雑賀孫一、鍋を振る舞う
佐倉伸哉
一.孫一、狩りに行く
鈴木
孫一は、雑賀荘周辺の土豪で構成される“雑賀党(雑賀衆とも)”の有力者である鈴木家の当主だ。雑賀衆は守護大名畠山家の支配を受けず独立した存在で、独自に水軍も持っていた。その雑賀衆が注目を集めるようになったのは、鉄砲が日本に伝来して畿内にも普及し始めた頃から。当時はかなり高価だった鉄砲をいち早く取り入れ、鉄砲に特化した専門集団を作り上げた。やがて、雑賀衆は同じく鉄砲に特化した専門集団である“
孫一自身も一族郎党を率いる大将でありながら、個人でも非常に優れた鉄砲の放ち手でもあった。その腕を見込んで「家臣にならないか?」と好条件で引き抜きの話も幾つかあったが、孫一は全て断っていた。
そんな孫一の名が全国に広まるキッカケとなったのが、
しかし、天正五年(一五七七年)二月に織田家が大動員令をかけて雑賀衆の本拠である雑賀荘へ侵攻。対する雑賀衆は一部が織田方に通ずるなど内紛状態にあり、一致した対応が取れなかった。雑賀衆も懸命に応戦したが、圧倒的戦力差を覆す事は出来ず、本願寺に協力しない事を条件に降伏した。
その後、真っ先に織田方へ寝返った裏切者との間で雑賀衆内部で戦はあったが、それ以降は戦もなく雑賀荘周辺は平穏だった。孫一自身も降伏してからは織田方へ協力する姿勢を見せつつも、基本的には十ヶ郷で暮らしていた。
頭に手拭いを巻き、野良着という恰好の孫一。肩には小さな紙の包みが
狩りではあるが、これは訓練の一環だった。動かない的に百発百中でも、動いている相手に当たらなければ意味が無い。特に鉄砲という武器に関しては感覚を鍛える事が重要視されているので、腕を鈍らせない為にも実践を行う事が欠かせなかった。
この当時、鉄砲の火薬を作るのに欠かせない硝石は海外からの輸入に依存しており、量産化されるようになった鉄砲よりも貴重で国内では高値で取引されていた。だが、雑賀衆は海運業も行っていた事から鉄砲が普及し始めた頃から独自の経路で確保しており、さらに石山本願寺に加担していた頃は提携する毛利家を通じて西国から調達しており、その後に織田家の傘下に入ってからは当時日本最大の貿易港である堺を手中に収めていた事から融通してもらい、結果的に雑賀衆は硝石の入手に困った事なく現在に至っていた。
需要の高まりで入手困難だった硝石を惜しむ大名家が各地にある中、孫一を始めとした雑賀衆は訓練と銘打って狩りに鉄砲を使える程に潤沢であった。
気配を殺して、奥へ足を踏み入れていく孫一。風向きや足音で獲物に勘付かれないよう、慎重に進む。
(――居た)
遠くに、一匹の猪が居る。成獣で、しかもかなり大きい。牙は小さいので、メスか。あれを仕留められれば、里の者にも喜ばれることだろう。
距離は、
こちらの存在を悟られないよう、孫一は静かに支度を始める。
静かに、呼吸を整えていく。集中を研ぎ澄ませ、勝負の一瞬を逃さないよう意識を高める。
(今だ――!!)
猪が顔を上げた瞬間、孫一は引き金を引いた。轟音と共に放たれた銃弾は、猪の頭部に命中した。銃撃を受けた猪は、地面にゆっくりと倒れていく。
その巨体が枯れ葉の上に倒れ込むと、ズシンと振動が孫一の所まで伝わってきた。撃たれた猪は脚をピクピクと痙攣させているが、暴れる様子はない。
まだ反撃してくる可能性があるので警戒を緩めず、孫一はそっと猪の元に近付いていく。その手には鉄砲ではなく小刀が握られている。
荒々しく息をする猪に、孫一は複雑な顔でこう呟いた。
「……済まねぇ」
直後、孫一は手にしていた小刀を猪の
「――
人間の都合で命を奪われた猪に対して、孫一は静かに手を合わせる。
鎮魂の祈りを済ませた孫一は、首から提げていた笛を鳴らす。その音を聞きつけた孫一の家臣が、ガサガサと枯れ葉を踏む音を立てながら近付いて来る。
「わぁ! 流石は頭領、大物を仕留めましたね!」
仕留めた猪を見て、家臣は開口一番に驚きの声を上げる。後からやってきた他の家臣達も似たような反応を見せる。大物に湧く家臣達は運搬の準備に取り掛かる。
一方、孫一は使った鉄砲の筒内を掃除しながら、空を見上げて太陽の位置を確認した。
「……そろそろ、
日本ではその昔、食事の時間は朝・夕の二回が一般的だった。しかし、鎌倉時代の終わり頃から室町時代の始め頃から昼にも食べる習慣が徐々に浸透し始めた。戦国時代になると、昼食の習慣は全国的に行われるようになった。
「では、早速支度にかかり――」
「ちょっと待った。今日はオレに作らせてくれ」
「え!? 頭領が、ですか!?」
孫一が名乗りを上げた事に対して、驚きの声を上げる家臣達。そうした雑事は通常家臣が行うもので、目上の人間自ら「やりたい!」なんて言う話は聞いた事がない。
「なんだ? オレの作った飯が食えないと言うのか?」
「い、いえ。滅相もありません!」
本人がやる気になっているのに止めようとする家臣達に孫一が凄むと、間を置かず否定する。もし不満があると受け止められたら、その場で斬り捨てられても文句は言えないから家臣達も必死である。
「……というのは冗談だ。今日は、いつも苦労を掛けているお前達を労いたいんだ。こう見えて、オレは料理も結構上手いんだぞ?」
穏やかな口調で語る孫一に、家臣達もそれ以上止めようとする事はしなかった。中には感動して目が潤んでいる者も居た。
孫一が他家に仕官しない理由の一つに、本拠・十ヶ郷の者達と離れたくない思いが強かった事がある。鉄砲に特化した専門集団として鍛え上げられた里の者は、傭兵として出稼ぎに行く。当然、慣れない土地や家で苦労も少なくない。雇い主から酷い罵声を浴びせられたり暴力を受けたりする事もある。そうした辛い思いや苦しい思いをしてきた家臣達に、少しでも労いたい気持ちが孫一には常々あった。
「……頭領の思い、十分に受け取りました。でも、私達も少しは手伝わせて下さい」
「おう、頼んだぞ」
そう言うと孫一はニカッと笑った。その笑顔を見ただけで、この人についてきて良かったと心の底から思う家臣一同だった。
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