がり、靴を焼くんじゃないかと思うところまで溶岩が迫ってくる。
やっと思いが通じ合った僕の婚約者。これまで一緒に旅してきたアンジェリカ。口は悪いけど根は優しいカーラ。
なんとかしたい。でもなんともならない。それがわかってしまって。
僕は杖を構えた手から、とうとう力を抜いた。
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