第33話 クローラ帝国の仕組んだ罠 3

「……どうしましょう?」


 日焼け止めクリームを塗れと言われたものの、ダグラスは躊躇していた。

 話が通じる相手とはいえ、マリアンヌは吸血鬼である。

 下手に触って不興を買うような真似はしたくはなかった。


「いいわ、塗りなさい。別に人間如きに触れられたところで何ともないわ」


 だが、マリアンヌは違った。

 人間相手に臆していると思われたくないため、彼女は見栄を張って一歩踏み出した。

 平然としたフリをして、服を脱ぎ始める。

 衣擦れの音が、ダグラスの鼓動を早めた。

 自分の命を容易に刈り取る力を持つ相手から視線を逸らすのは危険だ。

 それに暗殺者だったので、女性の体を見ても動揺しないように訓練されている。

 なのに、ダグラスはなぜか彼女の肢体から自然と目を背けてしまっていた。



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 マリアンヌに日焼け止めクリームを塗ったあと、ダグラスはカノンを呼びに向かう。

 彼は食堂で、マダムたちと盛り上がっていた。


「カノン様、準備が終わりました」

「わかりました。では皆さん、またお会いしましょう」

「ええ、カノン様。世界をお救いください」

「些少でございますが、路銀としてお使いください」

「ありがとうございます。必ずや、この世界を救ってみせます」


 この短時間でどうやったのか、カノンは彼女たちの心を掌握したようだ。

 寄付を差し出してきた。

 カノンはうやうやしく受け取ると、寄付を手のひらから消して見せる。


「神は財布いらずなのですよ」

「まぁ、それは便利ですこと」


 ダグラスには手品にしか見えないものも、彼女らには新鮮だったようだ。

 カノンの事を頼もしく思っているように見えた。


「行きましょうか」

「はい」


 カノンはダグラスと共に、部屋へと向かった。

 その道中、カノンはダグラスに話しかける。


「ダグラスさん、隅々までちゃんと塗れましたか?」

「ええ、大丈夫だと思います」

「マリアンヌさんの命がかかっているので、だと思うでは困るんですよ。こんな話があります」


 カノンは“耳なし芳一”を話しだした。


「そういう事もあるので注意しなければなりません。足の裏とかも要注意ですね」

「足の裏も塗ったとは思いますけど……」

「では、マリアンヌさんには忘れず塗る事に慣れてもらうとしましょう。ダグラスさんも背中を塗るだけではなく、塗り忘れていそうなところを指摘してあげるといいですよ」

「えっ!? 背中だけでよかったんですか?」

「そりゃあ、マリアンヌさんも女性なので……。あっ!?」


 カノンは“ダグラスにどこまで塗ればいいのか”という事を指示していなかった事に気付く。

 だが“常識的に考えればわかるだろう”と思っていた事が、ダグラスはできなかったようだ。


(ダグラスの童貞力を舐めていたか!)


 女性に縁のない若者ならば“オイルを塗れ”と言われてパニくる事も予想はできた。

 しかし、やり過ぎたならばマリアンヌも止めるはず。

 何がどうなって、彼女が受け入れたのだろうか。

 カノンには、さっぱりわからなかった。

 わかる事は一つだけである。


「マリアンヌさんが嫌がらなかったのならば、あなたを受け入れているという事です。相手がヴァンパイアという事もあるでしょうが、怖がり過ぎないでいいでしょう」

「カノン様は怖く……。あぁ、種族の違いを気にしない世界の方でしたね」


 ――カノンとダグラスの違い。


 一番大きいのは、これまで身に着けた常識の違いだろう。

 特にカノンは美女であれば、異性としてしか見ない。

 ダグラスと違って、恐怖の対象として認識していないのだ。

 その認識の違いは、ダグラスに“カノンは大物なのでは?”と時々思わせる。


 話していると部屋に着いた。

 部屋の中には、喪服ではなく、吸血鬼用の服だけを着たマリアンヌが仁王立ちで窓を睨んでいた。


「ダグラスに塗ってもらったから体は大丈夫よ。でも、目はどうするの? さすがに目にクリームは濡れなかったわよ」


 彼女はカノンの姿を見かけると、疑問を投げかける。

 これはダグラスも疑問に思っていたところだ。

 さすがに吸血鬼とはいえ、目に異物を入れるのは難しい。

 だが、目の保護も重要である。

 その点をカノンがどうするのか?

 二人の視線が向けられる。


「もちろん、それも対策は考えています」


 カノンは真っ黒な眼鏡を取り出し、マリアンヌに差し出す。


「サングラスというものです。直接太陽を見なければ、日差しの照り返しなどは十分に防げます。これならば、マリアンヌさんの目を保護できますし、赤く光る眼も周囲から隠せるので一石二鳥といったところでしょう。試してみてください」


 彼に促されるまま、マリアンヌはサングラスを受け取った。

 特におかしなところはなさそうなので、そのままかけてみる。

 ガラスの代わりに黒い板がはめ込まれているように見えたが、かけて見ると向こうが透けて見えた。


「では、そのまま窓の前に立って、カーテンを開けてみましょうか。日焼け止めクリームが有効なら、サングラスも効果を発揮してくれるでしょう」


 そうカノンが促すが、マリアンヌは戸惑っていた。

 やはり吸血鬼にとって太陽は天敵である。

 手をかざすだけではなく、全身を晒すのは勇気が必要だ。

 大丈夫だろうと思っていても、命懸けのチャレンジを前にして逡巡する。

 そんな彼女に、ダグラスが手を差し伸べた。


「マリー。もし塗り残しがあって怪我をするようだったら、僕が責任を持って助けるから」

「ダグラス……」


 マリアンヌは、ダグラスの手を取った。

 もし“怖いなら一緒に行こう”と言われていれば、プライドが邪魔をして彼の手を取らなかっただろう。

“塗り残しの責任を取る”という言い方をしてくれたから、彼女はダグラスの手を取れた。

 彼の配慮に嬉しさを覚えていた。


(人間が私たちのために動くなんて当たり前じゃない。当たり前の事なのに、なんで……)


 そんな自分の感情に、マリアンヌは強く戸惑う。

 人間が頼もしく見えるなど、これまでなかった事だ。

 ダグラスと一緒にいると、心が大きくかき乱される。


「では、開けますよ」


 ダグラスがカーテンを大きく開ける。

 マリアンヌは一瞬たじろいだが、痛みも何も感じない事に気付く。

 少し体が暖かくなるのを感じるくらいだった。

 目も太陽に焼かれる事なく、街を眺める事ができた。

 日陰から外を見る事は、これまでにもあった。

 それよりも暗く見えるものの、窓際から見る昼の街は違って見えた。


「マリー、大丈夫?」


 ダグラスが心配そうにマリアンヌの顔を覗き込む。

 彼女は笑顔を返した。


「ええ、大丈夫よ。あなたが丹念に塗ってくれたおかげで」


 そう返事をして、マリアンヌは顔をそむけた。

 先ほどダグラスに塗ってもらった時の事を思い出し、彼の顔を直視できなくなったからだ。

 ダグラスも彼女の反応を見て、先ほどの事を思い出した。

 恥ずかしくなって、彼も顔をそむける。

 だが、繋いだ手は離さなかった。


 そんな二人をカノンは“上手くいっている”と満足そうに見守りながらも“海洋リゾート地じゃないのに、サングラスをかけて水着姿で窓際に立って外を眺めるのはないよな”と、マリアンヌの姿にツッコミをいれていた。

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