としよりの戯言

西尾 諒

第1話

 人は誰も年とともに老いていく。その中で様々なことを学び、伝えようとする。だが・・・、年老いた人の言葉を聞く者はいよいよ少なくなっていく。

 昨今の激しい技術変革の中では蓄積した技術や知識があっという間に色褪いろあせてしまうのは事実だ。世代間の軋轢あつれきが高まるのにイノベーションが一役買っていることはいなめない。実際、何の役にも立たない古い技術や知識をもとに新しい時代の流れにさお差すような行為をしている老人もいつの時代にも少なからずいる。老人の智恵といったようなものが効力を及ぼすゾーンは時代の進化のスピードと共にせばまっているのは間違いない。

 しかし賢明な人というものはたとえ時代がそうであろうと、人間とか社会の中には時代を超越した共通項があるものと信じ、それを智恵として次の世代にたくそうとするものである。そして常に「その一部」は正しい。本質的な「何か」は時代を超越して正しいのだ。新しい夜明けの地平線はまるでそれまでの時代を一挙に時代遅れのように見せかけるが、その本質の殆どは実は前世紀・親の世代・昨日の風景と変わらないものである。

 「新しい、ないしは若い物こそが正しい」という声が圧倒するのは概して「愚かな時代」である。愚かさに率いられた社会は常に滅亡する。ソクラテスを失ったアテネが滅び、キケロを殺したローマが変容してしまったように、たとえ若くとも愚かな者たちが社会を率いればその社会自体が悪化し、やがて滅びへと向かう。

 では年寄りが率いれば良いかと言えば愚かな老人が社会を率いればやはりその社会も滅びる。つまりは老人であろうと若者であろうと、になう世代の問題ではなく担う人々の賢明さ・愚かさが社会の方向を決めるのは、良く考えれば自明の話である。

 そもそも何かを新旧で判断しようとするのは正しい行為ではない。年寄りが悪いとか、若者がおろかだという話ではなく。悪い年寄や愚かな若者がいるだけなのである。それを年齢で区別しようとするからおかしくなるのだが、主導権を持った者たちが愚かさを隠そうともせずに居座る傾向があるという中で、今の時代を眇めればやはり年寄りが傲岸ごうがんに居座っているように見えないでもない。

 とすれば「新しい物こそが正しい」という声が圧倒するのかもしれないが・・・そんな時代もそうでない時代も所詮「愚かな時代」のかもしれない。いや、そう自覚することのみによって、我々はようやく愚かさから少し脱却できる、その程度の話なのであろう。

 「古いものが意味の薄れた権威を持って存在するために、それを排除するために『新しさ』を主張することのみでそれを打倒できると信じている者達がさして根拠のない主張をする現象の連続が波のように繰り返されている現実」を僕らは見ているのだが、その殆どは無駄な行為であり、本質的な見極めをすることによってその無駄なプロセスのほとんどを排除することができるのが真実であろう。

 愚かな老人は排除されなければならないが、その席を愚かな若者が占めて良いはずはない。そもそも賢明な老人は賢明な若者に席を譲るものである。だが愚かな老人と愚かな若者がせめぎ合っているようでは社会は衰退する。事実現代の日本は残念ながらその傾向が顕著に見える。いや現実のニュースを見れば、おおかたの国も同じような状況なのだろう。

 とりわけ政治の世界において危機感を持たざるを得ない。


 政治の世界で言えばプラトンが説く哲人政治は(可能であれば)理想の形態であるが哲人政治を現実化する制度はないし、哲人が哲人であり続ける保証もない。民主主義は制度としては存在するが、愚かさを排除するものではなく、場合によっては(というか最近は多くのケースにおいて)愚かさを正当化してしまう可能性がある。それは衆愚政治に繋がる。

 Many forms of Government have been tried, and will be tried in this world of sin and woe. No one pretends that democracy is perfect or all-wise. Indeed it has been said that democracy is the worst form of Government except for all those other forms that have been tried from time to time.…(数々の政治体制がこの罪深くわざわい多き世界において試みられてきたし、未来へと向かって試みられるであろう。民主主義が完璧であり智恵に満ちたものであると誤った主張をするものはいまい。実際民主主義は過去に試みられた全ての政治体制を除けば、最悪な政治体制であると言われている)

 チャーチルのこの言葉は民主主義の偉大さとその限界を伝えるものであるが、畢竟ひっきょう民主主義は最善の政治体制というよりは、他よりましな体制でしかなく、下手をすれば(愚かな民衆のもとでは)最悪の政治体制(民衆によって執政者にお墨付きを与えてしまったという意味で)になりかねないのである。民主主義とはお墨付きの専制者タイラントを作る政治体制ではない。

 中国やロシアがいくら自分が民主主義国家だと主張してもその基本的な発想がそこにある以上、見せかけの民主主義でしかないのは事実だが、現代においては完全に民主主義の形態である国家に於いてもかなり危険な人物が民衆のお墨付きによって登場している。アメリカの前大統領などはその典型であるが、この傾向を最初に感じたのはフィリピンにおけるドゥトルテ大統領の選出においてであった。その後、トルコのエルドアン、ブラジルのボルソナロなどでも同じ匂いがする。共通しているのは民主主義で選ばれたにも関わらず、民主主義の要素である自由な言論、選挙制度、を自分の意にそぐわないと否定する強権的な性格である。本質的に自由とか民主主義と相容れない性格の候補者達が民主主義によって担がれている。

 日本でもその傾向は民主党の政権後の自民党政権で強まったが、その手法は少し異なった。彼らは官僚制度の支配を目論んだのである。

 残念ながら日本の政治においては必ずしも選良と呼べるほどの能力のない人物が「バン」と呼ばれる不思議な魔術で政治家になるという事実がある。そうでない場合はひたすら地道に権力者に媚びて政治家の道を切り開くという事が行われてきた。従ってどちらにしても本来の政治家に必要な資質は欠如している政治家が殆どである。そして民主党・自民党はそれぞれ交互にそうした性質を持った人間を首班に指名する事となり、その間に日本の力は大きく削がれたのである。

 ただ、その性質は自民党の時に悪化した。彼らは官僚を自分たちの手下になるように画策した。その最たる物が、森友事件における財務省の官僚による虚偽答弁、日銀総裁自身による日銀の機能の喪失(金利を動かせない日銀は機能を喪失した)、文部科学省事務次官に対する卑劣なスパイ行為である。そうした行為が官僚の質の悪化(というか、そう言う状況の中で出世していく官僚が悪化の原因になるわけであるが)を招いたのだが、この悪化は日本の行政に致命的な打撃を与えるかも知れない。悪い血は悪い系統しか生み出せない、というのは組織論においては真実である。


 衆愚政治自体はギリシャ時代から存在し、ナチスはワイマール憲法下のドイツを衆愚政治と呼んだ。実際はナチスを台頭させた時代のドイツ人が衆愚であった(第一次世界大戦の賠償負担がドイツ人を衆愚に導いたのは事実ではあるものの)という皮肉はあるもののナチス自体が「民主主義制度のもとで」悪性腫瘍あくせいしゅようのように蔓延はびこり転移していった事実を踏まえれば民主主義と言う「政治体制」は最低の条件であり、その政治体制の下でまともな政治を演出せねばならないのは民衆の「義務」であって、それがなされなければ民衆が自らの意思で愚かな結末を招くことになりかねない。ならば賢人によってそれを修正することが必要なのかも知れないが、それは哲人政治ではない。

 さっきも指摘したとおり、哲人政治が現実的でないのは「哲人は存在しない」あるいは「たとえ存在したとしても長続きしない」という健全な「不信」が根底にあるわけでこの「不信」こそは正しいスタンスなのである。そもそも人間と言うのは権力を持てば増長する存在であり、選ばれればそれがすべての罪悪を帳消しにするとさえ考える。その上、今の日本の政治家は不逮捕特権という本来の趣旨と違った権利を振りかざしかねないというか、それを前提とした行動様式を取っている。その口で行っていることははともかく殆どの政治家にとって最大の関心事は選挙に勝利することである。そのため、選挙に有利になると思えば怪しげな宗教団体の票でも、票は票、と思い始めるし、それが裏目に出ると思えばさっさとそれを切りにかかる。いずれも何かの信念で行っている所作ではない。

 私も還暦をとうに迎え、今大きな病を得た。それが治癒するかどうかは別としてもう語る機会も年月もそうは残されていないだろう。それにしても、私が生まれた頃に比較して技術的には明らかに進化した時代は、政治的、社会的には少しも進化しなかった。退歩しているとはいえないが悪化はしているかも知れない。大学時代に政治経済学を学んだ身としては、ますます民主主義の悪い側面が表面化していることに危惧せざるを得ない。またそこから派生している諸問題に関して一言言っておく義務があると考える。

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