第14話 剣術の修行

 マギカ・パブリックスクールの夏休みが数日間過ぎた。

 木枠にガラスがはめこまれた窓、簡素なベッドと机、私物を置く棚があるだけの寮の自室。


 本棚の一番取りやすい位置に置いた最上位魔法の教科書を開く。


 その革表紙は、五年は使っている下位魔法の教科書よりも手垢で黒ずんでいた。


 最上位魔法とは、蒼き山や蒼き海といった災害に対抗できるレベルの魔法を指す。


 火属性は溶岩や噴火を操り、水属性は海の満ち引きを制御する。天地に満ちる災害に抗う、上位魔法とは桁違いの威力を誇る魔法だ。


 そして唯一、聖書と同じ古代言語を用いる魔法でもある。


「でも、わかるのはそれだけなんだよね……」


 教科書をそっと閉じ、天井を仰ぎ見る。


 木目が気持ち悪くてガラス戸へ視線を逸らすと、露店の屋根となっている白い天幕が道沿いに並んでいるのが見下ろせる。


 窓から吹き込んでくる、体をあぶるような熱風が頬を撫でた。


 最上位魔法の教科書には成り立ち、種類、効果、そして今までの使い手に関する情報しか書かれていない。


 どうやって使えるようになるかは書かれていない。


 今までの使い手の言葉は書かれているものの、ある人は神に祈りを捧げたと言い、ある人は神を信じることをやめたと言う。


 またある人は剣の奥義と同時に目覚めたと言っている。


 各人ごとに使用できた時のきっかけがバラバラで、はっきりしない。


 最上位魔法を目指す際に挫折しやすい一つの理由だと思う。


 でも、諦めたくない。星明りすら通さない真っ暗な部屋の中で、杖を探り当てた時。初めて魔法を使った時。あの感動を、忘れたくないから。


 部屋に立てかけてある木製の剣を握り、僕は部屋を出た。




 マギカ・パブリックスクールの寮の庭は、庭と言うよりちょっとした運動場だ。二棟ある寮舎に挟まれるようにした庭は、普段なら球技や運動に精を出す生徒で賑わうのだけど、今日はほぼ人がいない。


 集中しやすい環境であることに感謝し、僕は木剣を構える。


 そのまま素振りと形を行っていく。


 僕は才能なんてないって、自覚してる。だから訓練はシンプルな形を繰り返すだけだ。


 十回でも、百回でも。百五十回を超えたあたりで額を伝う汗が滝のようになり、視界が滲む。部屋着のシャツはとっくにびしょぬれだ。


 でも僕は、剣を止めない。


 指が震え、腕が痙攣し、足腰がふらつく。何度も剣を取り落とすがそれでも形を行い続ける。


 剣術は、最上位魔法を使えるようになったというきっかけの一つだと言われるから。

 汗が水たまりになり、木剣を杖代わりにしてやっと歩ける程度まで自分を追い込んで、稽古を終える。


 当然だけど、最上位魔法が使えるようにはならなかった。


 五年間、欠かさず行ってきたけれど身についたのは、上の下程度の力。ユーリやアルバートに十本のうちやっと一本取れる程度の剣の腕だけだった。


 一日欠かさず続けている魔法の訓練も、同じようなものだ。 


 一年、二年の頃はこうした最上位魔法の訓練を一緒にやる友達もいた。遊びの延長のようなノリだったり、真剣に習得を目指したりもしていた。


 だけど学年が上がるにつれて、周囲の態度は変わっていった。


「最上位魔法? バカじゃね」


「あんなん使えるわけねえし」


「アルバートでもあきらめたじゃん」


 というクラスメイトが多くなり、今では特訓は寮から離れた広場やみんなが寝ている明け方、長期休暇で人が少なくなった時しかやらない。


 人の気配がしないので、疲れ切った僕はあおむけに転がった。


 部屋着が土で汚れないよう、丈の低い下草が生えているところを選ぶ。草の柔らかい感触が心地よい。


 部屋では肌を焼くように感じた熱風が、汗で濡れそぼった体には心地よく感じる。


 視界の先には、一面の青空。


 夏は空の色が濃いというけれど、こうして寝転がるとよくわかる。小さいころも妹と一緒に、こうしていたことを思い出す。


 ふと一面の青空に、虹の架け橋が見えた。


 絵具で塗りつぶしたような色の空に、淡い七色の光が混じった。同時にひやりとす

るような冷気が腕や顔などの露出した部位を包み込む。


 同時に僕の体に黒い影が落ち、太陽を遮った。


「クリスティーナ」


 頭の上の方、顔の近くで草を踏む音がかすかにする。


 夏の空と同じ色の髪の少女が、ミズナラの杖を振るって立っていた。


「お疲れ。部屋から見てた」


 表情をわずかに緩ませたクリスティーナは、上下白のワンピースの上にレースのカーディガンを羽織っている。


 杖を差すための細い革の紐で腰をくくっているので、細い腰と豊かな胸のコントラストが目に眩しい。風でたなびく水色の髪を、杖を持っていないほうの手で押さえていた。


 水で冷気を起こしたためか、杖の先の空気が白く染まって雲のように漂っている。

下から見上げた形になるので少しだけ期待した、すらりと伸びた白い脚の行く先は見えない。


 彼女はワンピースの下が広がらないように裾を押さえながら、僕の隣に腰を下ろした。持ってきてくれた革袋に入った水を口に含むと、火照った体に気持ちいい。


「ありがとう。それと、何か?」


「領地から手紙」


 そう言ってクリスティーナは、ワンピースの袖に手を入れて一通の便箋を取り出す。


 四角い便箋は僕の家、ヴィンセント家の家紋が押された蝋で封がされていた。差出

人はヴィオラ・ヴィンセント。僕の妹だ。


 元気に、やっているだろうか。


 領地の経営は、うまく行っているだろうか。


 今年の収穫は、大丈夫だろうか。


 妹と違ってほとんど手紙をくれない父親は…… まあ、いいか。


 そんな益体ないことを考えながら、寮の方へ足を向けた。

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