第15話 おじいちゃんの昔話

 サダオは自宅で文章を添削していた。

『未来を切り拓くための新規プロジェクト』と題されたワードファイルに吹き出しのコメントを入れていく。


 これを書いたのは後輩だ。

 来週、会社の人事部へ提出するのである。


 サダオの部署は通常、課長補佐が二名いるのだが、一名が昨年、海外の子会社へ異動になってしまい、ポジションが空いたままの状態が続いていた。


 当然ながらサダオの負担が増える。

 残業時間だってサダオが一番多い。


 その大変さは部長や課長も心配してくれていて、


『内部から一名、課長補佐に昇進させるか』


 という話が持ち上がっていた。


『じゃあ、私が課長補佐になります』と立候補して終わらないのが組織というシステムである。

 ちゃんと昇進のための試験がある。


 筆記(英語含む)、論文、面接の三点セットだから入社試験に近いイメージだろうか。

 サダオが昇進した時と同様の流れであり、先輩としてフォローしてあげている。


「う〜ん、何か違うんだよな……どっかのWEBからコピペしてきたような内容というか……文章は綺麗なんだけれども、経済誌に載っていそうな施策なんだよな……」


『未来を切り拓くための新規プロジェクト』といえばスケールが大きく聞こえるが、社運を賭けるほどの大掛かりなアイディアは求められていない。

 というか、そんなものは会社のお偉い方が勝手に考える。


 もっと、こう、中堅くらいの社員が思いつきそうなアイディア。

 無茶苦茶だったり、論理的に破綻しているのだけれども、別のアイディアと組み合わせたら光りそうなやつ。


 サダオの時は『小学校高学年くらいの子供が自動車を運転できる施設を作ったらいいのではないか』と提案した。


 子供の体格に合わせて、ハンドルとかペダルの位置を調整する。

 自動車教習所みたいなコースを用意して、運転免許を持った大人が同乗する。

 いわば人生初の車体験だ。


『自動車を運転してみたい!』は多くの小学生が持つ憧れだと思う。

 遊園地にあるようなゴーカートじゃなくて、時速六十キロメートルくらい出て、レバーとかメーターは本物で、最新のエンジンが搭載されているやつだ。


 いつか自分の車を持ちたい!

 そう思わせるための種蒔きだ。

 子供時代のインパクトある体験というやつは、十年経っても覚えていたりする。


 面接の時は笑われた。

 つまり内容を百パーセント理解してもらえた。


『どのくらいの予算があればできそうか?』と聞かれたので『十億円あれば可能ですが一億円だと足りないかもしれません』とラフな回答をしておいた。

 その結果、サダオは試験をクリアできた。


 どうせアイディアを提出するならぶっ飛んだくらいがいい。

 今回の論文で一番マズいのは、採点する側が何回も読んだような内容を持っていくことなのだから。


『もう少し身近なアイディアにできないかな?』とアドバイスを付け足す。


 サダオの時だってカレンを観察していて閃いた。

 その人だから思いつけるアイディアの方がポイントは高かったりする。


 ……。

 …………。


 玄関のチャイムが鳴った。

 は〜い、と対応しているのはミヅキだ。


 父と母がやってきたらしい。

 これから五人でお鍋を囲むのである。


「なんだ、サダオは。休日なのに仕事をやっているのか?」


 父が作業部屋までやってきて小言をいう。


「色々と忙しいんだよ。今の部署はちょっと人手が足りていなくてね」

「そうか。大変なんだな。サダオの会社だって社員の数が年々減っているんだろう。仕事の量は変わらないのに大変だな」

「まあな。時代の流れだから仕方ないよ」


 社員の数が年々減っている……これを父に話したことはないから、経済誌とか新聞で勝手に仕入れたのだろう。


 日本社会は人口減少に突入している。

 サダオの会社のように社員数が減っていくのは不思議なことじゃない。

 売り上げが頭打ちなのだ。


 その中でいかに利益を捻出するか。

 コストカットと簡単にいうけれども、削れる部分はとっくに削っているわけで、車の性能を上げるのに似た難しさが付きまとう。


「父さんが現役だった頃は……」

「使えない社員をたくさん抱えている会社が良い会社ってやつでしょう?」

「そうだな。一日中暇そうにしている奴らがどこの部署にもいた。周りがしっかり稼いでいたから会社も首を切らずに放置していた。そんな光景が当たり前だった」


 日本も変わった。

 父がそう話すのは珍しい光景じゃない。


 団塊の世代という言葉があるけれども、父はちょっと下の世代だ。

 一時期、メディアでは『逃げ遅れ世代』とか言われた。


 年金法の改正があって、年金の受給タイミングが後ろにスライドした。

 父はそのダメージをもろに食らうから逃げ遅れ。


 とにかくお金がない。

 それは国も会社も家庭も変わらない。


「哀愁に浸るのはよせよ。俺の世代もまあまあ大変かもしれないが、それを言ったらカレンの世代の方がもっと大変だ。俺の会社なんて毎年新入社員のクオリティが上がっているんだ。五年前とかなら、もっと給料を出してくれる会社に入社できた人材が、うちの会社へやってくる。上位の会社が採用を絞っているからな」

「そんなものか」


 大学時代は遊んでいても、まあまあの会社に就職できる。

 サダオが大学生の時、本気でそう思っていたし、周りもそう思っていた。


 英会話の勉強に打ち込んでいる人間のことを『あいつはインテリだから』とか冷やかしていた。

 サラリーマンになったら一生英語なんて使わないだろう、と。


 ところがサダオの部署の人間が一名、東南アジアの子会社へ出されたばかりだし、いつサダオの番が来るか分からない。


『海外へ出向と言われましても、一軒家を買ったばかりですし……』

 そんな言い訳を許してくれないのが、会社という場所である。


「鍋を食べよう。用意はできているから。父さんもビールを飲むだろう」


 酒好きの父はニヤリと笑った。


 ……。

 …………。


 会話が盛り上がっていた時、カレンの口から質問が飛び出した。


「おじいちゃんって、昔はどんなお仕事やっていたの?」


 皆の視線が一斉に父へ向けられる。

 父は嬉しそうに鼻を膨らませてから、


「会社の製品を色々と研究開発する人だよ」


 とアバウトな言い回しをした。


「会社の製品って?」

「カレンちゃんは、毎日プラスチックを目にするだろう」

「うん! カレンのボールペンもプラスチックでできている!」

「プラスチックというのはね、環境に悪いってことで昔からよく問題になってきたんだ。燃やしたら地球の環境を壊すとか、小さいプラスチックをお魚が食べて、そのお魚を食べた人間の体内に入っちゃうとか」

「カレンも聞いたことある!」

「おじいちゃんは、軽くて丈夫で環境に優しいプラスチックの研究をしていたんだ。コンビニでお弁当を売っているだろう。あの容器に使われているプラスチックだって、おじいちゃんが勤めていた会社の発明品だったりするんだ。ペットボトルの容器なんかもそう。一見すると変わっていないようでいて、けっこう進化してきたんだよ」


 ミヅキが、初めて知りました、みたいな顔をしている。

 サダオの母も繰り返し頷いている。


「へぇ〜、おじいちゃんの会社ってすごいんだね」

「知っている人は知っているかな」


 父が会社名を口にした。


「CMは見たことある! 何やっている会社か分からないけれども!」

「よく言われるよ」


 五人が同時に笑った。


「お義父さん、グラスが空いていますよ」


 ミヅキがお酌しようとする。


「私がやりたい!」


 横からカレンが志願する。


「おじいちゃん、嬉しいな。カレンちゃんにできるかな」


 それを見守る父と母。


 鍋のせいだろうか。

 食べていると温かくなるから、自然と心もポカポカする。


 前にお寿司を食べた時、サダオとミヅキの心は冷え切っていた。

 今回は絵に描いたような幸せが目の前に広がっている。


「サダオのグラスも空いているじゃないか」

「ああ、じゃあ、俺ももう一杯飲もうかな」


 父にお酌された。

 親子なのに恐縮してぺこぺこしてしまった。

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