第23話
叶槻とナンシーは貨物船シルバーキーの中を調べたが、見張りの2人以外には伊375潜の乗組員はいなかった。どうやら最低限の人員だけ置いて、残りは島の遺跡で金塊を探しているようだ。これは叶槻にとって好都合だった。しかし、いざ脱出という時になってベイカー教授が同行を拒否してきた。
「私は行かないぞ!その女と一緒なんて絶対嫌だ!」
ベイカー教授のナンシーへの態度が豹変したことに叶槻は面食らった。2人の関係は今まで良好だった筈だ。
「どうしたんです教授。ここに居ても助かるとは限りませんよ。確かに我々の捕虜にはなりますが、この船に置き去りよりはましでしょう?」
叶槻の説得にも彼は頑なに応じなかった。
「私はこの船に残る!水も食料も1人ならしばらくは保つからな。とにかくその女とは行かない!」
それだけ言うと、ベイカー教授は自分の船室に籠ってしまった。
「一体どうしたんだ?」
教授は何故、急に彼女を嫌悪するようになったのか?閉ざされた扉の前で叶槻が困惑するが、一方のナンシーは面倒くさそうに顔をしかめた。
「わからないわよ。私だって仕事上の付き合いしかないんだから教授の全てを知っている訳じゃない。でも時間がない。早くボートに乗りましょう。仕方ないわよ。本人が嫌がっているんだから」
確かに時間がない。朝日が昇る前に伊375潜に行かなければ、途中で愛工たちに気づかれてしまう。やむを得ず叶槻はベイカー教授を置いていくことにした。首尾よく伊375潜を取り戻せたら、またこの船に来ればいい。
甲板に向かおうとする叶槻の背後でベイカー教授の怒鳴り声が聞こえた。
「私は騙された!」
何を言っているのか。気にはなったが先を急ぐことにした。
ロープで縛られた2人の兵を先頭にしてタラップを降り、繋がれていたボートに乗り込んだ。ナンシーが先頭、次に叶槻、残りの2人は最後尾に座らせた。これなら叶槻が兵たちを見張ることができる。未だ夜明け前の薄ら寒い空気の中、ボートを漕ぎだした。
伊375潜に向けてボートを漕いでいる間、叶槻は最後尾にいる2人の兵たちがやけに静かであることが気がかりだった。タオルで口を塞がれているとはいえ、唸り声の1つも立てないのは何故だ?夜明け前の薄暗さに目を凝らしてよく見ると、彼らが泣いていることに気づいた。
2人とも愛工直属の航海班のベテラン兵だ。自分の任務が失敗したことに悔し泣きしているのかと思ったが、その泣き方が尋常ではない。大の男たちが大粒の涙を流しながら、身体を震わせて咽び泣いている。その姿を見ている内に、叶槻は彼らの心情を理解した。
悔しいのだ。彼らは今までずっと悔しかったのだ。思えばミッドウェイで負けてから、我々は負けっぱなしだ。多くの艦を沈められ、戦友を失い続けてきた。これが前線で戦っている軍人にとってどれほどつらいか、叶槻には痛いほどわかる。その鬱積した思いが、今の無様な姿がきっかけになって一気に噴き出したのだ。だから彼らは泣いているのだ。
叶槻はボートを漕ぎながら夜空を仰いだ。曇り空なのか、月も星もない暗い空間が広がるだけだった。
俺も同じだ。俺たちは勝ちたいんだ。
叶槻の胸の奥で何かが震えた。
「ぼうっとしてないで、ちゃんと漕ぎなさいよ。まだ半分以上残っているのよ。女の私にばかり力仕事させないで!」
ボート前部のナンシーが情け容赦ない言葉を射かけてきた。敵の女に文句を言われるとは。なんとも情けない気持ちになった叶槻はナンシーの方に顔を向けて腹立ち紛れに叫んだ。
「やっているよ!全力で漕いでいる!」
「大きな声を出さない!」
ここで口喧嘩などやっていたら、それこそ伊375潜に気づかれてしまう。甲板に何人か見張りを立たせている筈だ。叶槻はそれ以上の台詞を無理矢理腹の中に押し込んでボートを漕ぎ続けた。
しかし……。叶槻はもう1度振り返ってナンシーの向こうに浮かんでいる伊375潜を見やった。
もうかなり近づいているのに、伊375潜はこちらに気づく様子がまったくない。無論、そうなるように夜明け前に乗り込もうとしているのだが、それにしてもうまくいき過ぎているような気がする。貨物船でもそうだったように、当然愛工は見張りにはベテラン兵を当てている筈だ。しかし貨物船側の甲板には見張りがいないように見える。つまり、叶槻たちのボートが接近している方向に隙があるのだ。叶槻がまだ麻酔で昏睡中と思い込んでいるとしても、ベテランたちがそのような隙を見せるだろうか。彼らは敵に対しても警戒しなければならないのだ。
この隙は、もしかしたら彼女がいるせいかもしれない。
何の理由もないが、叶槻はナンシーがそうさせているような気がしていた。
ナンシーと会って何日も経ってはいないが、話をする度に彼女は次第に妖しさを増していき、今やそれを隠そうともしない。シルバーキーで詠唱した呪文は一体何だ?単に見張りを引き付けるために口走った出鱈目なのか。本当にそうなのか?何故ベイカー教授は急に彼女を嫌悪するようになったのか。否、今から思えばあの反応はどちらかと言うと怖れに近かった。
自分と行動を共にしているこの女は一体何者だ?
叶槻は改めて金髪のアメリカ女に疑念を抱いた。
「もう着くわよ。周りに注意して」
ナンシーが小声で囁いた。彼女の言うとおり、ボートは伊375潜の舷側に着こうとしている。
彼女について考えるのは後だ。今は反乱を収めることに集中しろ、叶槻は己に言い聞かせた。
小銃を肩に掛けて息を殺した叶槻が先に甲板に這い上がり、次に手を伸ばしてナンシーを引き上げた。
叶槻は身を低くして辺りを見渡した。10メートルほど離れたところに男が背中を向けている。こちらの気配を察して振り返った。
愛工だ。
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