第2話 最上位魔法

 五年が経ち、僕は十七歳になった。


 王都のマギカ・パブリックスクールに続く石畳の道。


 僕とクリスティーナは廊下を人一人分くらいの間を開けて、並んで歩いていく。


 道々で、杖を振るうローブ姿の大人の魔法使いとすれ違う。


 彼らは地震でひび割れた道を土属性魔法で修理したり、マギカ・パブリックスクールの前を流れる運河の水流を水属性魔法で調整していた。


 校舎と道を隔てる橋を渡ると、校舎の周りを取り囲むレンガ塀に沿って植えられた大樹が見えた。魔法の杖の原木であるヒノキ、サルスベリ、ミズナラ、そしてトネリコ。


 ヒノキの木はまっすぐ伸びて、芳香がする。火付けにも使われる火属性魔法の杖に相応しい木。


 サルスベリはヒノキと対照的に枝は横に伸びる。秋になると紅の花が長く咲く。材は固くて重く、サルが昇れないほど樹皮がツルツルの、風属性魔法の杖の原料となる木。


 ミズナラは棘の生えた殻に包まれたどんぐりを実らせる、水属性魔法の原料となる木。


 トネリコは細かい白い花が群がるように咲く、土属性魔法の杖の原料となる。


 そのまま大樹の陰にある校門をくぐり、白樺の並木道を抜けて、校舎に入る。クラス名が書かれたプレートを鎖で吊った教室の扉を開いた。


 水色の髪をたなびかせる彼女が足を踏み入れると、彼女に教室内の視線が集まった。これ見よがしな嘲笑と共に、彼らは各グループのおしゃべりに戻る。


「おはよう……」


「おっす」


 僕は級友と軽く、形ていどの挨拶をかわした。


 だがクリスティーナは無言で自分の席に付き授業の準備を始める。真新しい木製の机と椅子が長年の歴史で黒ずんだ床とこすれて音を立てた。


 唯一このクラス一のイケメンだけが声をかけてきたが、クリスティーナの態度はそっけない。 


 それを見ていると、みっともないけどすごく安心する。


 僕も牛革で作られた鞄から表紙が擦り切れ、手垢で汚れた最上位魔法の教科書を取り出した。さらに革表紙のノートと羽ペンを取り出し、机の上のインク壺にペンの先をひたす。


 準備が終わると、隣の席のクリスティーナを横目でちらりと見る。


 彼女の水色の瞳は、何のいたずらもされていない自分の机を見て安堵の光を見せていた。



 一日の仕事や勉学の始まりを告げる鐘の音が、遠く教会の鐘楼から響く。


 この音と共に役所は開き、農民は畑に鋤を入れ、先生が教壇に立つ。


 教室では朝のホームルームが終わり、一時限目が始まる。ヨーゼフ先生の授業だ。

 五年前と比べて白髪が増えた先生が壇上に立つと、それだけで教室が静まり返る。白墨で黒板に白い文字を躍らせていく先生の手つきは、よどみない。


 整った文字を書き終わった先生が壇上でトネリコの杖を振り、教壇に砂の粒で絵を描いて見せた。


 ごく初歩の下位魔法だけど、木枠のガラス窓から入る日光が砂の粒を輝かせる。輝く粒が宙を踊るのは、まるで黄金の粒が舞を踊るかのように見えた。


 先生がもう一度杖を一振りすると、砂の粒はトネリコの杖に吸い込まれるようにして消えていった。その精密な魔法に、教室中から拍手が起きる。


「魔法とは…… 上位、中位、下位とランクこそあれ行政に不可欠な技術だ。下位魔法はこのように訓練用として使用されることも多いが、諸君らもここに来るまでに魔法が使用されているのを多く見ただろう」


「だが見えないところでも魔法は活躍している。貴族であり、領地を治めたり国に仕えたりする身分になる諸君は、自分の知らないところでも魔法がどのように使われているか、知っておかなくてはならない」


 先生はそう言って、板書を書き留める時間をくれた。


 白のブラウスやワイシャツと膝丈の黒のスカートまたはズボン、上から濃紺のマントを羽織った生徒たちが羽ペンをノートに走らせる音が教室に響く。


 マギカ・パブリックスクールに入学して五年。この場にいるすべての生徒が制服のベルトに魔法使いの証である杖を差している。


「では次は、魔法の成り立ちについておさらいだ。アルバート・アールディス、答えてみたまえ」


 ヨーゼフ先生に当てられた、背の高い、赤毛の少年が流れるような所作で立ち上がった。


 このクラスいや、学年一のイケメンだ。

 イケメンらしくつっかえることも、ためらうこともなく、張りのある声でスラスラと答えていく。


「魔法とは、そもそもは海を隔てた国、帝国から伝わった技術です。かつて大陸で最も発展した大国である帝国で生み出された魔法という技術は、時と共に周囲の国へも広がりました」


「この王国に伝わった魔法は、河川や山の多いこの土地で独自の発展を遂げていきました。その成果の一つが、帝国にはない『最上位魔法』です」


「よろしい。着席したまえ」


 彼が着席すると、クラスにも一人だけいる帝国からの留学生が表情を緩めたのがちらりと見えた。


 帝国の人間はオオカミの毛並みのように、銀髪の子が多く彼女も例外ではなかった。自分の国が褒められて嬉しいのか、得意そうに目元が笑っている。


 誇れる故郷があるのは羨ましい。


「では次は、最上位魔法について説明してもらおう。ヴォルト・ヴィンセント」


 ヨーゼフ先生に指され、起立する。床を擦る椅子の音が耳障りに聞こえた。僕に集まるクラス中の視線。五年も学園に通っていても、相変わらず慣れない。


「最上位魔法とは、この王国独特の『災厄』に対抗するための魔法です」


 授業でも、自習でも幾度となく繰り返した内容だ。


「この王国を囲む『蒼き海』、この王国全土からその姿が見える『蒼き山』。この二つに端を発する災厄に、王国の民は長く苦しめられてきました」


 木枠のガラス窓から、横目で外を見る。地平線の彼方にちょこんと顔を出した「蒼き山」。遠目に見れば夏でもわずかに雪が残る神秘的な山。冬の日に見ればクリスマスの飾り菓子に見えなくもない。


 しかし蒼き山は火山であり、ひとたび噴火すれば溶岩と火山灰で甚大な被害をもたらす。


 ここからでは見えないが、蒼き海は数十年に一度の大津波で幾多もの命を王国の大地から略奪してきた。


「そのたびに王国の魔法使いたちは魔法を結集し、立ち向かいましたがそのたびに多くの命が失われました。しかし四十年前に突如として使い手が現れた『最上位魔法』により、ほぼ被害なく災厄を抑え込むことが可能となりました」


「完璧だ。着席してよい」


 ヨーゼフ先生の表情が、わずかにほころぶ。


 人前で長く喋ったことで汗びっしょりになっていることに気がつき、制服のワイシャツの隙間から風を入れたけどまだ暑い。


 校舎の外では、炎熱の太陽が地上を焼くかのように照っている。。


「最上位魔法のあらましは以上の通りだ。数多くの研究者が研究を続けているが、どうすれば使えるようになるかはいまだ明らかになっていない。術式も使い手ごとにバラバラだ。あえて共通項を上げるとすれば」


 古代の言語を使用していることくらいだろうか。


 はるか昔、神代の時代に神様や悪魔が使っていたと言われる。

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