第12話 変わり者の母と家庭菜園
目の前がピカピカと点滅して、奥歯のあたりにしつこい痺れが走った。
不快感は鼻腔、
ふいにサダオの視界が真っ暗になった。
部屋の空気だって冷たくなっている。
「戻った……のか?」
記憶だけを頼りに照明のスイッチをONにしてみた。
机の引き出しを開けると、タブレット端末が入っていた。
さっきまで手に持っていたはずなのに移動している。
時刻も朝の六時半。
つまりタイム・リープに成功いている。
サダオは寝巻きのまま夜明けの住宅街に繰り出してみた。
両親の家が見える。
台所の電気がついている。
母だろうか。
なるべく足音を立てないよう敷地内に侵入してみた。
最短で家庭菜園へ向かうなら門を抜けて右だ。
でも母が殺された時、門の方に頭を向けて倒れていた。
犯人は左から回り込んだのではないだろうか。
気づかれないよう近づいて、後ろから母の頭を殴りつける。
犯人が辿るであろうルートをサダオも歩いてみる。
自分が育ってきた家だから、ここは頭をぶつけそうとか、ここは足元が
家を半周したら家庭菜園が見えた。
大きさにすると八畳ほどの空間であるが、几帳面な母らしく隅々まで手入れが行き届いている。
母は昔から変わり者だった。
物に向かって話しかける癖があるのだ。
野菜を育てる時だって『今日はいい天気ですね〜』とか『カレンちゃんが六歳になりましたよ〜』とか意味のない話をしている。
料理の時もそう。
包丁に話しかけたり、鍋に話しかけたり、本人は楽しそうにしていたが、幼いサダオの目には不気味なものとして映った。
だから友人を家へ呼ぶのは嫌だった。
『お前の母ちゃん、頭が変じゃねえの?』と言われる気がして、毎回冷や冷やしたものだ。
きっとサダオの父が寡黙なせいだろう。
話しかけても『うん』とか『おう』しか言わないから、母もいよいよ諦めて、物に向かって話すようになったのではないか。
自分が興味あることには食いつくけれども、自分が興味ないことは無視する、父はそういう人間だった。
戸の開く音がして、母が勝手口から出てきた。
サダオに気づくなり、まあ、と目を丸くする。
「どうしたの、サダオ?」
「朝の散歩の途中。そういや母さんの家庭菜園をしばらく見ていないと思って」
「いきなり立っていたからびっくりした。泥棒かと思ったよ」
「まさか。この付近じゃ泥棒なんて滅多に出ないだろう」
母は手袋と
今日の料理に使うのか、小松菜をせっせと収穫していく。
「サダオも小松菜を持って帰るかい? カレンちゃん、葉物野菜は好きだっけ?」
「ああ、カレンは野菜なら何でも食うよ」
母はポケットからビニール袋を取り出すと、土を落とした小松菜を入れて、サダオに持たせてくれた。
サダオは素人だから、野菜の良し悪しは分からない。
でも母の育てた小松菜は、サイズこそ不揃いであるが、スーパーに並んでいる小松菜に劣らない気がする。
「せっかくだし、お茶でも飲んでいくかい? それとも家族でこれからお出かけするのかい?」
「まだミヅキもカレンも寝ているよ。じゃあ、ちょっとだけ上がろうかな」
わざわざ玄関まで移動するのも面倒なので、勝手口から入った。
この家は築四十年を超えているから、何度もリフォームをやっている。
トイレ、風呂、台所だけはサダオの家に負けないくらい新しく、
「玄関の建て付けが悪いだろう。そろそろリフォームした方がいいんじゃないか。年々悪くなっている気がする」
「そうなのよ。私の力じゃ開け閉めに苦労して。夏場なんかそのせいで蚊が入ってきて、蚊取り線香が欠かせないの」
ありそうな話だと思ったサダオは軽く笑っておく。
「まだ長く住む家なんだし、修理すればいいよ」
「でも、お金が勿体ないからねぇ」
「費用は俺たちが出すから」
母の顔色がにわかに明るくなった。
「サダオ、あんたは優しい子だね。こんな老いぼれ夫婦のためにね」
「よせよ、水臭いな。親子じゃないか。それに俺の家のローンを出してくれたのは母さん達だろう。少しくらいは恩返しさせろよ」
「でも、カレンちゃんの教育費が必要でしょう。塾とか高いんじゃないの?」
「平気だって。カレン一人くらい」
あまり長居すると朝食を出されそうな気がしたので、適当なところで切り上げておいた。
最後、家庭菜園の脇に転がっている石をチェックする。
見かけよりも重い。
犬の頭くらいのサイズだが、これを人の頭に打ちつけるのは練習しないと失敗しそうだ。
周りに注意しながら振り下ろしてみる。
反動で体が前によろけそうになる。
土で汚れた手をパンパンと払ってからサダオは実家を後にした。
……。
…………。
交通量の多い県道を、サダオは緊張した面持ちで運転していた。
最近はご当地ナンバープレートを見る回数が増えたな、と思う。
車に愛着を持ってもらおう。
自動車メーカーに勤める身としては、そういう取り組みが今後も増えてほしい。
「温泉楽しみだな〜。カレンね、泡がぶくぶくって出るお風呂が好き」
「お母さんも好きよ。たくさんお風呂に入って、お腹が空いたらご飯食べましょうね」
ミヅキとカレンは朝からずっと上機嫌だ。
温泉に入るからすぐ化粧を落とすのに、ミヅキが念入りにメイクしていて微笑ましかった。
まだ開店前というのに駐車場は三割くらい埋まっていた。
前回と同じスペースに停めておく。
これは勝手な予想なのだが、余計な過去まで変えない方がいい気がする。
まず受付を済ませて、それから館内着の浴衣をレンタルする。
続いてサービスカウンターへ行き、予約しておいたレンタルルームの鍵を二本もらう。
一本をミヅキに渡して男湯と女湯の前で別れる。
「俺は長風呂してくると思う。ミヅキとカレンは部屋で休んでいてもいいし、待つのが嫌なら岩盤浴でも済ませておいてくれ。昼食の時間までには上がっておくから」
岩盤浴というキーワードにカレンが大興奮する。
「やった。岩盤浴好き。天井がプラネタリウムみたいになっていて、オルゴールが鳴っている部屋に入りたい」
ミヅキの手がカレンの頭をポンポンした。
サダオは男風呂には向かわずに回れ右をする。
出口のカウンターに立っているスタッフに声をかけて、一時退館のチケットを切ってもらった。
車に乗り込みエンジンをかける。
やってきた道を逆方向に走り、我が家の駐車スペースに車を停めた。
車のトランクには護身用の杖をあらかじめ入れてある。
これで犯人をボコボコにして警察に突き出す。
戦いに終止符を打つのがミッションだ。
前回の失敗原因は分かっている。
サダオの思い切りが欠けていて、犯人をぶん殴るのに
同じ
向こうを病院送りするくらいの覚悟が今日のサダオにはある。
「来いよ、クソ外道。絶対に骨を折ってやる」
左の拳をギュッと握りしめた。
……。
…………。
待つこと五分ほど。
ロングコートの人物がサダオの視界に映った。
両親の家の前で一度止まり、そのまま通り過ぎていったが、しばらくして戻ってくる。
下見しているのだろうか。
サダオは音を立てないようゆっくり車から降りた。
まだ犯人は襲わない。
家にラブラドールがいるのだ。
サダオの父が散歩に出かけた直後、犯人は動き出すに決まっている。
家の玄関が空いて、ラフな格好をした父が出てきた。
右手に犬用リードを握っており、家庭菜園にいるであろう母と何やら話している。
犯人はこの区画を通行人みたいにグルグルと歩いていた。
不審者といえば不審者なのだが、住人のふりをしようと努力しているのは伝わってくる。
やがて父が出発していき、犯人ともすれ違った。
犯人は一度振り返り、帽子の位置を直して、サダオの実家の前で足を止めた。
「いいぞ、そのまま家に入るんだ」
サダオの声が聞こえたわけじゃないだろうが、犯人が一度立ち止まり、靴の裏を気にした。
しつこくコンクリートに擦り付けているから、ガムでも踏んだのかもしれない。
「何だよ。意外とドジじゃねえか」
大きな獲物が釣り針にかかった。
確かな手応えをサダオは味わっていた。
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