第21話 吸血鬼、再び 4

「おやぁ、昨日のお姉さんじゃないかー」


 カノンが吸血鬼に気付いた。

 彼の声を聞き、吸血鬼がビクリと体を震わせ、一歩後ずさりする。


「もしかして、追いかけてくるほどダグラスくんの事を気に入ったのかな? だったらいいよー、吸っても」

「ちょっと待ってください!」

「でも死なない程度にねー。生きていれば治せるからさ」


 カノンは、ダグラスの意思を無視して貢ぎ物として捧げようとする。


(いや、待てよ。スキルとかいう技で怪我を治していたのは事実。本当に大丈夫なのか? だったら少しくらいはいいかもしれない)


 ダグラスは“吸血鬼に血を吸われる”という恐怖体験をしたいわけではない。

 だが場合によっては、それもありなのではないかと考える。


「僕も死にたくない。だから死なない程度に血を吸う事。あとはアンデッドの討伐に協力してくださる事を条件というのを受け入れてほしい」


 ――自分が死なない程度に血を吸う事。

 ――アンデッドの討伐に協力する事。


 どちらも、ダグラスが生き残るために必要な条件だった。

 失血死はもちろん、アンデッド相手に戦い続ける自信がないダグラスにとって、ゾンビの討伐に協力してもらうのは不可欠だった。

 吸血鬼も人間の死を望んでいない様子だったのだ。

 受け入れてくれるだろう。

 吸血鬼アンデッドの討伐までは協力してくれないだろうとは思ってはいたが。


「その条件を引き受けるから先に血をちょうだい。喉が渇いて仕方ないの」


 吸血鬼が苦しみで喘ぐ。

 よほど飢えているのだろう。

 カノンが治療してくれるとはいえ、本当に大丈夫なのか不安になってくる。

 しかし、ここで“やっぱりやめた”などと言って怒らせてしまったら、それこそ死は免れないだろう。

 圧倒的強者に逆らうのは得策ではない。

 ここは覚悟を決めて、身を差し出すのが生存への道だ。

 ダグラスはボタンを外し、襟を広げて首元を露わにする。


「好きなだけ吸えばいい」


 ――ダグラスの覚悟を決めた行動。


 だが、なぜか吸血鬼はモジモジとしている。


「いや、でも……」

「血がいらないのか?」


“吸う気がないなら必要ないだろう”と、ダグラスはボタンを止めようとする。


「待って! 待って……。飲むから……」


(あれだけ血を欲しがっていたのに、なんで急に渋るんだ?)


 吸血鬼の反応見ていると、ダグラスはなぜか自分が主導権を取っているように思えてくる。

 首元をジッと見ている吸血鬼が、不思議な事に照れているようにすら見える。

 相手に死の恐怖しか感じないダグラスには理解できない反応だった。


「ねぇ、あなたの血を――」

「だから首から飲めばいい。嫌なら飲むな」

「――強引な人」


 吸血鬼の言葉の意味が、ダグラスにはわからない。

 いや、近くにいた者たちにも意味がわからなかった。

 誰もが息を呑んで事態を見守る。

 ただ一人、カノンだけが彼らを見ずに何もないところで指を動かしていた。


「うっ……」


 吸血鬼が意を決してダグラスに首元に噛みつく。

 ダグラスは痛みを感じない。

 だが、痛み以外のものを感じていた。


(なんだ、この感覚は!?)


 ――感じたものは快楽。


 このまま吸血鬼に身を委ねていたいと思うような感覚。

 先ほどまで怯えていたのが嘘のように、相手に体を任せてしまう。

 これも吸血鬼が血を吸いやすくするための力なのだろうか。

 逆らう気など起きなかった。


 神の食べ物から感じるのは、心で感じる幸せで、吸血鬼の吸血行為で感じるのは体の幸せである。

 心の幸せは、これまでにも感じる事があった。

 しかし、この多幸感は、それらと比べるまでもないほど強烈な快感だった。


(このまま死んでもいい)


 ダグラスに、そう思わせるほどの刺激を与えていた。

 彼は実際に、喉が渇いていた吸血鬼に吸い殺されそうになっていた。

 ダグラスの意識が遠のいていく。


「はい、ストップー。ダグラスくんが死んでしまいますよー」


 そこでカノンが止めた。

 吸血鬼も血を飲み干す勢いで飲んでいた事に気付き、ダグラスの首元から顔を離す。

 そして、がっついてしまった自分を恥じる。


癒し手ヒーリングタッチ


 カノンがスキルを使う。

 彼の手に生じた聖なる魔力に吸血鬼は警戒する。


「そいやぁ!」


 カノンは吸血鬼に向けて使いはしなかった。

 最初に言った通り、ダグラスの頭を勢いよく叩いて回復させる。


「当店のドリンクバーは飲み放題となっておりまーす」

「……ご親切にありがとう」


 吸血鬼は、カノンの言葉のすべてを理解できなかった。

 ただ“飲み放題”という言葉だけはわかった。

 もう一度、ダグラスの首元に噛みつく。


 今度は、ダグラスの気が遠くなるほど飲みはしなかった。

 ほどほどのところで満足する。

 カノンがもう一度回復してやり、ダグラスは平常心に戻った。

 だが、カノンがまた心を乱す言葉を言い放つ。


「ダグラスくーん。君もなかなかやるね」

「なにがですか?」

「この世界の吸血鬼は――」


 カノンが、吸血鬼の生態について話し出した。


 この世界の吸血鬼は、人間を家畜として飼っている。

 長い間人間を飼っていくうちに、血の品評会を始めた。

 その際にテイスティングを行うようになり、人間の血はワイングラスで飲むのが常識として定着する。


 人間を飼っているという話は、ダグラスも知っている。

 だが、後半は初耳だった。

 しかし、このあとダグラスを驚かせる情報が出てきた。


「首筋から血を吸うのは結婚の誓いになっているそうだ。いやー、ダグラスくーん。『俺の女になるか、飢え死にするか選べ』って迫るなんて、なかなか強引な男だったんだねー」

「えっ、ちがっ」


 ダグラスに、そんな下心などなかった。

 そもそも、近くにいるだけで命の危険を感じる相手なのだ。

“結婚しよう”などと言うはずがない。

 彼は吸血鬼を見る。

 すると、圧倒的強者のはずの相手が目を逸らした。


「べ、別に人間なんて気にしてないから。でも死なれたら困るから、約束通りゾンビを倒してきてあげるわ」


 彼女は逃げるように外へ向かって走っていった。

 女性経験のないダグラスも、どのような状況かは察していた。


「いよっ、色男!」


 カノンが煽ってくる。

 ダグラスは神かもしれないこの酔っ払いを、後先考えずに殺してやりたい気分になっていた。

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