亥栗コノブのお悩み


 紫色の髪に褐色肌の亥栗コノブは、『勉強会』のメンバーなど心を開いたペガサスの前では陽気な性格に振る舞うが、実のところはそこまで自己主張が得意な子ではなかったりする。

 ありていにいえば軽度のコミュ障というべきか、付き合いは良いが自分を意見を出すのがほんのちょっぴりとだけ苦手だった。

 そんな性格なため、時には仲間の濃さに圧倒されてしまい、その本質が出てしまうことがある。


「……あーの、申姫先輩……」


「なに?」


 いつもの元気は何処へ行っているのか、コノブは遠慮がちに隣で体育座りをして食い入るようにモニター画面を見ている中等部二年先輩の『夏相なつあい申姫しんき』に声を掛ける。


「えっと……愛奈先輩のライブ録画見るの、もう七回目でーすよ?」


「そうね」


「はい、そーうです……」


 残念ながら自分の意思は伝わらなかったと、それ以上なにも言えなくなったコノブはモニターに映っている高等部三年『喜渡愛奈』──アイドルENAのアイドルライブに視線を戻し、両手で顔を覆った。


 ──コノブは自分が主体となってやりたいことがなく、非番の時は暇している事が多い。そんな時はテキトーにぶらついて知り合いを探し、声を掛けて遊びに誘うか、何か用事があれば同行するかをしている。

 今回、そんなコノブの“ぶらり”の対象になったのは申姫先輩だった。


 同じく非番だったという事もあり、話しかけたところ自分の寮部屋にて録画加工したライブを見るとのことで、コノブももう一度見たかったというのもあり、本人の許可をとって付いていった。


「ここ……いいよね」


「ハイ、イイデスーネ」


 それで、これである。

 全く同じ場所で口に出される先輩の感想に、コノブは機械的に返事をする。

 いま自分の目は先輩以上に光を失っているかもと思うが、確認する気力は無かった。


 最初こそはENAのライブ音源以外の余計な音声を高精度AIによって除去した事で、生ライブの時とは違い、しっかりと聞けたなとテンションを上げて見ていたのだが、終わったら申姫がさぞ当然の如く映像を最初から見はじめた時、コノブはものすごく嫌な予感がした。


 その時、指摘できればよかったものの、こういう時マイペースに振る舞えない、そんな経験を培う事が出来てこれなかったのがコノブであり、黙って付き合ったのだが、流石に三回目あたりでお腹いっぱいになった。


「ここ、すごいよね」


「ハイ、サーイコデスネ」


 何事にも興味を持たないためか感情を薄く表情筋が死んでいる。何だかんだで話しかけてくれて後輩たちを気にかけてくれる優しい先輩だって分かっているけど、時々横目に見ると誰かの指示通りで動いている人形のような、まるで『ペガサス』とはまた違う何かと思う時があった。


 そんな申姫先輩の印象がガラリと変わったのは、というかイメージが粉々に崩れたのは歓迎会にて行われたアイドルENAのライブからだ。

 あの時の申姫先輩は叫ぶわ、周りを気にせず腕を振るいまくるわ、咽び泣くわで、まるで別人というか、別ペガサスというか、別生物というか、とにかく凄かったなと、コノブは思い出す度に目を細めてしまう。


 なんとなく毎日見ているんだろうなというのは察していたものの、まさか1日中繰り返して見ているとは思わなかった。


 ──やっぱり、申姫先輩って、愛奈先輩のことをになるとおかしくなるんだなぁ。


 内心で、正直過ぎる感想を抱くコノブは、どうやったらお開きにできるのか考える。


 いや、難しく考えずに帰るといえばいいだけの話であるが、これでまた見たいってなった時断られたくないなという不安を感じてしまっており、どうしても声に発する事ができなかった。


 ──だからといって、このままだと終わる気配がない。どうしたら終わるんだろう、先輩が満足するまでかな? するかな満足。駄目だ、とりあえずこのまま黙って見るのはアレだし、何か話したい。


「そ、そういえば申姫せーんぱい的に、ここが特に好きってありーます?」


「──あのね、全部好きなんだけどね──」


 いつもは虚無っている瞳がこちらを向いて、キラッと光が灯ったのを見て、あ、失敗したなとコノブは顔を引き攣らせた。


 ──30分後──。


「それで、この服なんだけどレミ先輩に聞いたら、元のアイドルがいて──」


「なーるほど」


「それと『アイを見つけて』の事を咲也先輩に聞いたんだけど、この歌をチョイスしたのは愛奈せんぱいじゃなくて、アイドルのENAを意識したらしくて──」


「そうなんでーすね」


「写真集のこのページを見てほしんだけど、実は映像では見づらい部分の作りがこうなっていて、愛奈先輩のイメージに合わせた──」


「すーごいです」


 ものすごく早口で語られる解説と感想にコノブは相槌三種の神器を駆使しつつ、話を左耳から右耳へと流していく、本当に、この間までの印象が嘘みたいだ。

 もし誰かに、どっちが良いかと言われると、良いところも悪いところもあって悩ましいから丸一日考えさせてとコノブはその場を逃げるだろう。


「……〜〜〜!」


 テンションが上ってきたのか途端に申姫先輩はペンライトを取り出して、一心不乱に振り始めた。本当に唐突過ぎてコノブは怖くなってきた。

 さながら肩関節の駆動範囲が上九十度しかない玩具のようで、ちょっと疲れが出ていた事もあって、なんかここは前の申姫先輩っぽいなとコノブは思った。


「……叫ばないんですね?」


「愛奈先輩たちのことがバレたらどうするのよって、ハルナに怒られた」


 確かにと納得するが、そもそも寮内で愛奈先輩たち“卒業”しているはずの『ペガサス』や『アイアンホース』、本来いるはずのない『東海道ペガサス』に、もう完全に映したらアウトっぽいレガリア型のふたりが居る。


 ──あれ、このライブ映像思ったよりも機密の塊では? 中等部寮にあって良い代物なのかなと不安になる。


「あの、申姫先輩。このライブ映像どうしたんですか?」


「ハルナにものすごくお願いした」


「あーーそーーなんでーーすね」


 ものすごくしつこかったんだろうなと、申姫先輩と同じく中等部二年のハルナ先輩を思い浮かべて合掌する。

 まあハルナ先輩のことだから、その上、高等部ペガサスに許可を得ているかと、この事について考えないようにする。


「え?」


 そんな風に苦労人の先輩に向けて祈っていると、突然テレビが消えた。


「時間よ」


 もしかして、一日に見れられる時間が決まっているのだろうか? きっとそうに違いない、ありがとうハルナ先輩と合掌の意味が感謝に変わる。


「ん?」


 しかし、変化はこれだけじゃなかった。

 リビングのモニター画面が消えたと思ったら、別の部屋から音楽が聞こえてきた。壁伝であるが集中すれば『ペガサス』の耳なら普通に聞こえるそれは、ライブの続きだ。

 でもどうしてと疑問に思っていると、申姫はスッと立ち上がる。


「お風呂の時間になったから入るわ」


「……なーんで?」


「この時間になると、しばらく浴槽でしかテレビが見られなくなるの」


「なんで?」


 思わず独特の訛りが消えてしまうぐらい、コノブは頭の中が疑問符に埋め尽くされる。


「ハルナが、こうすればお風呂に入るだろうって」


 ──ハルナ先輩、もしかしてENAのライブ映像を申姫先輩の生活に組み込んでます? 


 申姫は物事に興味を持てないから生きる事に必要な事を忘れがちになる。それこそ同部屋であるハルナが居なければ何日も食事を摂らなくなる、風呂も入らない、ずっと同じ生活で暮らし続ける生活無能力者である。


 だが、愛奈に関係することだけ申姫は活力を湧かせ、感情を発し、積極的に動くようになる。もっとも常に暴走状態に等しいので、それが良い事だと呼ぶにはもう少し時間が必要ではある。


 そんなわけで申姫の親友であるハルナは、ふと思いついた。

 ハルナはこれを利用して特定の時間にライブ映像を流せば生活に必要な行動をとらせる事が出来るのではないかと。

 結果は今のところいい感じらしく、ハルナはガッツポーズをとった。


 ──普通、思いついてもやります!? 


 そんな、いつもはツンツンしているけどものすごく優しい先輩の冗談みたいな所業にコノブは割と引いた。

 それはそれとして、やっぱり、ハルナ先輩って申姫先輩の親友なんだなと納得もした。


 その場で脱ぎはじめた申姫先輩、コノブはそこら辺気にしないので指摘することはないのだが、これは解散するのにちょうど良いのではと勇気を出してみることにする。


「……あ、じゃあ、先輩……わーたしはこのへんでー」

「入ってきなよ。浴槽で聞くと反響してまた違って聞こえるから、とても良いよ」

「あ、はい」


 ──ハルナ先輩、はやく帰ってきて──ー!! 


 こうなったら、先ほど内心で引いたばかりのハルナ先輩ができるだけ早く帰ってくれるのを祈るしかないとして、コノブも、お風呂の支度をするのであった。


 +++


 一方その頃、後輩から切実に帰宅を祈られているハルナはと言うと。


「──というわけで、愛奈先輩。申姫の健全な生活のためにも、お風呂入ってとか、ご飯を食べてとか、歯磨いてとか、生活ボイスの収録をお願いします!」


「えっと……えぇと……申姫のためになるならいいけど、本当になるのかなぁって……あとちょっと恥ずかしいよ」


「お願いします! 本当に習慣が付くまでで良いんで! 申姫には愛奈先輩の介護が必要なんです!」


「介護……」


 親友のためにと、生活を誘導できる日常で流すボイス収録を愛奈本人にお願いしていた。

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