第55話 愛してくれた君へ
「【死戦場】」
イヴィルの目を見たアブソリュートは意識が奪われ、先ほどいた玉座の間から周囲の世界が違うものへと変わる。
イヴィルの【死戦場】は術をかけた相手の知っているなかで最強の天敵と最悪の環境を、幻覚の世界で再現する。その世界でその天敵に負けた場合、精神の支配権を相手に奪われる。だが、アブソリュートは分かっていてあえてイヴィルの幻覚にかかった。
相手の切り札を打ち砕く為に――
一瞬で世界が完全に変わった。
アブソリュートがいたのは見覚えがある部屋。
その部屋はヴィラン・アークが使っていた執務室だった。アブソリュートは当主であるヴィランが腰掛けていた席に腰掛けていた。
「私がこの席に座っているということは、当主は私ということか? なら……」
アブソリュートは立ち上がり執務室にあるカーテンと窓を開け、外を見る。外の様子を見てアブソリュートは眉間に皺を寄せ険しい顔を見せる。
「…………なるほどな」
街を見下すことのできるその部屋から見たアーク領の街は激しい戦闘が行われた後のように破壊され尽くしていた。街からは至るところに火の手が上がっている。
「これはどっちだ? 原作のアブソリュートのラストを再現しているのか、それとも違う別のイベントなのか。まぁ行けば分かるか」
アブソリュートは屋敷を出て街の方へと歩き出した。
街を見て回る。
街にはライナナ国軍の装備を纏った死体が散乱している。だが、対称的にアーク領の住民や、アーク家に仕える兵士達の遺体は見つからない。これは原作のラストでアブソリュートが領民そして部下に見捨てられ一人で戦った結果だろう。
(やはりこの世界は――――)
しばらく歩くとクリスの家が経営している奴隷商だった場所が見えた。私がウルとマリアに出会った場所だ。
そこは街以上にかつての面影がないほど徹底的に破壊され、瓦礫の山と化していた。
「…………………………」
そこだけではない。
レディの家が経営している娼館。
昔父に連れられ、行ったことがあるアーク家が経営しているライナナ国最大のカジノ。
かつて仲間達と巡ったことがある場所のすべてが破壊し尽くされた後だった。その光景はまるでアブソリュート・アークの全てを否定するかのようだった。
「随分陰湿なことをするな。かつての面影すら残していないとは……。だが、おかげで分かったことがある」
しばらく歩き回って確信した。
イヴィルによって再現されたこの世界はやはり原作でアブソリュート・アークが死ぬことになる戦場。ここはライナナ国の兵士達に蹂躙されたアーク領だ。
「チッ……」
幻覚と分かっていても腑が煮え繰り返る。
やはり自分が大切にしている物や場所を蹂躙されるのはとてつもない屈辱だ。
だが私はこの光景を、怒りを胸に留めておかねばならない。三年以内にアブソリュート・アークを破滅に追いやる最悪のイベントは必ず来る。この光景は敗北した末のアーク領だ。絶対にこの光景を実現させはしない。
その闘いに勝利して、この結末を変えてみせる。そう改めて誓った。
♢
最後に訪れたのは霊廟。
屋敷に戻り敷地にある霊廟を訪れた。神殿のような作りをしたそこは歴代のアーク家当主が祀られている場所。そして原作ではアブソリュートによって殺された彼の父であるヴィラン・アークも含まれている。
(人の気配がするな……)
警戒しつつも霊廟の中に入る。
霊廟の中には案の定人の姿があった。中にいたのは長髪で黒髪の少女。犬のような耳があることから獣人であることが分かる。
人が来たことを察して獣人の少女がゆっくりアブソリュートの方へと振り向く。
その顔をみてアブソリュートは大きく目を見開く。
見た目は大きく変わっている。だがかつての面影が
アブソリュートの脳裏によぎり目の前の女が"彼女"であると警鐘を鳴らしていた。
「ウル……?」
「……ご主……人様?」
彼女の正体はアブソリュートのメイドのウル。
原作には語られなかった唯一最後までアブソリュートに付き従った少女がそこにいた。
♢
「ウル……?」
「……ご主……人様?」
かすり出すような声でアブソリュートを呼ぶウル。
一瞬信じられないといわんばかりに驚きをあらわにした後、ふらふらとおぼつかない足取りでアブソリュートの元までいき彼の目の前にたつ。するとウルはおそるおそるとアブソリュートの顔や身体に触れていく。
(マジかッ⁈ 大きくなったなウル)
かつてアブソリュートの胸の辺りにあった頭が彼の鼻の位置まできている。推定で30センチぐらいまで伸びたと推測する。身体は幼いころと比べ凹凸がしっかりとした女性らしさを主張し、顔は幼く可愛い顔立ちから目鼻のスッキリした大人の綺麗さをかんじさせた。
成長したウルの姿に驚き固まっているアブソリュートをよそにウルは彼の身体に触れるのを止めない。
生を感じさせる死人とは異なる温い肌、唯一無二ともいえるアブソリュートの特徴である赤い瞳。
夢ではないことを確認するように――
愛しい彼の温もりを味わうように――
何度も何度もアブソリュートに触れ続けた。
「よかった……」
「ウル……どうした? どこか痛むのか?」
小さく呟くウルの顔を覗くと彼女は大粒の涙を流しながら綺麗な顔を歪ませていた。
「死んだ、かと思った……」
涙でつっかえながら――
「もう、戻ってこないかと……ウルを置いていったのかと思った」
必死に言葉を紡ぎ出し――
「良かった……生きてて本当に良かった――」
そしてアブソリュートの胸へと飛び込んだ。
「もう二度と会えないかと思ったのっ! ご主人様ぁぁぁぁぁっ‼︎」
大声で子供のように泣きじゃくるウル。
アブソリュートはそんなウルを前に戸惑いながら彼女の背中をさすることしか出来なかった。
これまで【絶対悪】というスキルの効果で人に嫌われることしかなかったアブソリュート。
アブソリュートを案じ――
アブソリュートを思い涙を流す――
そんな彼がここまで"強い思い"いわば彼女からの愛という思いやりに溢れた綺麗な感情を向けられたことで困惑したのだ。
(なぜウルがここに……いやその見た目は見覚えがあるぞ。原作でアブソリュートにメイドがいた描写があったがもしかしてウルがその時のメイドか! いや、それよりもこれは――)
ウルを宥めながら状況を整理している途中、アブソリュートは自身の瞳から温かいものが流れたことに気づく。
「これは……涙?」
目にゴミが入ったわけでも、感情が揺すぶられたわけでもない。それでもアブソリュートの瞳からは確かに一粒の涙が流れた。
(この涙は私のものではない。もしかしたら私の中にいるかもしれない本当のアブソリュート・アークが流した涙なのかもしれない)
全てに裏切られ無くなった彼の――
唯一愛してくれた彼女へ向けた涙なのかもしれない。
アブソリュートはそう感じた。
♢
アブソリュートはウルを落ち着かせ、状況を整理する。彼女から話を聞くことによりアブソリュートは自身の仮説が正しかったことを知る。
裏切り者から流れたアーク家の情報を改竄し公開したことで、国から討伐命令が出てアーク領にライナナ国軍と勇者が派遣されたこと。
ウルを含めた残った領民をアブソリュートは伝を辿って帝国へと逃したこと。
1人で勇者、聖女、アリシア、マリアそしてライナナ国軍を相手に奮戦したが最後には敗れたことを知った。
(マリアが勇者の側にいるということはここはやはり原作の世界)
原作のイヴィルの【死戦場】は相手の記憶を読み解き天敵と環境を再現する技の筈だった。それが成長したウルの姿やアブソリュートが領民を帝国に逃したことなど明らかに自身の記憶にないことまで再現しているイレギュラーな事態だ。
(やはり私という転生者の存在によってイレギュラーが起きたと思うべきか。もしくはイヴィルが宿す幻惑の精霊の力の本質を読み間違えたか?
――だがやることは変わらない)
イヴィルの幻術を解く鍵は"アブソリュートの天敵"を倒すこと。それだけは確実だ。
「ご主人様っ! 後ろっ!」
ウルの言葉により振り返ると、いつの間にか人が立っていた。
現れたのは正義感の強そうな力強い眼差しをした青年。
その風貌は数々の修羅場をくぐり抜けてきた歴戦の戦士の風格を纏い、手には覚醒した勇者しか持つことのできない聖剣を握っていた。
その人物をアブソリュートは知っている。
いや、彼がこの幻覚の世界で自分の前に現れることを確信していたのだ。
「ご主人様っ! アイツは‼︎」
「ウルは下がっていろ。……やはりお前だったか」
アブソリュートは目の前の人物を睨みつけた。
「勇者アルト!」
原作『ライナナ国物語』の主人公にして勇者。
アブソリュート・アークの天敵として姿を現したのは数々の困難と強敵を打ち負かし、勇者のスキルを覚醒させ、聖剣を発現させた勇者アルトだった。
「確かに私を殺すのはお前しかいないだろう。だが、ここまで街を徹底的に壊すほどお前は私が憎いのか? 勇者の所業とは思えないな、なぁ勇者アルト!」
「……………………」
勇者はアブソリュートに問いに答えず無言で聖剣を構える。その構えは、今はアブソリュートのメイドであるマリア・ステラを彷彿とさせた。
「マリアの真似事か? いや、そういえば原作ではマリアが勇者に剣を教えているのだったな」
「…………………………」
勇者からの言葉はない。
彼の憎しみと敵意のこもった目だけがこちらに向けられている。だがそれで充分だった。勇者と悪は決して交わらない。両者の間にあるのは共通して敵意だけ、それが分かれば後は存分に殺し合える。
勇者がアブソリュートに向かって襲い掛かる。
速い――
勇者がアブソリュートとの距離を詰める。
学園でやり合った時とは比べ物にならない速さだ。
それにあの身体運びは学園の時では見られなかった動きだ。
勇者アルトはアブソリュートの心臓を狙い、鋭い刺突を繰り出す。
「ご主人様っ!」
彼の攻撃はまさしく一撃必殺になり得る一撃だった。
かつてアブソリュートは彼を才能がないと言った。今でもその考えに変わりはないが、これ程の技を身につけるのにどれだけの努力があったことか。
これは幻覚で想像上の勇者に過ぎない。
だが、アブソリュートの記憶から忠実に再現している。彼の実力は原作と変わらない筈だ。
「見事だな、勇者アルト」
勇者アルトの攻撃が届く前にアブソリュートは自身の剣で勇者の身体を一刀両断した。
「っ⁈」
「マリアや聖女エリザ、アリシアの三人がいればもっと善戦できたかもな」
勇者は倒れ、この世界から消えた。
♢
アブソリュートが勇者に勝利した。
圧倒的な実力差がそこにはあった。
ウルが声をかけようとするが別れの時間が訪れる。
アブソリュートの身体が光り輝き、徐々に身体が粒子となり崩れこの世界から去ろうとしているのだ。
「どうやら別れの時間のようだな」
「えっ?」
やはりアブソリュートの天敵は勇者アルト。
それが敗れたことにより幻術は解けてアブソリュートは元の世界へ戻ろうとしている。
「ウル、この世界の私は勇者に敗れ命を落とした。私は違う世界アブソリュートだ。もうじき元の場所へ戻る、ここで"お別れ"だ」
「あ……あぁぁぁぁぁっ!」
アブソリュートとの2回目の別れを悟りウルは崩れ落ちる。アブソリュートが生きていたという希望が一転して絶望へとかわりより深い傷をウルの心に与えた。
その様子を見てアブソリュートも心が抉られるような思いだった。
(ああ……なるほど。幻惑の精霊の本質は精神攻撃。どう私を攻略するつもりなのかと思ったが……これは確かにキツイなぁ)
「ウル――アブソリュート・アークとしてお前に伝えたいことがある」
「嫌だっ!聞きたくないッ!消えないでっご主人様っ‼︎」
アブソリュートの身体から崩れていく粒子を必死にかき集めようとするウル。アブソリュートは時間がないと言葉を告げていく。
「アブソリュートはいつも人に嫌悪感を向けられて生きてきた。好意という感情に触れることなく常に周りは敵ばかり。そして最後は仲間に、国に裏切られ命を落とした。不幸な人生だったと思う」
これまでアブソリュートとして生きてきた自身の経験と何度も夢に見た原作アブソリュートの夢から心情を語っていく。
いやどうしても語らねばという心情に駆られてた。
この世界はイヴィルが作り出した幻覚だ。このウルも自身が作り出した夢かもしれない。
それでも自分の中にある"何か"がそれを強く求めていた。
「幼い頃からアブソリュートは嫌われ続けて誰も周りにいなかった。
今の自分のようにほんの少し歩みよることが出来れば彼の環境も変わったと思う。だがまだ幼い彼にそんなことを求めるのは酷な話だ。
そして父親を自らの手で殺したことにより彼は本当に1人になった。そう思っていた」
――だがウル。お前は最後までアブソリュートのそばに居てくれたんだな。
今も泣きながらアブソリュートを消えさせまいと光を集めもがくウル。愛を知らないアブソリュートでも彼女がどれだけ自分を思っているか伝わってくる。
アブソリュートの人生は孤独ではあっても決して1人ではなかった。
それだけが救いだった――
「ありがとう――ウル」
「嫌だ――待ってっ!」
「私を……"愛してくれてありがとう"」
ウルはアブソリュートを消えさせまいとアブソリュートの胸へ飛び込み――
アブソリュートはこの世界から消えた。
「あっ……嫌だ――行かないで……」
抱きしめた筈のアブソリュートの身体は粒子となりこの世界から完全に消え去った。この場にはウル1人だけが残った。
「あああああああああああああああああ――‼︎」
ウルの慟哭が霊廟に響き渡る。
さっきまであった筈の彼の温もり、匂い、鼓動はもうどこにもなかった。
愛したアブソリュートを彼女は本当に無くしたのだと悟った。
――――――――――――――――――――
この話だけ書籍と内容違います。
ここを逃したら大人ウルとアブソリュートはもう会えないのでは? と思い急遽入れてしまいました。
作者のわがままをお許しください。
書籍の期間限定書き下ろし短編はこの話の前日譚に当たるので気になる方は書籍の購入をよろしくお願いします。
書籍第2巻が4月30日(火)に発売します。
Amazonにて予約が始まっております。
https://x.gd/LisKd
書籍には期間限定書き下ろし短編が見れるURLがついてきます。
是非お買い求め下さい。
X始めました。
是非フォローをよろしくお願い申し上げます。
@Masakorin _
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