第43話


 ギアルス・クビナガの討伐後、ハジメたちの前から姿を消した『アイアンホース』のルビーは、潜伏するだけでは危険と判断したのか、それとも先生への通信が繋がらない事への焦りからか、何度もインカムを触りながら『街林がいりん』を走っていた。


「──っ!? 繋がった! 先生ぃ!」

≪はい、こちら【504号教室列車】のタツヤです。まだ定期報告の時間じゃないけど、なにか有りましたか?≫

「うん、そうなの! えっとね、聞いて欲しいことがあるの!」


 とても穏やかな声色で優しく話すタツヤという名前の車掌教師。ルビーは声色や口調が甘くなり、目に見えて嬉しいって感情が強く伝わってくる、これが、恋する乙女というものかと思わず感心するほどだ。


 繋がって直ぐに、ルビーはアルテミス女学園の秘密に関して自身が気付いたであろう情報を先生に言うのかと思えば、足を止めて急に黙り込んだ。もしかしたら躊躇しているのだろうか? このまま止めてほしいな、なんて願っても無駄なんだろうな。


≪ルビー?≫

「……あ、ご、ごめんなさい! その、なんて言っていいか分からなくて考えていたの!」

≪そうだったんですね。なにかあったかと思って心配しましたよ≫

「……嬉しい」


 ──大人の男性に優しくされるというのは、どれだけいいものであるか分からないけど、ルビーを見ていると、少しだけ羨ましくなる。


「あのね……聞いて欲しいことがあるの」


 それで覚悟が決まってしまったのだろう。ルビーは口調こそ戻っていないものの、気配が真剣なものへと変わった。


 アルテミス女学園の秘密、活性化率を下げられる『プレデター』の存在は、世界を変えるほどの情報だ。これを上層部に知らせて、真実であると判明した日には、情報提供者には多大な功績が与えられる可能性が高いと思う。


 ルビーの愛する先生が、この情報を上層部に知らせれば人生は薔薇色となるかもしれない、もしかしたら政治的な理由でむしろ不遇になる可能性も否定できないけど、どちらにしても、確実なのはアルテミス女学園ペガサスの未来は失われるということだ。


 もしも、大人達が本気になって介入してくれば、それらと戦い続けられるだけの力がまだない現状、元より家畜兵器としての立場が、いっそう酷いものとなるのは確定だ。『ペガサス』が単なる実験動物に成り下がる未来だって考えられる。


 ルビーが、しでかそうとしているのは、それぐらい大事なことだ。先生の幸せか、それとも彼女本人の幸せのためかは分からないが、恋というのは、とことんそういう事をしてしまうらしい。漫画は案外、現実的なのかもしれない。


 ──ルビーは『アイアンホース』故の文化的違いか、アルテミス女学園ペガサスたちとは違って、他人の大事な部分に触れることに躊躇いがない。でも性格が悪いわけではないと思う。とくに本当の悪意や侮蔑の感情を向けられてきた身としては、彼女は態度と口こそ粗暴であるが、面倒見が良くて他人に気を使える性格なんだと分かるには、そこまで時間は掛からなかった。


≪──ちょっと待って、なにか聞こえてきた≫

≪大丈夫かい?≫

「…………え?」


 ──でも、先生が好き。たったひとつの要素の所為で、ボクたちの現在いまを台無しにする事は決して許されない。見逃すことはできない。生かすことはできない。


≪『プレデター』!? どうしてこんな所に!? ……きゃあ!≫

≪ルビー? ルビー? 聞こえるかい?≫

「聞こえてるよ!? 先生!?」


 ──酷く、ゾッとした声を出すルビー。当然だ、なにせ急に自分と同じ声がインカムから聞こえてきて、自分の代わりに通信相手と話し出したら、誰だって怖くなる。


≪だ、だめ! もう……先生……ごめんなさい、さようなら──≫

≪ルビー、こちら【504号教室列車】、応答されたし。繰り返す、こちら【504号教室列車】、状況の詳細を述べられたし──≫

「先生!? タクヤ先生ぇ! それルビーじゃないよ! 気付いて! ねぇ!?」


 先生と話す自分に似た声の“ナニカ”は、突然『プレデター』に襲われて話さなくなってしまう。そんな本人からすれば意味不明な状況に、ルビーは声を張り上げて担任の名前をよぶが聞こえていないため、反応が帰ってくることはない。


 内容がシンプル且つわざとらしすぎるかなと不安に思ったが気付く様子はない。『プレデター』らしき“金属的なものが動く音”とか、ルビーが“卒業”したような“迫真の音”を混ぜたのが良かったらしく、信じてくれた。


 ──『プレデター』相手だと、とことん役に立たない〈魔眼〉。〈闇寧あんねい〉は、視界内の音声系の電子機器を自由に操作や盗聴、そして“音声を発生させる”ことができる。活性化率が上がるのは嫌だし、そもそも使う機会が無かったしで、完全に腐らせていたけど、礼無先輩へ“進路相談”したさいに使ったのを切っ掛けに、活用するようになった。


 いま、タクヤ先生が聞いているルビーの声は、〈闇寧あんねい〉によって作られたもの。声色だけでは決して本人と見分けが付かない人工音声である。その一方で、ルビー本人の声は届かないように遮断。彼女にとっての好きな人との最後の会話を台無しにする。


 ──アスクが来てくれてから、本当に楽しかった。やることばかりの充実した日々、暇があっても誰かが傍に居て、なによりも自分の行なっている事が善行であり、誰かに尊敬されたり、好かれることであるという実感が、ひどく心に効く。できれば、ずっとこんな日々が続けば良いと思った。だから頑張ろうと思った。あまり上手く行かなかったけど。


 ──頑張ろうと思ったんです。


「ぐっ!?」

「────滑りました」


 短剣型専用ALIS【サイプレス】を背中の背骨横に向かって突き刺したが、鉄道アイアンホース教育校の制服は防刃性能が高く、僅かに力が逃げて刃が上手く刺さらなかった。なので“トドメを起動”する前にルビーが咄嗟に前に出た事で刃が抜けてしまい、暗殺は失敗に終わる。


「──ずっと……ずっと見ていたわけ!? 生徒会長ッ!!」


 ──振り向いて、こちらを睨み付けてくる彼女。できれば顔は見たくなかったな。


 +++


 ルビーは、己を背後から突き刺した襲撃者が、アルテミス女学園生徒会長の『蝶番ちょうつがい野花のはな』だと視認すると、速攻でショットガン型ALIS、【KG4-SG/T3フォーティースリー】を向けようとした。


 しかし、野花のほうが先に動いており、片腕で【KG4-SG/T3フォーティースリー】を内側面から押さえ込み、銃口が合わないように動きを止めると、そのままルビーの腹部目掛けて短剣型専用ALIS【サイプレス】を突き刺そうとする。


「なめんな!」


 ルビーは強引に銃口を合わせたら間に合わないとして、【KG4-SG/T3フォーティースリー】を抑えられている方向とは逆に回転。砲身を握って逆さまに、いわゆるバット持ちすると野花に向かって鈍器のように振るった。


 野花は咄嗟に真下にしゃがんで回避するが追撃されて後ろへと下がる。三振り目が掠ったところで、焦り気味に【サイプレス】を振るってルビーの攻撃を止めて間合いをとる。その動作は目に見えて素人で、野花の直接的な戦闘能力は高くない事をルビーは把握する。


「ふん……奇襲するだけあって、あんた自体は雑魚みたいね」


 互いにとって先制するには微妙な間合いの中で、ルビーは【KG4-SG/T3フォーティースリー】に装填されているシェルが、面で制圧できる散弾ではなく、単発スラッグ弾のままにしていたのが仇となっていることに苛立ち悪態を吐く。


「──アルテミス女学園高等部一年“アイアンホース”のルビー」


 そして、野花は震えが隠し切れていない声色で、あくまでもこれは生徒会長として業務であることを自分自身に納得させるように宣告する。


「ボクは──生徒会長として“進路相談”を実行──貴女を殺します」

「やってみなさいよ!」

「〈闇寧あんねい〉」

「ギッ!? ~~~~~~!!?」


 野花の〈闇寧あんねい〉によって、先生が何度も何度も名前を呼んで安否を確認する声が聞こえるインカムから、途端に爆音が流れる。これによってルビーの鼓膜は破かれて、激痛が走り悶える。


「このっ!」


 野花はルビーに迫ると、まずは反撃を怖れて【KG4-SG/T3フォーティースリー】を持つ腕を斬った。ルビーは刃が当たる寸前になんとか腕をずらして切断される事だけは回避したが、刃が神経に届いてしまっており、指先に力が入らなくなって【KG4-SG/T3フォーティースリー】を落としてしまう。


「ふざけ、んなっ!!」


 より詰め寄って、トドメを刺しに来る野花に対して、ルビーは切り傷を反対の手で押さえながら前蹴りを放った。野花は予想外の反撃に、まともに反応できずに咄嗟に両腕でガードしたものの直撃を受ける。


「……今のはやばかったわ」


 耳穴から血を出すルビー、鼓膜はすでに回復しており、周囲の音が聞こえるようになったが、切られた片腕は傷が深く血は止まったが、まだ指がまともに動かない。ルビーは無事な逆手で【KG4-SG/T3フォーティースリー】を持つ。


「痛い──本当に痛い──」


 直ぐに慌てふためいて立ち上がり、蹴られた痛みを我慢しきれずに顔だけでは無く、声にも出すのは無様であると思えるが、戦闘が苦手なのは事実、しかし弱いわけではないと、ルビーは蝶番野花という『ペガサス』を冷静に分析する。


「意味が分からなかったけど、いま理解できたわ。それは人の形をした生き物を“卒業”させるための……殺すための専用の『ALIS』なのね」


 野花の持つ短剣型専用ALIS【サイプレス】は、刃渡り20センチほどしかなく、小型種の『プレデター』を相手取るにしても、あまりにも短い。そして野花の奇襲を前提とした戦い方から【サイプレス】が想定している敵は『プレデター』ではなく、不意打ちで人や『ペガサス』を殺すために作られた『ALIS』であると仮定して、あの小振りな短剣型には突き刺しただけで相手を殺せる仕掛けがあると考えるべきだと結論付ける。


「…………」

「真面目ね。それとも沈黙は肯定するのと一緒って、誰にも教わらなかったの?」


 ルビーの予想は正しく【サイプレス】の握り部分には、胃酸に反応して肉体を瞬時に溶かす酸性を得る“卒業”用のとはまた違った、“血液に反応”して肉体を瞬時に溶かす酸性を得る猛毒入りのアンプルが仕込まれている。


 そして【サイプレス】の鋒には極小さな穴が幾つか空いており、そこから思念操作によって猛毒を放出する事ができる。だから使用者がどんなに下手くそであろうとも、どこかに刺して毒を体内に抽出してしまえば、その者の血は肉体を溶かす毒となり、体を巡り、最後には相手を“卒業”させる。それが蝶番野花に与えられた、対人殺傷特化の短剣型専用ALIS【サイプレス】に与えられた機能であった。


「……あんたたちには悪いと思っているわよ。世話になったし、“これ”が本当なら隠したい気持ちも分かるわ」


 ルビーが話し始めたのは腕がマシになるまでの時間稼ぎであるが、語った言葉に嘘はなかった。まだ全容を把握していないが、彼女たちが隠しているであろう秘密を、大人たちに聞かせてしまえば、どんな未来が待っているのか漠然と想像できる。


 そもそも自分が、如何に賢くないことをしているのかルビーは自覚している。それこそ最後は裏切る事になったとしても、ハジメの言うことを聞く振りをしながらチャンスを伺ってもよかった。それに自分の考察を先生に教えたところで、自身が望む幸せを手に入れられる展開になるとは限らない、なんなら散弾の粒よりも小さな可能性だろうことも分かっている。


「──悪いと思うのでしたら──そのインカムを踏み砕いてこっちに──来てください」


 ──だけど、戦友に義理を果たさないのも、先生を裏切るのも、この恋心を二の次にするのも、命のために幸せを捨てるのも全部! “ルビー”じゃないのよ!


「……無理、だから、貴女たちを踏みにじるわ」


 ルビーは時間はあまり残されていないと考えている。なぜなら先生からすれば自分が『プレデター』に襲われて“卒業”しかけていると思い込まされているため、一定の呼び掛けに答えなければ助かる見込み無しとして首輪の毒針を起動してもおかしくない。いまのルビーが置かれているのは、かなり危険な状況であった。


 だからこそ、ルビーはやる事を間違えてはだめだと冷静を保つ事に努める。なにせ野花のスタイルは搦め手を交えて相手の隙を生み一撃で葬る暗殺者である、そのため最もしてはいけない事は雑な動きをして隙を見せること。


 野花の目的が、時間切れとなって先生が毒針を起動する事であることも踏まえつつ、詰められないように動き回りながら【KG4-SG/T3フォーティースリー】を撃ち尽くして、どこかのタイミングで散弾を装填リロード、それから一気に畳み掛けると計画を立てて、野花に照準を合わせた。


 ──動きに合わせて移動方向を決めるために野花に集中する、集中しすぎてしまった。


「──そうですか──本当に残念です」


 ────パンパンパンパン!


 野花の、心からの本音だと分かるぐらい悲痛な言葉の後に、ルビーは背後から聞き慣れた渇いた発砲音を聞き、撃たれたのだと気付いて振り向こうとして、そのまま膝から崩れ落ちる。熱さと痛みが遅れてやってきて、放たれた弾丸が片足に当たった事を認識する。


「──あんたの事、もう少し考えてやれば良かったわ……Aエー


 銃口から硝煙を吹かせているK//G社製ピストル型ALIS【KG1-P/Pピリオドワン】を構えながら、感情の抜けた瞳を輝かせている『アイアンホース』は、アルテミス女学園中等部の制服に着替えて、首輪から解放された【703号教室列車】からの転校した初日に“卒業”したはずの──Aエーであった。


「たおれ、て……」

「うっ! ……く……!?」


 Aエーは、もう片方の足も撃ち抜きルビーの移動能力を完全に奪い去ると、なにかあったさい確実に急所を狙えるように銃口を向けたまま幽鬼的な足取りで近づく。


「まだ……私はまだっ!」


 うつ伏せとなり、立ち上がることが出来なくなったルビーであるが、まだ諦めるつもりはなく【KG4-SG/T3フォーティースリー】をもって状況を打開しようとする。しかし、既に傍によっていた野花が、【KG4-SG/T3フォーティースリー】を足で抑え付けて、動かなくした。


 ──上を向けば、酷い顔で、こちらを見下ろす野花は、【サイプレス】を両手で握りしめて、いつでも振り下ろせる体勢であった。


「──これで──終わりです」


 逃げることも、戦うこともできない。野花のトドメを回避したところで【KG1-P/Pピリオドワン】の銃口が向けられている。


 ルビーは、己が詰みであることを受け入れる。


 ──これで終わり? だったら──っ!


「──っ!」

「なっ!?」


 野花たちに挟まれる中で、ルビーは決して離すことは無かった【KG4-SG/T3フォーティースリー】を放り投げた。驚き視線がそちらへと向く野花たちの僅かな隙の最中で、ルビーは動く片腕を伸ばして、己の〈魔眼〉を発動する。


「逃げ──ちがう!」


 〈引我いんが〉の能力によって、ルビーは指定した位置へと引っ張られている。その間にAエーが放った何発のも銃弾が、全身のそこら中に当たるが気にも止めず。ルビーは投げ捨てたインカムを拾い上げて高らかに叫んだ。


「──先生ぇ! ルビーは生きてるよ! お願い聞いてぇ!」

≪──こちら【504号教室列車】、ルビー状況を説明されたし……時間ですね。【504号教室列車】所属アイアンホース、名称ルビー、指定時間内の呼び掛けに応じないことから『街林がいりん』地帯での“卒業”だと判断します≫

「先生ぇ! タクヤ先生ッ! ルビーの声を聞いてよ!!」

「──間に合った──間に合いました──」


 ルビーが声を発するよりも早く〈闇寧あんねい〉の再発動が間に合い、こちらからの音を全て遮断する。何度も何度も先生の名前を呼ぶ姿は、ひどく痛々しく、野花はしばらく動けなかった。


「のは、な。じぶ、んがや、るよ?」

「──いえ、これは生徒会長のお仕事なので──ありがとうございます」


 Aエーの申し出に野花は心を揺らすが、自分が失敗したときには背後から奇襲してくれるように頼んだとき、念入りに殺さないように頼んだ意味が無いと断わり、ルビーのところへと背後から近づく。


「先生ぃ!! お願い! ひと言でいいから……なにか話してっ!」


 指示がほしいわけじゃない、助けてと言っているわけじゃない。もう秘密について教える時間もないのも分かっている。でも、最期にひと言でもいい、先生の声を聞きたい。せめて、僅かでもいいから夢を叶えさせてという気持ちで呼び掛ける。


≪応答無し……ルビーを『プレデター』によって“卒業”したと認定します……ふぅ≫

「……タクヤ……先生ぇ」


 先生の口から出たであろう大きく呼吸を吐き出した音。それがルビーに対しての最期の反応である事は誰にでも分かった。望みは叶わなかったとルビーは叫ぶのを止めて、ただ切なく名残惜しそうな声で恋する人の名を呼んだ。


 その様子に野花は、もっと早くやれば良かったと後悔渦巻くなか、せめてできるだけ苦しまないようにと、ルビーのうなじに剣先を合わせて【サイプレス】を掲げた。


 あとは振り下ろすだけ、そんな野花の動きを止めたのは、溜息後に続いた先生のひと言であった。


≪──あぁ、やっと終わった≫

「…………え?」


 それは、いつもの優しくて甘いものではなく、聞いた事のない疲労混じりの声であった。ルビーは女の勘あるいは好意を持っているからこそ、その声色には明らかに安堵が混じっていることが判ってしまい唖然とする。


≪──ルビー、“卒業”したの?≫

≪起きてたんだね……うん、まだ生きているけど、もうすぐ“卒業”すると思うよ≫


 ──次に聞こえてきたのは、聞き覚えのある透き通った女性の声。『アイアンホース』であるダイヤの声。彼女は車掌操舵室に自由に出入りを許されているから、先生の傍に居るのは理解できる。問題なのは聞いた事のない先生のフラットな口調、そして自分が“卒業”する事を明らかに喜んでいる態度であった。


≪『プレデター』の奇襲を受けたみたいでね。返事がないところをみるに、確実におしまいだよ≫

≪……そう≫

「……いや、嫌よ……お願い止めて……これで最期なの! だからぁ……!!」


 この先、ふたりの会話にて明かされるであろう真実を察してしまったルビーは懇願するも、その声も、また〈闇寧あんねい〉によって届いていない。


≪教室列車にいる時は、いつ暴れるか分からなくて怖かったし、転校してからも毎日何時間も話すから休めなくて、本当に辛かった≫

≪おつかれさま≫

≪ああ、ありがとう、君が心配してくれたから最後まで頑張る事が出来たよ≫

≪──ん≫


 望んで止まなかったキスの音、それは赤い宝石の砕かれる音でもあった。


 ──私のこと『アイアンホース』としてしか見てないって分かっていた、先生という立場だから『アイアンホース』である自分に優しく接してくれていたんだって、彼にとっては単なる仕事でしかないってのは分かっていた。偽物だって分かっていた。それでも良かったんだ。自分にとっては本物だったから。


≪“卒業”はさせないの? 先生のために頑張ってはいたんだから、最期くらい楽にして上げたら?≫


 ──でも、その中には『アイアンホース』を超える感情があって──それはダイヤとは真逆のもので──。


≪長いこと苦しめられたんだ。少しでも彼女にも味わってもらおう≫


 ──この恋は好きな人にとって──汚いものでしかなくて──。


≪──いい気味だよ≫









「なんで──」


 これは自分が悪いのだろうか、野花は躊躇い、悩み、震える。


 地面にうつぶせとなったルビーはピクリとも動かなくなった。顔を見なくても生気が無いことが分かる。もう死に体といっていい。


 こんな惨い状態のルビーに追い打ちをして、息の根を止めなければならないのか? 友達や礼無先輩を殺した時とはわけが違う。猫都たち中等部三年ペガサスたちみたいに明らかに敵対感情を向けられたわけでもないのに。


「──なんでいつもこうなんだろう」


 思わず本音が零れて咄嗟に口を閉ざす、Aエーに聞かれていないかと様子を見るが、言われた通りに銃口を構えてるだけに留めている。彼女に殺しをさせないためにも、躊躇うわけにはいかない、なんて言い訳を内心で浮かべて、硬直していた体を起動させる。


 ハジメの説得を蹴って、彼女は先生を優先させた。その先にあったものが最低最悪の失恋だったとしても、彼女を生かしておくのは危険過ぎる。殺すしかない。それが生徒会長の責務だ。先輩の願いから始まった“自立”とはいえ提案した自分の責任だ。


 ──そう、これは罰──罰でいいはずだ。組織として認められる行為だ。納得はしてくれないかもだけど、みんなも飲み込んで受け入れてくれる──かな? 彼女を殺さないと誰かに迷惑を掛ける。逆に彼女を殺すことは誰かのためになる行為で仕方の無いことだと思う。先生が毒針を起動してくれればと思うのは、あんまりだろうか? でもあの理由は流石に予想外過ぎる。ほんとうに酷い。


 自己弁護を立て続けながら、野花は拒否反応を示す腕を上げる。せめて激痛を与える【サイプレス】の猛毒は使わないようにと、うなじに狙いを定める。かなり、もたもたしていたのに、ルビーは何処にも繋がっていないインカムを握りしめながら動かない。


「──逝きますよ──【手向けの花サイプレス】──!」


 なんで殺す前に、今から殺すと知らせてしまったのかという後悔と共に、野花は心から嫌いな己の専用ALISの名を呼びながら、【サイプレス】を振り下ろした



 +++



「……ギアルス・クビナガの撃破を確認……茉日瑠!」


 ギアルス・クビナガの討伐を確認した、『すずり夜稀よき』は背後に振り向いて、ずっと指示を出してくれた同級生の『縷々川るるかわ茉日瑠まひる』の様子を確認する。


「茉日瑠!?」


 指示の途中から、尋常ではない苦しそうな唸り声を発していたのは分かっていた。しかし、振り向こうとしたら茉日瑠本人から振り向かないでと止められた。その理由は、彼女をひと目みて直ぐに自分が動揺して、指示が滞るのが嫌ったからだと夜稀は理解する。


 切るのを嫌がるので、今でも伸び放題であるクリーム色の髪は乱れまくり、荒い呼吸をしてうつ伏せに横たわっていた。夜稀が体を抱えると大量の発汗により、制服がぐっしょりと濡れていて、『P細胞』によって常に健康体が維持されている『ペガサス』が発していい症状ではない、それほどまでに強いストレスが茉日瑠を襲ったという証明である。


「うー! うー! う──!!」

「ごめん! 無理させて……また指揮をさせてしまって! ごめん……ごめん!」


 ──茉日瑠は、必要ならば己の命すら賭ける事のできる人だった。その性分は幼児化しても変わることが無かった。だから、どこまでも自身が必要だと思ったから無理をしただけかもしれない。それでも彼女のおかげで二体の新種の『ギアルス』が暴れる中で高等部ペガサスたちは、全員が“卒業”せずに生き残ることが出来たのは純粋たる事実だ。


 僅かな誤認とミスによって生じてしまった惨劇に耐えきれず、発狂して笑い叫ぶ彼女。茉日瑠が全てを捨てて子供に戻った瞬間を、夜稀は間近で見ているため、彼女が再び采配を行なう事が、どれだけ苦痛であるかを理解できるからこそ、感謝で胸いっぱいになりながらも、口から何度も出るのは謝罪の言葉であった。


「ぱ、パパ……パパぁ……っ!!」

「わ、わかった。すぐにアスクを呼ぶからもうちょっとだけ待って!」


 初めて顔を合わせた時からパパと呼び慕い、甘えるアスクの事を求め始める茉日瑠に、夜稀はすぐに連絡を取った。


「パパ────」

「え?」


 ただ、アスクを求めた理由は予想外のもので、夜稀は思わず呆気にとられた。



 +++



「──────違うんです」


 ──容易く建物のビルを壊せるほどの力を持ちながら、『ペガサス』に触れるときは優しく、丁寧である人外の腕によって掴まれて、単眼の瞳を見て、口から出たのは保身による誤魔化しであった。


 トドメのひと刺しを止めたのはアスクヒドラであった。野花は意思疎通となる言動ができない彼の視線が批判されているように見えてしまった。


 ──アスクが『プレデター』でありながら、人が悪と定義付ける行ないを嫌っているのは気がついていた。それなのに無抵抗なルビーを殺そうとしている場面を見られたのは、完全にアウトと言うほかない。


「──違うんです! えっとこれは──せ、生徒会長の仕事で──」


 ──彼に嫌われたら生きていけない。居場所がない。あれだけ幸せだと感じた充実した日々を全て失ってしまう。頭に浮かぶのは、そんな考えばかりで呂律が回らない。そうこうしている内に、アスクは手を離してくれた。


「──ボクだって──私だって──」


 理性では自分を気遣ってのことだと分かっているのに、勝手な思い込みで見放された気持ちになって、涙が溢れて止まらない。


「本当は──殺したくないんですよっ! ──でも誰かがやらないといけなくて、だったら生徒会長としてボクが──友達を殺しました私が! やった方がいいじゃないですか!」


 誰にも言えなかった気持ちが、神に告白する懺悔の如く出てくる。


「猫都たちも、どうにかしようとしましたよ! でもあいつら人の話聞かないんですよ!! どうしようもないじゃないですか!? 中等部の子たち数が多いんです! 全員管理するとか無理!」


 ──せめて理性的に訴えたいのに、感情的に叫ぶのを止められない。思えばこんなことばっかりだった気がする。


 幸せになりたかったのに、苦しいことばかりで。


 みんなに喜んで貰おうとしたら、みんなを余計に辛くしちゃって。


 死にたいのに、死にたくない理由ができて。


 殺したくなかったのに、殺して。


 仕事だって割り切りたかったのに、割り切れないことばっかりで。


 救いたかったのに、救われないことをして。


 頑張ろうと思ったら、空回りして。


 怠けようとしたら、状況を悪化させてしまって。


 嫌われたくないけど、嫌われることをやらなければならなくて。


 殺さないといけないのに、殺せなくて。


 見られたくなかったのに、見られてしまった。


 ずっとずっと何かを間違えている気がしてならない。


 ずっとずっと落ち続けている気がする。


 ──そんなボクを──私を悪いと言わないでほしい、決めないでほしい、友達を殺した時から手遅れかもしれないが、これ以上、罪状を増やさないでほしい。現世が幸せになるなら、死んで地獄に落ちても仕方ないかなって思えるようになったんだ。だから──。


「──お願いします、見捨てないでください──嫌わないでください──死にたくないんです──地獄に、落ちたくないんです」

「……野花」


 その光景を見ていた同伴者が野花に声を掛ける。どうしてと驚き顔を上げる。そこにいたのは自身の工具箱型専用ALIS【プラタナス】を持った同級生の『すずり夜稀よき』だった。


「夜稀──どうして……茉日瑠は……?」

「その茉日瑠が、アスクと一緒に野花のところへって言ってくれたんだ。彼女は愛奈先輩と一緒にいるよ……Aエー、『ALIS』を閉まってこっちに来て」


 ずっとルビーに銃口を向けていたAエーに指示を出しながら、夜稀は【プラタナス】から工具を取り出して、手際よくルビーの首輪の毒針装置の無力化および“卒業”を知らせる装置を起動させた。


「……これでルビーは“卒業”した。Aエー、縛るの手伝って」

「──なに、してるんですか」

「生かしたまま学園に連れて帰る。雁字搦めに縛って、頑丈な鍵付きの部屋で監禁して……それから、どうするか考える」


 ──それは夜稀が自分を気遣って、何度も何度も提案してくれて、任せてください、仕方ないんですと断わっていたものだ。どうしてだか高等部のみんなの方針を決める立場になっている生徒会長として選ぶわけには行かなかったものだ。


「そんなことしたら──そんなことしてもっ!」

「いいんだよ! ……そんなに真面目にやらなくても……遠慮するな!」

「──ふふっ、なんですかそれ──そんなんで──う、うう────」


 ――自分の頑張りを全否定する、そんな言葉である筈なのに怒りとかは湧かなくて、体の力が抜けていき自然と嗚咽を漏らす。そんな自分をアスクは優しく包み込んでくれて、固くて冷たい彼の肌が、やけに恋しくなって強く抱きしめると我慢できなくなって、気が済むまでいっぱい泣いた。

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