僕刑務所に入る

実家がなくなって八年、実家のことなど忘れていた、弟も両親も連絡先も知らず連絡を取ることはなかった。 気づいたら僕には4ヶ月になる子供ができた。僕もやっと家族ができたのだと、歓喜深かったが僕は仕事をしていなかった。

仕事をしなくても月80万は給料としてはいると自負していたので外に出ることは無かった。嫁のこころは子供が生まれるまで風俗に努めに行っていたがなにも気にしていかった。


こころ実家に住み着いてた僕らは子供が産まれ一ヶ月で実家から出ていってくれと言われていた、こころと子供は良いらしいが、永遠に家にいる僕がお義母さんとお義父さんにきにいられなかったという、家を探したが家など見つかることがなく、新小岩で会社をやっていた、しんさんの事務所に家族で流れ込んだ。


引っ越してから僕は心にてをあげた、怪我をするほどではないが

ムカついたらこころを殴るというのを頻繁に繰り返していた。


月曜日と木曜日の曜日固定でこころのお義母さんが孫の顔を見に来ていた、それが無償に腹が立っていた。家を追い出すくせに孫の顔を見に来るのは気に食わなかった・

ある日の水曜日義母は来ることになった、僕はそのことに腹がたった。

腹が立ち、こころを殴ると珍しくこころが抗戦をし、近所の人が警察を呼び、そのタイムングで義母がきて「あの人捕まえてください」となり僕は逮捕された。

勾留20日で暴行罪となり東京拘置所に移送された、拘置所は初めての会見でびびっていたが、独居房で食パンを食べ2週間がたち釈放された。


釈放した日、こころとは接見禁止をつけられて錦糸町の事務所に戻った、僕にはもう何もなくなった。子供のこともこころの事が好きだったので僕は無機質になっていた。


「いい仕事あるんだけどやらないか?」と電話を掛けてきたのは蒲田のヤクザだった、捕まる仕事ならそれで良いやと思った僕は仕事をうけると特殊詐欺の電話だった、僕は何も考えず特殊詐欺をすることにし、現場に行って電話をしたが僕には向かなかった。おじいちゃんっこの僕には老人を騙すのは生きる心地がしなかった。


紹介の人間に「この仕事無理」というと「受けの仕事をするか」と言われ

荻窪のマンションの一室で荷物を受取るだけの仕事をしていた。


受け子二日目の夕方荷物を受け取り、寝転びながら白猫プロジェクトをやっていたら

受け子場所のチャイムが鳴った。取り子の人間が来たから帰れると思ったが

黒ずくめ8人の大人が入り口を囲っていた、それを見た瞬間「殺される」と思ったが警察手帳を見せられ東京から高知県へ移送される。

高知では東京で特殊詐欺の掛け子が20人捕まったとニュースが走り僕は焦った。受け子だけであれば刑務所に入らずにすむが、掛け子がばれれると刑務所は確定する。


取り調べでは掛け子をしていることはめくれていた、僕の頭は真っ白になった。絶対刑務所だ、、、というのが僕の頭で締めた。

高知で20日過ごしたあと東京の葛飾所に移送され掛け子の取り調べが3ヶ月続いた。

周りが中途半端にしか本当のことを言わないので取り調べが遅くなった。


拘置所に移送され裁判の判決を待った。

裁判の日

「主文  懲役3年半月とする」

と言い渡され、懲役三ヶ月半となった。

僕の刑務所生活はこれかたはじまる



____________


今では刑務所に行ったことは反省しています

自暴自棄になってもやってはいけないことです

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