第8話

 伊375潜は微速で貨物船シルバーキーに接近した。船尾の国旗と船の大きさからチリの1000トンクラスの貨物船だとわかる。あちこちの塗装は剥がれて赤錆が浮いており、かなり古い船だとわかる。

 チリはつい先日、日本に対して宣戦布告をしている。しかしあの国が実際に日本と戦える軍を持っているとは思えず、アメリカに対する、敵国ではないことを示すポーズに過ぎないというのが上層部の見方だ。とはいえ、オーストラリアやニュージーランドに戦略物資を輸送しているのかもしれず、無視はできない。

 叶槻はこちらが日本海軍の潜水艦であり、今からそちらの船を臨検する旨を、甲板の兵に手旗信号を使って送らせた。だが、しばらく待ったが何の応答もない。

 一定の距離を保ったまま貨物船の周囲を回ってみると、反対側、島に面した舷側にはタラップが付いており、それには海面に浮かぶ無人のボートが幾つかロープで繋がれている。

 危険だが、あれを使って相手の船に乗り込んでみるか。

 そう考えた叶槻は、遠泳に自信がある乗組員を何人か甲板に集めた。その内のとりわけ頑丈そうな2人に命令する。

「あの船に繋がれているボートを2艘、ここまで運んできてくれ。500メートルは距離があるが、できるか?」

「できます!ロープを切って、ここまで漕いでくればいいんですよね」

「そうだ。ここの海はかなり冷たいぞ。大丈夫か?」

「問題ありません!呉で何度も寒中水泳をやりました。体がなまってうんざりしていたんです。やらせてください!」

 叶槻の問いに2人は交互に大声で答えた。

「いい返事だ。お前たちが戻ってくるまで機銃で援護する。貨物船が変な動きをしたら発砲するから、すぐに戻ってこい」

 叶槻は艦尾に向かって声をかけた。

「機銃手、聞いていたな!」

 艦尾で25ミリ単装機銃を構えている兵が即答する。

「任せてください!誰だろうと蜂の巣にしてやります!」

「馬鹿野郎、俺が命令した奴だけだ!」

 その場で笑いが起こる。

 選ばれた2人は軍服を脱ぎ、下着だけになると頭に鉢巻きを固く結び、そこにナイフを1本差した。そして軽い準備運動の後で静かに海へ入り、体に水を慣らすと全力でシルバーキーへと泳いでいく。他の兵たちは双眼鏡で見張っているが、相変わらず貨物船には何の動きもない。

「副長、英語の方は?」

 叶槻は泳ぐ2人と貨物船を交互に見ながら傍らに立つ愛工に質問した。

「申し訳ありません。達者ではないです」

「そうか、困ったな。私もそれほど上手くはない。そうだ、軍医殿を呼んできてくれ。それから手の空いてそうな者を8人選んで、銃を持たせて甲板に上がらせてくれ」

 愛工は軽い敬礼をして艦内に消えた。それと入れ替わりに蘭堂が甲板に上がってきた。

「軍医殿、これからあの船を臨検します。アメリカに留学していたんですよね。英語は大丈夫ですか?」

「もちろんです。ですが、あの船はチリのものですよね。スペイン語しか通じないかもしれません」

「そっちの方は?」

「まあ、日常会話くらいは」

「充分です。これから調達するボートに同乗してください」

 蘭堂はうなずいた。

 そのような会話が行われている間に2人の兵はシルバーキーにたどり着いた。手近なボート2艘に各々が乗り込み、貨物船から伸びているロープを切断すると、行きと同じくらいの全力でボートを漕ぎ、伊375潜に帰ってきた。

 甲板で待っていた別の兵たちがロープを投げると、2人はそれらを受け取って素早くボートの舳先に結び付ける。

 ハッチから小銃を肩に担いだ兵が8人出てきた。先頭の兵が言った。

「副長に言われてきました!」

「よし、あの2艘のボートに手分けして乗って貨物船の臨検をする。行くぞ。他の者は警戒を怠るな!」

 叶槻と蘭堂、他3人が1艘に、他の5人が残る1艘に分乗してボートを漕ぐ。蘭堂はボート漕ぎなどしたことがないので兵だけのボートが先にシルバーキーのタラップに到着した。

 それを見た叶槻は彼らに大声で指示した。

「先に甲板に上がって安全を確認しろ!」

 5人の兵たちは小銃を構えながら慎重にタラップを昇っていく。叶槻のボートがタラップに着いた時には先行の5人は甲板に上がったために彼の視界から消えていた。

「我々もいくぞ」

 叶槻は拳銃を構えてタラップを昇っていった。蘭堂と兵たちが後に続く。船縁を越えて甲板に立った。先行の5人が四方に小銃を構えて待っていた。

「艦長、誰もいません」

 先行の内、1人が戸惑った口調で言う。

 叶槻は周囲を見渡すが、やはり誰もいない。

「3つに別れよう。俺と軍医殿と他に2人がブリッジにいく。お前たちは3人ずつになって甲板と内部を調べろ。何かあったらすぐに甲板に出て応援を呼べ、決して独断で動くな」

 叶槻の命令通りに兵たちが動く。

 叶槻たちは慎重な足取りでブリッジへの鉄扉を開いた。嫌な軋み音が上がる。薄暗い1階を調べたが、誰もいない。2階に上がり、最奥の船長室を目指す。廊下を半分ほど過ぎた時、左側の扉の閉じた船室から男の声が聞こえた。

「誰か帰ってきたのか?いい加減ここから出してくれ」

 それは英語だった。叶槻はノブに手をかけたが鍵がかかっていた。

「鍵を壊せ。扉が開いてもすぐには中に入るな。俺に報告してからだ」

 兵たちが小銃の銃床をノブに叩きつけ始めた。叶槻は1人で船長室に向かった。慎重に扉を開ける。拳銃を構えたまま中に入った。中は無人だった。正面にある木製の大きな机に何かが置いてある。

 それは奇妙な形をした金色に輝く彫像だった。

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