第89話 好転する印象 2

 鼻を鳴らしていたのは、ジョゼフィーヌだった。


「外の人間は、そんな暮らしをしているのね……」


 どうやらダグラスの話を聞いて、その境遇に同情したらしい。

 失礼ながらも、ダグラスは“(吸血)鬼の目にも涙とは、この事か”という感想を持ってしまった。


「シルヴェニアには孤児はいない。子供は育てば将来どうなるかわからんのだ。なんらかの事情で親を亡くした子供は、親族か施設で預かるようになっている。まさか人間が人間の子供を助けず、放置するとは信じられんな。同族で無駄に殺し合うだけはある」


 フェリベールも驚いていた。

 だが彼の場合はダグラスの境遇に同情するのではなく、人間社会の非情さに驚いているようだった。

 吸血鬼の国のほうが人間の保護に力を入れている。

 その状況の異常性にだ。


 しかし、それはわかれというほうが難しかっただろう。

 吸血鬼たちは、自分たちの食料である人間を養ってきたのだ。

 中には“一切働かずに育った人間の血が、どんな味なのか試してみたい”と、人間の品質改良するために開墾作業などを頑張った者もいるくらいだ。

 赤子一人とはいえ“その子が最高の味わいのある血液の持ち主かもしれない”と思って、小さな命も無駄なく大事に育ててきた。

 資源・・の無駄遣いという類の感情ではあるが、人間を粗末にする者たちの存在が信じられなかった。


「ヴァンパイアも人間と同様に同族で殺し合うのではないのですか? モラン伯爵もそうでしたし……」


 フェリベールの言葉に引っかかったダグラスは、その点を質問する。

 吸血鬼も人間の事を言えないと思ったからだ。


「我らの争いは誇りを賭けた気高きものだ。ささいな物欲で相手を殺める人間と一緒にしてくれるな」

「申し訳ございません」


 フェリベールは、ハッキリとした言葉で否定する。


(でもそれって、パンツの種類で争ってるんだよな……)


 それを言葉にすると、また彼らは怒りだすかもしれない。

 ダグラスは黙ってフェリベールの言葉を聞き入れる。

 だが大人しくしていても、それがいい結果になるとは限らない。


「境遇には同情の余地がある。しかし、マリーの美しさに惹かれ、優しさに付けこんだのは許しがたい」

「そうね。情状酌量の余地があるとはいえ、それが免罪の理由にはならないわ。マリーを傷物にした責任は取ってもらわないと」


 やはり二人は“マリアンヌを孕ませた人間”を許せなかったようだ。

 フェリベールが立ち上がり、ダグラスに近づく。

 同時にジョゼフィーヌもマリアンヌの隣に立つ。


「立て」


 フェリベールはそう言って、ダグラスの胸倉を掴んで強引に立ち上がらせた。


「待って! 私を助けてくれたり、モラン伯爵を討ち取った功績を無視するの!」


 このままではダグラスが危ないと思ったマリアンヌが、彼を庇おうとする。

 罪を犯したとはいえ、それはマリアンヌにも責任があるし、功績を立てたのは事実。

 功労者を無下に扱うのはよろしくないという考えから、譲歩を引き出そうとしていた。


「それは当事者であるお前が口出しする事ではない!」


 先ほどまでとは違い、フェリベールはマリアンヌに甘い顔をしなかった。

 今は国王として罪人を裁く、厳しい表情を見せていた。


 ジョゼフィーヌも同じで、マリアンヌを止めるために動いていた。

 やはり吸血鬼の相手は、吸血鬼にしか務まらないからだ。

 メイドたちは彼女にマリアンヌを任せ、一歩離れたところで様子を見ている。


 ――母の手を振り払おうをもがく娘。


 もしカノンがいれば、ぶつかり合う豊満な胸元に視線を集中させていただろう。

 だがダグラスは違う。

 彼女たちの姿ではなく、意識はフェリベールに向けられていた。

 覚悟を決めて、最も重要な質問をする。


「姫殿下の扱いや、……子供はどうなるのでしょう?」


 マリアンヌと、子供の扱いについてである。

 両方とも気になっていた事だ。

 ダグラスに子作りをしていた意識はないとはいえ、自分の子供だと言われれば、やはり心配してしまう。

 この件は最後に聞いておきたかった。


「マリーは粗相をしでかしたとはいえ娘には変わりない。厳しい処罰は下さないだろう。だが子供のほうはそうはいかん」


 ダグラスは、ゴクリと唾を飲み込む。


「人間とのハーフだ。孫とはいえ王族とは認められぬ。眷属共と同じ程度の扱いになるだろう。あわよくば未来の国王になどと思わぬ事だ」

「では堕胎や、生まれてきた子供を殺したり、地の底で一生外に出られぬように幽閉されるという事もないのですか?」

「……なんだ、その発想は。人間の子ではあるが、マリーの子供でもあるんだぞ。そのような事ができるか!」

「外の人間は、なんと残酷なのでしょう……」


 ダグラスの発言で、フェリベールはまたしても驚き、ジョゼフィーヌが涙ぐむ。

 二人の姿に“吸血鬼は恐ろしい魔族”というダグラスの認識が崩れてしまいそうになる。

 しかし、それは“マリアンヌに向けられた優しさ”であり、ダグラスに同情する姿を見せたのも“ペットに対する優しさのようなもの”という前提を忘れてはならないとわかっていた。


 だから、これからフェリベールに処刑されるだろうと、生き残れるかもしれないという希望は持たなかった。

 ダグラスが持ったのは“子供が殺される事なく生まれてくる”という喜びだった。

 

「来い」


 フェリベールがダグラスを部屋の外に連れていく。


(これで終わりか)


「マリー、ありがとう。この数か月は楽しかったよ」

「こんなお別れは嫌! ダグラスー!」


 ――覚悟を決めたダグラスと、諦めきれないマリアンヌ。


 ドアが閉まり、二人の間を隔てる壁となった。


「陛下の手をわずらわせたくありません。自分の足で歩けますので、手を放していただけますでしょうか?」


 ダグラスの申し出にフェリベールは、しばし迷った。

 だがその手を放す。

 すでにダグラスは覚悟が決まっているようだ。

 見苦しく逃げ回ったりはしないだろうと考えたためである。


「ついてこい」

「はい」


 そう答えはするものの、やはりダグラスも人の子である。

 覚悟はしていても、普段と比べて足取りが乱れていた。

 ダグラスは黙ってフェリベールについていく。

 フェリベールも、余計な事は話さなかった。


 フェリベールの先導で地下へ降りていく。

 彼の眷属がカンテラを持って続いていった。

“処刑ではなく監獄行きか?”とダグラスは思っていたが、監獄にしてはやけに深く降りていく。

 

(処刑されるのはかまわないけど、魔族の怪しい儀式の生け贄にされたりするのは嫌だぞ)


「あの、陛下。処刑は地下深くで行われるのでしょうか?」


 不安に思ったダグラスは、フェリベールに声をかける。

 彼は足を止めずに、その質問に答えた。


「処刑? なんだ、お前は。そんなに死にたかったのか? 貴様がしでかした事は万死に値する。だがブリーフ派のモラン伯爵を討ち取り、マリーを無事に連れ帰った功績も認めている。だからチャンスを与えようとしているのだ」

「チャンス、ですか……」

「そうチャンスだ。扉を開ける。それだけだ。簡単だろう?」


 彼の口ぶりから、吸血鬼ですら開けられない扉があるのだろうとわかる。

 ならば、ただの人間がどうして開けられるだろうか?


(そうか、これはマリーに対する言い訳するための準備なんだ)


 吸血鬼にも家族愛があるという事がよくわかった。

 ただ処刑するだけならば、マリアンヌとの関係に亀裂が走るだろう。

 だから“チャンスは与えた”という口実を作るための行動に過ぎない。

“これなら希望など与えてくれないほうが気が楽なのに”と思いながら、ダグラスは黙って階段を降りていった。

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