名前を呼んで、そして繋いで。
猫屋ちゃき
Side 千尋
まるで二日酔いの朝みたいな強烈な不快感を覚えて目を覚ましたら、監禁されていた。
何で目覚めてすぐに監禁されていたのか気づいたかっていうと、わりとわかりやすくがっつり椅子に縛られているから。
手は後ろ手を組むみたいな格好で背もたれ部分にくくりつけられているし、足も椅子の脚と仲良くさせられている。
そう、今結構ガバッと両脚を開いちゃってる感じ。母親が見たらめちゃくちゃ怒ると思う。まあ、ショートパンツだからパンモロは避けられてるけど。
やっぱり、パンツを見せるならパンチラに限る。モロ出しは、ノリと軽さで喜ばれても、パンチラには劣ると思う。男の欲望を刺激するには、チラリズムという魔力が必要ってことなのかもしれない。
「あ、そっか……ネコ見せてもらうはずだったんだ」
くだらないパンツのことなんか考えてたら、不意に目覚める前の記憶が戻った。
今日、「ネコを飼う準備ができたんだ。おいでよ」なんてラインにおびき寄せられて、のこのこやってきていたんだった。
セフレの家に。
私にはセフレがいる。ミチルくんっていう。
セフレになったわけでも、わざわざそういう口約束をしたわけでもないんだけれど、私たちの関係を表すのに他に適当な言葉がない。
ミチルくんはバンドでベースをやっていて、友達に連れられてたまたま行ったライブで見かけたのが出会いのきっかけだった。
友達が出待ちをするっていうから付き合って、出待ちのあと運良くメンバーと仲良くなって飲みに行って、それから寝た。
いわゆるワンナイトラブのつもりだった。
気が合って、一晩過ごしても、別に彼女になりたいとかそういうのはなくて。
だって私にとってバンドマンと寝ることなんて、ちょっと楽しいアフターみたいなもので。
だから、ミチルくんとも他の男たちと同じように、それっきりになるつもりだった。
そりゃ、ライブハウスに顔を出せば、関係を持った男たちと顔を合わせることなんてよくある。でも、向こうも別に相手に困ってないから、さらりとしたものだ。
たまに「千秋ちゃん久しぶり」とか言って声かけてくるやつもいるけど、私の名前は千尋だっての。そういう中途半端な記憶力で軽いやつとは、関わり合いにならないほうがいい。
相手にしないと決めたら、それで切れるのがバンドマンとかとの関係の良さだ。
バンドマンに付きまとって彼女面する女はいても、その逆はいない。
だから、ミチルくんともそれっきりになるつもりだった。
でも、何かいつの間にか連絡先を交換してたらしくて、「また遊ばない?」ってメッセをもらったことから、二度目の関係を持った。
その後も、誘われたときに用事がなかったら、ちょっと男の子とそういう遊びがしたいときだったら、会って適当にヤるような関係が続いてた。
ミチルくんは一緒にいても邪魔にならない感じが気に入ってて、ヤらない日でも食事だけ行くこともあった。だから、セフレというより友達で、私としてはセックスもできる友達という認識だった。
……だったんだけど、こうして監禁されているところをみると、どうにも違ったのかもしれない。
実は恨まれてて、これから殺されるってわけでもないみたいだけど。
「これは……ベタだなぁ」
周りに目をやる余裕ができて視線を巡らせてみたら、壁に私の写真が貼ってあるのが見えた。結構いっぱい。壁一面とか部屋一面じゃなかっただけ救いだけど、それでもかなりの量だ。
ライブハウスの中でステージ見上げてる写真とか、街中歩いてるのとか、出待ち中のとか、駅前で誰かを待ってるときのとか、いろいろ。
全部隠し撮りだ。
気が付かなかったけど、一緒にいるときにこっそり撮られたものもあったみたいだ。ホテルでシャワー浴びて出てきたところとか、帰るってなって服を着てる最中のものもある。
「これは……いわゆるストーカーってやつ?」
「そうだよ。俺、ちぃちゃんのストーカーなんだ」
「ひぇっ……」
写真を見ながら呟いたら、タイミングよくドアが開いて、ミチルくんが入ってきた。
心の準備ができてなかったから、すごくびっくりした。
でも、ミチルくんはいつも通りのミチルくんで、別におかしなところは何もない。
何か、こう、ストーカーだってバレたらもっと、目がバキバキとか笑顔おかしいとか、そんな表情の変化があるもんじゃないのだろうか。
それなのにミチルくんは、いつもと同じだ。長い前髪の向こうから、ちょっとおどおどして、でも愛想がいい顔でこっちを見ている。
この陽キャでは決してない、かといって暗いわけでもダサいわけでもない感じが気に入って、私は交流を続けていたのだ。
ミチルくんは、バンドマンっぽくない。
服装はサブカル系というかストリート系。髪なんて無造作な感じで、前髪はいつも片目を覆い隠している。漫画とかアニメのキャラだったら、目隠れ系とか言われてるやつだ。
ロックな感じは全然なくて、楽器を持っている姿を見るまでバンドマンだなんて誰も信じないと思う。
かといって楽器を持つ姿に違和感はなく、しっくりきてしまうのが不思議だ。
だからこそ私は興味を持ったのだ。
それに、そういう独特の雰囲気を放ちながら、飲み会のときには自然な感じで私の隣の席をキープしてたのが、野良猫に懐かれたみたいで悪い気分はしなかった。
そう、私にとってミチルくんは野良猫で、今はつながりがあってもいずれ離れていく関係だと思っていた。野良猫は、気に入っている間はそばにいるけれど、飽きたらどこかへ行ってしまうから。
それなのに、私をこうして監禁してしまっている。
「ミチルくん、なんで……? ネコは?」
「ちぃちゃんって、無防備だよね。ネコ見せるなんて言ってないのにネコ見れると思ってホイホイ俺んちに来ちゃうし、出された飲み物は飲んじゃうし」
「え? ネコ、嘘なの? あと、クスリ盛ったの?」
とりあえず、現状について説明してもらわなくてはと思って聞いたのに、何というか、ヤバさが増しただけだった。
でも、相変わらずミチルくんは不穏な気配なんてさせず、ニコニコしてる。
「クスリは、ちょっと睡眠薬をね。ネコは、嘘じゃなくて誤解かな。ちぃちゃんが、俺のネコだから。一緒に暮らす用意ができたからおいでよって言ったんだ」
「ええ……?」
話せば話すほど、わけがわからなくなるやつだ、これ。
今すぐ危害を加えられるっていう危ない感じがするけど、どれだけ話しても上滑りしていきそうな気がする。
あまりにも、ミチルくんがいつも通りすぎるのだ。もっとキレッキレでいてくれたなら、この非日常を理解できたかもしれないのに。
「えっと、ミチルくんは、私と一緒に暮らしたいの? それならさ、ただ『一緒に暮らさない?』とか言えばよかったんじゃないかなぁ……?」
無意味かもと思いつつも、とりあえず正論をぶつけてみた。正論をぶつけて、突き崩したいって思ったから。
刺激したいわけじゃないけど、こんなおかしな状況で向き合うならクレイジーなやつのほうがマシだ。それに、平常心でいられるよりおかしくなってくれたほうが、逃げる隙が生まれそうな気がする。
「そんな誘いで、ちぃちゃんが乗ってくれたならそうしたよ。でもさ、ちぃちゃんは絶対『うん』っていってくれなかったでしょ? それにさ、彼女になってほしいとか一緒に暮らしたいっていうより、自由を奪いたかったんだ。こうでもしないと、ちぃちゃんはすぐ他の男のところにいっちゃうから」
「お、おぅ……そういう理由」
相手の腹を探ろうとしたのに、いきなり痛いところを突かれてしまった。
お前がビッチだからだ、なんて正面切って言われたら、すぐには反論することはできない。
確かに私は尻軽だ。ワンナイトラブ上等って思ってる。愛も恋もいらなくて、一時の楽しさと気持ちよさに身を委ねて何が悪いって思ってる。
誰かを好きになっても、裏切られて傷ついて精神がボロボロになって時間を浪費するんだから、男女関係のおいしいとこだけパクつくほうが賢い気がするのだ。
相手に期待しなくていいっていうのは、すごく精神的には健康だって思う。
「また会いたいって言って会ってくれたから、いけるのかなって思ってたのに。他の男とは一度きりだけど、俺とは何回も会ってくれるし、お出かけもしたし、身体の相性はいいし……だから待ってたら、いつか俺だけのちぃちゃんになってくれるのかなって。でも、ダメだった」
ちょっと悲しそうに、しょんぼりした様子でミチルくんは言う。
揺さぶれたかなと思ったけど、どうにも狙った方向とは違った感じだ。
「えっと、つまり、ミチルくんは私をひとり占めしたいの? 私のこと好きってこと?」
「というより、俺がいるのに他の男と寝る理由がわからない。性欲満たしたいなら俺でいいじゃん。それとも、ヤッた男の数でギネス記録でも目指してんの? っていうほどの数でもないしね。それなら、俺でひとりでいいじゃん。あとさ、好きかどうかは聞かなきゃわかんないの?」
「…………」
真正面から尋ねられると、すぐには答えられなかった。
わからないからじゃない。むしろ、ちゃんとわかっていたからだ。
ミチルくんに好かれていることは、一緒にいて感じ取っていたことだ。でも、はっきり言葉にされたわけじゃないし、彼女になってって言われたわけでもない。
だから、私と同じでこういう関係を続けていくのが望みなんだろうって勝手に判断していた。そういうのを、ウザくなくて重くなくていいって思ってしまっていた節もある。
それに、わざわざ言葉にすることの危うさとか怖さみたいなものも感じていた。
何事も、始まりがあれば終わりがある。それなら、何も始めたくない。始まらず終わらずが一番いい。
そしたら、傷つくことも疲れることもなくって、ずっとつまみ食いみたいに楽しいや気持ちいいを味わっていられるって思っていた。
それなのに、ミチルくんははっきり言葉にすることを選んだのだ。こんな極端な形で、だけど。
「ミチルくんが私のことを好きってことはわかった。いつまでもセフレじゃ嫌だって思ってることも。そこは、私もやぶさかじゃないっていうか。……ってことでさ、この拘束を解いてもらえない?」
もうちょっと冷静にミチルくんのこととか現状の考察をしたかったのだけれど、私の身体にのっぴきならない事情が迫っていた。これはいかんともし難い。
だから、刺激するかもと思いつつ私は自由にしてもらえるよう訴えてみた。
「え? 何で? 自由にしたら逃げる気でしょ?」
「逃げない逃げない! あの……その……トイレに行きたいだけなんだよね」
「そういうことか。じゃあ、ここですればいいよ」
「え!?」
恥を忍んで言ったのに、ミチルくんは何か嬉しそうな顔をしただけだった。その爽やかな笑みが逆に怖い。本当に、私が今すぐここで催しても平気そうにしているのが嫌だ。
「俺はね、ちぃちゃんのトイレの世話も普通にできるよ。それがペットを飼うってことだからね。……恥ずかしがらなくてもいいよ。そのうち慣れる」
「やだ。無理。……お願い。トイレに行かせて」
ミチルくんの顔を見たら、「ああ、これが狙いだったんだ」ってわかる。ものすごく楽しそうに、生き生きしてるんだもん。たぶん、こうなるようにって飲み物に睡眠薬のほかに何かを入れられてたんだと思う。
そうやって考えたらわかるはずなのに、まんまと騙されて家に来て、疑いもせずに出された飲み物を飲んだ自分が憎い。
「苦しそうだね。我慢しなくてもいいのに。……まあ、俺も鬼じゃないから拘束を解いてあげるよ。ただし、これをつけてもらうけどね」
「え……」
いよいよ限界って思い始めたときに、ミチルくんが部屋を出て何かを取ってきた。
それは、首輪だった。ピンクのベルトで金具が金色の、オシャレで可愛い首輪。その首輪には、細くて長い鎖が続いている。
「ネコはつないで飼うもんじゃないってわかってるけど、こうしないとちぃちゃんは逃げるかもしれないからね」
「うぅ……ありがと」
自分でも何でお礼を言ってるのか意味不明だったけれど、首輪をされたあと拘束を解かれて、思わず口をついて出ていた。それにミチルくんがどんな反応をしたのか見る余裕なんてなく、私は部屋を出た。
部屋を出るとそこはお茶を出されて飲んだダイニングキッチンで、そこからトイレに行くことができた。
……玄関も見えるけれど、微妙に鎖が届かないからとりあえず今はあきらめることにした。
「……間に合った」
トイレにたどり着いて、ギリギリのところで尊厳を守ることができた。
もう絶対に、迂闊に人に勧められたものとか口にしない。睡眠薬だけでもまずいけど、世の中にはもっと怖いものもヤバイものもある。たとえば、アレなおクスリとか。
まあ、そんなことを心配するのはここを無事に出ることができたらだ。
「何かこう、変な感じがするよね……」
ミチルくんが私のストーカーだった。私があまりにも尻軽だから閉じ込めた。
そこまでは、何となく理解できた。
でも、何となく違和感があるのだ。
首輪をつけてトイレに行かせたのが、いい例だ。
本当に絶対に逃したくないと思うのなら、首輪なんか付けずにトイレまでついてくればよかったはずだ。というより、首輪よりそっちのほうが確実だ。
首輪は、外そうと思えば外してしまえる。外してしまえば、私はいつだってここから逃走できるのだ。
ということは、ミチルくんは私を絶対に逃したくないと思っているわけじゃなくて、あくまで「逃げないでほしい」と思っているだけなのかもしれない。
……何て推測しても、ストーカーの考えなんて実際にはわからないけれど。
「間に合ったみたいだね。よかった」
「……うん」
トイレを済ませて、私は馬鹿正直に元の部屋に戻った。そしたら、ミチルくんはそう言って微笑みかけてきた。
何となく、ほっとしたみたいだ。やっぱり、私が逃げ出す可能性についても考えていたのかもしれない。
私が逃げ出したら、この人はどうするんだろうか。
逃げて警察に駆け込まれたりとか。そこまでしないまでも、逃げて着拒してメッセもブロックしたら、たぶん私を捕まえるのは難しくなるはずだ。運がよければ逃げ切ることも可能だ。
でも、そこまで考えて、私は自分がそんなことしないだろうなってわかっている。ミチルくんにこのままここで飼われることが、そんなに嫌じゃない気がしている。
「あのさ……ミチルくんは、何で私のことを閉じ込めて、外に出てほしくないの?」
逃げ出すつもりはないけれど、どうしてなのか知りたくて尋ねてみた。
ミチルくんの気持ちに触れたかった。触れたら、何かが変わるかもしれないと思って。
「それはさ……外が危ないところだからだよ」
「危ない?」
「そう。ちぃちゃん、気づいてないだろうけど、敵だらけだから」
「敵って……」
「ネット、悪口いっぱい書かれてる。あることないこと、とにかくいっぱい。そんな中に、結構過激なのもあって、そろそろ実害が出そうだなって思って閉じ込めた。今日、ライブ行く予定だったでしょ? 行ったらそのあと、大変だったはずだから。ちぃちゃんのこと、守ろうって思ったんだ」
ミチルくんはすぐそばに来て、私の手をギュッと握った。そんなことをしなくても、逃げたりなんてしないのに。
もう、逃げる気なんてないのに。
「……そうだったんだ。そういうことだったんだ。それなら私、ずっとここにいるね。ミチルくんに守ってもらうね」
ずっと足りないと思っていたピースがはまったみたいに、私は満ち足りた気持ちで言った。
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