上司がつくるごはんのお供

水涸 木犀

始海シカイソギンチャクの辛漬け・上

 実験室いっぱいに広がる海藻類を眺めながら、俺はそれらの間をうろうろと歩き回っていた。


 NOAH号の食糧庫係であるジェイがこの部屋を去ってから、短くない時間が経つ。彼女には宇宙船に搭載された食料の数量管理を任せている。しかし新星に到着後は、本職である動植物の同定作業――どんな種族で、人間が口にして大丈夫なのか否か――に追われていた。食べられる食材が見つかるだけ、食糧庫の在庫に余裕ができるから喜ばしいことではあるのだが、作業量に比例して彼女は目に見えて疲労が溜まっていた。

 少しは休憩を取らせようと思い、食糧庫の手前にある実験室に足を踏み入れると、彼女はげっそりとした表情で振り返る。


「あ、キャプテン・オウル。お疲れ様です。申し訳ありません。こんなに散らかしていて」


「いや、構わない。ジェイの仕事に必要な作業なんだろう。しかし、今は何をしていたんだ? 見たところ、ここに並んでいる海藻類は同定作業が終わったものばかりのようだが」


「さすがキャプテン、記憶力が伊達ではありませんね」


 俺の指摘に、ジェイはわずかに表情を明るくする。


「今は、2つの船のクルーたちに提供する、新たなメニューを考えていたところです。キャプテン・クレインが考案してくださった『始海しかいアジのイカダ焼き』は好評ですが、さすがに一品だけでは飽きてしまいますし、栄養バランスも足りません」


「貝を皿として使いまわししているのもそうだが、長期保存もきかないしな」


「はい。そのため、できればここにある海藻類を用いて、ビタミンやミネラルが豊富に取れる料理を新たに考えたいのですが……。すみません、ちょっと今頭が回らなくて。食材になりそうな素材は並べてみたものの、中々アイデアが浮かばずに困っていたところです」


「それなら、俺も力になれそうだな」


「キャプテン・オウルがですか?」


 研究室一面に鎮座する有象無象を眺めつつ、ため息をついていたジェイは俺の言葉に首を傾げた。


「植物の同定は、さすがに俺の専門外だが、料理を考える協力くらいならできる。なるべく日持ちして、栄養バランスが良いメニューを提示すればいいんだろう? 少しアイデアを練ってみるから、その間ジェイは休め。NOAH号に一人しかいない食糧庫係が倒れたら、俺たちが困る」


 本音10割――そもそも俺がジェイの元を訪れたのは、彼女に休息をとらせるためだ――で提案すると、彼女は恐縮したように深く頭を下げた。


「も、申し訳ありません。キャプテンにまで気を使わせてしまい……。では、お言葉に甘えて少し休ませていただきます。あ、卓上のタブレットに海藻類のデータはすべて入っているので、味や性質などはそちらでご確認ください。では、失礼いたします」


 本当に疲れていたのだろう。いつもなら休むより働くことを選ぶジェイが、素直に研究室から退去する。残された俺は、彼女が指示したタブレットを手に持ち、海藻類が並ぶ部屋の中を隅々まで歩き回った。


 ――料理を考える、と簡単に口にしたが。そもそも海藻だけのメニューには、何がある?――


 ジェイを休ませたい一心で口から出まかせを言ってしまったが、約束を反故にするつもりはない。海藻だけを使って、美味しく食べられて、できれば保存がきく料理。しかし実物を見てもなかなか思い浮かばず、ならば食材の特徴から連想しようとタブレットのページをめくる。

 丁寧にまとめられた資料をぱらぱらとめくっていたが、ある1点で手が止まった。


始海しかいシカイソギンチャク……?」


 イソギンチャクといえば、触手がうにょうにょしている不気味な生物というイメージがある。それがここに載っているということは、まさか食べられるとでもいうのだろうか。概要文に目を通す。


“OLIVE号とNOAH号が降り立った地、始海で採れるイソギンチャク。イシワケイソギンチャクに似た種類で、食用可能。生でも食せるが、触手にはわずかに毒があるため、加熱か天日干しの処理を推奨。生食の場合、触手に含まれる毒の影響で舌がひりつくおそれあり。干したものは鹿肉のジャーキーに似た風味であるという(by. OLIVE号のクルー)。”


 干したイソギンチャクを食べた猛者が誰なのかはあまり考えたくなかった――船長のくせに無鉄砲に色々と試したがるクレインである可能性が高い――が、鹿肉に似た風味、というのが気になった。海藻だけで料理を作るにあたり、メインの味となる食材を決めたいところだった。肉系の風味をもつこれなら、主役を張れるかもしれない。


 そうと決まれば他にもページをめくり、見た目も味もほぼ昆布と同じだという“始海コンブ”や、海中植物でありながら山椒に似た実をつけるという“始海サンショウ”、おまけに『始海アジのイカダ焼き』でも活躍した“始海ノリ”にチェックを入れていく。


「これで、ミノリのいう“漬け物”とやらができるんじゃないか……?できれば始海シカイソギンチャクと、始海コンブは天日干しされたものが欲しいところだが」


 俺は少し考えてから、腰に取り付けてある通信端末を手にとった。


「ミノリ、聞こえるか?」


『はい。オウルさんから連絡なんて、珍しいですね。どうされましたか?』


「ちょっと新料理の相談がしたくてな。“漬け物”ができそうな食材をピックアップしてみたんだが、それで足りるかどうか、確認してほしい」


『それは構いませんけど、地球の食材と全く同じ、ってことは無いですからね。失敗しても文句は言わないでくださいよ』


「大丈夫だ。失敗したらジェイは少し落ち込むかもしれないが、できたものは俺が責任をもって食べる」


『ちょっと! ジェイの名前を出されたら失敗できないって思うじゃないですか! ……で、私はオウルさんのところに行けばいいですか?」


 ジェイの名前を出したことで、俺自身失敗したくないという思いが強くなった。できれば彼女が戻ってくる前に、試作をしておきたい。


「ミノリ、お前いま外にいるな? もし始海シカイソギンチャクと、始海コンブが干してあったら持ってきてくれないか。あと使っても怒られない調味料があれば、すこし。塩か砂糖が欲しい」


『使っても怒られない調味料って、私が個人的に持ってる柚子味噌くらいだと思いますよ。でも、オウルさんが料理を試作するって、ジェイは知ってるんですよね。塩も砂糖もちょっとくらい使ったって、怒らないですよ。私からも言っておきますし』


「悪い」


『そこまで低姿勢なオウルさん、珍しいですね」


「お前はいつも一言多い」


『はは、了解です! では、食材をもってジェイの研究室に伺いますね』


 俺がもう一言二言、小言をいってやる前に、一方的に通信が切られた。


「抜け目のない奴だ……」


 とはいえ、仕事はしっかりこなすミノリのことだ。指示した材料は漏れなく持参してくるだろう。俺はそれまでに調理場を片付け、食材を迎える準備を整えることにした。

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