第4話

 伊375潜の水上レーダーが米軍の駆逐艦を探知したのは1時方向10キロメートルのところだった。故障はしていない。これが日本海軍の技術力の現実だった。夜中だったので甲板の見張りも気づけなかった。

 叶槻は見張りを艦内に収容すると同時に急速潜航を命じた。心臓が早鐘を打つのがわかる。

 米軍のフレッチャー級駆逐艦は 35ノット以上の高速で突っ込んでくる。艦の真上に来るまで10分もかからないだろう。それまでにどれだけ深く潜れるか。

 叶槻が潜望鏡で敵艦を視認すると、敵の艦首から何かが打ち出されるのが見えた。ヘッジホッグだ。あれが当たったら一巻の終わりだ。

 幸いに爆発はしなかったが、これからが本番だ。駆逐艦は真上に達して爆雷の投下を始めた。伊375潜の周囲で鈍い爆発音がいくつも聞こえる。その度に艦は大きく揺れた。

「艦長、逃げましょう」

 誰かが囁いたが叶槻は無視した。水中速力が6.5ノットしか出ないのに逃げきれる訳がない。それに敵は優秀なソナーを持っている。こちらのスクリュー音を察知して簡単に先回りしてしまう。

 今の大きな揺れで艦上に固定していた補給物資は伊375潜から離れて海上に浮き上がるだろう。それを見た敵が目標を撃沈したと判断すれば攻撃は止むはずだ。このまま潜んで撃沈を装うしかない。

 総員が息を殺して音1つ立てずに死んだ振りをしたまま5時間が経過した。

 パッシブソナーでは敵のスクリュー音は消えていない。誤魔化すのは無理だったようだ。頭上の駆逐艦は味方を呼んでいるはずだ。時間が経てばこちらの不利は増すばかりだ。

 どうする。

 叶槻はある決断を迫られていた。更に深く潜るか、ここから動くか。

 再び爆雷が投下される。乗組員たちは不安げに、しきりに辺りを見渡す。

 複数の爆発が起きた。その内の1つは伊375潜の至近弾で、激しい衝撃と共にあちこちが浸水する。新人の乗組員たちが悲鳴を上げた。叶槻は意を決して愛工に命じた。

「100まで潜れ」

 愛工は目を剥いて反論した。

「本艦の限度は75です」

 有無を言わせぬ口調で叶槻は再び命じた。

「100まで潜るんだ」

 伊375潜は注水して更に深く潜った。深度計の針は75を過ぎて100まで動くと止まった。

 直上で爆雷が爆発した。

「120まで潜れ」

「艦長、それは……」

「やれ!」

 深度計は100を越える。110を通り過ぎる。

 叶槻と愛工は祈るような顔でその針を見つめた。

 針はゆっくりと120に達した。

 その瞬間、艦が大きく前方に押し出された。慣性のために総員が後ろに引き倒される。

「何だ、これは!」

 叶槻は思わず叫んだ。

 愛工も狼狽えながら叫び返す。

「わかりません、艦が前方に動いています!スクリューは回していないのに!」

 伊375潜は突然加速を始めた。訳がわからず艦内には悲鳴と怒号が交錯する。

 蘭堂が震える声で叶槻と愛工に言った。

「もしかして、海流に捕まったのでは……」

 伊375潜は更に速度を上げて戦場から離れつつあった。

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