第63話 施されたら施し返す

「いつから私は瑞斗君の母親になったのかしらね」


 その声を聞いた瞬間、パッと明かりがついたように意識がはっきりとした。

 仰向けになった瑞斗の顔を覗き込むようにして見下ろしている彼女は母親ではない。

 それを理解するごとに先生をお母さんと呼んでしまったような羞恥が浮かび上がってきて、彼は無意識に視線を逸らしていた。


「ふふ、私がここにいる方がおかしいもの。そういう発想になるのも頷けるわ」

「……鈴木すずきさん、熱は大丈夫なの?」

「一人で歩けない状態のあなたに比べればマシよ」

「そっか、よかった……」

「人の心配してないで、自分の心配をするべきね」


 玲奈れいなは瑞斗に布団をかけてあげると、「全く、私の世話なんて焼くからこうなるのよ」と呟きながら用意していたらしい冷えピタの箱を開ける。

 ただ、言葉とは裏腹に表情は満更でもなさそうで、額へと丁寧に貼ってから指先で優しくトントンとしてくれた。


「鈴木さんはどうしてここにいるの?」

「あなたの母親から連絡を貰ったの。一応伝えておくだけで深い意味は無いってね」

「自分に用事があるから、無責任に押し付けたのか」

「あら、そうでも無いと思うわよ?」


 彼女がそう言いながら指し示した先、部屋のドアの方へと目を向けてみると、半開きの隙間からマスクとフェイスシールドを装着した早苗さなえがこちらを見ている。

 玲奈から聞いた話によると、さすがに一人で居させる訳には行かないから妹を休ませて傍に居てくれるように頼んだらしい。

 看病で使うものは一箇所にまとめて置いてくれていて、母親として息子を心配する気持ちはしっかり汲み取れたんだとか。

 瑞斗からすれば用事(ママ友との食事)を優先している時点で、子供は風の子だと親指を立てている姿しか想像できないが。


「とにかく、母さんが迷惑かけてごめんね。鈴木さんだって病み上がりなのに」

「私はこの通り元気よ。学校は大事をとって休ませてもらったけれど」

「なんか、ごめん……」

「謝ってばかりね。こちらからすれば、昨日の恩を返せるからありがたい限りなのよ」

「そう言ってもらえると救われる」

「ええ、だから心置き無く私を頼るといいわ。そもそもの話、私が伝染うつしたことは間違いないみたいだし」


 彼女は申し訳なさそうに眉をひそめながら瑞斗の後頭部に手を添えると、少し持ち上げて頭の下に何かを敷いてくれた。

 巻かれたタオル越しでもひんやりとしているこれは……冷却枕だろうか。発熱のせいで少しぼーっとしていた思考回路が落ち着いていくのを感じられる。


「家族以外の看病なんてしたことがないけれど、あなたの真似をすれば何とかなるわよね?」

「おそらくは」

「だとすると、次にするべきは……食事だったはず。お腹はどれくらい空いているかしら」

「ちょっと分からないかな。あまり体の調子がわからなくて」

「そう。少しは食べた方がいいわよ、しばらく一人でも平気そう?」

「今のところは大丈夫」

「何かあったらこれを押して。音を聞いてすぐに戻ってくるから」

「ナースコールかな」


 玲奈からボタンのついたリモコンのようなものを受け取ると、それをすぐ手に取れるように枕元へ置いておく。

 その様子を確認した後、彼女は部屋を出るまでにも心配そうに何度か振り返りつつ、2分ほどかけてようやくご飯を作りに行ってくれた。

 自分の方が高熱だったというのに、それほどまでに看病に恩を感じているのだろうか。

 そんなことを思っていると、ガチャリとドアを開けて早苗が入ってくる。今度はビニール手袋と『きけんぶつとりあつかいせきにんしゃ』と書かれた紙も装備に追加されていた。


「僕は爆弾か何かなのかな」

「人は誰しも爆弾を抱えてるよ」

「哲学的だね」

「近所のおばちゃんも膝にあるって言ってたもん」

「それは多分違うと思う」


 その人の爆弾は、爆発しても自分しか巻き込まないタイプのやつだ。危険なことに変わりはないけれど。

 瑞斗は心の中でそんなことを思いつつ、「暇つぶしに早苗、絵本読むね」と本棚から『おまえうまそうだな』を引っ張り出してきた妹の優しさに心が温まったことは言うまでもない。

 相変わらず危険物扱いされているところは、ちょっぴりお兄ちゃんとして悲しいけれど。


「…………」

「……」

「…………」フムフム

「……待って、もしかして黙読?」

「ん? 早苗、絵本読むって言ったよね?」

「あ、読み聞かせじゃないパターンか」

「いやいや、高校生が読み聞かせは無いよ」

「ごもっともです」


 期待して耳を傾けていた自分が恥ずかしくなりつつ、結局「仕方ないなぁ」と玲奈が戻ってくるまで読み聞かせをしてもらえることになる瑞斗であった。

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