アイドル・ドリーム・ステージ 2



――兎歌が雑誌で見た『喜渡きわたり愛奈えな』は実物では無いかも。


大規模侵攻前、『上代かみしろ兎歌とか』は『すずり開発室』へと気分転換も兼ねて掃除をしに赴いていた。


部屋の主である高等部一年先輩とは、よく話す仲となり兎歌にとって物臭な所が多いが、知識が豊富な先輩の話は聞いていて楽しいものであったし、掃除や料理など自分の言うことを興味深く聞いてくれる事もあって、話が弾みやすかった。


夜稀は、好奇心に負けて愛奈先輩がなぜ好きになったかと、ついに聞いた。そこから明らかにテンションが壊れた兎歌は、自分が愛奈先輩を好きになった理由を1から説明しはじめた。


まだ東京地区に居て、髪も真白くない人間だった兎歌が、喜渡愛奈を知ったのは小学校の友達と偶発的に『ペガサス』の話題となり、その場の流れで購入したペガサス関連の電子雑誌からだった。


本当に適当に買った最新号、その表紙に乗っていた『ペガサス』こそが当時高等部一年の綺麗な茶髪を結ばずにロングストレートに伸ばしていた『喜渡愛奈』で、兎歌は目を奪われて、言ってしまえば一目惚れでファンになった。


その雑誌の中には、色んな愛奈の写真が載っており、そのどれもが兎歌の心に刺さった。


戦闘の最中、弓形ALISを構える凛々しく格好いい喜渡さん。

日常の中で同級生と、楽しそうに笑い合う喜渡さん。

ドレスを着て、カメラ目線でポージングをする可愛い喜渡さん。


好きになった理由は言語化できるものではなく、惹かれたのは感覚的なものでしかなかった。生活に困らないほどの稼ぎを持つ一般家庭に産まれた等身大の少女が、細かな事情を知らずに有名人に嵌まるようなものであった。


それからというもの、兎歌は愛奈先輩の追っかけとなった。といっても東京地区に住まう一般人が『ペガサス』となった個人の情報を得られるのは、東京地区が特別に認可した数少ない月間配信電子雑誌のみであった。


それでも兎歌は、掲載されている愛奈に関する情報なら何でも覚えたし、写真は決して安くはなかったが、自分のお小遣いから保存用、部屋の壁に貼り付ける用を現像した。


ペガサス情報雑誌は『ペガサス』が“卒業”した場合、はっきりと伝えることはしない、だから唐突に載らなくなったら察しろという話を聞いてからというものの、兎歌は毎月配信される日の前日から、今回も愛奈さんが載っていますようにとお祈りをするようになり、実際に載っていた時には本気で安堵して喜んだ。


そうして、小学校6年生へと進学した時、自分が『ペガサス』に成らなければ可愛い末妹が強制的に『参人壱徴兵法』によって『ペガサス』に成らなければならない。そのことを無理、許容して生きていける気がしないと思った兎歌は、喜渡さんにひと目でも会えたらという私欲もあり、自ら『ペガサス』になることを選んだ。


そうやって兎歌が人間時代の話をしていると、夜稀が途中から難しい顔をしている事に気づき、何かと尋ねれば最初こそなんでもないと誤魔化された。


――兎歌が雑誌で見た『喜渡愛奈』は実物では無いかも。


ここ最近の“秘密”によるストレスもあってか、強い不安に襲われた兎歌はらしくない問い詰め方をすると、夜稀は気まずそうに話し始めた。


――実物を見ない限りは、仮説でしかないけど……まず、兎歌が見たと言う写真を撮った記憶が、あたしたちには存在しない。


高等部の監視網に細工している最中で、夜稀たちは雑誌用に撮られた写真についても、どうするかと話し合いになった。愛奈先輩たちに話を聞けば、撮影を行った事はなく、戦場でも撮られた記憶は無いという、共に話を聞いていた野花が首を傾げていた中で、夜稀は“あるもの”に思い当たった。


――兎歌が見た雑誌の愛奈先輩は、東京地区へと送られた『ALIS』のデータを元にAIが出力したデータアートである可能性が高い。


そして兎歌の話を聞けば、見た写真の中には明らかに雑誌用に撮影されたと思われるものも含まれていた事から、物的証拠が無いため仮説とは言ったものの確信を持って、兎歌が見た“喜渡愛奈”の正体を口にした。


それから、夜稀は本人のデータを活用しているから偶像ではあるが偽物とは言い切れないと、専門的な価値観を元にできるだけ後輩が受けるであろうショックを和らげようとしたが、ここら辺りの話を兎歌は何も覚えていない。


――その、だからあまり気にしなくていいと言うか……この学園で兎歌に優しくしてくれた愛奈先輩は本物だから……


この日は慣れていない夜稀のフォローに、兎歌は大丈夫ですとだけ返した。それから“秘密”の心労が祟り、この時の話は心の奥底へと仕舞われたが、大規模侵攻が終わってから表へと出てきて、兎歌は言いようのない気持ち悪さに襲われるようになった。


+++


“せめて、最後まで人間らしく”をコンセプトに設計された、中等部区画は至る所でペガサスファーストを感じられる作りとなっている。


どこも等しく機械を操作して注文すれば給食室から給食をAIロボットが運んでくれて、他にも食料関係を購入する事ができる食堂が複数存在するのも、学園内でしか生活できない『ペガサス』が飽きる事無く食事を楽しめるようにと工夫されたものであった。


そんな数ある中で、質素で鬱屈としたデザインの不人気が理由で、もっとも使用率が低い食堂にて7名のペガサスたちが席を共にして食事をしていた。会話の内容は年頃の『ペガサス』らしい他愛も無いものが多く、楽しい雰囲気が出来上がっていた。


「――ちょっといい?」


そんな暖かな空気を凍らせたのは、後から食堂へとやってきた、嘲笑的な態度を隠そうとしない2名の『ペガサス』であった。


「ここ、今から私たちがお昼に使いたいの、だから出て行ってくれる?」

「……なんでよ、席はたくさん空いているじゃない」


このような事を言われるのは、これが初めてではなく他の『ペガサス』たちは俯き黙ってしまう中で、もう耐えきれないと中等部2年の『ペガサス』が声を上げた。


「はぁ……、分かってるでしょ? 貴女たちが視界に入ってると気分が悪いの。何されるか分かんないし? だからね? 出てって」


ここは不人気な食堂、先に居たペガサスたち以外は誰もおらず、ランチをしたいだけなら出て行けと言われる筋合いは確かに無い。しかし2名の『ペガサス』たちの本題はランチなどではなく、先に来ていた彼女たちの邪魔、つまりは虐めることなのだから正論なんてどうでもいいものであった。


「後から来たのは貴女たちでしょ……!」


怒りに震えながらも、なんとか冷静を保ちながら反論すると、2名のペガサスは、余裕綽々でせせら笑う。


「あのね? そんな事言える立場じゃ無いって分かってる?」

「あんたたち猫都グループの所為で、私たち大規模侵攻で大変な目に遭ったのよ? 偉そうな態度できると思ってるの?」


ここで先に食事をしていた『ペガサス』たちは猫都グループに所属していた子たちであった。


此度の前期大規模侵攻は高等部ペガサスとアスクヒドラたちの活躍によって歴代の中でも被害は最小限となったが、決して無傷ではなかった。そんな中で猫都たち中等部三年および筆頭二年ペガサスたちが“卒業”する事となった愚行が“妙に素早く”広まり、また対立していた『勉強会』の活躍が同じように広まった事で、より対比として扱われ、猫都グループは大戦犯という評価が過剰に浸透する。


これによって猫都グループに属していた『ペガサス』たちは不幸に見舞われた同じ中等部ペガサスから、恨み辛みの感情を向けられるようになり、また数々の“卒業”した猫都たちの問題行動の責任を取らされる形で、中等部ペガサス内の立場が地の底へと落ちた。


器用な子は他グループに紛れ込んだり、すでに独自のグループを作って活動しているが、元より強引に勧誘されたからグループ入りした、受動的な『ペガサス』が多く、そういった子達は周囲から孤立、半端な集団と成り果てたものは鬱憤晴らしや虐めの対象となり、攻撃的な対応によって隅っこに追いやられた。


「それは! 猫都先輩たちの所為で……私たちは関係ないでしょ!?」

「うわっ、そんな大声出さないでよ、怖いじゃない」


我慢しきれずに怒鳴り声を上げると、2名の『ペガサス』は、してやったりと被害者面をする。そんな態度に完全にカチンと来て、二年ペガサスがテーブルを叩きながら立ち上がると、それに全員が追従して2名の『ペガサス』を睨み付けた。


「なによ? やるき? あーあ、良いのかしらねー。これ以上騒ぎを起こしたらぁ? あんたたち元猫都グループ『ペガサス』の居場所なんて、本当に無くなっちゃうかもねー!」


だから何だと反論できれば、こんな所で集まっていないと、ぐっと勢いを失う元猫都グループの『ペガサス』たち、それを見て2名の『ペガサス』は心底楽しそうに嘲る。


――アルテミス女学園で孤立するということは、極めて単純に“卒業”までの期間が短くなる事を意味する。


『ペガサス』は戦えば戦うほど“活性化率”が上がってしまうために、長く生きるためには多人数で活動して負担を如何に分散させる事が大事となっていく、それを除いても戦いにおいて本来仲間であるべき他『ペガサス』から見放されてしまえば、それ相応の不遇に見舞われるのは確実だ。


「そうよ! あんたたちは黙って言う事聞いていればいいのよ!」

「少し逆らったわけだし、なんか罰を与えないとねー?」


そのため辛くとも“卒業”したくないと思っている元猫都グループの『ペガサス』たちは、どれだけ劣悪な扱いをされたとしても受け入れるしかなかった。そんな彼女たちをサンドバックにしたい『ペガサス』たちは余計に増長する。


「――なにをしているの?」


段々と楽しくなって、逆らった罰に彼女たちの食べかけの給食を頭にぶっ掛けてやろうと2名の『ペガサス』が考えはじめた時、出入り口から冷たい声が質素な食堂内に響き、全員がそちらに視線を向けた。


「――“風紀委員”……上代兎歌っ!」


2名の『ペガサス』は食堂へと入ってきた『ペガサス』、真白い髪はそのままに、上着を含めた全体的な衣装を黒へと染め上げて、その腕には彼女のためだけに作られた“風紀委員”と刺繍が成された腕章を付けた上代兎歌の名前を忌々しそうに口にした。


「もう一度問います。ここで何をしていたのですか?」


その右手には生徒会長から所持を許可された量産型である『械刃製第三世代ALIS・弩』と比べて、“小振りなボウガン型専用ALIS”――【ブルーベリー】を持ちながら、彼女を知っているものであれば別人と疑うほどの冷たく威圧的な声色で再度問い掛ける。


「な、何の用よ!」

「質問しているのは、わたしです。貴女たちは、この食堂で何をしていたのですか?」

「べ、べつに……」

「……っ! こ、このひとたちが私たちが居ると不愉快だから食堂から出てけって――!」


言い淀む2名のペガサスに、元猫都グループの『ペガサス』が声を上げた。


「な、なに勘違いしたか分からないけど、そんな話じゃなかったわよ」

「そうよ! 単にお喋りしていただけよ!」

「……貴女たちが以前、他ペガサスに対して暴言および暴行を行なったさいと同じ言い訳ですね」


兎歌にとって先輩に当たる2名の『ペガサス』たちは既に幾度も問題行動を起こしており、何度も介入してきた相手であった。そのさいも同じ事をして、そして同じ言い訳をしていると、心なしか兎歌の声色がより一層冷たくなる。


「――貴女たちは他者を虐げる行動を多く行なっています。今度同じ事があれば、もう見過ごすことは出来ません」


もう次は無いという兎歌の言葉に、2名の『ペガサス』は顔が歪むほど怒りながらも押し黙った。


――兎歌が、生徒会に認可された直属の中等部管理職である風紀委員と名乗りを上げてから中等部ペガサス同士のトラブルに干渉するようになった。そして問題ありと判断された『ペガサス』は、現生徒会長に報告して対処をすると宣言した。


『最悪』の一年、その生徒会長は学園の大人と繋がり、噂では幾度も学園内で『ペガサス』を“卒業”させているという噂をはじめ様々な悪名が存在する。中等部ペガサスたちにとって嫌悪、そして恐怖の対象である生徒会長の後ろ盾、そして大規模侵攻において『ゴルゴン』を殺したという話も合わせて、兎歌の言葉に強い力を与えていた。


「な、なによ……意味分かんないわね、猫都たちに一番酷い事をされたのは、あんたたちじゃないの!?」

「そ、そうよ! こいつらが、あんたたちの悪い噂を流していたの、誰もが知ってることよ!」


猫都、そして猫都グループの三年ペガサス、複数の二年ペガサスは過激な現生徒会長アンチであり、生徒会長の印象を下げる行為を多々行なってきた。その中には高等部と深い繋がりがあるという理由だけで兎歌も含めた『勉強会』を標的にしたのもあり、大規模侵攻では全校集会での一件で孤立するなどの原因にもなった。


「――だったら、なんだって言うんですか?」


元猫都グループの『ペガサス』たちは否定せずに顔を逸らすだけであった。そんな彼女たちを兎歌は一瞬だけ見て、極めて平坦な声で問い掛けた。


「……っ! そんなに媚び売って生きたいわけっ!?」

「ほんと気分悪い」


これ以上は分が悪いと悟ったのか、2名の『ペガサス』は悪態を吐きながら食堂を出て行った。


「あ、あの……ありがとうございます」

「……風紀委員として対応しただけです」


元猫都グループの先輩ペガサスのお礼に、兎歌はあくまでも業務の一環だと素っ気なく返事をする。


「そう、よね……そうじゃないと私たちなんて助けてくれないよね……」

「…………」

「……なんで、こうなっちゃったのかな? 『プレデター』と戦うのも怖いのに、活性化率を見るのも嫌なのに、なんで『ペガサス』になってまで苛められなきゃいけないの?」


兎歌とは同級生となる『ペガサス』が、涙ながらに嘆く。彼女は入学時に先輩ペガサスの強引な勧誘を断わりきれずに猫都グループに所属しただけであって、気がつけば静かに居る事すらできない境遇に置かれてしまっていた。


「グループに入って仲良くなった友達が大規模侵攻で何人も“卒業”したの……こんな事になるんだったら、私も貴女のようにすればよかった……!」


兎歌が入学早々自ら行動して、『勉強会』を発足したのは中等部ペガサスの間では有名な話であった。そんな兎歌と同じようにすれば、こんな事にはならなかったと後悔する同級生の『ペガサス』。


彼女はまだ人間で言えば中学校に上がって半年しか経っていない子供の『ペガサス』。この年で自立した行動を取れるのは一握りだけであり、流されたからこんな結果になったのだと考えてしまうのは酷な話だ。


「……今後、このような目に遭いたくないなら、他のグループに入れて貰うか、自らで作って共に活動してください」

「簡単に言わないでっ!」

「いずれにせよ、『勉強会』のリーダー、ハルナ先輩に相談してください」

「それは……でも、いいの?」

「はい」


話には聞いていたが、元猫都グループの自分たちが頼ってもいいのだろうかと遠慮する先輩ペガサスに、短く肯定した兎歌は背中を見せて歩き出した。


「――あ、ありがとう……!」


感謝の声に反応することなく、兎歌は食堂を出て行く。残された元猫都グループの『ペガサス』たちは、大規模侵攻を経験して別人のように変わってしまった上代兎歌を、畏怖の視線を以て見送った。


+++


――風紀委員としての活動は、威圧的で厳格なもので有ってください。


――見た目からして怖れられて鬱陶しがられる法の番人を気取ってください。


――返事に困るぐらいなら沈黙を以て対応してください、あるいは無視して話を進めても構いません。


――貴女の行為全てが個人のものではなく、風紀委員としての業務でしかない事を常に主張してください。


――考えが幼稚な相手には容赦のない態度で接してください。敵意を向けてくるものに対しては暴力的な対応を以て解決すること、問題を起こす相手は些細な言い争いでも〈魔眼〉を使用するほどに愚かであるという考えを常に頭の中に入れておいてください。


――巡回の際には茉日瑠から譲り受けた『ALISそれ』を常に持ってください。


――貴女が直接手を下す必要はありません。もしも行動に改善が見られない『ペガサス』が居るのであれば、ご遠慮なくわたくしたちに申しつけください。


――全てを守る必要はありません。全てを成し遂げようと思わないでください。無理だと思えば破ってもらっても結構です。ですが、これらを遵守することが貴女の望みを叶えるものである事を分かってください。


――どうか、よろしくお願いしますね。


「……本当に、これでいいのかな?」


中等部校舎の煌びやかな廊下。今は周囲に誰もおらず、静寂な空間となっている事を自覚した兎歌は自分は正しく言われた事をやれているのだろうかと不安になる。


久佐薙くさなぎ月世つくよ』の意向によって生まれた、生徒会の後ろ盾を得て学園内の『ペガサス』を取り締まる風紀委員として活動する事となった兎歌は、己の性格とは真逆な振る舞いに自信が持てるはずが無かった。


暴言を吐かれる事はしょっちゅうで、時には助けに入った側にも不満をぶつけられる。自分が介入して綺麗に解決という事は殆ど無く、成果と呼べるものは気持ちの悪い淀んだ空気が大半である。


そんな役割であるが、これこそが兎歌が自ら望んだものであった。生徒会長『蝶番野花』に中等部の事を任せて欲しいと直談判した結果生まれたのが風紀委員という役職であった。


兎歌がそう望んだのは、大層な理由からではなかった。大規模侵攻での猫都グループという経験を得て、このままでは中等部ペガサスたちがという、口にするのも怖い未来像を持ち、どうにかしたいと思ったからであった。


妹が『ペガサス』になるくらいならと、志願した兎歌の普遍的な優しい性格、そして“何もしない”事による植え付けられたトラウマが合わさって、彼女を突き動かした。しかし、それが自分にとって、誰かにとって良かったかは分かっていない。トラブルに第三者として強引に介入する事が本当に中等部のためになっているのだろうか? 高等部のためになるのだろうか? 疑問がずっと付き纏って離れない。


「……愛奈、先輩」


ふいに思い出すのは、この間久しぶりに会って無視してしまった先輩、『喜渡愛奈』についてだった。


明らかに自分を待ってくれて、酷く辛そうな顔で話をしたいと言ってくれた。しかし、今の兎歌は同じ場所に居るだけで辛くなってしまうために、碌に話をできる状況では無かった。


――自分が好きだった『喜渡愛奈』はAIによって出力された偶像フェイクであった。


大規模侵攻前に夜稀から伝えられた心の奥底に埋まっていた真実が、掘り返されてしまい。それが何かと混ざりそうになるのを必死に止める。


「――兎歌! ここに居たのね!?」


兎歌が深呼吸をして心を落ち着かせると、突然聞き覚えのある大声がした事で、素で飛び跳ねるほど驚いてしまう。真下を向いていた顔を上げれば、廊下の先で『勉強会』のリーダー、中等部二年『戌成いぬなりハルナ』がしかめっ面で、こちらを見ている事に気付く。


「ハルナ、先輩……」


兎歌は風紀委員となってからも、ハルナとだけは幾度か会話をしていた。しかし、その内容は風紀委員として、元猫都グループの『ペガサス』の対応に関するお願いなど業務的なものばかりで、それ以外は友達である『勉強会』の『ペガサス』たちと同じく会話する事を避けていた。


ハルナが『勉強会』の先輩後輩として、仲間として会話を望めば兎歌は謝って拒否し、そんな兎歌にハルナも、今は強引に話を聞こうとしても悪化するだけと判断して、あえて業務上の関係のみで接していた。


「やっと見つけた! もうほんっとに中等部の校舎広すぎるわよ!?」


ハルナらしい怒鳴り声をあげながら、ずかずかと近づいてくる事に兎歌は内心、何事だとパニックになり硬直した。


「な、なんのようですか?」

「全部聞いたわ。兎歌が知っていたことも」


高等部の“秘密”を知ったと言うハルナに、兎歌は恐怖した。先輩はそんな人ではないと頭で分かりながらも、後ろめたさは拭えるものではなく、何を言われてしまうのか怖くて仕方がなくなる。


「……言いたいことは山ほど有るわ。でも勘違いだけはしないで、怒りとか恨みとかは一切無いから」


辛かったよね。苦しかったよね。こんな重たいものを言えずに、自分たちの傍に居るのは大変だったよね。兎歌が『勉強会』にすら秘密を打ち明けなかったのは、ひとえに生徒会長の指示だった事だと教えられ、また“秘密”の内容が内容だけに仲の良い親友でも隠すべきだと納得できるからこそ、ハルナが兎歌に言いたい事は労いの言葉だけであった。


でも、いまこういった気持ちを伝えるのは兎歌の心をかき乱すだけだと、ハルナは簡潔に自分の気持ちだけを伝えて本題に入る。


「今日は、これを渡したかっただけよ」

「これって、紙……?」

「チラシっていう広告紙よ……いい! 絶対に来なさいよ!」


ハルナは本当に、それだけ言って帰ってしまった。何だったのかと兎歌は気分が落ち着かないままに、パッと見でもデザインが凝っていると分かるチラシに目を通した。


「アイドル・ENAによるライブステージ……え? 愛奈。先輩のステージ……?」


あまりにも予想だにしない内容に、兎歌は何度もチラシを上から順に読み直すのであった。



+++



「――むふー」


貧乏くじと言ってもいい、中等部の管理役を自らの判断で担う事となった上代兎歌。そんな彼女の様子を、遠巻きに見ていた兎歌の友達であり、同じ寮部屋の住人であり、同級生である灰色のペガサス――『玄純くろずみ酉子とりこ』はご満悦であった。


『勉強会』の一員でありながら、『叢雲』として月世のお膝元で暗躍する『ペガサス』とふたつの顔を持つ彼女は、ここ最近幸せであった。


久佐薙家の分家、全ての性癖を受け止めるためだけに作られた玄純家に生まれた彼女の精神は極めて歪んでいた。


酉子は兎歌に友達以上の好意を持っている。自分の体も心も細部に居たるまでの全てを委ねたいほどに。それと同時に真白い身も心も、光沢に輝く黒い炭のように染め上げたいとも狂気的に思っていた。そのためならなんだってやってきた危険な『ペガサス』である。


そんな彼女は現在の兎歌の様子を見て、とても幸せな気持ちになった。まだ完璧ではないが、自分が望む姿に近づいたのだ。見ているだけで笑いが零れてしまう。


「むー、もっと黒く染まって欲しいのに……チッ」


ただ、同時に強い不満を抱いていた。見た目こそ酉子好みになったが、その心は完全に黒に染まっていないこと、酉子からすれば酷く中途半端な姿ではあるので、本番に至らないカップルを見るような、幸福な気持ちと比例してやきもき度も強くなっていた。


そして、兎歌がそうなったのは自分が最も嫌悪して一秒でも早く、くたばって欲しいと心から怨嗟をぶつけている本家の生まれで『ペガサス』になっても憎々しく、学園でも先輩面をしている久佐薙月世の指示によるものだということ。


――上代兎歌が、ああ言った行動を取るのは予想外だったので、少し手を加えました。それに今の彼女に貴女が直接干渉するとなると危なくて不安だったので。


中等部は、もう干渉しないと言っていたのは、どの口かと文句を叫べば平然と反論されて、続けて大規模侵攻での失敗を出されてしまい押し黙るしか無かった。流石の酉子でも兎歌を“卒業”させかけてしまった己のミスには弱かった。


――幸運の兎が愛せば、その者は幸せとなり、そして嫌えば不幸となるでしょう。だからあまり彼女に嫌われるような事をしないでくださいね。


「……ヂューー」


何を知った気に兎歌の事を言うのか、酉子は思いだした事で湧いて出てきた苛つきを、歯の隙間に空気を入れて出す独特な音に変えながら、今後の事について考える。


兎歌を黒く染め上げたいとはいえ、本人を物理的に虐げる事は絶対にあり得ない。黒色に染まって欲しいだけで苛めたいわけではないのだ。それに兎歌は自分の不幸よりも、他者の不幸によって心に変化が生じるタイプである。


だからといって『勉強会』を利用する事は完全に禁止されたし、酉子とて大規模侵攻では我慢できずに焦った結果やりすぎた事は自覚しており、もしも『勉強会』に、何かしてしまえば兎歌の心は限界を超えて粉々に砕けてしまう可能性が高く、それは酉子も望まない。


だったら風紀委員の活動で助かった『ペガサス』を利用するかと言われればパンチが弱い。それに彼女たちは高等部の“自立”に活用される可能性が高く、もしも自分が干渉して台無しにしてしまえば、久佐薙月世による“卒業”よりも残酷な罰が下されるであろう。


――だから、もしも“卒業”したとしても自業自得として認識され、兎歌に責任を感じさせる打ってつけの『ペガサス』に目を付けるのは当然のことで、酉子はこの幸運を運んできてくれたであろう兎歌に感謝した。


「兎歌……ワタシの全てを上げるから――もっともっと黒く染まってね」


――まあでも、とりあえず兎歌の声と温もりが欲しくなったので、直接顔を合わせようと酉子は隠れるのを止めて、兎歌が移動した方向へと小走りに進み出した。


――――――――


( ー)<てぇへんだ! 一刻も早くサイリウムを手に入れなければ、……え? どんなんかって? ……えっと……光る棒!!!


( Ⅲ)<これですか? (手首から手光剣を生やす)


( ー)<もうちょっと安全性があるやつかな……。


――――――――


【作者の後書き】

イベント回ということで、アスクたちの会話はディフォルメされています。


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