第15話 縁談
マギカ・パブリックスクールの寮は、マホガニーなどの建築材と漆喰の白い壁の組み合わさった歴史ある建物。
個室が男女別、学年別のフロアに分かれている。
自室に向かうため、インクをうっすら被ったようにやや黒ずんだ色合いの廊下を歩く。板張りの廊下を歩く時のきしみが、普段より大きく聞こえた。
他の生徒の立てる物音がなく、太陽が中天に昇ったことを知らせる教会の鐘も良く響く。
避暑だ、実家に帰る、などの理由で多くの生徒が寮におらず、あれだけ賑やかだった寮はすっかり静かになっている。
寮の規則では前期と後期の合間の長期休暇の間は実家に帰ってもいいことになっているが、僕やクリスティーナ、他数名は諸事情があって寮に残っている。
自室に木剣を置き、汗にまみれた体を拭いて服を着替えた後、寮の共有スペースへ向かう。
「あ……」
クリスティーナが備え付けのソファから腰を上げ、僕を見てわずかに表情を緩ませる。
まあ、当然か。
二人きりの共有スペースに、小動物の鳴き声のような音が可愛らしく鳴った。
クリスティーナは布にくるまれたリンゴのように顔を紅潮させ、生きた魚のような目で僕を軽く睨む。
「早くご飯を食べに行こうか」
水色の髪の少女の、お腹が鳴った音を後にして僕たちは扉に手をかけようとする。
でもその直前に、意外な人物が声をかけてきた。
「久しぶり、ですわね」
アンジェリカに案内されて訪れたのは、いつかも来たローズウッドの床の店だった。
金の鎖で吊るされたランプも、距離を取って配置された丸テーブルも記憶に新しい。
アンジェリカは軽装のドレスと羽帽子という出で立ちだった。
鍔の広い帽子には羽飾り、身にまとったのは簡素なドレス。裾の広がりを押さえたデザインは外を出歩くことに不自由を感じさせず、同時に極薄の生地を重ね合わせた裃は通気性と保温性を兼ね備えていた。
でも丸テーブルを囲むのは、制服の三人でなく私服の五人だった。
「やあ、久しぶりだね」
「……先日は子供たちの相手、ありがとうございました」
ツーブロックの赤髪の男子、アルバートと。らせん髪のシスター少女、カーラだった。
アルバートが右手を挙げて挨拶した時、黒い色調のワイシャツからのぞく引き締ま
った腕がちらりと見えた。
ズボンは派手さや目立った高級感はないものの、彼の体の一部のように似合っていた。アールディス家跡取りだし、私服も特注品なのだろう。
カーラはクリスティーナを見て、睨みながらも気まずそうに眼を逸らした。
膝の上で手を握りしめ、濃紺のロングスカートにしわが寄る。フリルがついたブラウスからのぞく腕が強張っていた。
「招待させていただいた方も揃いましたし、そろそろお話よろしいかしら?」
上座に腰掛けたアンジェリカが、銀笛の音色のような声を響かせた。
「毎年この時期に叔母様の領地に行くのですけど。今年は、そこでわたくしとお見合い相手との顔合わせをしよう、と言うことになりましたの」
以前も言っていた、縁談の相手の件か。
言葉を切り、僕とクリスティーナに対し交互に目を合わせた。
「急な話で申し訳ないのですけど、あなた方二人にもついていって相手の方を見極めていただきたいのです。お父様が入念に選んでくださった方ですから間違いないと思うのですけど、やはり心配で……」
「無茶なお話とは分かっておりますわ。でも、殿方とお付き合いしたことのないわたくしでは、判断を誤るかもしれませんの」
「姉さんは心配性だな、と言ったのだけどね。どうしても、と言うので僕も相手を見ることにしたんだ」
「私も、教会で行う慰霊のために毎年蒼き山の近くに参りますから。領地が近くですし、ごいっしょさせていただくことになりました」
「いかがかしら? もちろんあなた方にも長期休暇中の予定があるでしょうから、無理にとは申し上げませんが……」
「行くよ!」
遠慮がちなアンジェリカの声に対し、僕はほとんど反射的にそう答えていた。
思ったより大声になっていたのか、同席していたアルバート、カーラ、アンジェリカが目を丸くしている。
クリスティーナだけは意に介した様子もなく、マイペースを貫いていた。
「私も、問題ない。美味しいものがいっぱい食べられそう」
「でもご迷惑ではありませんの? 蒼き山まで行って帰ると、長期休暇中に実家に帰るのは難しくなりますわ。あなた方にも領地に色々と予定がおありでは」
領地。実家。その言葉を聞くと、胸に鉛を詰められたかのように感じる。
「大丈夫。うちは、その、妹がしっかりしてるし。ちょっとくらい帰らなくても、大丈夫」
心と口が別々のことを言っているせいか、上手く喋れずにどもってしまう。
僕は目を合わせたくなくて、視線をそらした。
「うちも問題ない。母の実家は王都にあるし、父の実家はそもそも帰ったことがない。見合いの時でさえ別宅で準備してから向かった」
「決まりですわね! お二方、よろしくお願いしますわ」
沈みかけた雰囲気を打ち消すかのように、アンジェリカは手を叩いてそう言った。
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