アイドル・ドリーム・ステージ 9


 カマキリ型独立種が生み出したものが、なんであるかは不明である。しかし起きている事象を、そのまま伝えるなら、本体と寸分違わない百体以上の残像が、アスクと『上代かみしろ兎歌とか』を囲っていた。


 アスクは、とにかく接近してくる残像を殴る、液体を掛けるなどで確認していく。せめて囲いから脱出しようと試みたが、どういう原理か残像たちは、直ぐにアスクたちを囲うように展開されて、仕切り直しすらできない。


 それらは殺傷性皆無の偽物であるが、その数だけ音が鳴り、居る場所には風の流れが変わり、月光を遮り、影を生んでいると、確かな質量を持って存在している。そのため『ペガサス』の五感といえど判別するのは不可能だった。


 残像たちは兎歌とアスクから一定の距離を保ち、その中から数匹が動いている状態だ。何かしらの作戦というよりかは、カマキリ型独立種の〈固有性質スペシャル〉の出力量の事情によって、残像自体は百体ほど、動かせるのは数匹が限界だと識別番号02は考察する。


 だからといって無害ではなく、本体は残像を活用して隠れ潜みながら、もう何度もアスクと兎歌に向かって鎌を振るい、あるいは投げるを繰り返している。現状なんとか回避出来ており、命に関わるダメージになっていないものの、未熟な『ペガサス』の精神を確実に削っていた。


「……あっ!」


 長時間“卒業”の恐怖にさらされ続けた兎歌は、無自覚のパニック状態に陥っており、迫り来る残像相手に【ブルーベリー】の矢を撃ってしまう、最後の矢は状況を打開することなく数体の残像を擦り抜けて落下する。


 中等部二年の先輩二名が、独立種が居るかもしれない『街林』に向かったという話を聞いて、慌てて出てきたため、矢は弾倉に入っていた分しかなく、攻撃の手段がなくなった兎歌の心は、それでもなんとか封じ込めてきたモノが溢れ出していく。


 ──怖い、怖い、逃げ出したいほど怖い!


 追い詰められているという状況がダイレクトに感じ取れてしまい、心が磨り減っていく。本体が透明となってどこに潜んでいるか分からない。残像が一斉に鎌を飛ばしてくる様は、生涯忘れることのできない光景だ。


「いや……誰か……」


 命の奪い合いで、弱音を吐いてはいけないことは分かっている。しかし、少し前まで普通の少女でしかなかった兎歌は、自分とアスクの命の危機に、どうしても最悪の未来が、現在の光景を塗り潰していき、気がつけば口が動いていた。


「──誰か……」


 兎歌の錯乱した様子にアスクは限界だと、逃げる決断をする。これによってカマキリ型独立種を見失ってしまい、アルテミス女学園は最悪の暗殺者が居なくなったという確信を得るまで、常に警戒しなければならない日々を送ることになったとしても、兎歌を、このままにはしておけなかった。


「──誰か、助けて……」

「──うおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 ──アスクが兎歌を持ち上げて逃げようとした。遠くで待機していた識別番号04が駆けようとした。そのとき、日が沈み暗くなった『街林がいりん』に雄叫びが響き渡った。


「食らいやがれぇ──ってはぁ!? なんだこれ、擦り抜けた!?」


 カマキリ型独立種の残像たちを、己の“金属の爪”で引き裂こうとした小さな少女は、擦り抜けた勢い余って、兎歌の方へと飛び出てきた。


「あー、本当にワタシってダサいな」


 いったい誰だと確認するまでもなく、兎歌は自分の元へとやってきた“友達”の名前を呼んだ。


「……あ、亜寅?」


 ──どうしてだと、なんでここに居るのだと、あまりに予想外の出来事に、兎歌は状況を一瞬忘れて目の前の友達について考えてしまう。


『プレデター』に等しい『外殻』に纏われた肉体を持つ、『キメラ』と名が与えられた少女『鈔前しょうぜん亜寅アトラ』が、兎歌をはっきりと見据えて口を開いた。


「──助けにきたぜ、兎歌」


 +++


 ──時は遡り、学園内にてアスクに兎歌を追うようにお願いした『祝通はふろどおり可辰かしん』は走っていた。


 独立種が現われたかもしれない『街林』へと、兎歌たちが向かった。もしもの事があれば、明日からまた絶望の一日が始まるかもしれないのを、可辰は分かっている。それでも歓迎会を台無しにしたくない友達の想いを無下にしたくなかった。


 だから可辰は歓迎会を中止にせずに、どうすれば兎歌たちの助けになるのか考えた。だけど何も思いつかず、破れかぶれに倒した棒が、ある方角を指し示した事で、ある友達たちの事を思いだした。


「こ、こんばんは! 誰か居ますか!!」


 ──可辰が訪れたのは、今は倉庫として扱っている元高等部三年寮。大半の『ペガサス』たちは用事がなければ訪れない場所。だからこそ、ここで過ごしている『ペガサス』が居る場所。


「──だ、だ、だれぇ?」


 玄関から発せられた可辰の大声に高身長のペガサス。『大麓おおろく丑錬うしね』がリビングからビクビクと脅えきった様子で現われた。


「丑錬ちゃん……」

「可辰ちゃん……な、なんで来たの? 今日は歓迎会じゃないの?」


 大規模侵攻のあと丑錬が出会ったのは、今回が初めてで言葉を詰まらせるなか、丑錬は泣きそうな顔で可辰の顔をじっと見つめながら拒絶の意思を込めた疑問を投げかける。


「帰って、もう放っておいてよぅ……もう嫌、産まれてから、ずっとなにも良いことなくて……だから、ここで静かに居させてよ」

「……可辰的には、丑錬ちゃんと過ごした日々は、とっても楽しいものでした。本当に夢のようで学園の日々そのものが、可辰にとって最高の『加護チート』です」


 怖いくらいに負の感情を纏う丑錬に、可辰は引き下がらずに話しかける。すると丑錬は返事こそしなかったものの顔を上げた。その瞳は酷く疲れ切って淀んでいる。


 ──丑錬の表情は、だからなんだと言っているようにも見える。それは昔の話だと言っているようにも見えるが、可辰は、なんにしても止めるつもりはなかった。


「また、皆で楽しい日を過ごしたいって、可辰は思っています……だから、丑錬ちゃん、そして亜寅ちゃんにお願いがあってきました!」

「……無理だよぅ、わたしも亜寅も……外に出たくない……」

「そこをなんとか、お願いします! ……でないと兎歌ちゃんとアスクさんが危ないかもしれないんです!」

「そ、そんなこと言われても……」


 可辰の勢いに反応こそする丑錬であるが、動く気は無く、首を傾けて、視線を落とした。


「……わかんない。どうすればいいか分かんないよぅ。ずっとそうだったから……」


 丑錬という少女は主体性を殺されて生きてきた。税金逃れのためだけに籍を入れて子供を拵えた両親は、最初から関係は冷め切っており、実の子供に無関心。むしろトラブルを起こすことを心底嫌い、普通とは違った丑錬の事を特に邪険に扱っていた。


 あいつは確実に『ペガサス』にされるだろう。誰もがそう思い、誰もが丑錬をそう扱った。刃向かう勇気が持てず、丑錬は何時しか考えることを止めて、亜寅に出会ってからも、常に他人の言う通りに生きてきた。


「──分かんないよ」

「でしたら! 丑錬ちゃん!!」

「ひゃ、ひゃいっ!?」


 可辰は、まともに人と話した事はなく、こういう時、なんて答えれば正解なのか分からない。どうすれば説得できるのか分からない。


 だから、自分にできることをするという一心で可辰は勢い任せに、上着の内ポケットから常に持ち歩いているトランプを取り出して、“不器用な手付き”でシャッフルすると、丑錬に向かって差し出した。


「え? な、なにぃ?」

「山札の一番上のカードを引いてください。それでハートのエースが出たら……丑錬ちゃんに最高の『加護チート』が付与されます!」

「え、あぅ……」


 それがなんになるのか疑問を抱く丑錬であったが、自身の性根に従うままに、山札の一番上のカードを捲った。


「……あ、ハートの1……」

「──おめでとうございます! これで丑錬ちゃんには最高の『加護チート』が付与されました!」

「可辰ちゃん……」

「だから安心してください! 丑錬ちゃんには必ず良いことが起きます。自分のやることなす事正しい方向へと進みます! 可辰もできる限り力を貸します! だからお願いします! 力を貸してください!」


 可辰の語る『加護チート』は、あくまで独自の祈願であるが、占星術や風水、神道などの知識を元に、自分なりの理論をきちんと構築したものとなっている。


 しかし、このトランプによる『加護チート』付与に関してだけは、まるで童話の魔法のように理論も、説明出来るような理由もなく、絶対的なものであると語る。


 ──だってこれは、可辰にとって、それほどの意味を持つものだから。


「──わ、分かったよぅ」

「丑錬ちゃん!」


 別に何か変わったわけではない、誰もが遠慮していた手綱を強引に引っ張ったことで、いつも通り他者に言われるがままに動く少女に戻っただけだが、今はそれで良かった。


「それで、何をすればいいのぅ?」

「えっと……と、とりあえず亜寅ちゃんの元へとお願いします」

「でも、亜寅はいま外に出ないよ?」

「それでもお願いします……兎歌ちゃんを助けるために、どうしても力を貸して欲しいんです!」


 実際に亜寅の力が要るのかは分からない。それでも、もしもを考えて人数は多い方がいいと可辰は、とにかく勢いだけで話を進めていく。


「──うん、分かった、付いてきて」

「はい!」


 ──廊下の奥へと向かって歩き始めた丑錬、背を向けた彼女の空気が変わった事に気付かず、可辰は付いていく。


「……え? あの……丑錬ちゃん??」


 亜寅の部屋がある奥へと行く道中、先輩たちが乱雑に置いた物の中から、あるものを手に持った。そこで様子がおかしいことに気付き可辰が声を掛けるが、丑錬は反応することなく、亜寅の部屋の前まで移動する。


「亜寅、起きてる?」

「──丑錬か……なんだよ?」


 大きめのノックをして、扉越しから呼び掛けると、亜寅は返事し、声からして扉の前まで移動した。


「あのね、兎歌ちゃんが、いま大変な目にあっているみたいだから、わたしと亜寅の力を貸して欲しいんだって」

「お願いします。兎歌ちゃんが危ないんです!」


 兎歌とアスクのことだ。もしも学園から帰ってきたら、事情を知っている可辰の事を探しにきてもおかしくない、それなりの時間が経ったのにもかかわらず、帰ってきていないのは先輩たちが見つからないのか、それ以外に何かあったのか不安が募る。


「……なんで、ワタシなんだよ。他にもいるだろう」

「うっ……」


 塞ぎ込んでいる自分よりも、頼りになる先輩たちが居ると、そちらに言うのが普通なんじゃないかと、至極真っ当な意見を述べて亜寅は拒絶を示す。実際に、兎歌の気持ちを考え無いでいいのなら、亜寅たちを頼ることを思いつかなかっただけに、可辰は反論できない。


「いいから、帰ってくれ。ワタシは外に出ないし、もう何もするつもりはない……そっちの方がいいだろうしな」

「ううっ……!」


 丑錬の時とは違い、亜寅の協力を得るには、きちんとした理由が成り立っている言葉で納得させないとダメだと、可辰は必死に考えるが、ここに来てスピリチュアル女子としての不得意さが出てしまう。


「なにが出来るっていうんだよ。こんな化け物に……なにもさせるなよ」


 待ってと止める暇もなく扉から離れていくのを感じて、可辰は肩を落とす。


「あう、どうすれば……」

「──亜寅、開けるよ」

「丑錬ちゃん? ……え!?」


 もしかして鍵を持って居るのかと思って、丑錬を見てギョッとする。何故なら道中で持ってきたものを、両手に握りしめ、扉に向かって振りかぶっていたのだから。


 ──────ガン!!!!!!!


 “もしもの事故”を想定して頑強な作りになっている金属製の扉が、丑錬の振るう『械刃製第三世代ALIS・槌』によって、強烈な打撲音と共にヘコんだ。


「……は? な、な……なにやってるんだ!? 可辰、じゃない丑錬か!?」

「亜寅、外にでるの!」

「はぁ!? ちょ、ちょっとまて!? 止めろって……!」

「あわわ……」


 ガンッ! ガンッ! ガンッ! ガンッ!! ガンッ!!!


 亜寅の制止の声も無視し、可辰がドン引きしているのも意に介さず。丑錬は一心不乱に、扉を『械刃製第三世代ALIS・槌』で殴打する。


 丑錬は気弱だ。他人に言われなければ動かない生き方をしている。しかし、だからこそ、彼女は言われた事を、どんな手段を用いても叶えようとする。


そして、丑錬は力が無いわけではなかった。高身長な故か、その体に秘めたるパワーだけで言えば、丑錬は高等部を含めたアルテミス女学園ペガサスの中で一番になれるものを持っていた。


「お、おい、丑錬?」

「いいから、外に、でるのぉ!!」


 ──ドゴン!!!!


「ひえ……」


 もう『ALIS』も限界だと投げ捨てて、ボコボコにヘコみくの字に折れ曲がった扉に、強烈な蹴りを入れてトドメを刺した。


 ガシャンと倒れる扉。隔てるものが無くなった部屋のなかに、『キメラ』と呼称される存在となった亜寅が、及び腰となり引きつった顔で立っていた。


「──兎歌ちゃんを助けに行くよぉ」

「あ、はい……」


 初めて見るキレた丑錬に、亜寅は静かに頷くことしかできなかった。そのあと正気に戻り、自分を閉じ込めてくれた扉が無くなったのを見て、大きく息を吸った。


「──ああもう、クソっ! 分かったよ! もう好きにしやがれ!」

「亜寅ちゃん……ありがとうございますっ!」


 大規模侵攻が終わって、こんな体になってからずっと頭の中を駆け回っていたものが、全部馬鹿らしくなったと、亜寅は人間の手のほうで頭を掻きながら、やけくそ気味に言った。


「──それで、なにがあったんだ?」


 +++


 窮地の兎歌を助けにきたのは『キメラ』となった少女、亜寅だった。


「亜寅、ど、どうしてここに? 助けに来たって……」

「おう、可辰から、お前のこと助けてくれってお願いされたんだよ」

「可辰ちゃんが……」

「ワタシを外に出した丑錬も合わせて、後でお礼言っとけ」

「……うん!」


 学園で、自分のために動いてくれた友達、それを聞き届けてくれて、本当に来てくれた亜寅、それに丑錬と、自分を助けてくれるために動いてくれた友達たちに、兎歌は心を解した。


「あと、その姿……」

「ん?、ああ、どうも戦いになると気持ちが高ぶるのか、意識しなくてもこうなるっぽい」


 亜寅の姿は通常時と比べてより戦闘向けに変化しており、全体的に外殻に覆われていた。両手両脚は巨大で鋭利な爪が生え、ナイフのように鋭い尻尾は伸びて亜寅の意思のままに動いている。


『プレデター』の外殻ですら容易く切り裂く爪に尾、それに身体能力が跳ね上がっているが、活性化率も上がるため戦闘は短時間しか参戦できないようだと、亜寅は感覚的に理解する。


「いいの?」

「今更だよ。吹っ切れたわけじゃないけどな。 ていうか、可辰から聞いたけど、なんでひとりで独立種がいる『街林』に来てるんだよ!」

「だ、だって……どうにかしないとって」

「アホか!?」

「ア、アホって……さすがに酷くない!?」


 歓迎会があったし、自分は風紀委員だったし、でもって……兎歌が内心で理由を並べ立てていると、ストレートな罵倒を言われて、カチンときてしまった。


「ひとりで独立種が居る『街林』に向かう馬鹿がいるか! 考え過ぎなんだよ!!」

「──そ、それ亜寅が言うの!?」

「ワタシだから言うんだよ! 他人とか頼らなかった失敗例が目の前にあるだろうが!」

「こ、コメントし辛いこと言うのは卑怯だよ!?」


 数日前までの関係が嘘のように、ふたりは声を張り上げて言い合う。それは正しく友達同士の口喧嘩と呼べるものであった。


 ──上代兎歌という少女は、好きな『ペガサス』の前ではテンションを上げて、嫌な事があったら顔に出て、気に食わないことがあれば怒る。割と正直な所が玉に瑕な、年相応の優しい子だった。


 あの日以来、見ることの無かった友達の姿に、亜寅はヘッと笑った。


「……ワタシが言えた義理じゃないからこそ、言うけどよ。お前はもっと周りを頼るべきだったんだよ」

「亜寅……ごめん、わたし……!」

「そういうのは終わってからにしようぜ……絶対会話している場合じゃ無かったしな!」

「あ、アスク。大丈夫!?」


 普通に会話してしまっている兎歌と亜寅だが、現状カマキリ型独立種の残像に囲まれている状況なのは変わっていない。特に何事も無かったのは、アスクが友達どうしの会話を邪魔するんじゃねぇと、惹き付け役も兼ねて守っていたからである。


「亜寅、なにか、方法は無いの!?」

「……全然わからん」

「ええ!?」

「そもそも、ワタシたち、まだ中等部一年だぜ。こんな意味わからん〈固有性質スペシャル〉を持つ、独立種とワタシたちだけで戦うほうが、おかしいんだよ!」

「さっきから酷くない!?」


 たとえ『キメラ』という特別な存在になっても、この姿になってから碌に訓練もしていない、実戦経験は皆無の亜寅に、〈固有性質スペシャル〉持ちのカマキリ型独立種を相手どれるかと言えば難しいのは事実だ。


 どうしようと焦る兎歌に、亜寅は余裕を崩さずに、続きを語る。


「だから、ワタシたちでどうにかするなんて考えが、そもそも間違えてんだ」

「亜寅……?」

「自分で無理なら、できる誰かに頼ればいいって話だろ。だってワタシたち、まだ中等部一年だぜ」


 ──亜寅は頭上を見上げた。兎歌もそれに続き、月光を遮るひとつの影を見た。


「──兎歌! 亜寅! アスク!」


 自分たちの名前を叫ぶ声と共に、放たれた一本の矢は、正確に残像の中に紛れるカマキリ型独立種本体を貫いた。すると残像たちが消えて、周囲が嘘のように静かになる。


「……嘘……嘘!?」

「嘘でも幻でも、夢でもねぇよ。間違いなく本物だぜ」


 アスクが駆けだして、落ちてくる『ペガサス』をすかさずキャッチして、地面へとゆっくり下ろした。兎歌は信じられなかったが、本物だと溢れる涙を抑えられなかった。


「──迎えに来たよ!」

「愛奈先輩!」


 可愛らしいアイドル衣装を身に纏い、『械刃製第三世代ALIS・弓』を持った高等部三年ペガサス『喜渡愛奈』が其処に居た。


 +++


「どうなるかと思っていたけど、随分と様になったわね」

「頑張ったかいがあふひゃひた」

「喋ってる途中でピザ頬張るんじゃないわよ……それで、あんたは生徒会長の傍に居なくていいの?」

「は、い。親睦をふ、かめてきてと言われま、した」

「そんな睨まれながら言われてもねぇ……まっ、せっかく用意してくれたんだから楽しめば?」

「ほひはえず食べまひょう!」

「あんた、こんな感じだったけ? ……こんな感じだったのかも知れないわね」


「ううっ、本当に何もしなくていいのかなぁ」

「キーちゃん、どうしたの? 楽しくない?」

「いや、そういう訳じゃないけど、なんだか悪い気がして……わっ!?」

「じゃあ、うちと踊ろうか~、こういう時は踊るんやって~」

「あー、なんか楽しそうなことしてるー」

「私もするー!」


 歓迎会は問題無く進行しており、今回の主役である『アイアンホース』、それに『東海道ペガサス』たちは、各々楽しそうにしていた。


「……けっきょく来なかったっすね」

「仕方ないわ……別に『勉強会』だけでも二回目を開催してもいいし、その時は皆で集まれるようにしましょう」

「そうっすね」


 そんな中で、『上代兎歌』たちが来るのを待っていた『勉強会』の面々は、残念そうにしていた。本日の主役たちは自分たちではないのは分かっている。だけど準備を手伝っていた中には、自分の友達を元気づけるためでもあったから、どうしても残念に思ってしまう。


「……なんだか寂しいっすね、可辰も居なくなるとは思わなかったっす」


 それでも、『未皮ひつじかわ群花ぐんか』は『勉強会』が半数も来ていないことが、どうしても気になってしまった。


「可辰なら大丈夫よ。もしかしたらステージが始まるまで粘っているのかもしれないしね」


戌成いぬなりハルナ』も、見送った可辰が帰ってこないことが気になるが、見送った以上信じて待つのが自分であると、あえて意識しないように努力する。


「とりあえず今は、ここに居るみんなで楽しみましょう……まあ、だからといって申姫のようにはっちゃけなくても良いわよ」

「別にはっちゃけてないわ。いつも通りよ」

「「「ぜったい嘘」」」


 無感情な表情と声は本人の言うように、いつも通りな中等部二年『夏相なつあい申姫しんき』であるが、その見た目はいつもと違っていた。


 額には[ENA♥SENPAI♥]と書かれた鉢巻をまいて、法被はっぴを羽織り、その手にはペンライトを握りしめている。誰が見てもガチ勢の恰好をしていた。


「この数日なにをしているかと思ったら……」


 ハルナの呆れた顔に目もくれず、歓迎会が始まる前から申姫の顔は、まだ誰も居ないステージに固定されていた。なんなら機械的に、ずっとペンライトを小さく振っている。


 喜渡愛奈がアイドルをやることになった元凶である申姫は準備から外れていた。本人は言われれば、なんでもやるつもりだったが、本当の意味で客側として参加してほしいとハルナが思ったからである。


 そんなわけで、申姫は歓迎会からの準備から、あえて遠ざかり当日をまだかまだかと待ちわびるなか、偶然とある現場を目撃する。


「アスクさん。私ちゃんと応援するから……」

「なんか言い出したっすね」

「楽しそうだから、スルーしてあげて」


 それが、オタ芸をしているアスクヒドラたちだった。なにをやっているか最初は分からなかった申姫であったが、それが愛奈を応援するための踊りであることに気付き、申姫は声を掛けた。


 ──意思疎通に制限を掛けている自分は、応援することすらままならない。だから頼む。

 ──分かったわ。


 実際のところ会話はできていないが、意思は確かに感じ取ったと、申姫はアスクからペンライトを受け取り、意思疎通の制限が掛からない遠目で、アスクたちの動きを真似る日々が始まった。


「なんていうか、申姫先輩のキャラ崩壊がすーごい……すーごい……」


 決めつけは良くないのは分かっているが、何事にも興味がないと断言し、実際そういう生き方をしている先輩の見たことのない姿に『亥栗いぐりコノブ』は数日経っても慣れなかった。


「愛奈先輩が、心から好きなのは知っていたけどねぇ。ここまでガチ勢だったとは思わなかったわ」

「ハルナ、大丈夫、兎歌の事は任せて、今日のことをまるで参加したかのように伝えきってみせるから」

「その前に私と会話をしなさい、会話を」


 兎歌のことは気に掛けているみたいだけど、今の申姫の頭の中は愛奈のステージでいっぱいであり、こういう話を振っても、ちょっとバグった返事が戻ってくるだけだった。


「……でも、本当に良かったわ」


 だけど、そんな友達の様子を見て、ハルナは心から嬉しかった。ここまでとは思って居なかったが、申姫が愛奈に対して特別な感情を持っていたのは知っていた。本人曰く、思いが強すぎて中等部一年の頃から声を掛けるのすら躊躇ってしまっていたとのこと。


 だから愛奈が“卒業”したと聞いた時、なによりも真っ先に恐怖したのは申姫の事だった。だから、表面上は何も変わっていない友達に、ハルナは一日中、必死に生きてとお願いし続けた。


 ──申姫が、後輩を気に掛けていたのは、愛奈先輩のようにあろうとすることで自分の願いを叶えてくれていたのかもしれない。それを思うと、今の申姫は大変幸せそうで、ハルナは奇跡のような現在いまに感謝した。……見方を変えれば、友達のアレな姿に現実逃避をしているだけかもしれないが。


「そろそろ始まる……!」

「なんで時計みていないのに、時間把握できているのよ」


 申姫の言葉のあとに、部屋の照明が落とされて、ステージから音楽が鳴り、ライトとプテラリオスが点灯する。操作しているのは高等部一年の『すずり夜稀よき』、ハルナなど『勉強会』の面々は最後まで手伝おうとしたのだが、今日は君たちの歓迎会でもあるからと言われて、ステージ本番はアルテミス女学園高等部ペガサスたちが担う事となった。


 各々楽しんでいた全員がステージの方へと視線を向けた。『東海道ペガサス』たちが、申姫のようにペンライトを持ち始める。


「──みんなー!! おまたせ~~!!」


 そして、ドライアイスの煙が吹き荒れる中で、黒のドレスを模したセーラー服と言うべきか、綺麗と可愛さを兼ね備える衣装を着たポニーテールのアイドルが、満面の笑顔で、マイクを握り締めて皆の前に現われた。


「「「「……え゙!?」」」」

「「ぶふぅ!?」」


 ステージに立ったアイドルを見て、『勉強会』のペガサスたちは目ん玉が飛び出るほど驚き、『アイアンホース』からは、ジュースを勢いよく噴き出す音が聞こえた。


「あー、せんぱいだー」

「やっほー」

「あれ? でもどうして?」


 逆に、学園に来た自分たちを“優しく面倒みてくれた先輩”の予想外の登場に『東海道ペガサス』たちは盛り上がる。


「突然なんだけど、ちょっとだけ、アイドルENAに用事ができちゃったの! だから暫くのあいだ、“わたくし”のステージを楽しんでね!」

「「「はーい!!」」」


 ──元気でハキハキとアイドルらしい開幕の言葉に、『東海道ペガサス』たちは盛り上がり、ペンライトを振るって応援を始める。それ以外の『ペガサス』及び『アイアンホース』はそれどころじゃなかった。


「それでは、“LUNA”の最初の一曲目聞いてね。“ビューティフル・ムーン”──」

「……だ、だれぇ~?」


 なにも聞いていないハルナは、知っているけど全くもって記憶と合致しない黒髪の先輩を見て、違う意味でステージに釘付けになるのだった。

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