篠木咲也 ce3

 

 ──あの夜。弱り切ってアスクヒドラを殴ってしまったことを語る真嘉を見て、咲也は、自分がどれだけ真嘉という同年の少女に縋り、彼女を苦しめていたのか思い当たった。


 咲也は涙ながらに、真嘉にむかって馬鹿だと言い続けた。どうしてこんなになるまで相談してくれなかったのか、なんでもかんでも一人で抱えたのか。


 ──こんな自分をどうして見捨てなかったのか、どうしてそこまでして自分を大切にしてくれるのか、馬鹿としか言語化できない中、その中に含まれる意味は、次第に自分の自虐になっていた。


 咲也が生まれた家は暴言が飛び交う家庭だった。両親そろってストレスに苛まれており、ことある度に相手を罵り続けている。そんな親の喧嘩を聞き続けてきた咲也は多大な影響を受ける。


 ただ、咲也は視野が広く賢い子だった。両親の発する言葉が他人に向けてはいけないものであることを、子供ながら理解して、だからこそ小学校では無口で大人しい子を装っていた。


 しかしながら、遺伝的と言うべきか咲也は何らかの悪い刺激を受けると理性が萎み、感情のままに言葉を吐き出してしまう。それは生まれた時から与えられた呪いというべきもので、現在まで矯正することは出来なかった。


 ただ、幸か不幸か、咲也は汚い言葉の矛先を、他人だけではなく自分にも向けることができた。


 両親を見て育った彼女は、他人を罵倒することがどれだけ酷い事かをはじめに知った。だからこそ湧き上がる攻撃的な激情を全て己に向けた。それによって自己を低くしてきた精神は、バランスを取るかのようにさらに視野を広げていく。自身を肯定する材料を探すために。


 視野の広さは、咲也に知恵を蓄積させ、理論を培わせる。気がつけば彼女は大人びた真っ当な思考を手に入れた。しかしながら、ソレが仇となる。


 精神が未熟なのを理由とするのはあまりに酷だろう。成長するにつれて彼女は自覚なく、間違ったことを真正面から間違いだと指摘するようになった。それらに対しての正誤は別に置くとしても、他者から見れば、ひどく鬱陶しいことこの上ない存在になってしまった。


 母親は法律に伴い咲也を『ペガサス』にした。離婚した父親あいつに一番似ているから。母親が最後に言い残した言葉を忘れたことは無い。


 ──ただ、『ペガサス』になった当初は、咲也にとって恵まれた日々だった。


 生まれながらの呪いである他者への攻撃性は戦場で才能として花開いた。自虐による反省や改善は功を奏して、咲也を強くし続けた。持ち前の視野の広さは戦闘でも大いに役に立ち、なんども仲間の窮地を救った。


 同じグループに所属している同級生や上級生から信頼されるようになって、咲也の意見や考えは重要視されるようになる。


 順風満帆とまでは行かないが、東京の頃とは違い自分を認めてくれる人たちに囲まれた咲也は幸せだった。その中で、現在いまの彼女を作り上げた事件が起こる。


 『ペガサス』だったからか、それとも思春期の少女だったからか、咲也に反発する者たちがクラスメイトの中から現われた。


 ──誰もが悪かったのはあちらだと、貴女は正しかったと咲也を慰めた。


 咲也からすれば彼女たちの意見は、非論理的で、ただ自分に反発したいだけの幼稚なものだった。しかし、彼女たちの自分は心底正しいという態度が碌でもない両親を、過去の自分を思い出させた。


 ──咲也は感情的となって、彼女たちに対して正論を並び立てて真っ向から否定した。それによってプライドをいたく傷付けられた彼女たちは、咲也を出汁に己のグループを作った。咲也を支持する『ペガサス』は咲也がいるグループに、それ以外は彼女のグループにと、結果的にクラスを二分化することとなる。


 ──しかし、咲也はそれを仕方ないと思っていた。ただ嫌いだからという理由で反発する彼女たちとは同じグループでもやっていける自信はなく、それぐらいなら袂を分かったほうが自分たちもあちら側も上手く行くだろう。それが当時の咲也の考えだった。


 ──自分の考えが正しいと信じて疑わなかった。その後の大規模侵攻で、あちら側のグループ全員が“卒業”するまでは。


 原因が完全にあちら側にあった。咲也を名指しして一緒に戦いたくないと独断で動き、また咲也よりも自分たちが正しいことを主張するために無理な戦闘を行なった。それ以外にも理由は沢山あり、誰がみても彼女たちの自業自得。咲也に非は無く、グループの『ペガサス』全員が咲也を慰めて味方した。


 ──それでも咲也は考える。あの時、もっと穏便な対応をしていれば、こうは成らなかったんじゃないかと。


 視野が広い彼女は、彼女たちが全滅したことで生き残った同級生や上級生の負担が増えた事を把握し、もっと『ペガサス』が生き残っていたらマシな結果になっていたんじゃないかと別の未来が頭をよぎる。


 ──自分に反発した『ペガサス』も、自分を頼りにしてくれた同級生も上級生も、憧れてくれた後輩たちも、あの時から“卒業”して行った彼女たちは──私が“卒業”させたのか? 


(そうだよ)(咲也が“卒業”させたんだ)(おまえが殺したんだ)


(みんなみんなお前が殺したんだ)


 咲也に反発した『ペガサス』の声で、妖精たちは囁き続ける。


 +++


「──ここ……は」


 食堂から無我夢中に逃げてきた咲也の行き着いた先は、アスクヒドラと出会い、真嘉が泣いた病室だった。


 壁は未だ直されておらず、アスクヒドラの空けた穴に吸い込まれるように、咲也は中へと入っていった。


 寝る際に自分たちが使った毛布などは片付けられているが、動かしたソファやベッド、月世を昏睡状態にしていた呼吸器などは放置されており、あの夜と殆ど変わらない。


 だからか、咲也はあの日、年相応に泣きじゃくる真嘉を鮮明に幻視する。


(どれだけ辛い目にあわせたんだろうね)(たのしかった?)(自覚があったのに辛いことぜんぶ全部おしつけた)(気付かないふりをしてぜんぶ全部おしつけた)(自分のつごうを全部おしつけた)(逃げ道をふさいで)(違うみちを行こうとすればブレーキをかけた)(そんで要らなくなったらすてる)(悪逆きわまるね)(ほんとクズ)(真嘉がくるしんだのはお前のせい)(来夢が“卒業”したとき真嘉が泣かなかったのはおまえの所為)(おまえの所為)(お前のせい)(あの日からぜんぶ咲也が悪いんだよ)


 『妖精』たちの声は、しょせん咲也が生みだしている幻聴でしかない。ゆえに先ほどから脳に直接、中等部の頃、自分に反発して袂を分かったクラスメイトの声で発せられる囁きは、咲也の脳が本人の意志を無視して勝手に合成しているものでしかない。


 ──しかし、自分が産みだしているからこそ、その言葉は決して的外れなものではなく、決して見ない振りにできない罪の指摘に咲也の心は自傷きずついていく。


 頭が痛い、世界がぐらつき、自分が膝を床に付けていると気付くのに時間が掛かった。『妖精』があまりにも五月蠅くて、周囲の音が聞こえない──はずなのに、独特の金属音が後ろから妙にハッキリと聞こえてきた。


「……なんで貴方が来るのよ」


 咲也は、その金属音の正体が足音だとすぐに分かった。だとすれば振り向かなくても自分を追ってきたものの正体にも自然と気付き、答えが返ってこないことを承知で問い掛ける。


 真嘉は、戦いでは誰よりもすぐに前に出ようとするのに、いざ、他人の事となると遠慮してしまう所がある。だから逃げた自分を追ってこない事を、咲也は承知していた。


 ──そんな真嘉の代わりと言わんばかりに、彼が追ってきたのは予想外だった、予想できるはずが無かった。


「──こっちに来ないで……私に、構わないで」


 咲也にしても、『ペガサス』の誰からにしても彼──人型プレデターアスクヒドラは、忌避感や警戒心を持ってはいるものの、決して怒らせてはいけない神のように扱わなければいけない存在と認識している。


 それなら、どれだけ気が楽かと咲也は本気で思った。なにせ、自分たち『ペガサス』の活性化率を下げられる。それは『ペガサス』からすれば命を操る権能を持つ神そのものだ。自分たち『ペガサス』の失われたはずの寿命そのものと言い換えてもいい。


 なによりも、自分の大切な人の心を救ってくれた張本人なのだ。だから咲也は近づきたくなかった。近づけば、必ず自分の口は暴言を吐いてしまうと確信していたから。


「お願い……あっちに行って」


 ──自分の言葉が原因で、彼の機嫌を損なうのが心底怖い。だから咲也はアスクにどこか行って欲しいと懇願する。


 ──それに反して、アスクは咲也の傍に寄って、身を屈めて、その背中を見つめる。


「なんで……なんでっ! ……ってくれないの!」


 食堂での真嘉との喧嘩に、『妖精』たちの囁きなどで精神が限界ギリギリである、咲也に言葉を選ぶ余裕はない。理性の仮面は擦り切っており、些細な切っ掛けで壊れて剥がれ落ちるだろう。


 ──その切っ掛けは、直ぐに来た。アスクは咲也の肩に触れると、咲也はその手をどかすように振り返って、涙に濡れた瞳でアスクを睨んだ。あの夜、真嘉に馬鹿と言い続けたときのように彼女の理性ブレーキは壊れて利かなくなる。


「私は! クズな人間なの! 救世主あなたの傍に絶対居てはいけない存在なの! それなのにどうして、あなたのほうから近づいてくるの! どうしてっ!?」


 アスクはなにも語らない。咲也は止まらない。


「私の何に興味をもったわけ!? 『プレデター』からしたら私みたいなのが好みになるの!? とんだ変態じゃない! 変態! 変態変態! この変態ッ!!」


 アスクはなにも語れない。咲也は止まれない。


「どうして私を助けたのよ!? どうして来夢を助けてくれなかったのよ!?」


 いつもの彼女が嫌悪して止まない、八つ当たりの言葉を投げつける。あの夜からずっと隠し持っていた理不尽な本音が吐き出される。


「なんで……っ! なんで今になって現われたのよ! どうして来夢を救ってくれなかったの! 真嘉の友達であろうとしたのはあの子だけだったのにっ! 真嘉を知っていたのはあの子だけだったのに! どうして間に合ってくれなかったのよ!」


 ──咲也は、自分のことを真嘉の友達と思ったことは無かった。対等だと思う事が怖かった。リーダーに付き従う者という立場が楽だった。リーダーである彼女が理由で“卒業”するなら仕方が無いと、目先に迫る死を受け入れることが出来たから。


「……違う……私が、私がどうにかしないといけなかった……。来夢が“卒業”した時、真嘉に泣いてもいいって私が言わないといけなかったのに……!」


 咲也は、真嘉にリーダーで居て欲しかった。居て欲しいから彼女をリーダーにし続けた。違う道へと行こうとした真嘉にブレーキを踏ませて軌道修正をさせたのは自分だったと咲也は語る。


 ──でなければ、視野の広い自分が見逃す筈がないのだから。


「ほんの少しでも、気になったことがあれば、真嘉に言えばよかったのに! 来夢に声をかければよかったのに! 響生も、香火も、レミも、私なら気づけていたはずなのに! 気づいていたはずなのに!!」


 責め苦は当然と言わんばかりに自分自身に向き始める。これが咲也であり『妖精』の正体である。感情に支配された思考は、過去から生み出される罪悪感を燃料に加速する。


「こうなりたくなかったのにっ! こうならないようにちゃんと努力したのにっ! どうして何も変わってないのよっ!? ただちゃんと生きたかっただけなのに! 人に当たり前に死ねやクズなんて言う両親みたいになりたくなくて頑張ったのに……っ! どこまでも一緒じゃないっ!」


 咲也は誰にも言えなかった本音を叫ぶ。


「あの時だって、そんなつもりはなかったのっ! ……でも、前と違って肯定してくれる人たちがいたから、どこかで調子に乗って──違う、みんなのせいじゃない。誰の所為でもない、全部……全部私が悪いのよ!」


 理由も分からぬ少女の懺悔に対して、アスクは意志を表示することができない。それ故に咲也を止めるブレーキとはなれず、激昂して衝突してくる彼女の言葉を受け止めるだけの存在に徹する。


「どうして……どうして、貴方はこんな私を助けたの? ……ちがう結局最後に選んだのは私なの……なんで私はこんななの……ねぇ、なにか言ってよ。言えないのなら、殴ってよ、蹴ってよ……私をクズにしないで……お願い……」


 ──懇願する咲也に向かって、アスクは平手を挙げて──その頭に優しく降ろした。


「……あなたも、私をクズだと言うの?」


 弱りきった問いかけを、アスクは首を横に振るって否定する。咲也は彼の言いたいことが分からない、考えても辿り着けない。


 ──しかし、思い出すことがあった。真嘉に聞いた。彼を殴ってしまったあとのやりとり。泣きながら問い詰める自分に、アスクは手を頭に置いて慰めてくれたという話。


「……慰めてくれるの?」


 恐る恐る尋ねるが、アスクは反応しない。


「……許してくれるの?」


 肯定もしなければ否定もしないアスクに、咲也は別の理由があるのかとさらに問い掛ける。それでもアスクは首を動かそうとしない。


「──っ! じゃあなによ! 私を受け入れてくれるというの!? こんなクズな私を!?」


 咲也は、アスクが何を考えてるのか分からない。答えに辿り着けない。僅かな苛立ちすら我慢できずに叫ぶと、アスクは頷いた。


「……え?」


 唖然とする咲也はアスクと目を合わせる。単眼でこちらを見る様子になにを考えているか分からない。


「……本当に私を受け入れてくれるの?」


 アスクは頷く。


「あなた……っ! 本当に分かってるの!? 『プレデター』だからって分からないって言うつもり!?」


 自分で言っておいて気付く。人間臭い所はたくさんあるが、彼は『プレデター』だ。


「──人間じゃないなら……『プレデター』なら、私が何を言っても、貴方は気にしないの?」


 それは悪魔の発想だ。咲也は自分で言いながらも否定してと願い、もしかしてと期待に満ちた瞳を合わせる。


 ──アスクは頷いた。『プレデター』でなくても、元より気にしていないと正直に告げた。だけど、理由を彼女に説明できない。伝わるのは肯定の二文字だけ。


「……ふ、ふふ……なによそれ……なによそれ……」


 自分の滑稽さにか、それとも状況の陳腐さにか、咲也はどうして自分が笑っているのか分からなかった。アスクが首を傾げるなか、咲也は唐突に彼の胸に飛び込んだ。


 咲也は西洋甲冑に見える外殻に頬を当てる。アスクからは彼女の表情が見えなくなる。


「……ごめんなさい」


 ──真嘉から聞いた通り冷たくも熱くもない金属のような感触、咲也は彼が人外であることを実感すると、彼女はまず今までの非礼を謝罪した。


「……変態……見た目が怖い……触手が気持ち悪い……意味が分からない……人の食べるところ、あまりじっと見ないでよ……馬鹿……」


 それから咲也は試すように、アスクに中傷的な言葉を送る。それは彼女なりの甘えなのだろう。言葉の内容とは裏腹に、声色は徐々に棘が抜けていき、穏やかなものとなっていく。


「……もう少ししたら、真嘉に謝りにいくから……ちゃんとするから……もう少しだけここに居させて……もう少しだけ、私を許して……」


(──クズ)


 妖精は未だに健在である。しかしながら、咲也は人生で初めてというほどの安らぎを感じていた。


 +++


 病室内のアスクたちのやりとりを、真嘉は外で聞いていた。中から見えない穴の横で、胡座をかいていた。


「──咲也……」


 本人には聞こえない声量で名前を呼ぶ。その中には彼女の懺悔が内包されていた。


 ──オレだってお前を利用していたんだ……来夢の時だって、考えたくないからお前の言葉を素直に受け入れた。


 ──泣いて下を向いていると、あの子が浮かばれないわと咲也は言った。その顔はとても辛そうだったが、真嘉は見ない振りをして、言われた通りに泣くのを我慢して前を向いた。


 我慢したというか、泣けなかったのだ。悲しいという気持ちよりも戸惑いが強くて、冷たくなった彼女が灰になっても現実感がまだ遠くにあって茫然自失となっていた。


 もしも、あのまま咲也の言葉がなかったら、真嘉は後から追いついてくる現実に押しつぶされていただろう。だから真嘉は、あの時自分を救ってくれたのは咲也だと思っていた。


「──ほんとひでぇ奴だな、オレは」


 もっと早くお礼なり、謝るなりすれば良かったんだと真嘉はひどく後悔する。この事をいま彼女に伝えたとしても、余計に追い詰めるだけだろうと真嘉は思っている。それは正しく、真嘉の気持ちを知った咲也はどんな理由にせよ己を罰する材料にしてしまう、『 幻聴妖精』がそうさせてしまう。


 真嘉は静かに立ち上がり、咲也を待つため食堂に戻る。


 ──歪んだ絆が、正常になるのは、まだ時間がかかるだろう。それまでの間、彼女たち『ペガサス』には安らげるものが必要だ。


 ──アスクは泣き止むまでずっと、優しく抱きしめた。


 

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